天国体操第一空色の瞳の天使
みんなは孤児院の前庭にやって来た大道芸を見に走って行ってしまった。
それを見送って、あらしやまは先日見た紙芝居のお話の絵を描こう、と紙とペンを持ち出した。
午後の日差しが差し込む静かな大部屋で、ベッドに上がったあらしやまは白い紙を広げる。
紙芝居はとても楽しかった。とうほうの三人のけんじゃと大きな星。せいぼマリアとそして天使さま。あらしやまは天使の絵を描こうと思っていた。
そこでカチャリとドアが開いた。寮母先生かと思って顔を上げると、入り口には知らない大人の男の人が立っていた。
とてもせいの大きな男の人だった。茶色の髪と白いコートが廊下の窓から入ってくる黄金色の日差しにまぶしく光って見えた。
「シスター、この子ですか?」
男の人はそう言ってじっとあらしやまを見つめた。
あらしやまも不思議なものを見るように見つめ返した。男の人の白い頬は日差しに透けるようで、瞳は空のような青色だった。その人の周りをキラキラした光が取り巻いているように見えた。
天使さまだ、と目をぱちぱちさせてあらしやまは思った。
大きな天使さま。
「こんにちは」
「……こんにちは」
あらしやまが答えると、男の人は大部屋のベッドの合間をすいすいと通り抜けて、あらしやまのそばまでやってきた。
「やあ、かわいい男の子。良く顔を見せてごらん」
あらしやまの前で屈んだ男の人が見返すあらしやまの顔をしげしげと眺めた。それから『うん』とうなづいた。
「シスター! 確かにこの子です! ありがとうございます」
「まあまあ、本当に? なんて良かったことでしょう!」
入り口から顔をのぞかせた院長先生が嬉しそうに歌うように言った。
「さっそく引き取って帰っても?」
男の人が問うと院長先生は『それでは手続きをいたしましょう』と言って行ってしまった。
「さて、ちょっと抱っこさせてくれないかな?」
男の人があらしやまに手をさしのべながら言った。
あらしやまはこっくりうなづく。
むかしからあらしやまを抱っこしたがる人は多くて、そして抱っこした後はみんな美味しいお菓子をくれるのだ。
「あー、軽いなあ」
あらしやまを軽々と片手で抱き上げた男の人はそう言って笑った。近くなった青色の瞳はやさしいゆみなりになって、あらしやまはそれをやっぱり不思議な気持ちで見ていた。どうしてだか、はじめて会う気がしなかった。紙芝居で見た天使さまに似ているからだろうか。
「もうなにも心配いらないからね。おれはきみを迎えに来たんだ」
「むかえに?」
「そうだよ。一緒に天国に帰ろう」
天使庁保護管理課の
『じんさん! どういうことですか? 早く戻ってきて報告書出して下さい!』
その部屋は白い木の床に白い木の家具、水色の壁紙にはたくさんの星が飾られていた。ベッドの上には丸く覆う薄い布のカーテンもかかっていて、まるでがいこくのこども部屋みたいにきれいだった。
『現世の事象改変は基本禁止ですよ。なにしてるんですか? こんな絵本みたいな可愛い部屋作って』
せいの高い男の人の頭の周りを、光る粉を振りまきながらくるくる飛んでいる小さな生き物。まるで、
「……ティンカーベルだ」
「お、さすがですね、あらしやまじゅんさん」
透き通ったトンボのような羽根をキラキラいわせながら、妖精があらしやまの顔の前で空中にとまった。
どうして、おれの名前を知ってるのかな? と思ったあらしやまは首をかしげたけれど、きっと妖精だからだな、と思う。
近くで見る妖精はなんだかおしごとで着るような黒い服を着ていた。黒くて長い髪にめがねを掛けていてあらしやまが絵本で見た妖精とちがっていた。でもにっこりしている顔は絵本よりかわいらしい。
「かわいいな……ようせいさん?」
「正解!管理官のうさみしおりです。よろしくどうぞ~」
妖精は小さな手に持った小さな紙束をめくりながら『で、じんさん?』と言った。
『勝手な改変は現世の力場に悪影響を与えるから禁止です』
「でも当該案件に緊急的に必要な場合72時間許可される、でしょ」
「緊急にこども部屋が要るんですか?」
「要ると思わない? こんな小さな可愛い子を薄暗い廃屋の中に置けって? かと言ってホテルに泊まるのは経費に認められないし」
「なるほど?」
「だから頼むよ宇佐美管理官。緊急性を加味しての申告」
「そうですねえ。じゃあ、あらしやまさんの可愛さに免じて。72時間ですよ」
「恩に着る」
「速やかな報告書!」
「了解」
妖精はパチンとウィンクをするとパッと消えた。
「あれ? どこに行ったの?」
「お仕事中だからね。有能だから忙しいんだよ」
「そうなのか」
妖精と男の人の話はむずかしくてよく分からなかった。
あらしやまはそこで部屋の中をぐるりとみまわした。窓がないのになぜだか明るくて昼間のようだった。
「ここはどこ?」
「ここは町外れの古いお屋敷の中だよ。ちょっと借りたんだ。三日間だけね」
「きょう、あした、あさって?」
あらしやまはひとつずつ指をおって数える。
「そう、良くできました。その間になんとかしないとね……」
「?」
白いコートを脱いだ男の人はそれをおもちゃの木馬の上にばさりと置いた。
床に敷かれた柔らかな敷物の上にあぐらをかいて座るとひざを叩いてみせる。
「あらしやま、ちょっとこっちにおいで」
大人がそうして呼ぶのは、あらしやまをひざにのせるときだから、あらしやまは素直に男の人のひざにのった。
「うん。やっぱり小さいね」
「俺は小さいのか?」
「今いくつ?」
「わからない。寮母せんせいはいつつかむっつくらいねって」
「そっか。なにも覚えてない?そうだな、羽のこととか。はじめからなかったの?」
『ここに』と大きな手に背中をやさしく撫でられる。
「はね?」
背中にはね?あらしやまは勢いよく顔を上げた。
「やっぱり、天使さまなのか?」
「え? おれ?」
どきどきしながらあらしやまがたずねると、男の人は青色の瞳を丸くした。
「まあ、そうなんだけど。え?分かるの?」
「天使さまのことを紙芝居で見たよ。髪も目も絵で見たとおりだ。きれいだ」
「それはありがとう。でもたぶんおまえが紙芝居で見た天使とは違うかな。おれは天使庁保護管理課所属のしがない公務員だよ。でもまあ実力派」
言葉がむずかしくてなにを言っているのか分からなかったけれど、やっぱり天使さまなんだ、と思う。
「天使さまは翼をかくしているのか?」
こんなせいの大きな人なのだから、きっと翼も大きいのだろう。見てみたい。
「様はいらないよ。そうだ、自己紹介もまだだったね。おれのなまえはじんゆういちだよ。じんでいいよ、あらしやま」
「じん」
じんはうなづいて、それから手をのばしてあらしやまの頭を撫でた。
それから伸びてきていた前髪を留めているひとふさを指でつままれた。あらしやまはぴゃっと肩をすくめた。なんだかむずむずする感じがした。
「うーん、これ羽だねえ。羽毛の一部というか」
あらしやまの髪の毛はあちこちはねていて、寮母せんせいもいつも『羽っ毛だわねえ』と笑っていた。
じんがふさをつまんだまま指先を擦り合わせるので、あらしやまはあにめの猫のように下から上に向かって身体がぶるぶる震えてしまった。
「う、みゃ……、はなして、」
つんつんとひっぱられて猫のような鳴き声が出てしまう。
「ね、ぞくぞくするだろ?ほんとなら翼にいく栄養なのになあ」
じんは『う~ん』と困ったように言った。
「あのね、おまえも天使なんだよ。だから翼を出せるようにならなくちゃね」
じんはひざの上のあらしやまをじっと見た。
「発育不良かなあ?それとも人の子の五歳ってこんなに小さいものなのかなあ?」
ひとりごとみたいだったので、あらしやまは首をかしげる。じんは同じ方向に首をかたむけて、それから言った。
「とりあえず、天国体操かな」
天国体操第一
「おーい、うさみ~」
『はいはーい』と妖精がまたポンとあらわれた。手には星のついた指揮棒を持っている。
「それではてんごくたいそうだいいち、はっじまっるよ~!」
ポロロンポロロンスットントン~♪と、やや気の抜けた音楽が流れ始めた。
……ほしがはねて、はながわらって、ちいさなうちゅうがはじまるよ……♪
あらしやまは思わず立ち上がった。
「まずは背筋を伸ばしま~す。せのびの運動から~いちにさんし、ににさんし」
妖精が指揮棒を振ると不思議なことに、あらしまの身体もその通りに動いた。
……ねこのしっぽはせかいいち、かたつむりはしるよ、ねずみのひげでおんがくならそう……♪
「両手をまえに~、肩をまわしま~す」
指揮棒がぐるぐると回る。あらしやまも両手をぐーにして肩を回す。自然と身体が右に左にリズムでゆれる。
……あなぐまがわらって、さかなはピョコピョコ、ちいさなうもうは、かみさまのおきにいり……♪
へんなうた、とあらしやまは思った。
こんなへんなうた、きいたことない。
「ふはっ、あははは!」
妖精の指揮棒と一緒におどっていたあらしやまが笑い声を上げると、床に座って様子を見ていたじんがにっこりした。
「良かった。やっと笑ったな」
「ふふふ……だってへんなうただ」
「まあね、たしかに」
『でも、天使の子どもはみんなこれ踊って翼をうごかすんだよ』とじんは立てた人差し指を左右に振った。
「幼少期の筋肉の発育に良いんですよ~」
妖精がめがねを光らせながら説明してくれる。
「じんも?おどったのか?」
「うんとちっちゃい頃にね」
右、左、上に下に。最後に指揮棒がいちばん大きく円をえがいた。
「大きく深呼吸~、すって~はいて~、」
それから妖精は指揮棒の星をぴかりと光らせると、とてもゆうがにおじぎをした。あらしやまも一緒におじぎをする。
「はい、おしまい。どう?」
「楽しかった!」
「それは良かった。あのね、こう手を前で組んでぐーっと伸ばして。それから背中の真ん中らへんを意識して力を抜くんだ」
あらしやまの前でやってみせたじんは『ほら』と言って。ふっと息をはいて。
するとじんの背中に羽があらわれた。
「わ……!」
あらしやまはじんを見上げて声を上げた。
ふうわりと広がった大きな翼ははしっこが天井にとどきそうだった。白くて光っていてかみさまの手みたいにきれいな天使のはね。
「天使さまだ……じんは、とてもきれいな天使さまだな!」
「ありがとう。さわってみる?」
「うん!」
床に膝をついたじんの背中に回って、大きく広がった翼にそっとふれてみる。ふわふわしていてすべすべしていて良いにおいがした。
「あったかい……」
「生きてるからね」
思わずぎゅっと抱きついて顔を埋めると、気持ち良くて、すんすんと息をついてしまった。
『気に入った?』と笑ったじんは翼を真ん中にぎゅっと寄せた。
「わあ……?!あったかい……」
背中の真ん中にいたあらしやまは左右の翼に挟まれて全部をくるまれてしまった。どこもかしこもふかふかですべすべであったかくて、ひなたのお布団みたいな、なつかしい匂いがした。こんなに気持ちのいいものははじめだった。
「気持ちいい。ずっとさわってたい……」
「いくらでも触っていいけどね。というか、おまえにもこういう翼があるはずなんだよ」
「俺にも?こんないいものが?」
「そうだよ、小さな天使」
ほんとうだろうか?とあらしやまは思う。
こんなすてきなものが、俺の背中にもあるなんてとても信じられない……。
「あらしやま?眠いの?」
「……うん」
「そうだね。小さな子どもはもう寝る時間だね」
じんの背中でじんの翼にもたれかかってあらしやまはもう半分眠っていた。
「……ねむい」
「いいよ、もうおやすみ。続きはまた明日」
じんに抱っこされて柔らかいベッドに寝かし付けられる。
また明日。また明日もなんて、ゆめみたいだ……。
思いながら、あらしやまはすとんと眠りの国に落ちていった。
それはきっと運命の
『迅さん?どうですか?あらしやまさんは翼を出せそうですか?』
「どうにかしないとね。天使でなきゃ天国の門はくぐれない」
妖精の宇佐美と通信しながら迅は頭をわしゃわしゃと掻いた。
「神さまのとっておきのたまごだったのに、どうして下界で孵化しちゃったんだろうな?」
『てっきりどこかで聖遺物になっているかと思いましたよね』
「それなら連れて帰るのも簡単だったんだけどなあ。たまごのままなら何百年、地上にあっても問題なかったんだし。孵化しちゃって人の子としての成長しかしてないから栄養不足なんだろうなあ」
『天使の成長に必要な栄養素は天国の空気にしかありませんしね~』
「門をくぐりさえすれば、後はまあ何とかなるだろ」
『一応、確認しますが天国の門の判定を覆すのは重大な規定違反ですからね?』
「いやいや、大丈夫だよ。やらないよ?」
『本当ですよ?協力できることは出来るだけ協力しますけど。迅さんたら色々とやりかねない感じがしますから』
「お世話になります」
「ほらー!」
おどけたように頭を下げた迅は、空色の瞳をひらめかせると真摯な色を浮かべた。
「絶対に連れて帰るよ。あんなに幼くちゃひとりぼっちで地上に置いておくなんて出来ない」
「迅さんは他のお仕事しながら、長いこと一途に探していましたもんね」
「……そうかな?一途?」
「そうですよ。有給だってみんな、たまごのあの子を探すのに消化しちゃって。まるで花嫁を探すお伽噺の王子さまみたいに熱心でしたよ」
「王子さまって……」
『王子さまみたいは言い過ぎでしたかね』と宇佐美は可愛らしくてへぺろ☆する。本当に星が飛ぶのは妖精ならではだ。
「……天使に花嫁って概念はないよ」
「なら運命の相手でしょうか」
「天使庁に所属して最初の仕事だったからだよ」
──探して欲しいと、それは神さま直々に。
それからずっと探し続けていたから、神さまの特別はいつの間にか迅の特別にもなったのだ。
特別なたまご。この手で見付け出せたらどんな気持ちになるだろう、とそれはそれは永いこと夢見るように思っていたから。
『昇進を蹴って保護管理課に居続けてるのも捜索を続けるためでしょう?』
「別にそれだけじゃないけど」
『遂に見付け出して、連れて帰れば任務達成です。これで心置きなく昇進できますね。お手柄でエリートコースまっしぐら』
「……手柄のために探し出したわけじゃない」
『知ってます』
妖精はやさしい微笑みを浮かべて迅を見た。ほんとうにこういう聡いところは敵わない、と迅は思う。
「……おれが見つけなきゃって思ってたし、あの子もおれが見付けるのを待ってた。何故だかそういう気がしてるんだ」
そう、きっと。
運命のたまごにずっと恋していたんだよ。
ひとりぼっちはさみしいから
ふと目がさめてしまって、あらしやまはベッドの上でそっと起き上がった。
見回すとあたりはふしぎな明るさにみちていて、ここが知らない部屋だということが分かった。
……ここはどこ?
きれいでかわいい子ども部屋は、でもとてもしずかだ。
大部屋ではいつだって誰かがいたのに、ここはベッドのきしむ音さえしない。
みんなどこへいったのだろう?どうして俺だけひとりぼっち……?
かなしい気持ちがわいてきて、あらしやまはしくしくと泣き出した。
両手で上掛けの端をにぎって、口をぎゅっと閉じてほとほとと涙をこぼす。
「あらしやま?どうしたの、起きちゃったの?」
ふいにほのかな明かりが灯って、見上げるとそばにじんが立っていた。
「……じん」
「こわい夢でも見た?」
あらしやまは首を横に振った。
「ちがう……みんなが、いなくて、ひとりだから……」
ひっく、としゃくりあげるあらしやまを、ベッドの端に腰かけたじんは膝に乗せた。抱き寄せてよしよしと背中をなでてくれる。
「う~……、」
「どうしてそんな声をころして泣くの。よけい苦しいだろうに」
「……おっきなこえで泣いたら、みんながおきちゃうから……、」
「ああそっか、おまえはドミトリー育ちだもんな」
かわいそうに、とつぶやいた迅はあらしやまをぎゅっと抱きしめてくれた。
「泣いてもだいじょうぶだよ。子どもは泣くものだよ」
「てんしでも?」
「天使でも」
あらしやまは涙ぐみながらじんの胸に額を擦りつけた。迅の腕の中は温かくて、またあのなつかしい匂いがして、あらしやまはわんわんと泣き出した。
「ひとりはいやだよ、ひとりじゃねれない……」
「そうだね、ひとりはさびしかったね。ごめんね」
「じんは……、ねないのか……?」
「あー、天使は寝なくても平気なんだけど……」
「一緒にねてほしい」
あらしやまがおねがいすると、背中を撫でてくれていたじんは動きを止めて。それからあらしやまの頭のてっぺんに音を立ててキスをした。汗ばんだ髪に指を通してすいてくれる。
「髪の毛くしゃくしゃだな。子どもの匂いがする」
「じんはいい匂いがするぞ」
「分かった、いいよ。おれでよければ一緒に寝ような」
「うん」
じんが指をぱちんと鳴らすと、子ども用だったベッドはすぐに大きなサイズになった。
「じんはまほう使いなのか?」
「ううん、天使だよ」
肩肘をついて寝そべったじんに、あらしやまはいそいそと体をよせた。じんは大きくてあったかくて、胸元にもぐり込むととくんとくんとなる音が聞こえて、とても安心できた。
「天使ってまほうも使えてすてきだな」
「おまえもすてきな天使になるよ」
じんはあらしやまの髪をゆっくりと撫でてくれる。
ずっと誰かにそんなふうにしてもらいたかった気がして。うれしくて安心して。
俺のしんぞうの音も聞こえているかな。じんも安心できるといいな。
また眠くなってきて、あらしやまは半分眠りながらつぶやいた。
「おれも、じんみたいに、なれる…?」
「なれるよ」
じんの空色の瞳が優しく細められた。
「ゆっくりおやすみ、かわいいこ。大丈夫、おまえはかみさまのおきにいりだよ」
てんしの練習
朝、起きたらまずは天国体操をした。
子どもてんしはみんな毎日踊る、と言われたら、あらしやまだって頑張らずにはいられない。
頑張ればきっと、じんみたいなてんしになれるらしいから。
そうして、じんは先生のように言った。
「さて、じゃあ今日は力の使い方……そうだな、まほうの練習をしてみよう」
「まほう!」
「厳密には違うけど、使ってみないと力の道が開通しないだろうしね」
「?」
あらしやまが首をひねると、じんは鼻の頭を掻いた。
「ま、とにかくやってみよう。たとえば花を咲かせる」
じんが指を鳴らすとテーブルの上に花びんがあらわれた。すごい、本当にまほうみたいだ。
じんは花のつぼみに人差し指でちょん、と触れた。すると花はふわりと開いてピンク色になった。
「すごいな!」
「おまえもできるよ。やってみな」
「どうやって?」
「花が咲いたらうれしいだろ?」
「うん」
「だから、咲いてほしいってお願いして」
「わかった」
あらしやまはテーブルの端に手をかけて花びんのつぼみをじっと見上げた。
お願いします。ひらいてみせて──。
「……だめみたいだ」
あらしやまが困った顔をするとじんはくすりと笑った。
「まあ、そりゃそうだね。こっち来て」
手招きされて、ひょいと膝の上にのせられるとテーブルの花びんがよく見えた。
「ほら、手を出して」
両手でそっとつぼみを囲むと、じんが一緒に手をそえてくれる。
「そうぞうして。花が咲いたところを。咲いてきれいだ、うれしいって気持ちを」
あらしやまはじんの穏やかな声にいっしんに耳をかたむける。
「うれしいが始まる。おまえの手の中で始まって花も喜んでる。一緒に始まるんだよ」
命のはじまり、よろこびのはじまり。それは天使のとくいなことだから、きっとできる。
「一緒に?」
「そう」
「一緒だとうれしいな……」
あらしやまは自分の手に重なるじんの手のあたたかさがうれしかった。
だから思った。きみも一緒にうれしくなろうよ。
するとポン、と音を立てて花が咲いた。とてもきれいな赤い花。
「咲いた!俺にもできた!」
「良かったね」
あらしやまはじんの手を握り返してぶんぶんと振った。
「咲いたな!うれしいな!」
よろこびで胸がいっぱいだ、と思って。その気持ちのまま笑った。
すると、もうひとつ花が咲いた。
ポンと花が咲いて。続けてポンポポンと、まるでリズムを鳴らすように花びんの花は満開になった。
「天国体操みたいだ」
あらしやまはじんを振り返って笑って言った。
「花がわらってる」
……ほしがはねて、はながわらって、ちいさなうちゅうがはじまるよ……♪
「……すごいな」
じんは膝の上のあらしやまの頭にあごをのせた。
「さすが子どもは素直だな。飲み込みが早い」
じんのついた安堵の息で髪の毛がくすぐったくて。
あらしやまは体の前に回されたじんの両手をぎゅっとした。じんの腕の中はとてもいごこちがいい。
くっついていられるのは、とてもよいことだという気がした。
だって、誰かがいないとくっつけない。
ひとりぼっちではできないことだから。
だから寝るときもおきているときだって、ずっとこうしてくっついていられたらいいのに。
「じんはやっぱり大きいな」
「おまえが小さいんだよ」
じんは頭の上でくすりと笑って。
「待ってるから、早く大きくおなりよね」
小さな羽毛は神さまのお気に入り
「力も使えたし天国体操のリズムも覚えたし。もうそろそろ芽生えても良い頃合いだな」
そう言って床の敷物の上に座ったじんが、あらしやまにおいでおいでをした。
向かいにぺたんと座ると『はい、ばんざい』と手を上げて、孤児院を出るときに寮母せんせいが着せてくれた白いシャツを脱がされる。
「背中見せて」
くるりと身体を回される。乾いたおおきな手がなにかを探すみたいに背中をなでていく。
「くすぐったい」
「うん」
背中の骨をちょいちょいと指で押されてあらしやまは笑い声を立てた。
「ここ、分かる?」
「ほね?」
「ううん。翼の出てくるところ」
じんは今度は向かい合わせにあらしやまを膝の上に座らせた。
両手をあらしやまの背中に回して、揃えた指先で背中の骨の形に沿って何度も撫でる。
「ふわ……、そこ、くすぐったいよ」
「そうだね、敏感なところだからね」
『翼のなごりだなんて言うんだから、不思議だよね』とじんはあらしやまのそれを指で確かめていく。くすぐったいのにやめてくれない。
「ほら、背中の真ん中、意識して」
「んん?」
じんは膝の上で逃げたそうに身をよじるあらしやまを逃がしてくれない。
じんの膝に乗るのはすきだと思ったのに、これはちょっといやだな、と思う。
両手の人差し指で何度も何度もゆっくり円を描くように撫でられて、ぞわぞわとした感じが上ってきた気がした。びくり、と肩をすくめる。
「ん、イヤ、くすぐった……」
そうしてから今度は指の腹できゅっきゅ、と骨の付け根を摘まむように揉まれた。
「ア、や、んあ?」
「ほら、感じる?ここ。ここから、こっちへ」
うなじから背中の両端へするりと翼のなごりをなぞられて『ひゃあ!』と声を上げて背中を反らしてしまった。
「おっと、落っこちるよ」
じんは反ったあらしやまの頭を支えて、自分の首元に引き寄せた。もたれ掛からせて『だいじょうぶだいじょうぶ』と囁きながらおおきな手のひらで背中を撫でさすった。
背中の真ん中の筋を、指の先ですりすりと何度も優しく擦られてあらしやまは体がふるえてしまう。
「ふや、あ……っ、あ、」
なにか今まで感じたことのない感覚が背中に上ってきて、あらしやまはじんの首元にぐりぐりと頭をすり付けてイヤイヤをした。けれどじんは浮き出た骨の下のくぼみを指先でくすぐるのをやめてくれなくて。
「ほら、もう少し」
「ん、く……っ!」
あらしやまが喉の奥を詰まらせた瞬間、ぴょこん、と芽吹くように小さな羽が飛び出した。
ふたばのようなちいさな一対の羽。
はー、とむずむずが治まったあらしやまは息をついた。びっくりした。
「えらいね、がんばったね」
とじんが笑った。
あらしやまは背中を見ようとしたけれど、自分で自分の翼は見えなかった。
「俺、羽はえた?」
「そうだよ。動かしてごらん」
「どうやって?」
「うーん。あ、そうだ。天国体操やってごらん」
「うん」
じんの膝から下りたあらしやまはてんてろりんすっとんとん♪と覚えたメロディを口ずさんだ。
いちにいさんし、ににさんし、と腕をまわして右に左にからだを動かす。
すると背中のふたばの羽もぴょこぴょこと動くのが分かった。
「そうそう、上手いよ」
じんが手拍子を鳴らしてくれる。あらしやまは唄いながら回る。
「……ふふっ。あははは!」
楽しくなって笑い声が体の中から沸いてくる。なんだか体が宙に浮いたみたいに軽かった。
……ほしがわらうよ、はながひかって、ちいさなうもうはかみさまのおきにいり……♪
あらしやまがうんと背伸びをすると、差し伸ばした手の先でポンっと花が咲いた。
ぐるりと回るたびにさとう菓子のような小さな星がキラキラと散らばった。
鈴を鳴らすような光のリズムがあたり一面に広がって、きらめく輪がつらなって奏でて。
体を動かす後を追いかけて、花が咲いて草が育って小さな虹が生まれては弾けた。
あらしやまとじんのまわりに祝福の音のつぶが跳ねまわって宇宙を作った。
その真ん中で楽しくて瞳を輝かせたあらしやまは、広がった宇宙のずっとずっと先に、別のじぶんがいるのを見た。
ひかりが走っていく瞬きの合間に、あらしやまは赤い服をきたもうひとりのじぶんが、こちらを見て笑ったのを感じた。
願いが届いた。
それは神さまの特別なたまごの孵化の瞬間だった。
そして背中の羽は光をはじいて羽ばたいて、すこしだけ大きくなってあらしやまの背中でふうわりと広がった。
「天使のいちねんせい、おめでとう」
じんは言うと、あらしやまを持ち上げてたかいたかいをしてくれる。ふたりの宇宙の真ん中で一緒になってぐるぐると回った。
あらしやまは嬉しくなって一生懸命、生えたての羽をぱたつかせる。小さな翼がパタパタと頼りない音を立てる。それでもあらしやまは歌い出したいくらいう楽しい気持ちだった。
じんはあらしやまを片腕に抱え直すと青色の目をほそめて言った。
「でも、まだまだ小さいね。先は長いな」
「俺がじんくらい大きくなるのに?」
「そうだね。天使の成長はゆっくりだからね」
神さまはとても遠くにいらっしゃるから、長く長く飛べる大きな翼を育てないとね、とじんは言った。
「俺が神さまのところへ行けるくらい、大きくなるまでじんは一緒にいてくれるか?」
あらしやまは近い位置にあるその瞳をのぞきこむ。
じんの瞳の空。
その中には宇宙がある。はるか遠い未来がある。
「神さまのところへ行きたい?」
「うん」
今、生まれたあらしやまは、はっきりと分かっていた。
「神さまに俺がなんで生まれたのか、ほうこくしなくちゃいけないんだ」
神さまのとくべつなたまごを孵化させた、強い願いがあったことを。
「この世界のじんが、ひとりぼっちだったから」
じんのそばに俺が居たかったから、その願いが俺をこの世界に生まれさせたんだ。
「だから、じん。一緒にいていいか?」
あらしやまは指をのばしてじんの頬をそっと包んだ。鼻先がふれ合うほど顔を寄せると、じんはふっとまぶたを閉じた。
「……おれのために生まれてきてくれたの?」
ささやく声にあらしやまは明るく答える。
「そうだぞ!」
「そっか。それが答えか」
じんはそっとつぶやいて。
それから目を開いた。薄茶色の長いまつげが持ち上がって、新しい世界の幕開けのようだった。
じんの瞳は晴れ晴れとした空色に輝いた。
「じゃあ、やっぱり運命だね」
ずっとずっと探し出したくてたまらなかったよ、とじんは言った。
「ずっとずっとおまえに会いたかったんだ」
あらしやまは答えた。
「俺もだよ。だから、これからは一緒にいて」
これがきっと神さまの祝福だから。
「あいしてるよ、迅」