命短し恋せよ人間 恋とは落ちるものであり、苦しむものであり、狂うものであるという。
落ちるのは一瞬で、思い通りにならないことに苦しみ、今までの自分には戻れないほどの大きな変化を伴うものだと、俺は一人の吸血鬼に恋をしたことで知ったのだった。
吸血鬼退治人でありながら吸血鬼に魅了されたのかと呆れる者もいるだろう。けれど俺はドラルクという存在に心の底から惚れ込んでしまったのだ。ドラルクとの出会いは強烈で、思い出そうとしなくても強烈に焼き付いて忘れることは決してないと断言出来る。城が壊れたからと自分を誤解であっても退治しに来た男の家に転がり込むなんてどれほど危機感がないのだろうと、相手が吸血鬼であることなんて忘れて頭を抱えたものだが、ドラルクと使い魔であるジョンとの日常は今まで感じたことがないほどに騒々しく、退屈なんて感じる暇がなかった。
退治の度に誰もいないくらい事務所に帰ってきて、出来合いの食事を済ませ、煙草を吸うことで時間を埋めていた昔の自分は、きっと長く生きることが出来なかっただろうし、今のように何かを楽しめていたとも思えない。
恋に落ちるより前から、俺は吸血鬼との暮らしを心の底から愛していたらしく、今更昔の生活に戻れと言われたらと想像するだけで凍えるような寂しさを感じた。
ドラルクとの日常を愛しているだけなら、恋に落ちることも結婚という選択を取ることもなかっただろう。けれど、毎日積もりに積もった愛が恋という別の形に変わった途端、この日常を守りたいという穏やかな心が、この吸血鬼の心に永遠に居座りたい、傷となりたいという凶暴な欲へと豹変したのである。恋をした相手を愛することは出来ても、恋しい相手を傷付けないとは限らず、むしろ愛していた日常を壊すことで相手が手に入るのならどれだけ楽になるのかと、欲まみれの自分の心の醜さに恋に落ちたことへの後悔もあった。 確かに愛しているのにと、本格的に狂う前に恋を捨てようかすら考えた。
けれど二度目の恋の相手もドラルクであったのだ。
現在の爆発したドラルク城の跡地は一面のひまわり畑となっている。人間にとってのひまわりは夏に咲く太陽を連想させる花である。しかし、吸血鬼とは夜の住人であると高等吸血鬼としての自身の在り方を誇りに思っているドラルクにとって、自身を殺す太陽の気配を纏った花ではなく、ただ短い時間にしか見ることが出来ない花のひとつでしかなかった。
夏は太陽の出る時間が長く、吸血鬼の活動時間は激減する。室内を快適な温度に保っていると寝ぼけた吸血鬼は間違えて棺桶から出てきてしまうことがあって、元からあった遮光カーテンを吸血鬼が絶賛する質の良い品へ変えたのだが、目覚めた時に死んでも気付いたら戻してくれれば良かったのだと、なんてことない軽い口調で言うのだ。
ふざけるなと思った。愛しているから、家族であるから、もしものことがないように行ったことを受け入れてもらえない事実。このカーテンがあればもしかしたら夏でも顔を合わせる時間が増えるのではないかという下心そのものを受け取りもしないアイツと、今度こそ恋を捨てなければ享楽主義の吸血鬼を自分勝手に縛ることになるだろう未来が俺は許せなかったのだ。
恋に下心があるのは当たり前だった。退治の帰りにスーパーで何か食材を買ってこいと言われても素直に買って帰るのは、アイツが作る料理が美味いと知っているからだ。必ず自分の口に入ると分かっているのだから、その手間を惜しむよりも自分が買って帰ったものがどんな姿に化けるのかの方が重要だったからだ。
けれど俺は、自分の抱く恋心がきよらかなものであって欲しいと身勝手にも思っていたのだ。愛しているのだから愛されたいと願うのは当たり前であるのに、拒絶されるのが怖くて、失いたくないものと秤にかけて黙っていると決めたのに、この恋が実らないことがどうしようもなく苦しかった。
けれど、俺が愛した、恋した相手はいとも容易く自分に向いたものとも知らずに、それを優しく包んでくれたのだ。
「ロナルド君って、花みたいだよね。毎日新しく咲いて咲いて、瞬きなんてもったいないくらい」
その言葉にどのような意味が含まれていたのかは分からない。きっと言った本人ですら忘れているだろう。それでも日を追うごとに苦しみばかりを産んでいた思いを好ましいと思ってくれた。捨てなくてもいいと言ってくれたのだと勝手に救われてしまった。
恋とは何て勝手なものだろう。
穏やかでありたくても、傷付けたくなって、捨ててしまおうと思っても、こんな男を花のようだと例える吸血鬼の顔が忘れられない。きっと今わの際にも思い出すだろう。月のような、星のような、生まれて初めて心底から美しいと感じたその笑みを俺は一生、死んでも忘れられない。
俺はきっと、この光景を見るために生まれたのだと――。
この笑みを向けられる男は自分だけであって欲しいと――。
それからの俺はこの恋を、ドラルクに刻み付けるためにどうすればいいのか考えて、結局例の騒動と相成ったのだが、俺が愛したい相手はダンピールを俺の腕に抱かせたまま吸血鬼に転化させてしまおうと考えていたらしく、あの騒動がなければロナルドウォー戦記の表記を元人間の吸血鬼退治人と吸血鬼のコンビものとして急な路線変更をしなければならなかった。
現在吸血鬼と恋愛関係にある人間、またはそんな知り合いがいるのなら安心して欲しい。人間は本来吸血鬼化しづらい生物であるので、よほど吸血鬼の才能がなければ一度噛まれただけでは吸血鬼にはならないし、普通は無断で行うようなことはない。生まれた子供の父親には同じ種族になって欲しいというあまりに無垢な考えからきたもので、生まれた子供があまりにも活発的で昼間でも構わず遊びたがるという事情がなければそのまま吸血鬼になっても行政への申請などにも困らない備えはあったのだ。
ドラルクは良くも悪くも命というものに差を見出さない。そこに身内であるという贔屓の目はあっても、命は命だと人間には理解し難い目線を持っている。そんな相手だから愛おしい。
人間ではない、吸血鬼のドラルクだから恋をしたと言うと、もしもドラルクがダンピールや人間であったら愛さなかったのか、吸血鬼であればドラルクでなくとも愛したのかという話にはなるだろうが、200年という俺の知らない時間を生きたドラルクに恋をしたので、きっと幼いアイツに会っても惹かれはしても、全く同じ思いは抱かないし、別人だと思うだろう。アイツのために咲く俺が、毎日違うように、きっと違う愛を向けるだろう。
ドラルクが吸血鬼で良かった。俺が人間で良かった。ドラルクに会えて、良かった。
アイツはきっと俺が本物の花であっても、ジョンのようなアルマジロであっても好きだと言ってくれただろう。だから俺達の子供が吸血鬼になると決めるか、成人したころに、今度こそ俺は吸血鬼になるだろう。
愛する人の未来が欲しいから。
この恋が毎日どのように咲くのか見届けて欲しいから。
人間の俺を看取るのではなく、俺がドラルクを看取ってやりたいと思ったから、俺は今の自分と変わることを選んだのだ。
【ロナルドウォー戦記番外編『俺の吸血鬼、私の人間、俺達のダンピール』より抜粋】