とあるKの悲劇 我輩はSPである、名前は…ホンダ、とでも名乗っておこう。
先程も言ったとおり、要人のボディーガードを生業としているが、先日、大失態を犯してしまった。警護対象に危害を加えられただけでなく、自分もそして一緒に警護していたスズキまでもがやられてしまった。しかも高校生相手に、だ。一生の不覚どころではない、SPの面目丸潰れである。
当然、雇い主には激怒され担当を外れることもやむなし、と思っていた。しかし、上司のヤマハさんが「彼らに汚名を雪ぐ機会を何卒…!」と頭を下げてまで懇願してくれたおかげで、今も変わらず警護を続けられている。
雪辱を晴らせる時は唐突にやって来た。
「ふふふふ…はははは…ハーッハッハ!」
スズキと共に直立不動で警護対象の部屋の前で待機していると、まるで漫画の悪役のような笑い声が聞こえた直後、ドアが音を立てて開かれる。
「見つけたぞ…これであいつらに仕返しすることができる!」
中からスマホを片手に飛び出してきた青年の頬は興奮で赤く、鼻息も荒い。
「どうかされたのですか、玄川様?」
「喜べお前たち!あの忌々しい刑部たちをギャフンと言わせる策が見つかったぞ!」
「令和にギャフンって…」
小声でツッコミを入れるスズキを玄川氏がギロリと睨むので、その脇腹を慌てて小突く。それで気が済んだのか、スマホを高々と掲げてもう一度声に出した。
「首を洗って待っていろ刑部ぇ…桐ケ谷ァ!」
*
十月下旬の土曜の今日、私たちは懐かしい場所にいる。
廃業してもぬけの殻になったゲームセンター、そう、以前あの高校生二人に倒された場所だ。苦い思い出しかないが、記憶を上書きできるのもまたここしかない。スズキは「バカの一つ覚えなんだろ?」等と失礼極まりないことを言っていたが、玄川氏がそんな浅慮な青年であるはずはない。
玄川氏と私とスズキという面子に加え、肩幅が我らの倍以上はありそうな外国人(たしかハーレージュニアと名乗っていた)と万全の布陣で待機していると指定した時間から遅れること実に三十分、何やら外が騒がしくなる。バイクの音だと気づき視線を向けた窓からは夕日が差し込み、血のように赤く染まった雲が見えた。
「この俺を待たせるとはいい度胸だな…」
玄川氏の顔には既に不満の色が浮かんでいるが、その口元はこれから起こる楽しみが待ちきれないと云わんばかりに口角が上がっている。事前に打ち合わせをしたためこれからの内容を教えてもらったのだが、悪くはない案だった。私としてもあの二人を倒して汚名返上できるこの機を逃す訳にはいかないのだ。
そうこうしているうちに立て付けの悪い扉が音を立てて倒れ、その向こうから背の高い影が二つ、形を成す。
「相変わらずしけた場所だな」
「ここは埃が多いから鼠がたむろするには最適なんだろう」
聞き捨てならない減らず口を叩きながらこちらに向かって来たのは間違いなくあのときの二人の、桐ケ谷晃と刑部斉士だ。呑気にもどこかに出掛けていたのだろうか、二人ともライダースジャケットを身にまとっている。
色々と名高い桐ケ谷はさておき、以前ここに来たときには常陽工業の生徒会長としか知らされていなかった刑部の方はここら一帯の裏を支配している鬼龍会の直系らしい。どうりで強いはずだ。しかし以前我々がやられてしまったのは、警護対象の玄川氏と引き離されたことによるもので実力ではない。SPである我々が負けていいはずはないのだから。
さすがに迂闊に近づくようなことはなく適度な間合いで足を止めた二人見た玄川氏は、私達よりも一歩前に出ると両手を大袈裟なぐらい開いて声を上げた。
「やあやあお二人さん、元気だったかい?」
「そういう玄川さんこそ、あのときはどうやって手錠を外されたんですか?」
間髪いれずに発せられた刑部の言葉に、ぐっと喉を詰まらせる音が聞こえる。あの件は一人の新人警察官が辞めざるを得ない状況に追い込まれたと聞いている。恐らくは手錠の無断持ち出しの罪でも被せられたのだろう。しかしそんな内部のことなど言えるはずもなく、「フンッ」と鼻で一蹴して玄川氏は続けた。
「そんなことを言っていられるのも今のうちだ。君たち、面白いことをしてるじゃないか」
そういって指をパチン、と鳴らしたので事前の打ち合わせ通り私は携えていた玄川氏のタブレットを持ち上げ画面に軽く触れる。間もなくスリープ状態から復帰した画面に写し出されていたのは、東京の池袋にあるアミューズメント施設のホームページだ。そして、玄川氏が大仰な身振りで今一度画面に触れるとコンマの読み込みで画面が切り替わり、『スターライトオーケストラ』の文字といくつかの画像が表示される。その一つに指先で触れ、画像をさらに拡大すると心から楽しそうに玄川氏が笑う。
「ずいぶん可愛らしい子猫ちゃんにされたものだねえ。これがあの六号線の夜叉と羅刹、ひいては鬼龍会の跡継ぎだとは誰も気づかないよね。そう、このボク以外には!」
ハーッハハ!と高らかに笑う玄川氏の姿が夕日に照らされて実に眩しく見える一方で、逆光ゆえに彼らの表情ははっきりと見えないがおそらく驚いているのだろう。目が丸く見開かれているのはわかった。
玄川氏があの日見つけたのは、彼らが所属している学生オーケストラがアミューズメント施設とコラボレーションをするというニュースだった。期間中、彼らを模したグッズや飲食が販売され、週末にはミニコンサートも開かれると書かれていた。学生オケという分際でこのような催しができるとは、彼らのブレーンの中には相当なやり手がいるようだ。
「これを鬼龍会の会長殿が知ったらどうなるんだろうねえ?風の噂で厳格な人だと聞いているよ。軟弱なことをしてる、と怒られるんじゃないかい?」
そ・れ・に、ともったいぶって言葉を貯めて玄川氏は続ける。
「キミの出自を施設に教えてあげようと思っているんだ、もちろん、一般市民としての善意でね」
最近ニュースでも話題になったがクリーンな社会が持て囃される今日、鬼龍会は許されざる存在だ。それをネタに彼らを恐喝するのは、体躯がいささか不利な玄川氏には最適な方法と言えるだろう。
「でもボクは鬼じゃないからね。今まで非礼も含めて、この場で並んで土下座してくれれば考えないこともないよ」
あれだけのことをされておきながら許そうとする寛大な心を持ち合わせているとは、さすがあの方の御子息だけある。
目の前の桐ケ谷と刑部は互いに顔を会わせることなく、彼ら曰く誇りの多い床をずっと見ていた。やがて桐ケ谷の方が先に腰をおろし始めた。さすがに常工のトップは判断が早い。そう感心したその時。
ザッ!
屈んだ桐ケ谷の手が床につくや否や床に積もった埃や砂、小石を掴みこちらへ投げつけてきた。咄嗟の出来事に顔を腕で覆ってやり過ごすが、その間に刑部が間合いを詰め玄川氏を背後から羽交い締めにし距離を取っていた。我々の隙を突くとは、この二人ただ者ではなさすぎる。
その刑部はライダースジャケットから取り出したものをピタリ、と玄川氏の首筋に当てた。よくは見えないが夕陽に煌めくそれは、恐らくはナイフのようなものに違いない。
「僅かでも動いたらお前たちのボスが傷物になる、いいな」
牽制の言葉に出方を伺っていると、鉄パイプを手にした桐ケ谷が刑部を守るように間に割り込んできた。二重の障壁に一層不利になってしまう。この世界は一瞬の判断が命取りになる、と言うことを失念していた私の責任だ。隣のスズキも後ろのハーレージュニアも息を止めたように微動だにしない。
「さて。改めてお久しぶりです玄川さん、お元気そうで何よりです。あれだけの失態を見せ付けておきながら諦めないその姿、少年漫画でしたら立派な主人公そのものです。しかし」
そこまで言ってから、刑部が手にしている凶器を玄川氏の耳へと近づける。
玄川氏の顔は夕日に照らされてもわかるくらい真っ青になっていた。
「ヒッ!」
「オーケストラに手を出すとなると話は別だ。それなりの裁きを受けてもらう。しかし今日の俺はとても気分がいい、だから」
手にした凶器を耳の後ろに押し当てて。
「このような情報が聞こえないように耳を削ぎ落とすか」
凶器を目尻に押し当てて。
「見ることが出来ないように眼球を抉るか」
羽交い締めしていた両腕を思い切り捻りあげて。
「持てないように腕を引きちぎるか」
喉仏を潰しかねない勢いで喉を締め上げて。
「その声が出ないように水銀を飲むか」
「さあ、好きなものを選びたまえ」
刑部が力を緩めたのだろう、その手からドサッと玄川氏の身体が文字通り崩れ落ちる。潰され掛けていた喉が新鮮な空気を求めてひゅうひゅうと音を鳴らすのがなんとも痛ましい。
すぐにでも駆けつけて身体を支えてあげたいが、鉄パイプをビュンビュンと上下に振り続ける桐ケ谷のせいで近づくことすら出来ない。
「貴様ら…!」
「ハァ?先に仕掛けてきたのはそっちだろーが。正当防衛だぜ、せーとーぼーえ!」
小馬鹿にしたような桐ケ谷の言葉に、私の奥歯がギリリと音を立てる。せめて玄川氏の無事さえ確認できれば…と思ったその時、倒れていた身体がピクリと動いた。
「玄川様っ!」
「ふざけやがって…!ボクがこれで諦めるとでも思ったか…?」
先程までとはまるで違う、怒りを含んだ声色で唸る。そして腹の底から出した大声で、私の名を呼んだ。
「ホンダっ!例のモノだ!」
「はっ!」
出来れば別の機会の恐喝材料に使いたかったが背に腹は替えられない。ハーレージュニアに託していたアタッシュケースを手に取り、その鍵を開いて中のモノを彼らに見せつけた。
「これは…?」
「イベント会場で売っていた刑部、貴様のアクリルキーホルダーだ!」
そう、コラボイベントが始まると同時に大人数で押し掛けて買い占めた、ネコミミ姿の刑部のグッズがケースいっぱいに入っている。
とっておきの脅迫材料だ。
未だに床に伸びてはいるが、懸命に声を張る玄川氏の姿は立派である。
「今すぐこのボクに詫びなければ、このグッズを鬼龍会の本部にバラ撒いてや…ぐはっ!」
突如聞こえた悲鳴の元を辿ると、先程まで手にしていた鉄パイプを床に捨てた桐ケ谷が玄川氏の脇腹をバイクブーツで思い切り蹴り上げた瞬間を見てしまった。
「テメェかオラァ!!」
「…は?」
「ざけんなっ!同担の女子に買われたと思ってたのに、お前が買い占めただと??」
まさに怒髪天と言った勢いで何度も蹴りを入れる様子にこれ以上静観していられず、アタッシュケースケースを放り出して駆け付けようとした。しかし、その一歩手前でそれは叶わなくなる。
「まったく、鉄パイプの使い方がなってないな晃。これはこう使うもの、だッ!」
ビュンッ!と先程よりも圧が強い音が耳元で聞こえたかと思うと、後ろで人が倒れる気配がする。
「ハーレー!!」
スズキの慌てた声から察するに、私たちよりも体格のよいハーレーが犠牲になったようだ。
「貴様…!」
「珍しいなお前が見誤るなんて」
「使いなれてないサイズなんだ、目測を間違えた」
桐ケ谷と軽口を叩き会う刑部の姿はどこにでもいるような普通の高校生にしか見えない。しかし、夕陽の反射がおさまった眼鏡の向こうに見えた目は、ゾッとするような冷笑の形を取っていた。
「さあ、楽しいパーティーの再演だ。また、楽しませてくれるんだろ?」
*
数時間後。連絡が取れないことを心配して駆け付けた上司のヤマハさんが見たのは、気絶した状態で鉄パイプに後ろ手に縛られていた我々四人の姿だった。
その脇には強い力で踏まれたのか、画面が粉々になったタブレットも落ちていたらしい。
しかし、いくら探してもあのアタッシュケースだけは見つかることはなかった。