閣下誕生日凪砂の逞しい腕が茨の腰のあたりをぎゅうと抱きしめる。茨が着ているパジャマ代わりのライブTシャツの裾にすっぽりと頭を入れて、静かに息を吸い込んだ。ボディーソープの甘い香りの中に茨の匂いを嗅ぎつけて一息つく。可哀想に伸びきったTシャツはもう使い捨てるほかないだろう。
素肌の腹に顔をぴったりとくっつけられて、茨は落ち着かないようだ。
退避したい気持ちをじりっとした身動ぎで誤魔化せば、察しの良い最終兵器は拘束具ばりにぎゅうううっと締めつけを強めた。
腕の力強さに反して、腹を撫でる頬は幼子が母親に戯れるようにくすぐったい。こちょこちょに弱いジュンならば大爆笑してたかもしれない。……などと、茨の頭に他の男が過ぎったことすらも察した凪砂は頬を徐々に膨らませ「私は怒っているよ」という主張を腹越しに伝えた。
ずいぶん可愛らしい怒り方になってしまったけど、今日という特別な日の締めくくりに茨には私だけを思っていて欲しいと思うのは当然の権利だと思う。ぐりぐりと額を臍の上あたりに押し付けて甘える。
茨がおもむろにTシャツの裾を捲って凪砂の頭を外に出すとベッドに豊かな白銀の髪が波打つように広がった。
茨の手が、私が一等好きだと言った触れ方で髪を梳かすように撫でてくれる。思わず目を細めて見上げると澄んだ海をガラス細工に閉じ込めたような瞳に、こぼれ落ちそうな瞬きの合間に自分の姿が写っているのが見えた。
「……ねえ、茨」
「なんです?閣下」
「今日は私の誕生日だよ」
「ええ!存じておりますとも!だからこそ劇団ドラマティカの公演を終え、バースデーイベントをこなした閣下を労うためこうしてホテルを借りて二人っきりで過ごしてますよね?」
「説明っぽく感じるのはなんでだろう」
「技量の問題でしょう。ともあれ!本日は閣下のお望みのままにと色々と準備はすませてあるのですが……自分はこのまま抱き枕に徹すれば宜しいのですか?」
「まさか」
反転、身体を起こして名残惜しい体温から少し離れど極近い距離で茨に覆い被さる。
「茨を抱き枕にしたつもりはないよ」
「おやおや、流石の閣下も少々お疲れのご様子。別に自分からのプレゼントはまた後日でも構いませんよ?」
「つれないことをいうね。こうして秀越学園にいた頃のようにふたりで過ごせるのは貴重な時間なのに」
「……そうですね。楽しんで頂ける時間も限られてますし、サクッと始めちゃいましょうか」
言うが早いかするりと凪砂の腕の中を抜け、
ベッド脇に置いていた鞄からなにやら装置を取り出すと、あらかじめベッドサイドに待機していたPC(茨がギリギリまで仕事をしていたため)にコードを接続し、起動させた。
キュインキュインと得体の知れない装置から起動音が響く。
よくわからない展開になったなと戸惑い半分、期待半分で待っているとVRゴーグルを手に爛々とした笑顔で茨が振り返った。
「今年のプレゼントは『Switch』式VRシステム、略してSVRSを縮小し、閣下が好みそうなVRゲームをプログラミングした1~2人プレイ用β版です!こちらを使えば発掘調査や宇宙飛行士体験、異世界転生などなどをご家庭でも楽しめる優れものです!ちなみにいまSwitchの面々はSSに向けた新しいSSVRSを絶賛制作中とのこと!最新鋭のゲームで様々な疑似体験をし、今後の活動の糧になればと思い用意いたしました!」
「へえ、面白そうだね。色んな疑似体験が出来るんだ?」
「ええ!従来品は大人数で広範囲のフィールドを使うものでしたが、こちらであれば一部屋四畳半分のスペースがあれば安全に使うことができます!」
「それなら星奏館でも遊べそうだね」
「では早速このVRゴーグルを装着して頂きたく……?あの、閣下」
「なに?茨?」
「近く、ないですか?」
「そうかな?」
「うわ近い近い近いっ!もう閣下の美しいかんばせしか目に入らないぐらい近いですよ!?」
もう一度茨を押し倒すようにずずいっと近づいていく。だってプレゼントを用意してくれた茨には悪いけど、いまの私には仮想世界よりも目の前の現実の方が魅力的だったから。
茨はいつも通り元気よく捲し立てて雰囲気を流そうとしたけど、耳も首筋も真っ赤だったから照れ隠ししたかったんだろうな。ごめんね。我慢する必要はないよね。
だって今日は私の誕生日だから。
愛し合いたいんだって目で訴えれば、笑顔のポーカーフェイスを貫きたかっただろう顔が真っ赤に染まった。限りある時間は有効的に使いたいし、SVRSはまた今度。
茨の手からVRゴーグルを奪ってベッドの下に落とした。これ以上待ちきれないと唇を奪おうとすると「お待ちください!!」と手のひらで口を覆われてしまった。
「あの、まだ大事なことをお伝えしていなくて……」
「あとじゃダメかな?」
「いえ!すぐに済みますんで!」
おあづけをくらった犬の気分ってこんな感じなんだね。
「お誕生日おめでとうございます、閣下」
「……ありがとう、茨」
愛おしさで爆発してしまいそうな気持ちを抑える枷はもうなくなった。茨を思いっきり抱きしめて、長い夜がはじまった。