ゲンと黒千「やっほー遊びにきたよー」
「なんだ、てめーかよ。千空ならいねーぜ」
インターホンの画面を確認するのが面倒で、直接ドアを開ければ、深くかぶった帽子とサングラスにマスクという不審者に近い変装をしたゲーノー人様が立っていた。
「えー!ジーマーで?」
「ふははっ。残念だったな。帰れ。帰れ」
「はぁ……仕方ない。黒ちゃんがお茶いれてよ」
「はぁ?お目当ての千空がいねーんだから帰れよ。」
「ケーキ買ってきたから一緒に食べよ?この間テレビでやってたチーズケーキなんだけど、やっと買えたんだよね。解凍して2時間後くらいが食べ頃らしくてさ、今ちょうど2時間経ったとこなんだよ」
わざわざケーキの箱を開けて中を見せると黒の目が僅かに見開いた。
「ゲーノー人様がテレビの情報とか…」
「あー。偏見だー。ゲーノー人だって普通の人ですぅ」
「ほーん。普通ねぇ?」
どうやらゲンを部屋に上げても良いと判断したようで、黒が体を引いてリビングへの通路が開く。
「ってか、解凍して2時間後が食べ頃ってんなら、あいつのスケジュールくらい調べとくかアポ取ってから来いよ。詰めが甘ぇな」
「あはは、スケジュールか。知ってたから来たんだけどねぇ」
「あ?どこで知ったのか知らねーが、その情報ガセだぜ。今日、司の買い物に付き合うって随分前から予定入れてたからな」
「あはは。ま、いいや」
ゲンはリビングのソファに帽子や上着をポンポン投げ置いていく。
「あ、コーヒー?嬉しい!黒ちゃんのコーヒー美味しいからさ」
コーヒーを淹れる為の道具をあれこれ用意してたらひょこっとキッチンに顔を出すゲン。
「ケーキならお茶よりコーヒーのが合うだろ」
「へー、これがミル?俺やってみてもいい?」
「あ?使ったことねーのかよ。豆入れてまわすだけだぜ?」
「うん。やりたい」
軽くため息をついてミルを渡す黒。
ガリガリガリガリ
「わぁ!コーヒーの香りだ!ゴイスー!」
「ふはっ、当たり前だわ。豆煎る時の方がもっとすげーけどな」
「ジーマーで?って黒ちゃん豆も煎るの?」
「あー、たまにな」
「あはは、もうカフェできるんじゃない?黒ちゃんイケメンだからお客さんゴイスーくるよ」
「んで、ゲーノー人様御用達で更に客が来てか?」
そう切り返した黒の言葉にゲンの細い目が一瞬丸くなって。
「う、うん。行くよ。毎日通うよ」
「そりゃ、勘弁だわ。テメー目当ての客が出待ちとかして、商売にならなさそうだしな。あ、そこのカップ取ってくれ」
「ドイヒー。カップってこれ?」
「あー。まあ、それでいいか」
いかにもペアですってカップを選んで黒に渡す。勝手知ったる戸棚の中から皿やフォークを並べて早く食べようと黒を急かした。
テーブルでスタンバイしているゲンの前に置かれたカップを見て、「あ?そっちが俺のだわ」
って手を伸ばせば、「んー。ま、いいじゃん。今日だけ貸してよ」とゲンにカップを取られてしまう。
「あ?別にこっちのをテメーが使ったって千空は怒ったりしねーよ」と言うが「あーん、やっぱり黒ちゃんのコーヒー美味し〜」と口をつけてしまったゲンにそれ以上言う言葉はなかった。
「ほら、ケーキも早く食べようよ」
「ああ。テメーは変なトコで遠慮するよな。ま、いいけどよ」
「遠慮……ねぇ」
「なんか言ったか?」
「ううん。それより、黒ちゃん、ひと口が大きくない?」
「んな、ちまちま食ってられっかよ」
「もう、子供みたいだよ。どうやって食べたらそこに付くのさ」
そう言ってゲンは自分の右頬をトントンっと指さした。
無言で右頬を掌で拭う黒を見て笑うゲンが身を乗り出して黒の頬からケーキのカケラを指ですくって自分の口へ放り込んでしまう。
その一連の動作を見て固まる黒のことなんて気にした様子もないゲンは次の話題を口にする。
「そうだ。今度、ドラマに出ることになってさ」
「演技とかウソツキからしたら得意分野だもんなぁ」
方向展開された話題に我に返った黒が憎まれ口をたたく。
「言い方っ!ホントにこの兄弟はっ!」
「ふはっ、千空にも同じこと言われたか?」
「ドラマの話は今初めてしたよ。俺が言いたかったのは言い方の話っ」
「まあ、こんどけ顔が似てんだ。当然中身だって似るだろ」
「ふーん。中身って服の中?」
コーヒーを吹き出す黒にケラケラと笑うゲンはどこまで本気かわからない。
頬についたケーキを食べられて不意打ちを食らって、今もまたゲンの冗談に揶揄われて、湧き上がったのは敵対心か負けず嫌いか。
「確かめてみるか?」
やられっ放しが癪で、思わず出た言葉にゲンの瞳が揺れ、黒の溜飲が僅かに下がる。
「黒がいいなら」
「来いよ」
ゲンならノってくるかもと思っていたので、ここまでは想定内だ。
ガタンと音を立ててイスから立ち上がりソファへと移動した。ゲンの脱ぎ捨てた上着を床へ落として横たわる。
「好きにしろよ」
そう言って仰向けになるとゲンは覆い被さってきて。ぷちぷちとボタンを手際良く外し始めた。そのまま黒の耳元に口を寄せてきて囁く。
「好きな子でも思い浮かべてなよ」
「ふはっ。最低な睦言だな。テメーはわざわざ思い浮かべる必要ねぇから、お得だよな」
「俺が今抱いているのは黒だよ」
「悪ノリし過ぎだバカ」
「あはっ。どこまでいいのかわかんなくてドキドキしちゃったよ。コーヒー冷めちゃうね」
パッと体を起こして笑顔を作るゲンがソファから離れてテーブルへと戻っていく。「いつもみたいに『ちゃん』付けで呼べよな」と呟く声はゲンには届かない。
そのまま何事もなかったかのようにケーキとコーヒーを口に運びながらするゲンとの会話はテンポも良くスムーズで、あっという間に時間は過ぎだ。
「あ、もうこんな時間だ。そろそろ帰るね」
「んあ?たぶん、もう少しで千空帰ってくるぜ。いいのか?」
席を立ったゲンに思わず声を掛ける黒。
「うん。残念だけどこれからまた仕事なんだよね」
「そっか。頑張れよ」
「うん。ありがと。ゴイスー元気になった。またね」
玄関まで見送ってくれた黒に手を振ってドアが閉まる。
バタンと目の前で閉まったドアをしばらく見つめていたゲンは小さく口を開いた。
「今日、千空ちゃんがいないって知ってたから来たんだよ……なんてね」
そう呟くと苦笑いを浮かべて去っていく。
ドアの内側ではゲンの帽子を持ってドアノブに手をかけたままの黒が「どういう意味だよ」と呟いて、そのままドアに背中を預けてズルズルと床に座り込むしかなかった。