[Eden単独ライブ中の一幕]
ほんの些細な切っ掛けだった。
MCもつつがなく終わり、各々が次の曲のための立ち位置へと移動する。
ライブは既に折返して、アンコールまで駆け抜けるのみ。会場の熱気がぐんぐんと上がっているのを肌で感じる。
ここでステップを踏んで、移動。閣下も殿下も、ジュンも問題無さそうですね。むしろ調子はいいくらいでしょうか。周りの状況も問題無く、順調に工程が進み思わず笑みがこぼれる。
外せない見せ場、サビ前のハイキックの為に踏み込んだ左足につきん、と痛みが走る。すでにひねりはじめた体の動きの勢いは殺せず、高く上がった右足がギリギリ保っていた体のバランスを崩した。そのまま、自分の体は重力に呑まれ、落下してゆく。
ステージに頭を打つのだけは避けたいと懸命に背を丸めるが、思っていた衝撃が襲ってこない。
ヘッドセットマイクを乱暴に外され「いばら」と名前を呼ばれた。誰だ……おそるおそる目を開くと、ステージを照らすスポットライトで視界が真っ白に染まり、何も分からない。ただただ、歓声のような悲鳴のような、様々な声が耳に届く。
ダメだ、こんな所で止まっていたらダメだ。
ー踊らないと
(自分が有用だと証明するために)
ー歌わないと
(数字を上げる、いい子にしているから)
ー成功させないと
(いらない子なんて、言わないで)
あぁ、こんなクソみたいな最低野郎に対して皆さん、なんて顔をしてるんですか。
閣下、そんな悲しそうな顔をしないで下さい。台本通り振る舞ってこそ、このステージは成功を収めることができるというのに。殿下もです。自分が心配で目が離せないみたいな視線を送るのはやめていただきたい。ジュンはそんな二人を見て動揺しないで下さい。天下のESのビッグ3、Edenに相応しい堂々とした振る舞いをして下さい。
つまるところ、ライブを中断してまで自分の心配する必要なんてこれっぽっちも無いのです。むしろ、ふざけてる。
閣下、下ろしてください。動け、動け、俺の足。骨が折れて砕けて、筋がちぎれて、喉が潰れてしまっても、自分は、俺は、結果を出さなければ、成果を産まなければならないんだ。
(お願いだから、俺から生きる意味を、価値を取り上げないで!)
「……茨ッ!」
自身の名前を呼ぶ声に、意識を呼び戻される。
真っ白だった視界が徐々に色を取り戻し、琥珀色の瞳が心配そうに覗き込んでいるのが分かる。
「かっ、か……自分は、いったい……」
「ダンス中に倒れたみたい。頭は、ぶつけていないと思うんだけど、大丈夫?」
「は、い……」
返事はしたものの、両足が熱を持ち、じくじくと痛い。なのに身体の芯は冷えていて、どうにも身動きが取れない。
「日和くん、ジュン、私は先に茨を連れてステージから下がるよ。二人も、頃合を見て……」
「勝手な事を、言わないで下さいッ!」
「茨……今、そうやってごねるのは見苦しいね。皆の前なんだ、一度下がるべきだね」
皆の、と強調され、反論ができなくなる。そうだ、ここは事務所の会議室でも、ユニットの専用ルームでもなく、華々しいステージの上だ。これ以上騒ぐのも疲れる。瞼を下ろし、わかりました、運んで下さいと吐き捨てれば閣下が自分を素早く抱き上げ、立ち上がる。
「ありがとう、日和くん」
「ステージの方は任せておいて」
親指と人差し指で丸を作り、日和は微笑みながら、二人を見送った。
***
次に目を覚ましたら、真っ白な天井が視界いっぱいに広がっていた。直後、琥珀色の瞳が心配そうに覗き込んでいる。さっきもありましたね、これ。
「ここ、は……?」
「ステージ裏。とりあえず近くのベンチに下ろして、医療スタッフに見てもらうよう指示を出してあるから待ってて」
「……かっか、おねがいです。ステージに、立たせてください。もう、あとはアンコールの3曲だけなんです。それを歌い踊れば、ライブはおわるんです……」
「足の状態が分からない以上、容易に許可はできない」
「閣下!」
「茨に、一生遺るかもしれない怪我を負わせるなんて事は、私が許さない」
「それは、このライブだって同じですッ!……自分の失敗が原因で、Edenのライブが中断してしまったという汚点が、一生、残ります」
「私は、茨の体の方が大事。そう言ってるつもりだけど」
「そんな気遣い、自分には不要です。もっと、全体を見て物を言って下さい」
「私は本気。茨、言葉を返すようで悪いけど、全体を見れていないのは君の方だよ。卑怯な言い方かもしれないけど、君の体はもう君自身だけのものじゃない。アイドルユニットのAdamやEdenだけでなく、そのユニットのプロデュースも手がけるプロデューサーで、コズミックプロダクションの副所長でもある。ここまで言えば、賢い茨なら分かるよね?」
「そう、ですね……。自分の怪我は、自分自身だけでなく、ユニットや、事務所にまで影響を与える可能性が、ある、と……」
あえて自分に喋らせることで、事態の深刻さを自覚させようとするなんて、いつの間に覚えたんでしょうね。
あぁ、嫌だ。ちっぽけな俺の自尊心が、ゆっくりと削り取られてゆくようだ。
水の流れにじわじわと浸食されてゆく、岩盤のように。
いつの間に、こんなにも自分は弱くなったんだろう。
あの軍事施設に居た時?
見ず知らずの血縁から、訳の分からないまま遺産を相続した時?
一般教養すら乏しい俺が、会社を立て直す灰色の青春を送っていた時?
最終兵器と、初めて会った時?
”あの時”から、何か、変わった気がする。
気付けば、夜が明けていた。
体の異変に気付いたのは、その3日後だった。