赤色欠けた Ronald 朝日がすっかりと昇り、窓の外から昼の住人の営みが聞こえてくる。しっかりと閉められた遮光カーテンの隙間から漏れ出た太陽の光に目を細めながら、俺の愛しい吸血鬼が焼かれないように毛布で包んでやろうとしたら、ドラルクは既に俺の腕の中から消えていた。
まあ、朝なのだから棺桶にでも戻ったのだろうと軽く考え、俺が寝ている間に帰ってきていたらしいジョンは籠ベッドの上で幸せそうに眠っていた。可愛いなぁ、幸せだなぁ。こうしてにっぴきだけの暮らしすら幸せなのに、これ以上を望んでいいのかって何度も考えた。それでも好きだって気持ちが抑えきれなかったから俺は昨日アイツを抱いたのだ。もうめちゃくちゃ勉強したし、その甲斐あってか、アイツを一回も死なせないまま終わることが出来た。
脱いでそのまま床に放ったままであったはずの服や下着はどこにも見当たらず、洗濯機が排水する音が聞こえてきた。予約機能を使ったのだろうと予想を立てれば、アイツのこういう細々とした家庭的な部分にどっぷりとハマり込んで抜け出せない気分になる。朝日で死んでしまうアイツの代わりに何度こうして朝に洗濯物を干しただろうか。大抵の物は一度皴を伸ばして干せと言われたときは口煩く感じたけれど、取り込まれた洗濯物を畳むアイツの後ろ姿を眺める時間が好きだ。小さな膝の上に畳まれるタオルが柔軟剤によってふかふかになったのを俺を小ばかにしながら自慢してくる誇らしげな顔が、不覚にも可愛いと思ってしまったあの日は自分の感情を認められなかったけど今ならはっきりと言える。
まだ太陽は高い位置にあり、ドラ公だけではなく昨日は町内会の催しに参加して疲れて眠っているジョンもまだ起きてくる気配はなかく、起きてからまだ何も食べていなかったことを思い出して今日は何作ってくれたんだろうな、ドラ公の飯はなんでも美味いからなと少しワクワクしながら台所へと向かう。いつも冷蔵庫とか食卓の上に俺の昼食やおやつについてや、これは夕食の仕込みだから食べるなと書かれたメモが置いてあり、それを探すのが昼間の俺の楽しみなのだ。
アイツの機嫌が良ければあのへったくそな絵がメモに書かれている。あれがあった日は俺にとって良いことが起きる日なのだ。ドラルクの機嫌が良ければ手の込んだ俺の好物や、初めて食べるのに俺好みの味付けの名前が覚えづらい料理などを作ってくれているんだから、退治の仕事がどれだけ大変でも、フクマさんとの打ち合わせとかが怖くっても俺にとっては良いことが起きる日の目印だった。
もし、俺とのセックスでドラルクの機嫌がいいのなら、今日の夕飯は御馳走なんだ。ジョンもきっと喜ぶし、ドラ公にもお高い牛乳を買って来てやって、にっぴきで美味いものを食べたい。
もしかしたら、俺の気持ちが伝わってはいるけれど、吸血鬼であるドラルクにはまだよく分からないことなのかもしれない。それでもこれから俺が死ぬまで、俺が死んでからでもいい。アイツの愛が俺に向いてくれたのならそれはこれ以上ない幸福だと胸を張って言えるだろう。
ドラ公が起きる前に花屋に駆け込んで薔薇の花束を作って貰わないと、と考えていたらメモらしきものがどこにもないことに気付いた。
「ド、ドラ公……?」
声が震える。俺を揶揄うことが大好きなアイツのことだ。もしかしたら冷蔵庫の中にでも入っているかもしれないと確認しても夕飯の仕込みも俺の昼飯もおやつも何もなかった。残っているのは昨日までドラ公が作り置きしていたおかずとか、ヒナイチ用のクッキーだけだった。
「は、え……?」
何の冗談だ?実は怒っているとか、それとも体調でも悪いとかか?
「ああ、そうだよな。昨日は一度も死なないで……疲れなんて、溜まってて当たり前だよな?今頃棺桶で砂になってんだろ?そうだろ?」
趣味の家事だって洗濯物を予約機能を使って俺が起きるだろう時間に設定することしか出来なかったのだろう。料理だって体力はいるし、献立を考えるのも疲れるとか言ってたし、そうだよな。俺があんなに無茶させちまったから、体力のないお前を死なせないことばっかり考えて……疲れたよな。
「なあ、ドラ公。今日は、ジョンと一緒になんか買ってくるからさ、お前も吸血鬼用の料理とか、特選牛乳とか食いたいもんあったら遠慮なく言えよ?俺が、わるかったからさ、ゆっくり寝て休んでろよ、な?」
どれだけ言葉を連ねても返事なんて返ってこない。当たり前だ。今は昼間だ。吸血鬼であるドラルクは寝ている時間で、ただの小さな日常の綻びに過ぎないのにどんどん悪い方へと大げさに考えるのは俺の悪い癖だ。もっと自信を持てと言われたのを思い出せ。そう自分を鼓舞しても退治人として培ってきた無意識下で情報を拾い上げ導き出してしまう予測が頭の中で居座り続けて離れない。
そんなもの全部ただの俺の思い過ごしだと自分自身に言い聞かせながら、ゆっくりとアイツが寝ている棺桶へ近付いて、遮光カーテンがあるからと言い訳をしながら棺桶の蓋に手を伸ばしながらきっと眠っているだろうアイツの眠りをこんな真昼間に妨げた言い訳を頭の中で組み立てる。顔が見たくなったから。寝る前に来ていたネグリジェを洗濯機から取り出して干したから今何着てるのか気になったとか、料理も出来ないほどに疲れているのか心配だったとか、そうだ。俺はドラルクがいなくなるなんて考えもしなかったのだ。
住んでいた城が爆発したからといって自分を退治しに来た退治人の、しかも年頃の男に住まわせろと言って押しかけてきたかと思えば、俺の胃袋だけではなく恋心まで奪っていった価値観が人間とは違う享楽主義の吸血鬼は甘やかされて愛され続けて二百年の生粋のお嬢様であったのだ。
――開かない。
ガタガタと建て付けの悪い扉を無理やり開けようとするような心地で、いつもなら『死ぬわ‼やめろ‼』と中から苦情が出るほどに揺らしてもうんともすんとも言わない。うそだろ。
俺はドラルクに俺の気持ちを理解されないまま人生を終える覚悟は出来ていた。楽しそうだと思えば突っ込んでいかずにはいられない好奇心の塊のようなアイツの記憶に一番面白い人間として未来永劫百年どころか千年は刻み込んでやると意気込んでいたし、多分俺がベタなプロポーズをすれば飼い犬に求愛された程度の認識でも受け入れてはくれるだろうとか、微笑ましいという意味合いで形だけでも付き合ってくれるだろうとか、最悪結婚でもすれば俺が死んだ後も操立てとかしてくれそうだし、ジョンとの話を聞いたらかなり引きずってくれる程度にはもう情はあると信じたい。
俺とドラルクとジョンのにっぴきで家族みたいに生きていけるだけでも幸せだと思っていたし、人間と吸血鬼の認識の違いを俺達の問題として長い時間をかけてすり合わせて生きていこうと考えていたのだが、俺は決定的なことを忘れていた。
「俺、告白もしないでドラ公とえっちしちゃった……」
どう考えてもやらかした。普段家庭的で俺が節約しろと言えばスーパーで安かったからと買い過ぎて重くて持ち帰れないと電話で呼びつけるような奴だから、大事に守られて育てられたお嬢様であるという事実がすっかり意識から抜け落ちて種族が違うことばかりを気にしていた。俺は自分の気持ちばかりを優先して、仮にも深窓の令嬢であるドラルクへ想いを伝えずに抱いてしまったのだ。しかも溜まってるのかって聞かれて別に否定もしなかった。普通に女の子にする対応ではなかった。
「もしかしなくても俺は最低野郎。実家に帰られても文句を言える立場にないクズですごめんなさい」
もう何も考えられない。今日仕事あったっけ?
すっかりと陽が落ちて空が赤く染まる夕暮れ時に起きてきたジョンに声をかけられるまで、俺は決して開くことのないドラルクの棺桶に縋りついたまま動けなかった。