引き戸が開く音が玄関から響いてくる。次にガチャガチャとドアを弄る音がし、施錠したのだとイギリスは感じた。靴を脱ぎ、スーツが擦れる音がする。先ほどまでテレビを付けてはいたものの、夕方のニュースにパンダの誕生を報道するものがあり「可愛いなあ」と満ち足りた気分になったため切った。
静かな日本邸で、足音が近づいてくる。ローテーブルから立ち上がり、いささか早めで乱暴な足音の主を見るために廊下に出た。これは、相当疲れている。
「おお、ビンゴ」
その通り無表情で草臥れたスーツ姿の彼は、隈のできた瞳でイギリスを見上げる。「ああ」と低い声を出し「いらっしゃってたんですね」と目線を伏せて呟いた。手には鞄を持っており、随分と横に膨らんだそれは重たそうに腕から垂れ下がっている。すぐ、廊下の端に放られる。
「今回もまた、疲れてるなあ」
「イギリスさん、オキシトシンってご存じですか」
「オキシトシン?」
オキシトシンとは精神伝達物質の一部で、ペットとの触れ合いや良好な人間関係、親子のスキンシップなどで分泌される。蓄積した疲労を感じさせなくし、不幸や不運の影響を受けにくくなるなど、肯定感を高める効果があると、研究の結果判明しているのだそうだ。
つらつらと喋った日本は、「ほら」と両手を広げてイギリスに向き直る。何を? と戸惑ううちに、しびれを切らしたようにため息を吐き、彼は一歩前へと進んでイギリスの腕を掴んだ。その力に引き寄せられ、バランスを崩して腕の中に飛び込んでいる。
イギリスを抱きしめた日本は、身体に回した腕の力を一層強くした。喉元が詰まる感覚がし、恐らくシャツの背中部分を引っ張られているに違いない。自分の腕は封じ込められているので身動きが取れないが、それをいいことに日本はイギリスの首元に鼻を付け、勢いよく嗅いでは「いい匂い」と呟いた。その吐息がイギリスの首筋に当たる。
「石鹸と香水と、あとはなんだろう。古い布の匂いがします」
「古い布?」
「はは。あなたの匂いは落ち着きます。私も樟脳の匂いが強いでしょう」
確かに、古びた木の匂いが彼からは強く香っている。じっと佇み、自らを好き勝手に抱きしめる彼のいいようにしていた。オキシトシン、効いてきた? と訊ねると「まだまだ」と日本は首を振る。細い髪の毛が肌に当たり、くすぐったくて堪らない。