香水 ――創りたい世界なんてない。
それが、此度の死闘で勝ち残ったナホビノの"願い"であった。
(どうせなら、俺みたいなナホビノは最初から除外してしまえば良いのに)
自らの手で破壊し、瓦礫と化した座。その上にだらしなく腰掛けながら、青色の髪のナホビノは自堕落な時間を過ごしていた。
今や完全なる一柱の神となったナホビノ。
ふたつであった意思がひとつに溶け合ってしまった時点で、彼の道は決まっていた。
――守りたかった人達が消えた世界など、どうでも良いと。
(でも、勝ったのは俺だ)
淡く輝く指先をぼうっと見つめながら、ナホビノはひとつ欠伸をする。
神の座す瓦礫の間は、とても静かだ。
音もなく、風も吹かない。いつの日か、創世を望むナホビノが現れた際には慌ただしくなるだろうが、きっとそれはまだ遠い未来の話だろう。何をする目的もないナホビノにとっては、酷く長い時間である。
(いっその事、眠ってしまおうか)
熊の冬眠の真似事くらいは簡単に出来るだろうと、ナホビノは久しぶりに身じろぎをした。神の視線がゆっくりと動き、同時に長い青髪が宙を舞う。そして、微かな匂いが霧散する。
瞬間、ナホビノは黄金の双眸を見開いた。
自然的に発生する香りではない、人工的に作り出された香り。所謂、香水。ナホビノの知恵であった少年は所持しておらず、生命であったアオガミも無縁であった存在。ただ一人、ナホビノを利用しながらも駒と見なしきれなかった"兄"が「人の世で生きていく嗜みだ」と使用していた香りであった。
決して強い香りではない。けれども、汗を殆どかかない男が放つ香りの中では、最も濃い香りではあった。組み敷いた己の下から向けられる黒色の双眸にとても似合う、静かな匂い。
赦しを請うかのように、何かを願うかのように。もしくは、与えられる快感に耐えるかのように、己の髪を握りしめていた越水ハヤオ。かつての情事を鮮明に思い出してしまい、ナホビノは手で己の顔を覆う。
(残り香としては、未練がましすぎない?)
口元に浮かぶ笑みは、決して香りに対するものではない。その香水の持ち主に対してでも、ない。
ほんの僅かな香りを見逃せなかった己自身に対してである。
――守りたかった人達。
唯一無二の半身と、兄でもあった男。
ふたつであった意思がひとつに溶け合ってしまった時点で、彼の道は決まっていた。
今の自分には、世界に想いを馳せられないと。
そして、己の懸念に誤りが無かったことをナホビノは身を以て知ったのである。
「……割れてない瓶、何処かに残ってるかな」
あの人の存在を思い出させる香りの存在。その現存に関して。
荒廃していくばかりの世界に対し、神は初めて興味を示したのだから。