煉獄槇寿郎の決めたこと 一
槇寿郎は激怒した。何も成せずただ妻を死なせ息子を死なせるだろう自分の未来に。
槇寿郎には前世の記憶がある。
かつて令和という時代を生きた、人の身ではどうしようもない災害に直面しても、ただ怯える事しか出来ず、それでも気が付けば何事も起こらず助かってしまうような、ありきたりな程にただの弱く脆い人間であった。見も知らぬ誰かが死ねば少しの日々心を痛め、けれど数日後にはまた新しい悲劇に怯えては、何故か弱い者が虐げられたのだと憤りながらも、怒りに満ちた人の声や涙に心臓がギュッと痛むような心地になってしまう、とても弱い人間が槇寿郎だったのだ。
きっとその姿は、この大正という時代を生きる人々に比べれば明日をも知れぬ、国産肉であることが一種のブランドであろう、家畜のように生かされている能天気なものに写っただろう。けれど、それが人に許された自由の筈だった。人が勝ち取ってきた権利の筈だった。
元号が令和になる前、槇寿郎が学生であった平成の世では、鬼滅史という新しい科目が時間割に加わった。
道徳やら日本文化やらの、週に一度か二度配られたプリントを片手に視聴覚室でビデオか何かを見るだけの、比較的楽な一コマ分の時間で、はじめは軽い心持で授業を受けていた。平安時代に生まれた鬼舞辻無惨なる元人間の鬼が人を食って大正時代まで生き延びていたというのは、マアなんとも恐ろしい。けれど結局他人事。人が食われてもきっと腹をすかせた熊か野犬の類でも出たのだろうと人々は受け入れた。急な別れは悲しくとも、人が死ぬのは当たり前で、その死にざまがあんまりにも凄惨であったから、子供に山に近付くなと言い含める事はあっても、災害やらのどうしようもないものとして受け入れた方が、人間には楽だったのだ。
鬼は人を食う生き物だ。元は人であったのに、偶々近くにいた家族を食らい人であった頃の記憶を段々と失っていく。それはなんて哀れな事だろうか。なんて悲劇な事だろう。けれどそんなこと、人がやっても同じだろうと、歴史の授業と分ける意味が分からなかった。
まだ鬼狩りという名で動いていた時代の鬼殺隊が、日輪刀というアイテムを生み出した。なんとも画期的な話だった。きっと人が火を得たのに近いだろう。
人より幾分も強く大きく再生能力もある化け物と対峙して、ただ刃物やら鈍器やらで立ち向かうだけ、というのはあまりにも愚かだろう。石器時代か何かなのか。日輪刀が発明され、戦国時代に呼吸法というものが生まれた。ここまでが大まかな流れである。
色変わりの刀と呼ばれたそれは、今もどこかの家が所有しているらしく、日本各地にある寺社仏閣では鬼や鬼退治の伝説と共に祀られていたりする。御神体が刀である事は珍しくない神社はともかく、寺までもかと思うだろうが、かつて織田信長が寺の焼き討ちをしていたのと全く同じ理由である。誰かが持ち込んだ刀がそうであったのか、それとも酒と女を好む生臭坊主に混じった人食い鬼を倒しに来た鬼殺隊の誰かの所持品だったのか。それは誰にも分からない。坊主の中に夜間しか外に出ぬ者があってもマア、誰も何も思わなかったのだろう。人もそこらで野垂れ死にするのが常であった時代なのだ。善良な者ばかりの寺であっても供養をしてやりたいと食い殺された死体を連れてくる誰かがいたかもしれぬ。帰る家も親もない子供が消えても誰も何も言わぬし、老いを理由に子から疎まれて放り込まれた老人を食っても姥捨て山なんて便利な言葉があったお陰で共生出来ていた面もあるのだろう。山姥切った刀も実は日輪刀だったんじゃあるめえかと、どこぞの美術館に鑑定士が殺到した時期もあった。丸っと鑑定士が頭上に腕で鑑定結果示したのも一時ニュースになっていた。
呼吸法を伝えた剣士は現代でもまあまあ珍しい双生児だったらしく、武家の生まれであったために、忌子として蔑まれ育てられたとか。とんでもねえ時代である。子供の虐待死のニュースを見て言葉に出来ぬ怯えと、親が子を愛さぬという、ただ愛されて生きていた槇寿郎には理解しがたい結果に頭を悩ませてもいたのだ。胸糞悪い以外どう言えばよいのだろう。今だって既婚女性用の掲示板では子を産まねば罵られ、一度に何人も産めば畜生のようだと嘲られるらしい。
理解出来ぬ。言葉の意味は分かっても、それを言葉に出す意味が分からなかった。
槇寿郎はお上品な生まれと育ちをしていたので。
忌子とされた剣士は母に命を守られ、兄に心と優しさを与えられた。育ちに差を付けられながらも兄を愛し、尊敬した何とも心の優しい子である。この時点で既に槇寿郎の心は限界だった。家に帰って犬猫の動画でも見なければやっていられない。そしてそこから酷い悲劇が待ち構えていた。なんで跡取りの教育してた方を捨てようとするのだ。剣の才が惜しいのなら、一度養子にでも出して兄の部下にしてやれば良かったものを。そしてずっと陰ながら守ってきた兄が地位も名誉も妻子も捨てて、人を守る鬼狩りになり、人ではないのではと囁かれた弟と同じ痣を発現し人に落としてくれたのだ。
なんなんだその完璧な兄。なんて人間が出来ているのだろう。自分がその兄の立場だったら、弟に対して一体どうしてやれただろうか。槇寿郎は考えた。けれど答えは出ないし授業は進む。初回なので歴史アニメを見せられており、ダイジェストなのだろう。もっとちゃんと見せて欲しい。そんな気持ちが強まった。大河ドラマになったら必ず見ます。継国家を舞台にしてくれ。兄上の視点で始まりの剣士を語ってくれ、と思った所で鬼舞辻無惨が兄を鬼にしやがった。くそったれ! お前みたいなやつがいるから、こんな悲劇が生まれるのだ。
ちょっと待って兄に貰った笛ずっと持って、むり。槇寿郎は泣いた。授業中とか関係なしにさめざめと泣いた。隣の席の友人がそっと背を擦ってくれた。いい奴なのだ。
そうして来週は江戸後期から大正の鬼狩りの話をします。と担任の先生が締めくくった。事前に視聴していただろう先生は泣いてはいなかったが、ほぼ生徒と同じタイミングで鼻をすすっていた。先生の世代にはなかった授業なのだから、耐性なんてないのだろう。教室の何割かがこんなの聞いてないと俯いて、女子の数人は瞳を輝かせていた。分かるよ。槇寿郎は涙で腫れた瞼をそのままに、家の近くの本屋で鬼殺史の本を数冊買み家で読んでまた泣いた。あんまりにも煉獄家が悲しくて泣いた。
泣いて泣いて、そして気付いたら槇寿郎は見合いの席に着いていた。
二
つまり全ては走馬灯。いや、見合い相手のあまりの美しさに圧倒されて思い出した槇寿郎の前世の記憶であった。情けないなりに苦しい葛藤があったのだと知れる煉獄家の当主の残した手記を読んでしまった槇寿郎は己がその立場に今いる事を知って心の中で泣いていた。現実でだって泣き喚きたいけど、男が泣くなど示しがつかんと慰められるでもなく叱られるような、そんな時代に生まれており、そして何より、そんな厳しい人であった父、先代の炎柱が先月死んだのだ。
数えで十五になったばかりの槇寿郎はまだ柱の条件を満たしていない。あとふた月でも継子として父の側を着いて回っていれば階級は甲に上がっただろうし、切り落とした鬼の首も五十に届いた筈だった。けれど父は死んだ。そんな悠長な事を言っている暇はなく、今すぐにでも槇寿郎は父の後を継ぐ形で炎柱にならなければいけない。煉獄家に男児として生まれたのなら、それは当たり前のことで、鬼の存在を知らぬ多くの人の代わりに、鬼に家族を殺されて鬼殺隊の隊士と共に、一人よりも十人。十人よりも百人。槇寿郎は見も知らぬ誰かの為に死なねばならぬし、これから生まれてくるであろう自身の息子にも同じ道を示して、歩ませなければならなかった。
前世で何も知らぬ家畜のような呑気さで育てられていた槇寿郎には耐えきれない現実だった。しかも今自身の目の前にいる美しい女すらも、それを承知でこの家に嫁入りしようとしているのだ。頭がどうかしてしまう。こんなの狂っている。令和の時代を生きた人間の倫理観が悲鳴を上げる。けれど槇寿郎は見合い相手を突っぱねる事が出来なかった。
「槇寿郎さま、顔色が優れないようですが」
女は、瑠火は美しかった。大輪の花のような華やかさはない。可憐な花のような愛らしさもないだろう。けれど枯れ散る前に首ごと落ちる椿の花のような潔い美しさを持っている、まさに武家に嫁入りする為に生まれてきたような女だった。時代錯誤にも刀を握って振るう男を支えて、子を鼓舞し諭す事が出来る。ただ美しいだけの姫にはない美がそこにあった。
「瑠火殿。これからいくつも苦労をかけると思います。私は明日にも見知らぬ誰ぞの為に体を張り、命を投げ打つこととなるでしょう。父の子として、煉獄家の長男として生まれた私は他の生き方を知りません。もしも、それが我慢ならぬなら、このような男では不満だと、そう仰ってください。貴方のご両親には私の方から断りを――」
「どうかお顔を上げてください」
深々と下げていた頭に降り注いだのは、固く麗しい声だった。ただ甘やかしてくる前世の記憶を総浚いしても、全く同じ声音を出せる者などいないと断言出来る。
父の訃報と、他の柱の方々への顔合わせ。階級を上げる為に続く任務。それら全てが重荷だった。これから妻を娶って子を成して、父から受けた教育と同じものを自分も我が子に施さなければいけないのだと、考えるだけで恐ろしかった。槇寿郎にとって十五歳は子供の部類だ。それが自分ではなく正真正銘、しかも数えで十五になったばかりの少年が身を置く環境ならきっと槇寿郎も声を上げただろう。子供に何をさせているのかと。けれど今ここにいるのは他の誰でもない槇寿郎自身なので声を荒げる事もなく父の死に涙を零す暇もなく、ただやるべき事を成していた。
そんな折に一目惚れをしてしまった。よりにもよって見合い相手に。確実に妻としなければならない、子を成して己が鬼狩りの任務に赴きいない間に教育を任せなければならない、そんな事を強いねばならぬ相手に、槇寿郎は淡く、じりじりと焦がれるような恋をしてしまったのだ。
何故だ、何故彼女であるのだ。煉獄槇寿郎の手記を読んだ。ああ、読んださ、読んだとも! 最愛の妻を失ってから、すっかり腑抜けて剣を捨て、酒に浸る男の書いた後悔ばかりに濡れた情けのない手記を確かに読んだのだ!
どうして彼女なのだ。どうして自分は彼女を美しいと思ってしまった。どうして今思い出してしまったのだ。
どうかどうか、この通りだ。手酷く振ってくれ。こんなにも簡単に頭を下げるような情けない男だと思わなかったと、早く一思いに詰って眉を寄せて蔑んでくれ。そうすればきっとどこかで幸せに生きてくれるのではと夢を抱けるのに。
けれど、そんな槇寿郎の願いは虚しく、瑠火は泣きだす前の子供を前にしたような、仕方ないものを見るようなゆったりとした笑みを向けていた。
「私が貴方を支えます。だから貴方は私のもとへ帰ってくる事だけ考えていてください」
「は、はい……」
ああ、そうだ。前世ですら恋人の一人もいなかった男が一目惚れなんてしてしまった女に敵う訳がなかった。
見合いの翌日、瑠火は煉獄家へ使用人の一人も連れず多くの荷物を持ってやって来た。
三
人嫌いという訳ではなかったが、前世ですら人と肌を重ねた事はなかった。身持ちの固い女を好んでいたという記憶はない。婚前交渉をどうかと思うような堅苦しさもなかっただろう。けれど、そこまで異性を求めてしまう熱意は一度も問い合わせたことがなかった。しかも今は正真正銘十五の少年である。妻となった瑠火が自身よりひとつふたつ年上であっても何故だか倫理観が悲鳴を上げる。しかし、一目見ただけで惹かれて、心底から愛してしまった女に触れられる機会を逃せない程度には自身も男であったらしいと知ってしまった。
こんなにも柔らかな女体に触れるのが、刀ばかり握って固くなった自分の手だというのがにわかにも信じ難かった。槇寿郎は自身があまりに童貞臭い言動をしていた自覚があったが、瑠火とて生娘である。きっと忘れてくれるだろう。冬だと言うのにあまりに暑く茹るような、逆上せてしまうような一夜だったのだから。決して泣く事などないだろうと、夫として少しの寂しさすら覚えていた瑠火の切れ長の瞳から涙が零れるのを見てしまい、どこか痛くしてしまったのかと慌てふためいた。やはり呼吸術を納めている男が容易に触れていい相手ではないのだと。痛いですか、なんて馬鹿な事を聞いた。すまない、本当に忘れてくれと、心のなかで思い詰める槇寿郎を瑠火は見通していたらしく、真っ直ぐに自身の夫となった男を見つめていた。
「いいえ、槇寿郎さま」
見合いの席で聞いたものとはまた違ったけれど、それは確かに真っ直ぐな凛とした女の声だった。
「おやめにならないで」
その言葉がどのような真意を持って瑠火、自身の妻の口から発せられたのかは分からない。けれど、いつ死ぬともしれぬ夫を案じてくれていることだけは伝わってきて、槇寿郎は堪らない気持ちとなったのだ。見合いの席で発された槇寿郎のあの言葉を妻は妻なりに心に刻んでいてくれたのだ。もしこの一夜で妻が身籠り、槇寿郎が任務先で鬼に食われて死んでもきっと彼女は子供を立派に育て上げるだろう。新婚であり、子を残すことが重要だとお館様は誰より分かっておいでだから、瑠火が嫁いできてから任務が入ったことは、まだ一度もない。結婚祝いとしてお館様直々にご祝儀を頂いた以外で、瑠火を置いて家を離れたことがなかった。
子を宿し、膨らんだ腹で喪服を着ることを瑠火は覚悟しているのだろう。
鬼に食われて遺体も残らない夫の葬儀の後、生まれる前から父を失った我が子を次の炎柱として、呼吸や刀の扱い以外全てを教え込まなくてはいけないと、目の前の女は分かっているのだ。その覚悟に夫である槇寿郎は何も言えなかった。初夜で指摘することすら野暮だと感じた。この夜が明けてすぐに未亡人になる覚悟を決めている妻を、槇寿郎は抱き寄せた。
四
初夜の翌朝、己の妻に対してどう接して良いのか分からなかった槇寿郎は、とにかくぼけぼけとしていた。男となったばかりの小僧なんてそんなもんだと割り切ることは出来ただろうが、槇寿郎があまりにも大切に大切に、まだ蕾のままの花を開かせるようにして抱いたからなのか、瑠火の方が槇寿郎より体力に余裕があった。
ふわふわとした足取りで歩く夫の手を引く妻に対して、本当に申し訳ないと情けなくて穴を掘って埋まりたくなってしまい、槇寿郎は顔を覆った。
本当ならこんな情けない夫、早々に見限ってしまってもおかしくはないというのに、瑠火は優しかった。まるで、笹の葉に乗る朝露のような、涼やかな美しさと、温かな陽の光が差し込むような優しさがなんとも身に染みる。この年で後家にでもなったら瑠火はこの先どうするのだと、これ以上自身の情けなさと妻の優しさを繋げて考えるのはもうやめた。これ以上うだうだと考え続けていたら、稀血でもないそこら辺の人を四、五人食っただけの血鬼術すら使えない鬼に食われて死んでしまうだろう。真に妻のことを思うのなら、余分な事を考えるな。子を成すまで男児を作るまでこの幸福は終わらないのだから。
瑠火に朝餉の支度が出来たと呼ばれるまでの間、まるでそれしか知らぬとでも言うように、ひたすら刀を振るい続けていた槇寿郎は汗だくだった。これではいかんと、道場の近くにある井戸から水を汲み上げて頭から被って、さあ、愛する妻の作ってくれた料理を食べるぞ! と意気込んでいたら、冬場に水を被った事を叱られた。
「刀を振るう姿は獅子か虎かと見紛う程に凛々しいのに、まるで幼子と変わらぬことをなさいますね」
「情けない男ですまん」
「何を言うのです。私は槇寿郎さまを優しいと思いこそすれ、情けないなどと思った事は一度もありませんよ」
そう言って夫を見つめる妻のあまりの強さに思わず目を逸らしてしまう。
「俺は弱い男だ。貴方のように強く美しい女性には不釣り合いな人間だ」
手ぬぐいでわしわしと犬にするように頭を拭かれ、代えの着物を手渡されてから、改めてこうして妻として尽くしてくれる女を見た。
「本当に可愛い人ですね貴方は」
かわいい。可愛いと言われた。前世では女子と言うのは何に対しても可愛いと連呼する存在だったが、今の時代に男にそれを言うのは侮辱なのではないだろうか。しかし正当な評価ではあるし、それを面と向かって相手に言える瑠火に惚れ直すような安い男である自覚はあるので槇寿郎はうんうんと頭を悩ませる。一体妻はどんな意図でそれを言ったのか。
「先に湯に浸かりお体を温めますか」
「いや、起きてすぐに身を清めたばかりだ」
「……私は」
「貴方が寝ている間に湯を、桶に。おろしたての手ぬぐいを温めて、冷める頃にはお湯を入れ直した。湯に浸かりたいなら貴方が先に」
言ってから気付く。あまりにもデリカシーがない。頬を張られて文句などひとつも言えないだろうと自身の発言の不味さに、冬に水を被ったのとは別で顔を青くした。けれど子を成す為に妻を抱いたのだ。疲れて眠ってしまった妻を起こすのは忍びなく、共に湯に浸かるというにはまだ気恥ずかしいという気持ちが勝った。夫婦だから良いじゃないかなんて考えが離婚に繋がるのだ。
肌を重ねる前、槇寿郎と瑠火の二人きりの屋敷で布団の上に正座をしながら語った事を思い出す。
今はまだ明治の終わりだ。妾が籍に記載されるようなそんな令和の倫理観を持った槇寿郎には考えもつかない事が当たり前にまかり通る時代が今だ。事実父には母の他に外にも内にも妾はいたし、唯一の男児で一人っ子の槇寿郎が柱になれず子も何も為せずに死ぬような事を想定して、煉獄の男児を絶やしてなるものかと身籠った女を家へ連れ帰ろうと迎えに行けば煉獄家に目を付けていた鬼に悉く食い殺されていたのだ。
槇寿郎の弟か妹になるかもしれなかった、生まれてこれなかった幼子たち。彼等には、もう鬼狩りの家になど関わらず平和な世に生まれて欲しいものだ。
「瑠火は知っているだろうが、俺の母は第二子を身籠った状態で鬼に食われた。煉獄の家系は遠目からでもすぐに分かってしまう。下弦など柱の所為ですぐに死に、多くの柱のなかで唯一身元が割れているのが煉獄家だ」
だから十二鬼月に成り上がろうとする鬼は数え切れない程多い。そしてそれらに狙われ続けたのが煉獄の血を引く男たちだった。槇寿郎には叔父がいた。父より先に死んだ叔父だ。柱になる前に死んでしまった、刀を握った右腕だけで帰ってきた叔父を、その葬儀の最中、情けのない男だと、父が漏らしているのを槇寿郎は覚えている。
父は苛烈な人だった。父の傍らで息子として、後継者として見ているだけであったけれど、父の人生は、自身の命を燃やし続けて、鬼の頸を狩るだけのものだったと言えるだろう。鬼に大切な人を奪われる悲しみを、怒りという苛立ちに似た感情で塗りつぶして、鬼の前に、唯一の息子である槇寿郎の前に立っていた。その背を、横顔を槇寿郎はただ見ているだけだった。
令和という少子化を謳われる世代に生きた、一人っ子に生まれて両親から、祖父母から真綿で包むような愛情しか知らなかった槇寿郎には父の訓練は逃げ出したくなるくらいくるしいものだった。どうすれば、父のようになれるだろうか。父や祖父、叔父のように次代の為にこの命を使いきる事が出来るだろうか。祖先と自分を比べる度に、そのような教育をこれから生まれてくるだろう息子たちに施すことへの不安が募った。
「鬼になんぞに食われないでくれ」
この家に嫁いでしまった妻に女として、母として、真っ当な幸せなど与えてはやれない。けれど、あんな最期を迎えるのだけはよしてくれと震える声で懇願した。母がいるのに妾を持つなんて、と父を軽蔑したのは最初のうちだけだった。愛した女が鬼に食われて死ぬ度に声も涙も零さずに震える父の背中を忘れる事なんて出来やしなかったのだから。
今となってしまえば、父と母が愛し合っていたかどうかは分からない。
母が死んだのは槇寿郎が七つの時だった。あの頃の父は任務で家を空けがちで、けれどそんな父の代わりに厳しく育ててくれた母が、心を休めている姿を見た事がなかった。平和な未来の価値観で物事を語ることなど出来るはずもなく、またその自覚も持ち合わせていなかった槇寿郎は、嫁いだ家のために尽くす母の膨らんだ腹を見て、兄になるのだと無邪気に喜んだ幼い自身が、今はただ、ひたすらに憎かった。
必要だと分かっているから妾の存在も認めたのは、正妻としてようやく産んだ我が子だけに鬼狩りの使命が強いられぬようにと、そんな打算もあったのだろう。腹を痛めて産んだ息子に厳しく接しなければならず、任務のない夫が我が子に厳し過ぎる訓練を課す。そんな環境が毒だったのだろう。どんよりとした、分厚い雲が空を覆うような日には外出を控えていた。だから、そんな母の手伝いとしてその日の夕餉の材料を買いに行ったりしていた槇寿郎のために、父の唯一の子である槇寿郎だけは死なすまいと、藤の香をたっぷりと焚いた着物を着せてくれた、そんな心配性な母は、子を宿した腹を食い破られて死んでいた。
いつも槇寿郎の手を引いて、美味い料理を拵えてくれた、ほっそりとした白い手が折れ曲がり、必死に逃げようと足掻いただろう足が引きちぎられていて、槇寿郎がひとつ何かを為せた時優しく綻ぶ顔からは血の気が引いていた。
今でも目に焼き付いている、母の最期の姿を、何度見なければ良かったと思っただろう。その度に、今まで育ててくれた母の最期なのだから、見るべきだと、目を逸らしてはいけないと、鬼を知らない人々には野犬の群れにでも襲われたのだとしか言いようのない――、あんな死に方は普通じゃないと、どれだけ忘れてしまいたいと思っても、その死に方こそが鬼に出会ってしまった人たちのものなのだと、突き付けられる。
鬼殺隊に入ってから、母と同じような死に方をした一般人を、仲間を大勢見た。炎柱である父に連れられて、噎せ返るような濃厚な幾人もの人間の血の匂いに胃の中身を吐き戻しそうになる前に、顔も分からぬ誰かに群がる鬼を見た。
ここが地獄だと言われても疑うなんて出来やしない程に、悍ましかった。それと同じくらいに悲しくて、苦しいのは、これからこの地獄をずっと見続けなくてはいけないと知ってしまったから。
まだ顔が残っていた母は幸運だったのだと、そこらに転がる肉片が一体誰のものなのか分からない事は何度もあったから、嫌でも悟ってしまった。恐ろしくて、泣きたくっても、それを許される立場にない。地獄と分かっていて尚、自分から進んで飛び込んでいく勇気なんてない。何もかもから逃げ出して、いっそ命を絶ってしまいたくっても、それを許してくれる人はどこにもいない。炎柱さま、炎柱さま、と亡き父や祖父の面影を槇寿郎に重ねてくる鬼殺隊の、藤の花の家紋の人々。夜に闇に潜むものの恐ろしさを知ってしまった彼らにとって、煉獄家の男はきっと、夜明け前の光にも等しいのだろう。槇寿郎の顔を見て、炎柱さまが来てくれたと、ほっと息を吐いて穏やかな顔で眠りに着く隊士を幾人も看取ってきた。
だから、逃げてはいけない。死んではいけない。誰よりも強く、誰よりも多く鬼を屠り、誰よりも多く人を助け、誰よりも強い子を成し育てて――。
それでようやく、槇寿郎は死ねるのだ。
生まれ変わったのだと、はっきりと自覚するまでは、毎日が恐ろしくて仕方がなかった。母が殺され、仇を討たねばと、そればかりを考える父がたった独りで夜を駆けていくのを、最終選抜も終えていないただの息子での立場では、父も父が帰ってきますようにと仏間で毎晩祈る事しか出来なかったというのに、今度はこの恐ろしさを、苦悩を我が子に受け継がせなくてはいけないのだと気付いてしまった。
これから生まれてくる、何も知らない我が子を抱き上げるよりも先に、その無垢な手を引いて、血に濡れた道を歩まなければならない。その結果、どんな地獄を見せなければならないのか。こんなにも苦しいことがあってよいのだろうか。
初夜にするべき話ではない。それぐらいは分かっている。分かっていても止まらなかった。
瑠火に死んで欲しくない。その一心で、ただ誰よりも強くある事を、きっと君を守ると誓おうとしていたのに、彼女の、己の妻となった女性のなんと気高いことか。
「ならば、そんな苦しいだけの生き方をせずともよい、強い子を産みます。槇寿郎さまに似た、優しく強い子を私は産みましょう」
そんなこと、出来るのだろうか。可能なのだろうか。
こんな、怯えて震えることすら許されぬ、弱い男の子種から生まれる子は、本当に強い子になってくれるのだろうか。剣士の才などなくともいい。炎柱を継がずともいい。何も持たずとも幸せだと、笑って生きてくれる子供が、生まれてくれるのだろうか。
情けなくも震える手を瑠火はしっかりと掴んでくれた。
「私たちが、槇寿郎さまの代で終わるのかなんて想像も付きませんが、きっと」
――そうなると信じましょう。
その笑みを何と言えばいいのだろう。何と例えればよいのだろう。それはまだ少女と呼べる年頃の女がするような笑みでは決してなかった。母のものとも、町ですれ違うあどけなさの残る乙女たちのそれとも違う。男を、武士を支える為だけに育てられた女だけが浮かべる笑みであった。
今までずっと一人で立つことを義務付けられていた。煉獄家の男児として生まれたからには、何かに縋るような弱さを持つことなぞ許される訳もなく、自分から遠ざけていた、取り上げていた筈のものが、今ここにある。
槇寿郎より余程弱くて脆いというのに、少し力を籠めれば鬼に対抗する術として生み出された呼吸を修めている槇寿郎の手によって、全身の骨を折られてしまうかもしれないというのに、心のままに抱きすくめられた妻は何の怯えも見せない。
これを失うなんて考えられない。瑠火が死んだらきっと己も死ぬのだろうという確信があった。例え呼吸を止めずとも立ち上がる力を失うだろう。今まで積み上げてきた全てが根元から折れてその重みで、心が死んでしまうと思った。
そんな顔をしないでくれ、そんな瞳を向けないでくれ。瑠火がいてくれれば大丈夫だと無条件に思ってしまうから。今この瞬間、確かに己は弱くなったと分かってしまうのに、それを心地いいと感じてしまうのだ。嗚呼、恐ろしい。
ひとを愛するのは、こんなにも恐ろしい。
五
鬼を殺した。
下弦の参と瞳に刻まれている、十二鬼月と呼ばれる鬼。代々の炎柱の妻を、妾を、嫡子に庶出子、継子すらも、並々ならぬ執着心で食い続け、遂には現役の炎柱であった父すらも、その腹に納めてみせた鬼の頸は、想像していたよりも、ずっとずっと柔らかかった。
鬼は当たり前のように狡猾で、鬼殺隊に必要不可欠な柱という、その代の最高位の剣士を代々排出する煉獄家をここ百年近くもの間つけ狙い、鬼殺隊をよく食らうからと鬼舞辻無惨の目に留まり、下弦の月にまで登り詰めたのだ。鬼のいない平和な世を生きた記憶のある槇寿郎は、未来に人間として生きていたら、どこかの企業で営業部トップの成績でも残しただろう、勿体ないことだと考えていた。
鬼は、今自身の目の前にいる人間が煉獄家の男であると知るや否や、今まで自分が食ってきた女たちの味に始まり、悲鳴の心地よさ、槇寿郎が炎柱であった父の息子であると気付くと、赤子を孕んだ母の胎は格別に美味かったと、おのこを孕んだ女は悲鳴も味も格別なのだと誇るように語っていた。
嗚呼、なんて悍ましい。見るに堪えない。これ程の邪悪を今まで見た事がない。見ようとも思わない。鬼は人間を食らうのだ。人々の幸福を脅かす、人の悪意を無理に引き延ばされた醜悪な化け物だ。そんな事、分かっていた。分かっていた筈なのに、空っぽになった胎を見て泣き叫ぶ女の声が心地いのだと、その醜悪さを嬉々として語る辺りで、ついに我慢が効かなくなった。
まず、腕を斬り飛ばした。そのまま足を踏みつけにして、一切の抵抗がない事に何故だと問いかける間もなく、その答えはやって来た。鬼の血鬼術だ。産声すら上げられずに死んだ赤子の声が、鬼の身体から溢れてくる。槇寿郎を兄だと認識し、そう呼ぶ声たちに、あり得ないと分かっていながら、一瞬――そう、一呼吸分のほんの僅かな時間だが槇寿郎の身体は確かに止まってしまった。
『なんでお前が生きている』『ぼくたち生まれてこれなかったのに』『ちちうえがぼくたちを殺したんだ』『お前だって父上に殺される』『うまれてこなければよかったのに』『ぼくたちみたいに』『わたしたちのように』『おれたちとおなじように』
酷く、耳障りだった。確かに父の子でなければ弟たちは無事に生まれてこれたのだろう。こんな時代だから生まれてもすぐに死ぬ子も大勢いただろうが、それでも生まれる前から鬼に目を付けられて食われるなんて事はなかった筈だ。父が殺したようなものだと言われれば頷くしかない。けれど、けれど――。
「そんな言葉で立ち止まれる程、煉獄の名は軽くない」
その罪はもう槇寿郎も背負っている。愛した女が、生まれてくる筈だった我が子が死ぬ度に、立ち止まる事もせず、ただひたすら鬼を狩り続ける父の背はいつだって重たかった。いつだって守れなかった命を背負い続けたその背に、槇寿郎は終ぞ背負われる事はなく、父の跡を継ぐため、煉獄の男児として生まれた者の責務として、柱となるため、この鬼の頸を狩りに来た。
声に気を取られ、防御も回避も間に合わず、左腕は折れてしまったけれど、その程度の痛みで目を逸らして良いものなどどこにもなかった。心を燃やせ、噛み砕く程に歯を食いしばって刀を振るえ。
「炎の呼吸・伍ノ型 炎虎‼」
技を放つと、まるで刀が何かを纏おうとするような、何かが見えるような気がする。炎の呼吸の使い手には炎が、雷の呼吸の使い手には雷が、風には、岩には水には――。鬼殺隊には水の呼吸の使い手が多い。水はどのような形にもなる変幻自在の剣技であり、体躯の小さい女であっても使い手が多く、五大流派の中で最も技の数が多いと聞く。だからよく見るのは美しい水飛沫で――父の任務に継子として何度も付いて行ったけれど、父の炎を全て見通せた事は一度としてなく、だからこそあの美しい波の動きが、波紋が水面の揺らぎが、目に焼き付いて離れなかった。闘気とでも言えばいいのか。ただ愚直に刀を振り回すだけでは決して至れぬその境地。洗練された美技とすら呼べるそれ。そこに乗るものが柱となるには必要だった。
ああ、だから。己の刀に乗る虎が、炎が形を取った大虎が口を開けて鬼を飲み込んだのを見たその瞬間、目の前にいるのが仇である事を忘れさせた。
父の仇であった筈の鬼の頸は、煉獄に連なる者を食らう前から大層人を食ってきたのだろうと分かる目の前の鬼は、槇寿郎が放った炎の呼吸の至るべき境地とも言える一端によって、いとも容易くその頸を落とされてしまったのだ。
そのあまりの呆気なさに己の剣の腕の成長に対する興奮よりも、何故こんなにも弱い存在に父が殺されてしまったのかという疑問の方が強かった。
どうしてですか。どうして、未だ柱にすらなれていない槇寿郎にも斬れるようなものをどうして斬れなかったのですか。そんなものに、どうして殺されてしまったのですか。父の息子たる自分が至ったばかりの剣技のずっと先にとっくの昔に辿り着いていたであろう父が、どうして、どうしてなのです。
どれほど考えても答えは出なかった。どれほど問うても答えは与えられなかった。正しき答えを知っているだろう父は既に亡く、父を殺した鬼は槇寿郎が今この手で殺してしまった。
「おとう、さん」
それは、己の口から出たのかと錯覚してしまう程に弱々しい声だった。
鬼とは、人を喰えば喰うほどに、人であった頃の記憶を失っていく。それは、人の精神では自身の鬼としての所業に耐え切れないという事なのか、それとも鬼の始祖たる鬼舞辻無惨によって封じられているのかは分からない。けれど、稀にではあるが、隊士に頸を斬られた今わの際に、人であった頃の記憶の断片を口にするような鬼がいる事は確かであるのだが、これも、そうだろうか。それに槇寿郎は引きずられたんだろうか。
父の死にはとっくに折合いを付けた筈であった。親子というよりも師弟と呼ぶ方がずっと近くしっくりくるような関係であった。共に切磋琢磨する同期の死にどうしても挫けそうになった時も前を向けと言い聞かされた。俯くな、前を向け、今まで以上に鬼を殺せ。慰めなんて口にしない、落ち込む暇なんてくれない人であったけれど、その心の炎が途切れる事はずっと――。
息の仕方を忘れたかと思った。
喉の奥から、呼吸とは違う音が聞こえた事で、息を止めていたのだと気付いた。落ち着け、落ち着け。深く息を吸い込み、今まで当たり前のように行っていた全集中の常中を再び行おうとした。
それでも、駄目だった。
一度思いついてしまったそれをかき消す事は不可能だった。
間違っても言葉として出さぬよう口を自身の手で覆い、封じた。今胸の内から溢れ出そうな、こんなにも恐ろしい思い付きを決して上空にいる鎹烏に聞かれぬようにしなくては。ああ、悍ましい。悍ましい。これでは鬼を笑えぬではないか。自分の飢えを満たす為に人を食らう鬼の醜悪さを笑えないではないか。
槇寿郎は自由を知っていた。優しくて穏やかで、死は遠い場所の見知らぬ誰かの為のものだと勘違い出来る、優しい自由を知っていた。まるで真昼の微睡のような穏やかな日々は今この時代にはない事を忘れたつもりだった。そんなものはないのだと、すっかりと忘れたつもりで、そんな未来があるのだと忘れたつもりになって、今までようやくこの時代を生きていた。
炎の呼吸を終わらせよう。
最後の炎柱を殺してしまおう。
鬼舞辻無惨に取り入ろうとした鬼と全く同じ事をしたい。一族の仇とすら言える今目の前で消えようとしている鬼と同じ事をしたいのだ。
この事は、誰にも悟られてはいけない。誰にもこの望みを言ってはいけない。誰が見ているのか聞いているかも分からぬのに言葉になんてしてやるものか。けれどきっとお館様には悟られる。産屋敷の一族は皆、槇寿郎と同じ事がしたいのだから。その為だけに千年も鬼の喉笛を虎視眈々と狙っておられるのだから。けれど、心の優しいあの方は、槇寿郎が同じ望みを抱いた事に耐え切れないだろう。隠さなければ。
頸を斬ったことにより、体が塵のように消えゆく鬼の最後に残った下弦参と刻まれた瞳にそっと笑いかけた。ただ死にゆくだけの鬼の目に己は何に見えているのだろう。鬼殺隊が鬼にこんな瞳を向けるなど間違っているだろう。けれどこの気持ちだけは本物だ。
ありがとう。心の底から湧き出る感謝だけは今お前だけのものだから、どうか受け取って欲しい。これはお前だけに向けたものだから。
槇寿郎の身体を気遣うように降り立った鎹烏が既に近隣の藤の花の家紋の家に医者を呼んでいるという旨を伝えられ、その気遣いに感謝をしつつ、槇寿郎は鬼に背を向けた。例え目的の鬼を討とうとも、今の今まで少しも離れようともしなかったその場所から背を向けて歩き始めた。
炎の呼吸を終わらせよう。
炎柱を途絶えさせよう。
もう、この命を持って終わらせてしまおう。
令和こそこそ噂話
前世は鬼殺隊が鬼舞辻無惨を倒した先の未来で実は日輪刀でした、という刀がいくつかあります。山姥切とかそうです。正しい手順で日輪刀として作られていないのでいくらか日光に当ててからじゃないと鬼の頸は斬れません。燃費の悪いソーラーパネルみたいな日輪刀の素材を使った刀です。日輪刀が出来てからは産屋敷がその材料が取れる山を手に入れ一般に出回らないように手を回していたので新刀からは実は日輪刀でしたなんてものはありません。新選組なんかはそんなものなくても朝まで鬼を殺せそうなので政府非公認組織なのにお上に従っていた新選組とはそこまでいざこざはありませんでした。もしこの世界で刀剣乱舞の世界が未来にあればバンバン折れてもまた溶かされ他の刀に生まれ変わる同胞を、決して一振りの刀として付喪神になれず主を死なせ続けた刀をどう思っているんでしょう。
成り代わり主が思い出さなかっただけで継国家は大河ドラマになって兄上の心なんて誰も知らずに美談とされています。お労しや、兄上。
令和になっても藤の花の家紋を掲げる家はあります。鬼がいた時代に生まれた子供がまだ生きているからです。鬼の恐怖を戦時体験のように語る人がいます。でも元鬼殺隊だと言う人は出てきません。鬼舞辻無惨を倒してふっと糸が切れたみたいに空っぽになってしまったからです。
明治コソコソ噂話
戦国時代から顔が変わらぬ煉獄家は多分主人公君みたいに継国のお家の人を好ましく思うし、これから有一朗くんが亡くなった事を知れば心がきゅってなってしまうが、それでおしまい。現代っ子なので実感が薄い相手には淡泊。
無一郎くんには特に特別な事をした覚えもされた覚えもないけれど継国の血を引いているだけで好ましく思ってしまう。下の息子と年が近いから余計に。
瑠火さんに一目ぼれしたのはマジで見合い結婚なのに一人だけ好きな人と結婚出来て良いんだろうかなんて考えながらも瑠火さんからは可愛い人って思われてちゃんと好き合って新婚生活をしている。
明治コソコソ噂話二
槇寿郎さんの父上が酷い人に見えるかもしれないですが、ただ心を燃やし続けて妻も生まれてくる筈だった第二子も妾も全部食われて唯一自分に残った息子を守る為に厳しくあり続けた人でした。
そんな自他ともに厳しい現役の炎柱が食われた鬼にどうして十五歳の槇寿郎さんが勝てたのかは、これも現代人ゆえにありとあらゆる不幸は他人ごとと画面越しに生きてた槇寿郎さんでは幻術っぽい血鬼術の効きが悪かっただけです。
槇寿郎さんの父上は時代ゆえに当たり前に死んでいく、鬼に関わらない死者にも貧しい人々にも心を砕く優し過ぎる息子はきっと自分より先に死ぬだろうと思っていました。隊士の一人一人に心を砕く姿も、自身のお館様である、九十六代目産屋敷当主と同じように繊細なのだと、同一視してしまいました。
そんな愛した妻が遺してくれた唯一の息子が呼吸の才能を持ってしまったことで、自衛させることは出来ても、鬼から遠ざけられないと苦悩していた所に、血鬼術の幻覚で自分を責めてこんな風に死ぬなら、こんな地獄を生きるなら生まれてきたくなんてなかったと叫んだ姿に心が耐えきれなくて食べられてしまいました。可哀そう。息子さんもっと他人事と割り切れるドライな都会ボーイですよ。