人魚の恋それは、恋というには甘過ぎて、愛というには苦過ぎた。
ロンディーネさんが見せてくれた商品の中に、それはあった。
「これは…?」
「ああ、それは童話だよ。絵本だね」
虹色に光る美しい魚の下半身。
上半身は美しい人間の女性の姿。
ロンディーネさんは、その女性を人魚姫と言った。
イソネクニとは違った、美しい人魚の姫。
「興味があったらどうかな?安くしておくよ」
そう言われて、興味を引いた、その童話の絵本を買った。
家に帰って、ひとり、パラリと頁を捲った。
美しい容姿に美しい性格、そして何より美しい歌声を持った人魚の姫。
人に見られてはいけないと言われていたが、優しき彼女は溺れた王子を助ける。
歌声だけを残して消えた命の恩人を王子は探す。
王子に恋をした人魚の姫は、その美しい歌声と引き換えに魔女の秘薬を手に入れ、ひと時、人間となる。
結ばれれば人間になり、幸せに暮らせるだろう。
しかし、王子の心を手に入れなければ、泡となって消える。
激痛が走る脚でも、声を失くしても、彼女は必死に王子を想った。
愛する人と結ばれる為に。
だが王子は別の姫を恩人の姫だと思い込み、結婚を決める。
姫を心配した仲間達の人魚に魔女が囁く。
魔女から手に入れた短剣で王子の心臓を貫けば、人魚姫は泡にならず人魚に戻れると。
彼女は愛する王子の胸を貫く事は出来ずに、彼を愛して泡となって消える。
「……」
命懸けの恋。
美しい歌声を失い、王子の愛を手に入れられずに命までも失い、一体、人魚の姫は何を手に入れたというのだろうか。
全てを失ってでも、王子への愛を貫いたというのか?
脳裏に、私の愛する人の顔が浮かぶ。
私の恋は、人魚姫のように報われないだろう。
恋というには甘過ぎて。
私は彼の特別だと自負している。
私の全ては彼の教えで出来ている。
愛というには苦過ぎた。
それでも、それは童話のような愛じゃない。
それは万人に向けられるものと一緒なのだ。
「愛弟子?何を読んでいたんだい?」
「ああ!ロンディーネさんの所にあった童話だね!」
「少し悲しい物語だよね」
「私が人魚の姫だったら、王子を殺していたかもしれません」
他の女のものになるのならば、永遠に手の届かない場所へ。
そうして私は命尽きるまで王子を想う。
「もし…教官が人魚の姫の立場だったら…どうしますか?」
私の質問を最後に、途切れる会話。
しまった。
変な事を聞いてしまった。
そもそも教官に想い人がいるのだろうか?
重い雰囲気を蹴散らすように、そういえば、と努めて明るい声を出した。
「教官は姫ではない、ですよ、…ね…」
見上げた教官の笑みに、言葉を失った。
顔は、いつも通りに笑っているのに。
目が、獲物を狩る時の、それだ。
「俺は、王子の隣にいる女の心臓を貫くよ」
静かな声が、私の耳に届く。
熱いのは私の顔か、その視線か。
「例え、泡になってもね」
人魚姫の恋。
ひとり残された王子は誰を想うのか。
魔女の囁きが聞こえる。
『お前は何と引き換えに、その愛を手に入れる?』
私は私と引き換えに、教官の愛を手に入れた。