割れ鍋に綴じ蓋EMERGENCY、EMERGENCY。即座に行動を制限せよ。
脳内で無機質なアラート音が鳴り響く。なんて事はない、聞き慣れた損傷防衛プログラムに大人しく従った。姿勢を中腰のまま保ち、静かに胸部に取り付けられたファンを回し、口から空気を放出する。人間的動作でいう、所謂『深呼吸』と呼ばれる行動をしてから全身の伝達回路に信号を送り体を筋肉を弛緩させた。
やばい。
あまりの痛みに手の感覚が鈍くなる。今持ち上げている最中の捜査資料をぶちまけたら、それこそ目も当てられない。ゆっくりと腕の力を抜き、床に段ボールを落下させた。どすん、と鈍い音が響いたが誰かが振り返るほどではない。そもそもこの資料保管倉庫B号-03にはネロ以外誰もいなかった。
やばい。
腰に手を当て、胴体との接続部位を指先で慎重になぞる。外部に異常はなし。そのまま上半身を起こそうとすれば、再びけたたましいアラーム音が体内で鳴った。どうしろというんだ。仕方なく中途半端に体を起こした体勢のまま近くの机までよろよろと歩み寄り、卓上に胸と腹を押し付ける。ちょっとしたグラビアポーズのようになっていたが、普段有り余る羞恥心を稼働させる余裕もなかった。
腰が痛い。それも、尋常ではないほどに。
一体何が原因なのだろう。先月爆風に飛ばされ約六メートルの高さから落下、着地したことを誤魔化したことか。いや、二週間前に違法ウイルスをわざと取り込んで体内で処理したからだろうか。もしくは昨日久々の定時退社に盛り上がり、酒盛り後に四時間セックスしたせいか。
心当たりが多すぎて個人では判断できない。なにしろシティポリスは激務、過労、二階級特進が日常茶飯事のブラックワーク。アシストロイドの手でも借りたいような地獄がほぼ毎日展開されているのだから、無理せず程々に頑張りましょうなんて世論が通用するわけもなかった。
さて。本来であればすぐさま痛覚信号を発する部位を検出、シナプスを一度切断し、低電力モードに切り替え。オーナーに状況を報告のち判断を仰ぐ……というのが望ましいプロセスである。けれども、それをするわけにはいかない。一週間前のアシストロイド立て籠もり事件時、咄嗟にシナプスを切断して突入したことを見咎められオーナーの元に履歴データが飛ぶようシステム調整されたのだ。改竄しようにもオーナー権限で施行された調整に手を入れるのは本能的嫌悪感（セキュリティ警告）が伴う。どの時点でオーナーに情報開示されるか分からない状態でハッキングすることは、流石に躊躇われた。
（いや、だからと言ってこの状況を報告するか？）
つい先日、ラボでメンテナンスを行い腕のパーツを取り換えたばかりだ。今度は原因不明の腰を修理してほしいだなんて、いったいどの口が言えるだろう。ネロはブラッドリーの所有物。つまり収入もブラッドリーの手元に入るのが普通であり、望ましく、むしろその為にアシストロイドは存在する。それなのに、アシストロイドで稼いだ金をアシストロイド自身に使えと。
（言えるわけがない）
だからと言って行動せねば状況は進展しない。せめて原因さえ判明すれば経費でメンテナンス代を処理できるかもしれないのに。グラビアポーズのままネロは悩み──二十分ほどうだうだと考えた末、嘘と真実を織り交ぜて報告することにした。
つまり、存在しない原因はでっちあげればいいのだ。
「大丈夫だよな……いけるいける。先に夕飯はフライドチキンだって言えばそっちに意識が行くだろ」
警告が出ないギリギリのラインまで動力を低下させ、なんとかまっすぐ立ち上がる。痛い。でも一度立ち上がれてしまえば思っていたよりもいけるかもしれない。そう思い一歩踏み出し、
「──～～っッ」
脳をつんざく痛覚信号に自動システムが反応し、眼球の表面に人工涙液が膜を張る。本当になんだってんだ、どうしてこんな事に。なんとも人間らしい行き場のない嘆きを抱えながら、ネロは倉庫室のドアから廊下に這い出た。