(仮)お江戸でパラディその4 その日は風が強かった。巻き上がる砂埃を嫌って通りの店はどこもきっちり戸を建て、ひよけ暖簾がその前で風を受けばたばたと音を立てていた。
利葉偉は珍しくまだ日も高い時間に、大伝馬町の木綿問屋の店先に腰掛けていた。ナリも、いつもの女物の羽織を引っ掛け懐手に歩くような崩れたものではなく、年季の入った手代風であった。
「墨須の旦那は元気かい?」
「変わりねぇ。あんたも元気そうでよかったな」
大伝馬町でも大店の振下瑠(ふれーげる)屋の女将、おりねは三年前に墨須の妓楼、蝶紗(ちょうさ)楼から落籍された元花魁だった。墨須の元には身請けで娑婆に出た元遊女たちから相談事や困りごとが持ち込まれる。身請けしてくれた主人以外からちょっかいを出されたり、番頭が不正をしていたり、人探しを頼まれたり。そういった時に利葉偉は恵榴瓶の手足となって動く。そのように娑婆で立ち回るのが言ってみれば利葉偉の裏の顔だった。
今日は特に面倒事ではなく、月に一度売り上げをまとめて両替商へ持っていく時の用心棒の仕事である。と言ってもさりげなく店にいて目を配る程度だ。
「悪いねぇ、昼の仕事なんか。あっちも休めやしないんだろ?」
「かまやしねぇよ。それより、なんかあっちが騒がしいが」
通りを隔てた向いの店先に人だかりができ始めていた。その横を振下瑠屋の手代が背負い荷物で供を連れ、無事に通り過ぎるのを利葉偉は見届けた。今日はこれで仕舞いだ。
「あれ、何だろうね、唐根州(からねす)屋さんは今日出物でもあったっけね」
「いや、様子がおかしいな。見てくる」
たとえ縁のない向いの店でも、面倒の芽は早く摘むに越したことはない。
唐根州屋の店先は十重二十重の野次馬で囲まれ、店の奥は伺い知れなかった。人の垣の間から店の者と思われる男の声が聞こえてくる。
「あ、あんた、男じゃないのかい。いま袖からのぞいた腕にあったのはどう見ても入れ墨だった!」
野次馬がどよめいた。
「なんだと、男?」
「あんな可愛らしい風情でか?」
何やら聞き覚えのある状況に利葉偉は逸る心を押さえながら野次馬を必死でかきわけていった。段々と輪の中心にいる輩の声がはっきりしてくる。
「バレちゃあしょうがねえ、知らざぁ言ってきかせやしょう!世を騒がす弁天小僧たぁ俺のことさ!」
(はんじ……!)
利葉偉がようやく店先に辿り着くと、判治は店の主人の手元の文箱から小判を取り出し、指に挟んでチラつかせているところだった。
「傷の治療代にこれはもらってくよ!」そう言うと判治はいつのまにか裾からげ姿で、着ていた女物の鮮やかな着物を道中合羽(まんと)のように翻し、トンボを切って往来に飛び出した。
「捕まえろ!」
「十手に引き渡せ!」
追手のかかったその時、ゴウといって一陣の風が吹いた。巻き上がる砂埃にみな目を瞑る。薄目を開けたところでまたあの着物がはためき、気づけば弁天小僧の姿は消えているのだった。
*
「姐さん、こっちだ」
イガグリ頭の若党が判治を手招きしている。判治は息を弾ませ、楽しそうに応えた。
「ありがとね、仔丹伊(こにー)、追手はまけたかな」
「バッチリだぜ」
「そうでもねぇよ」
急に聞こえた男の声に二人は驚いて振り返った。判治は目を見張る。
(蝶紗楼の利葉偉……!)
「な、何だてめぇは!」凄む仔丹伊を慌てて判治は止めた。
「いいんだ、この人は。前も見逃してくれた」
それを聞いて仔丹伊は肩の力を抜く。
「ほんとに大丈夫かい?」
「大丈夫さ、ありがとう」
「じゃあ俺行くよ」
利葉偉は(前も見逃した訳じゃねえんだがな……)と思いながら二人を見守っている。先程唐根州屋で、利葉偉がやっと店に入ったと思ったら判治は出てしまった、が、砂に巻かれずに判治が屋根に飛び乗ったのを目に出来たので裏通りの逃げ道になりそうなところで張っていたのだ。
判治は仔丹伊を見送り、受け取った目立たない小袖を素早く着流すと利葉偉に向き直って言った。
「やあしばらく。私に何の用だい?実は捕まえに来たとか?」
問われて利葉偉は戸惑っていた。唐根州屋には義理はない。騒ぎの種が判治だと分かると捕まえる気も失せてしまった。気づけば自然に身体が動いてここまで来たのだ。
判治は悠然と構えて三寸上から見下ろしている。ナリも手伝って今は完全に男にしか見えない。細い顎に薄い腰。以前の利葉偉であれば躊躇うことなく手を出していたところだ。しかし今頭にチラつくのはあの晒しの巻かれた白い胸だった。俺はこいつに惚れたのか?落ちたかはともかく、組み敷きたいと思っているのは間違いねぇ。
黙っている利葉偉に肩をすくめ、判治は先に立って歩き出した。
「どこぞで、茶でも飲んでくかい?」判治は気安くそんな事を言う。
「不忍はちょっと遠くねぇか?」利葉偉は出会茶屋(らぶほてる)の立ち並ぶ地名を持ち出した。
すぐには意味が取れず返す言葉を探していた判治は、腑に落ちると頬を少し染めて返した。
「何馬鹿なこと言ってるんだよ」
その横顔を見ながら利葉偉は悪くねぇ、と思った。
(続く)
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利葉偉の所属が蝶紗楼と決定、しかし最初は盗賊の一味という設定だったはずなのに。だから続き物とか駄目なんだ。しかも冒頭書かないまま来ちゃってるじゃん。出会いが謎のシーンのまま……。