「お姉様」と「りつな」「だから話すよ、お姉様のこと」
穏やかな笑みを浮かべながら、彼女は言った。
俺たちにしている「隠し事」が、その「お姉様」の事なのかまだ分からない。が、八代のことならなんだって知りたい。
はやる気持ちが抑えられず思わずごくり、と唾を飲み込む。
「お姉様はね、とても博識で綺麗で凄く強くて、そしていつも私の事を一番に想ってくれていた。よく頭を撫でてくれたわ」
八代は目を閉じ胸に手を当て、過去に思いを馳せるようにそう呟いた。
「素敵な姉さんなんだな。力は持ってるのか?」
「…私ね、あなたに嘘をついてた」
俺の問いに、八代は窓の向こうを見つめながら急に話し始めた。
夜も更け、これから話す内容とは打って変わって医務室の窓からは綺麗な星空が見えている。
嘘…?俺は沈黙で返事をする。
「前に、私の固有能力についてあなたに聞かれたことがあったじゃない?あの時、私は光の矢を作るだけの力だって言ったけど、あれ、嘘」
俺のささやかであるが大きな疑問に対して的を得た発言に息を飲む。
「…お前の力の暴走っぷりから何となく察してはいたよ。で、結局お前の特殊能力は」
「光で間違いないわ。でも、診断結果だけが…当時で言う「危険」を超える数値だったのよ」
…なんだって?
「待てよ、「危険」数値なんて診断を受けた人間なんて知らないぞ。仮に出てきたとしても、国に引き取られて即ニュース行きだ。瞬く間に全人類に周知される。場合によっては…」
続きを言おうとしたが、彼女の前でその行く末を話すのは少し憚られた。分かっている、という風に窓から俺へと目線で合図をする八代。
「そこでお姉様の話に戻ってくるの」
…正直、話に追いつけない。
今までの「危険」診断を受けたって話だけでもインパクトが強すぎるのに、そこに件の「お姉様」が介入してくると来た。頭がパンクしてしまいそうだ。
余程呆けた表情をしていたのだろう、八代がくすりと笑う。
「私の両親…特に父ね、どうにかお国に捕まる前に、私の力をせめて引き取られないレベルにしようと色々頑張っていたみたい。…そこで目をつけられたのが、お姉様だった」
…少し彼女が目を伏せた。
嫌な予感がする。
詳しい経緯はまだ話せないけど、と前置きをしてから八代は少し早口で話を進める。
「私が「光」の力を持っているのと対照に、お姉様は「影」の力を持っていた」
「…まさか」
「そのまさかよ。その影の力で私の光の力を相殺出来ないか、試したの。私とお姉様の身体を使って」
「…そんな、そんなの」
「__人体実験よね、言ってしまえば」
言わないように必死で抑えていた言葉が、いとも簡単に八代の口から飛び出てきた。
「まぁ国に捕まっても同じことをされたと思うから、そこは私は何も思ってないわ」
八代は表情を変えずに少し深呼吸をした。
「結果がどうなったのか私は知らない。でもある日を境にお姉様が私の前から消えたってことは、多分__そういうことだと思う。」
「そういうこと」。俺の推測が正しければ、実験は失敗したということだ。それなら八代の力はどうなったんだ?と疑問に思ったが、とても俺が口を挟めるような雰囲気ではなかった。
「少し、力弱くなったんだよね。お陰で向こうの誤診断として、少なからず国に捕まることはなくなった。でも…」
「でも?」
雰囲気に呑まれないよう、俺はとても小さい声で続きを急いた。
少しの沈黙。視線を迷わせながら、八代は俺と同じくらいの声量で呟いた。
「あれ以来お姉様に会えてない。頭を撫でてくれたあの感覚も、段々遠くなっていくの。今はすごく後悔してる。幼かったとしても、どうして父の行動に疑問を持たなかったんだろうって」
「そんなの」
「そうね、当時の私にその判断は難しいわよね。それでも…お姉様が居なくなってしまうと分かっていれば、もう頭を撫でてくれることは無いと分かっていれば」
八代の声が少し震えた。胸の辺りで両手をぎゅっと握りしめている。
「私、まだお姉様と一緒に行きたいところ沢山あった__一緒にやりたい遊びも沢山あった__まだまだ一緒に、お姉様の隣で、笑いながら生きていたかった…!」
…気がつくと、俺は八代を抱きしめていた。これ以上彼女の苦しそうな表情を見ていられなかったのか、それとも個人的な感情に任せたのか。
「俺が、いるよ」
「風間くん…」
「八代、お前はずっと一人で…気づいてやれなくてごめん。俺はお前の姉さんの代わりにはなれないけどさ」
彼女を抱きしめる腕に力が入る。
「せめてお前が笑えるように、お前が抱えてるモン俺にも教えてくれよ、少し分けてくれよ。俺が隣にいる時くらい、その感情を忘れられるように」
「…っ、…うん」
胸の中で嗚咽を漏らす八代が頷いた。思わず頭を撫でてしまったが、彼女は何も言わなかった。
「後で姉さんについてもっと聞かせてくれよ。…ういにも話してみようぜ」
妹の名前を出すのに躊躇いがあったのはきっと、彼女のこの姿を知っているのは自分だけが良いと心のどこかで思っていたからかもしれない。
本当に、どこまでもずるいな、俺は。
◆◆
あの後泣き止んだ私を訪れたお医者様は私に異常が見当たらないと分かると、「ここには人が沢山居るんだから、頼らないと損だよ」と言い残し帰っていった。
ぶっきらぼうに見えるが、私の力のことを知ろうとしていた所や私にかけてくれた言葉の節々から優しさが垣間見えて、純粋に嬉しかった。
「損だぞ〜」とニヤニヤしながら自分を指さす風間くんを視界の端に置きながら、ありがとうございました、と丁寧にお礼をした。
「明日、うい様に説明会を開かなきゃね…」
「会えたらいい感じに話しとくよ」
「よろしく頼むわ…それで、お姉様の話だっけ?」
それからしばらくして。
「やべ、もうこんな時間か」
風間くんにならって時計を見ると、もう日付をゆうに越していた。
「あまり夜更かししてると叔父様に怒られちゃう。こんな遅くまで付き合わせてごめんね、お姉様のこと話すの久しぶりでつい」
「いいっての!んじゃ、おやすみ八代。しっかり休むんだぞ」
「ありがとう。おやすみなさい、風間くん」
静かに医務室のドアが閉まる。静寂が急に私を襲う。
「うぅ……」
話してしまった。お姉様のこと、私のことを。
見せてしまった。完璧でない私の姿を。
今までの私だったら絶対に見せない一面を、話さないことを、風間くんに知られてしまった。それでも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。ただ。
「全て」話さなくて、本当に良かった。もし話してしまったら、私はここに居られなくなってしまうかもしれない…また、一人になってしまうかもしれない所だった。
髪飾りを外し、髪を下ろす。少し伸びたかな。今度また美容院に行かないとな。
ベッドに横になり、布団をかぶって目を閉じる。「力」を沢山使ってしまったからか、反動で今まで蓄積していた疲れがドッと押し寄せてきた。
壁掛け時計が時を刻む音だけが耳に入るような静かな空間で、私はぼんやりお姉様のことを考えていた。
私…お姉様のこと何も知らないのかも。
よくよく考えれば、そりゃそうだ。お姉様に関しては物心ついた時から数年までの記憶しかないのだ。
お姉様、ピーマン食べられるようになってるかな。苦手って言ってよく私に寄越してきたっけ、懐かしい。
「力」は使えるようになってるかな。「影」の力__。
ここまで考えてふと脳裏によぎる。目は…見えているのだろうか。
私の記憶の中でも、あの夢の中でも、お姉様は言っていた。「たとえ見えなくなっても」、と。
実験は、本当に失敗したのかな。もしかすると成功したのかもしれない。じゃあなんでお姉様は出ていってしまったのだろう。分からない。
途切れ途切れになってきた意識の中、ずっと願いを反芻し続けていた。
会いたいよ、お姉様。どこにいるの…。
◆◆
「……ふう」
路地裏。愛用のバタフライナイフを引き抜くと、今まで刺さっていたモノから液体が噴き出した。その液体は身体中に付着し、ベタベタと纏わりつく。
気にせず自分の服でナイフについた液体を拭き取り、一人呟く。
「赤。これも「違う」か」
「待っててね、りつな。いつかきっと、お姉ちゃんが会いに行くから」