おきつねともらいもの(3)「あっ」
草むらから飛び出た枝に紙袋の取っ手が引っかかり、おれは思わず景気のいい鼻歌を止める。かなり傾いてしまった感覚があり、すぐに中をのぞきこむ。幸い中身はしっかりと入ったままで、おれはほっとする。歩けばすぐ息が上がっていた山道も繰り返せば慣れたもんだ、なんて油断をしていた。自然とはこういうもの。そんな今思い出すには大げさな言葉が浮かんでくる。
すると数メートル先で高い木の枝がしなり、どさどさと音を立てて積み上がった雪を降らせた。水分を含んだ雪が目の前で砕け散る。
「……気をつけよう」
道中あれを頭に受けて動けなくなったから助けてもらいました、なんて格好つかない。
何度か頭上を確認しながら、おれは人気のない山の奥へと歩いていった。
到着した神社の石畳は灰色の表面が見え、いくつか小さな水溜りをつくっている。雪がやんで数日。気温が高かったこともあり神社もつかの間の雪解けを迎えていた。前回訪れたときは嵐山をずっと背負ったままで雪かきをすることになり、おれは帰宅したのち筋肉痛に悩まされることになった。
正直まだ治り切ってはいないのだが、見つけてしまったのだからしかたない。今日という日のためにおれは体にムチを打ったわけである。
「あらしやまー」
本殿に向かって呼びかける。すぐに「はーい!」と返事があるのに今日は物音ひとつ帰って来ない。
「出かけてるのか?」
タイミングが悪い。連絡手段などないのだからこういう日もあるのだろう。
「書き置きでもしておいたら読むかな……うおっ!!」
突然、おれの肩に衝撃が襲った。どすん!と降ってきた衝撃が全身に響き、筋肉痛の鈍い痛みがはしる。いたい。かなり痛い。それでも姿勢を崩すと襲撃者が落ちかねないのでなんとか耐える。
「びっくりしたか?」
「びっくりした……あとあんま動かないでほしい……」
今動かれると響く。少し泣くかも。通り抜けた後方の鳥居から肩車するようにおれに着地した嵐山が頭に抱きついてくる。もふもふの冬毛は健在だ。
「今日も来てくれたんだな! このまえ来てくれたばかりだから会えるのはもっと先だと思ってた」
「今日でないといけない用事があって。一応確認なんだけど、管理人から贈り物をするときにルールとかあったりする?」
「いや、無いと思うぞ。昔は決まった食べ物しか渡してはいけない、というのもあったみたいだけど。……なにか持ってきてくれたのか?」
「それならよかった。渡したいから降りてくれる?」
おれが言うと、嵐山は体重を感じさせない跳躍で目の前に降りてくる。期待にきらきらとした目でおれの顔を見上げ、手に持った見慣れない紙袋に気づいたらしくそっちをじっと見つめている。
「おいしいにおいだ……」
「鼻がいいなあ。じゃ、はいこれ」
おれは紙袋から透明なフィルムに包まれた黒い筒――太巻き寿司を取り出した。前回突然しっぽを触ったことに対する謝罪の意味もこめて、ちょっと奮発してマグロ入りだ。狐なんだからいなり寿司の方がいいんじゃないか?と考えたりしたものの、せっかくならおれが食べるものと同じものを食べるのもいいだろうと思ったのだ。嵐山はおれの手から海苔巻きを受け取ると、いまにもよだれがこぼれそうに口を半分開いている。
「おれも同じの買ったし一緒に食べよ。ええっと今年の恵方は……南南東?」
「あれ、迅は歳徳神さまの居る方角知ってるのか」
「歳徳神? ああ、そっか。嵐山は神さま本人と知り合いなんだ」
「おれは会ったことはないけど、家族が知ってるんだ。それで、どうしてそれを気にしてるんだ?」
「人間は節分になるとその歳徳神さまがいる方角を恵方って呼んで、そっちを向いて無言で太巻きを食べるんだ。願いごとしながら食べると願いが叶うっていって」
「そんな儀式があるんだな! 俺もやってみる」
「うん。境内に座って斜め前の方かな」
並んで座る。おれがビニールを剥くのを見てから嵐山もビニールを剥き、同時に太巻きをほおばった。静かに食べ進める。短めの物にしたから今の大きさの嵐山でも食べきれるはずだ。
山の穏やかな景色はピクニックにも来たようで気持ちが落ち着く。……願いごと、かあ。嵐山に恵方巻きを体験してもらうために選んだから、これといった願いも無いまま食べ始めてしまった。ああ美味しいな、なんて味の感想くらいしか出てこない。
嵐山はどうしているだろう。おれが横目で見ると、両手で掴んだ太巻きをほおばって、美味しいという気持ちを表情にあふれさせて浮いた足をぱたぱた動かしている。
そうだなあ。管理人としてうまくやれますように、というのもいいかもしれない。願いにもなり切っていないような思いのまま、おれは太巻きを食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした。おいしかった……!」
「そりゃよかった。口の横に米粒ついてるよ」
手を合わせて御礼を言う嵐山に指摘すると、嵐山ははっとした顔で米粒をつまんでぱくりと食べる。
「魚っておいしいんだな!山じゃ川に住んでる魚をたまに食べるだけだから」
「ほかにも数え切れないくらい種類あるよ。川にもいるし、海にもいるから」
「ほんとか!?」
「ほんとほんと。また機会あったら持ってくる」
「……!」
お気に召したようでなによりだ。ぴん、と耳を立ててうれしさが伸びている。何かを言おうとして口を押さえたのは……おおかた結婚とか言おうとしたんだろう。このまえのおれの話を覚えていたらしい。おれから言い出したとはいえ、なんだかおかしくて頬がゆるんだ。
「あと、これもプレゼント。サイズ合うといいんだけど」
おれは紙袋から残りのものを取り出す。手にあるのは赤い毛糸で編まれた帽子と手袋だ。手袋には肉球模様の編み込みつきだ。ふらっと通りがかった雑貨屋で見かけたとき、なんとなく嵐山の顔が浮かんでつい買ってしまった。
「! これ、俺に?」
「ふかふかの毛があるし寒くないって言ってたけど、似合うんじゃないかって思ってさ」
こくこくと頷いた嵐山の頭にずぽっと被せる。耳はうまく帽子の中におさまってくれた。これなら街にもおりられるんじゃないか、なんて思ったそばでふわふわのしっぽがぶんぶんと揺れている。
「俺の毛はあたたかいけど、この毛もあたたかいな!耳がちょっとくすぐったいぞ」
きっと耳もしっぽのように動いているに違いない。もぞもぞと動く毛糸の帽子はおもちゃみたいだ。手袋もぴったりで、嵐山は手をじっくり観察するように前につきだしている。
「たくさんありがとう、迅!もしかしたら今もおおきくなれるかもしれない」
「それはよかった。……って、ちょっと待って!」
目を閉じて集中し始めた嵐山に声をかけて引き留める。
「どうしたんだ?」
「帽子も手袋も今のおまえにあわせてるから、つけたまま大きくなると破ける」
あの姿を見てみたい気持ちもあるが、さすがに青年には小さすぎる。
「そ、そうか。ざんねんだ……今日はつけていたいから、試すのはまた今度にする」
「そうして。また来るつもりだから急ぐ必要ないし」
しょぼ、と一瞬落ち込んだ嵐山は、身に付けた帽子に触れてにっこりと笑う。
「ありがとう。また今度、ぜったいに、俺のかっこいい姿を迅に見せるから」
おれは「待ってるよ」と、全身ふわふわになった嵐山と握手した。