3話 絢爛豪華な調度品に囲まれたとある一室、アンティーク調の長机をそこらの貴族とはまた違った風格を纏う四人の貴人達が囲っていた。
定例会議も一段落つき気難しい談義も終わろうとしていた頃、思い出したように男性が口を開いた。
「そう言えば皆様はお聞きになりましたか、例の魔女が先日捕まったとか。」
例の魔女という単語を出すと先程までとはまた違い、緊張感ある雰囲気へガラリと変わった。
ゆたりとワインを回していた老紳士が興味深そうに反応を示す。
「例の魔女と言うと【黎明の魔女】か。⋯本物か怪しいところではあるな、数年間姿を眩ませていたのだろう」
「えぇ聞きましたわ、何やら大聖堂内で裁判が催されるとか」
扇で口元を隠す貴婦人の発言に興味を引かれた老紳士は、グラスを机に押し付けつつ、既によっていた眉間にさらに皺を寄せる。
「まさか猊下直接かね?」
「シアはそう耳にしましたわ」
老紳士の隣に座る可憐な少女は目の前に備え付けられている宝石のような甘いお菓子に目をつけ、その小さな口に頬張った。
「裁判など時間の無駄だ、魔女は即刻死刑。枢機卿円卓会議でもそう決議されていたではないか」
「えぇ。ですが、仮にその方が魔女でない場合もありえます。魔女裁判は妥当だと考えますよ。」
「あまりにも危険だ、猊下は一体何をお考えなのだ。もし猊下の御身に何かあったらどうするつもりなのかね」
この国に住まう臣民として、加え教皇に忠誠を誓う高級貴族として当然の心配だ。仮にも世界に名を轟かす凶悪犯と直接的な対面はどうしても危険を伴ってしまう。
「裁判には我らが帝国を誇るヴァレンテ卿とカルヴェ卿が同席するそうです。両団長がいるならば問題は無いかと。」
「ヴァレンテ様が⋯シアも!シアも是非同席したいですわ!」
ヴァレンテという名前を聞いた途端、早る気持ちを抑えられんとばかりに体を乗り出す少女は、先程食べていたクッキーなど忘れて目を輝かせる。
「我ら【四貴族】と言えど魔女裁判、しかも教皇猊下自ら執り行う厳正な行事にそう易々と参加はできまいよ」
「むぅ⋯」
いじけてしまった少女の機嫌でも取るためかまぁまぁと宥めの声がかけられる。
「さて、そろそろ定刻です。本日の定例会議もお開きといたしましょう。」
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ここに入れられてからどれくらいになるだろう。
体感数時間を過ごしているようには感じるが、網目の少ない格子の外に広がる青い空を見るにあまり時間は経っていないように見受けられる。
視線を走らす───と言ってもさほど広くもない部屋は酷くこざっぱりしていて何も無い。
憂鬱さを感じ、溜息を零しながら落ちた視線の先には頑丈そうな銀の手錠があった。
引っ張っても、ねじっても、おそらく叩きつけても壊れそうもないこれは、帝国直属の聖騎士団特製品なのだろう。
更に、魔法使い対策も施してあるようで、手首を繋ぐ鎖の中心に意匠してある魔鉱石によって魔力制限を強いられている。
まるで罪人のようだ。身の覚えのない罪でようやく始まった旅も早々に終わりを迎えそうである。
「ヘルラは⋯どうしたんだろう」
混乱する脳を落ち着けつつ気がかりを口にする。
人の多いあの場所で見失った上、騎士に特徴を伝える前に捕まってしまった彼が今路頭で迷ってると思うと⋯。
「心配だわ⋯」
「今は自分の心配をした方がいいと思うがな」
独り言に返事を貰うと思っていなかった体が思わず身構えてしまった。
声の聞こえる方に振り返ると先程まで誰もいなかった部屋には、気づけばあの団長がたっていた。
「おやすまない、驚かせるつもりは無かったのだが⋯癖でな」
出会った頃と同じ笑みを零すヴァレンテ。
先程と違うとしたらその身体を包む制服が純白になっているくらいだろうか、所々に金の葉の装飾がちりばめられ、左肩に掛けられたストラの様な赤い布がよく映える。
「⋯ここはどこですか」
当然の疑問だ。ろくな説明なく突然連れて行かれたと思えば留置所の檻の中。推定だが、あの手錠をかけられた場所から随分と離れてしまったらしい。
「ここは聖都オルディネーナ。司法、立法、行政を司る知性と宗教の都市だ。ちなみにオルディネーナは孤島。ここだけで一つの国が成り立つほどの厳重なセキュリティを誇っている。」
「魔女だとか言いがかりをつけてきた割には、手錠を掛けた時と違って優しいのですね」
手元で金属の擦れる音を立てる手錠を見せながら言うと、ヴァレンテはコロコロと愉快そうに笑う。
「先程は逃げられる可能性があったからな!魔女にお目にかかるのは初めてだったため思わず手洗い真似をしてしまった!だが、先程も言ったようにここは孤島、それに厳重な結界に囲まれている。さすがの魔女と言えど逃げられまいよ、だから手荒くしてない。ということだ」
ご満足かね?とこちらを見るヴァレンテのルビーのような赤い目から目を背ける。
「さて、時間だ。ご同行願おう」
「⋯制服、なんで変えたんですか?」
清浄、清潔、純白。いかにも神聖を表す白い大理石でできた汚れのない長い廊下もそろそろ見飽き、ふと疑問に思っていたことを口にしてみる。
「ん?あぁ、今から向かうのはセント・チェーロ ノットゥルノ大聖堂。皇帝陛下がいらっしゃる御所だ。我ら聖騎士や聖職者…大概の者が神聖な場所ではこのような白い正装の着用が義務化されているのだよ」
まぁ、と続けるヴァレンテはさらに説明を加える。
「大聖堂だから、と先程言ったがここアスローナ内は一帯が聖域だ、つまりはこの島に入った時点、もしくはそれより前で変えなくてはいけない」
面倒だろう?と笑うヴァレンテに苦笑すると自分の服装に視線を落とす。
青を基調としたワンピースは昔姉に繕って貰ったものだ。全てが燃えたあの村の中で唯一思い出の品という訳だが。
「私は⋯その、変えなくてもいいんですか?」
「おや、配慮してくれるのか?だが別に構わないとも、そもそも私達が君を強制的に連行してしまったのだし」
それもそうだと納得を落とすと話題はなくなり、廊下は足音だけが響く静寂を再び迎える。
何となく気まずさを覚えているとヴァレンテの方から笑い声が聞こえてきた。
「な、なんですか⋯」
「あぁすまない!いや君はこれから生死を問われるというのにそんな質問をするとは思わなんでな⋯あははっ、正直、もっとこう⋯これから行われる裁判やら助かる方法を質問されると思っていた!」
現実離れした出来事に自分が巻き込まれるとは思ってもみなかった混乱した頭ではそんな質問しか出てこなかったが、今思えば普通はそういう質問をするのだろう。
確かに、と零すと再びヴァレンテは愉快そうに笑う。
笑った彼女の口元で、舌に付けているらしい宝飾がキラリと光った。
「と、突然のことに頭が回らなかったんですよ⋯!」
「それもそうだ!」
仮にも自分が逮捕した相手に対する接し方なのだろうか、随分とラフすぎやしないかと呆気に取られているとヴァレンテは大きな扉の前で歩みをとめた。
これまた大きな扉は繊細な意匠が施されており、重圧な存在感を一際発している。
扉の横で控えていた聖騎士がこちらを敵意の目付きでこちらを見たあとその扉を開いた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、こちらを忌々しそうに妬める見る人々でも、おそらく感じの良いことでは無い囁きをする様子でもなく、正面の壁一面にはられた荘厳なステンドグラスだった。
ガラスにはどうやら絵が描いてあるらしく、何色ものすりガラスが混じってそれはそれは美しいバイオレットカラーを成していた。
「おや、来たようだね」
耳触りのいい声が聞こえてきた。春の風のような暖かく、柔らかで軽い。心を真綿で抱かれたような感覚に思わず安心感を抱いてしまう。
その声にいつの間には囁き声は消えている。
視線を上に向けると銀でできた玉座に声の主が腰掛けていた。後ろからのステンドグラスの光でより幻想的に見えるその人はシルクのベールを被り、目元は真っ白な羽で覆われている。
ほっと泣き出してしまいそうな優しい笑みを浮かべる彼の人は、女性の様なしなやかな体つきはすれど見た目だけでは性別は判断がしがたい。
神話に登場する夜の女神様のような風貌に目を奪われていると、ヴァレンテに声をかけられ意識を取り戻す。促されるまま証言台の元へ立たされた。
「それでは」
彼の人の持つ黄金の杖が床に突かれ、静かな大聖堂内に響いた。
「これより裁判を行う」