フランス・リヨンのパール・デュー・タワー近くの会議場にいた。主催国フランスはぼうっと天井付近を見つめており、何か考え事をするのに忙しい。彼が進行役を務め、今日の世界会議は開催されるというのに、ずいぶんな態度だな。とイギリスは横目をやり、そのままため息を吐いた。手元には最近読み込んでいる古い詩集と、会議前に用意したイギリス専用のカップとソーサが並んでいる。湯気の立つ紅茶を一口飲めば、お気に入りの香りが辺りを包み、気持ちがゆっくりと解ける心地がした。
議長席の隣に座るのは、日本とドイツだ。真面目を象徴する二国が補佐となるなら、今日の会議は期待ができる。イギリスが考えた通り、ドイツはフランスに進行表を渡して何かを告げ、日本は手元に広げた書類を手際よく仕訳けて、紙端を机に打ち付け揃えたあと、各国の化身に配っていた。
「サンキュー、日本」
アメリカが溌剌とした声を出す。日本はにこやかに返事をし、次にスペイン、スイス、イタリア、オーストリア、中国……と続いていく。イギリスの元にも、ほどなくしてやってくる。
「イギリスさん、お久しぶりですね」
数か月ぶりの逢瀬が会議場とは、皮肉なものだ。イギリスは苦く笑いながら「ああ」と返事をした。
「こちら、資料です」
「ありがとう。ヒゲが主催国のときに補佐をするなんて、ついてないな。でも、お前がいるから少しはまともな会議になるだろう。あいつの代わりに感謝する」
「相変わらずですね。精一杯務めさせていただきます」
フランスに聞こえてはいないか、と日本は背後を確かめる仕草をし、それからイギリスに笑いかけた。机の上に紙の束を置き、それにはEnglandとコピー用紙でできたネームカードが挟まっている。クリップで留められていた。
なんとなく、彼が持ってきたその紙片を弄る。何の屁鉄もないもので、言ってしまえば手書きでもない。無機質なセリフ体のアルファベットの並びを見ていると、うっすら数字が透けていることが分かった。もしかして、と急いでクリップを外す。隣に座るロシアに見られないよう、細心の注意を払った。できる限り自然に、何気なく、視線を動かすことなく振る舞う。
ネームカードの裏には、時刻と部屋番号だけが書かれていた。場所は分かる。以前リヨンには二人で訪れたことがあるからだ。はっとし、顔を上げて日本を見る。資料を配り終えた彼は無表情で席へと戻り、ふと、イギリスに目をやった。視線がまともに交わる。
これ、とイギリスは指さしたいが、そうすると周囲に分かってしまう。視線だけでネームプレートを指すと、日本はわずかに口の端を緩めて笑った。さらに、イギリスをじっと見つめ、次にぱちっと片目を瞑って見せる。
ウィンク! イギリスは驚きに目を瞠った。最初はずいぶんと不慣れでたどたどしく、どちらかというと下手だったサインの示し方が、手慣れた様子になっていることに嬉しくなる。できれば、もう一度見ておきたい。人差し指を出し、声に出さず「もう一度」とアンコールする。
日本は手元を隠して横を向く。笑っているのだろう。次にもう一度イギリスに向き直ると、精神を統一するかのように静止して、次に思い切って片目をまた瞑る。イギリスはおお、と口を開き、拍手を送ろうかとしたその時にドイツが咳払いした。
「あー、取り込み中申し訳ないが、始めてもいいか」
「あ、終わった? 約束を取り付けるなら、会議が終わってからにしてね。じゃあ、始めよう」
フランスが優雅な仕草でイギリスと日本とを見る。日本も小さく咳をして、ジャケットの皺を伸ばして座りなおした。手持ち無沙汰になった指先を、ひらひらとさせてからカップの取っ手へと向かわせる。一口飲んだ紅茶はすっかり冷め、風味が飛んでいるものの、なんとなく甘い気もした。