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    800字朝菊 1日目

     引き戸が開く音が玄関から響いてくる。次にガチャガチャとドアを弄る音がし、施錠したのだとイギリスは感じた。靴を脱ぎ、スーツが擦れる音がする。先ほどまでテレビを付けてはいたものの、夕方のニュースにパンダの誕生を報道するものがあり「可愛いなあ」と満ち足りた気分になったため切った。
     静かな日本邸で、足音が近づいてくる。ローテーブルから立ち上がり、いささか早めで乱暴な足音の主を見るために廊下に出た。これは、相当疲れている。
    「おお、ビンゴ」
     その通り無表情で草臥れたスーツ姿の彼は、隈のできた瞳でイギリスを見上げる。「ああ」と低い声を出し「いらっしゃってたんですね」と目線を伏せて呟いた。手には鞄を持っており、随分と横に膨らんだそれは重たそうに腕から垂れ下がっている。すぐ、廊下の端に放られる。
    「今回もまた、疲れてるなあ」
    「イギリスさん、オキシトシンってご存じですか」
    「オキシトシン?」
     オキシトシンとは精神伝達物質の一部で、ペットとの触れ合いや良好な人間関係、親子のスキンシップなどで分泌される。蓄積した疲労を感じさせなくし、不幸や不運の影響を受けにくくなるなど、肯定感を高める効果があると、研究の結果判明しているのだそうだ。
     つらつらと喋った日本は、「ほら」と両手を広げてイギリスに向き直る。何を? と戸惑ううちに、しびれを切らしたようにため息を吐き、彼は一歩前へと進んでイギリスの腕を掴んだ。その力に引き寄せられ、バランスを崩して腕の中に飛び込んでいる。
     イギリスを抱きしめた日本は、身体に回した腕の力を一層強くした。喉元が詰まる感覚がし、恐らくシャツの背中部分を引っ張られているに違いない。自分の腕は封じ込められているので身動きが取れないが、それをいいことに日本はイギリスの首元に鼻を付け、勢いよく嗅いでは「いい匂い」と呟いた。その吐息がイギリスの首筋に当たる。
    「石鹸と香水と、あとはなんだろう。古い布の匂いがします」
    「古い布?」
    「はは。あなたの匂いは落ち着きます。私も樟脳の匂いが強いでしょう」
     確かに、古びた木の匂いが彼からは強く香っている。じっと佇み、自らを好き勝手に抱きしめる彼のいいようにしていた。オキシトシン、効いてきた? と訊ねると「まだまだ」と日本は首を振る。細い髪の毛が肌に当たり、くすぐったくて堪らない。
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    gmksk

    MOURNINGクリスマスイベント用の漫画を小説にしました。言い訳でございます。どっちが得意とかそういうのより、私は絵を描けないということがはっきりしました。イベントはとても楽しかったしみなさんの朝菊は最高にエモかったです。
     小説すら、間に合わない。もういい、適当に書こう。アーサー・カークランドはその日、なんやかんやあってファストフード店に入った。クリスマス限定アルバイトとしてさんざんホールケーキを売り、着ぐるみを着用しアーケードの通行人にキャンペーングッズを配り、時折上司にあたる製菓店員に叱られながら、なんとか終業を迎えたころだ。クリスマスイブに当たる二十四日である今日は、どこも飲食店には客がひしめき合い、行列は店の外まで飛び出している。
     一緒にアルバイトをこなしていた、本田菊はとある店を指さした。「あそこなら、空いてるんじゃないんですか」と物静かな視線が店の明かりに向かう。そこが、ファストフード店だ。牛丼と呼ばれるこの国の人気料理を取り扱う店で、明らかに一人客が多く、やはり普段よりは混雑しているものの、滞在時間が短く回転が速い。よし、ここで、とどこでもいいから休みたい学生の二人は、慌てて店内へと入った。
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    gmksk

    TRAINING朝菊 13 妖精さん
     今朝、見つけた四つ葉のクローバーを頭に乗せると、彼は黒くて丸い瞳をきらめかせてわたしを見た。滑らかな黒髪の上にあるクローバーは今にも滑り落ちそうで、羽根を使って宙に浮き、茎を必死に両手で押さえる。「ああ」と優し気な声がして、瞳の縁から放射線状に生えた繊細なまつ毛が揺れた。
    「これ、頭に乗せるとあなた方を拝見できるのですか?」
    「そういうこと。ちょっと、ニホン。これ持っててちょうだい。離れたら見えなくなるのよ」
    「では、私に何か用でもあるのでしょうか」
     あるわ、と自分の口から言葉が飛び出したものの、その尖った響きに我ながらびっくりする。想像以上に、わたしはこの男に嫉妬心を抱いているらしい。
     日本がロンドンへとやってきたのは、昨晩のことだ。イギリスは今日どうしても外せない用事があって、早朝、庭にやってきてわたし達に挨拶と優しいキスを送ったあと、そのまま出かけてしまった。「じゃあニホンは一人で家の中にいるのね」と、わたしはそのままマナーハウス近くに流れる小さな川に行く。小一時間ほど飛び回り、探し出したクローバーを、ブランチを食べるためにテラスへとやってきた日本の頭に乗せた。よく知られてはいることだが、わたし達ピクシー妖精は人間の目には見えない。――イギリスとはしっかりと目が合い、彼はわたし達をひとしく認めてひとしく愛してくれるのだけど、「国の化身だから」という理由ではないらしい。日本には、数百年も前からずっとわたし達の姿は見えなかった。
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    gmksk

    TRAININGほぼ日朝菊 12
     果てしなく長い間この世を彷徨っていると、ふと「この感情は何だったか」と立ち止ることがある。数百年ほど拗らせた恋人との付き合いも、突然我に返ることがある。「今一緒にいなくても、まだまだこの先はずっと続く。別に、必死にならなくても良いのではないか」と思うものの、結局は彼をここに呼び寄せ、短い休暇を共に過ごしているのだからいよいよ自分が分からない。ぼうっとしながら、昨晩遅くまで起きていたために未だ布団に体を横たえている国の化身を想像した。手元には冷えて硬くなった鶏肉がある。醤油ベースのタレが付いており、ところどころ黒い焦げ跡が見えるので「炭火焼き」は実際本当なのだろう。
     昨日の夜、仕事終わりにコンビニへと立ち寄った。その日、イギリスがやってくることをすっかり忘れていたために、自分だけの夕食に缶ビールとカップに入ったサラダ、レジ横のスナックケースから焼き鳥を購入し、帰路を辿っている。しばらく住宅街を歩き、着いた自宅には明かりが点いていた。アポイントなく訪れる大国の化身を想像したり、もしかすると先ほど別れた部下がなぜだか日本宅へと先回りしており、「あ、日本さん」とこちらを見る姿を思い浮かべた。引き戸を開くと途端に辺りの寒々しい風が遮断され、遠くの方にオレンジ色の光が見える。沓脱に目をやると、見慣れた革靴がきちんと揃えて置かれていた。「あっ」
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