ドガブリ未満。Nice tux by the way.「そう言えば、あのタキシードって、経費は出たんですか?」
目の前でラップトップのキーボードで軽快な音を立てながら、暫く所在不明だった部下が声を上げた。
何の話だ。
咄嗟に判断がつかない。
顔を上げると、ドガはいつものように真っ直ぐな眼差しで俺を見つめていた。
単独行動を行い、イーサン・ハントと行動を共にしてきたドガの顔を直接見るのは、久々だった。
前に顔を合わせたのは、南アフリカのコンゴ・ヨアだ。
事がすべて終わると、イーサン・ハントのチームの一部はすでに雲隠れしていた。
現場に残り、心配をかけたと謝り続けるドガの頭を、拳で軽く殴った。
後で訴えられるかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。
安堵と怒りもあったが、そうでもしないとドガが一生謝り続けそうだと思ったからだ。
そのまま、慌ただしく南アフリカでメディカルチェックを受け、アメリカに戻った。その後、ドガは身柄を拘束された。いや、手続きの書面上は、保護だった気がするが、同じことだ。
さまざまな機関が入れ替わり立ち替わり、尋問にも似た聞き取り調査が行われた。マジックミラー越しに見るドガの姿は、思ったよりも落ち着いていた。受け答えも堂々としていて。
自らの信念に基づき、ハントのチームに入った行動が、そうさせたのだろう。
ドガが解放されたのは、それから1週間後だ。
結果、後回しになった、今日中に提出しなければならないCIAの始末書と報告書は、山のようにある。
ドガの単独行動は、減俸に懲戒免職は当然のこと、下手すれば逮捕され投獄の恐れもあった。
幸い、世界中が混乱していた最中のことだ。キトリッジ長官とも話を合わせ、俺の指示による潜入捜査という形で処理をした。
だというのに、ドガ自身は、正しいことをしたまでだと、平然としている。イーサン・ハントとその一味について行った自らの判断を、誇りに思っている様子すらある。
以前のドガであれば、ルールを逸脱した行動には眉をひそめていただろう。
全く。言うまでもなく、あいつの影響だ。
頭の中で、あの気障ったらしい顔がチラつく。
長年のわだかまりは消えたものの、やはりあの顔を思い出すと何処か腹立たしい。
「タキシード? なんの事だ」
ドガの書いた書類をプリントし、目を通しながら、眉を寄せた。
くそ。こんなに大量の書類をチェックしないといけない日に限って、老眼鏡を忘れた。
眉をひそめ、目を細めながら、目の前で紙の位置を近づけたり遠ざけたりして、位置を探る。
「ロンドンの大使館でのパーティーです。きちんとタイを付けていたじゃないですか」
一瞬、記憶を探る。
ドガがパリスと共に姿を消した後の話だ。
硬い床に意識を無くして倒れていた所、現地の警察に揺さぶられ起こされた時の事を思い出す。
てっきり、ドガはガブリエルの一味に、人質として連れ去られたのだと思った。
一気に血の気が引いた。殴られた傷の痛みも感じなかった。
「あの場にいたのか?」
先程、チェックした書類には書かれていなかったはずだ。
ドガが首を左右に振ってみせる。
「あの会場には、いません。周辺待機中に、姿を見かけました」
あの時、あの状況下で、要人が集う催し物は、あの大使館のパーティーくらいだった。
中止を何度も申し入れたが、受け入れられてもらえず、やむを得ず現地に向かった。
ガブリエルか、イーサン・ハントか、あるいはその両方かが、姿を見せる可能性が高い。
どちらにせよ、拐われたドガの手がかりが手に入るだろう。
胸ポケットに、資料から抜いたドガの写真を忍ばせたことは覚えているが、何を着ていたのかは覚えていない。大使館のパーティーに溶け込む格好をしろと言われ、準備されていた服を着たに過ぎない。
ヴェネチアで、ホワイト・ウィドウのパーティーに潜り込んだ時とは違う。
そんな事を考えている間にも、ドガは俺の顔を見つめたままだ。まだ何か言いたいことがあるのだろうか。
思わず眉をひそめる。
「それが、どうかしたのか」
「あのタキシード、似合っていましたよ。素敵でした」
すると、ドガは急に笑ってみせた。
白い歯を見せて、若者特有の無邪気さを浮かべながら。
「……は?」
ドガの言葉の意味が理解できない。
いや、意味は分かる。
だが、なぜ、そんな事を。
なぜ、このタイミングで。
言葉に詰まったままの俺を、ドガはただ笑顔を浮かべながら見つめてくる。
正直、今まで部下に慕われるようなことは、多くなかった。いや、正直に言うと、数回あったか程度だ。
パワハラだの、なんだのと言われ始めてからは、所謂オールドスタイルの俺の振る舞いは、眉を顰められる一方だ。
だが、ドガは違う。ただフラットに俺に歩み寄り、距離を縮めてくる。
全く、この若者の言動は、意味が分からない。一生分かりそうもない。
ふっと鼻で笑った。
するとドガは今度は鼻の上に皺を寄せる。
「笑わないでくださいよ。あ、そういえば、イーサン・ハントが自首した時、真っ先に俺の様子を気にかけてくれたって、本当ですか?」
「あ?」
無意識のうちに、低い声が出る。
ドガは少し困ったような表情で、首を傾げる。
「違い、ましたか?」
確かに確認した。事実だ。今度は確かに記憶にある。
だが、違う。そう否定したい衝動に駆られた。
しかし、無駄にキラキラと光るドガの瞳に見つめられると、それはできなかった。
喉にまで上がってきていた否定の言葉を飲み込むと、ゆっくりと首を縦に振った。
ぱっとドガの表情が、まるで光を放ったかのように輝いた。眩しい。
「エージェント・ハントが、俺の写真を見せてきて、生きているのか心配していたと聞きました。それを聞いて、とても嬉しかったです。あなたもチームを大事にするタイプだって、とても共感していたようでした。もちろん、あなたはそっけない態度を取るけれど、仲間意識が強いことは感じていました。列車のバーで話をしたのを覚えていますか? あの時も俺に……」
「待て! ドガ!」
聞いていられずに、大きな声をあげると、ようやくドガが喋るのを止めた。
不思議そうな表情を浮かべて、俺を見つめてくる。
「ブリッグス?」
名前を呼ばれて、どうするべきなのか考える。
この前途ある若者と、どう関わっていくのかと。
列車での会話のことは、よく覚えている。
世界のすべてをコントロールできる力は要らないと、少しの迷いもなく言い切ったドガの表情も。
「……その、あれだ。話は長くなるのか?」
「報告書に書けない話が、山のようにあります。エージェント・ダンやパリスたちのチームの話、ローやタピーサの馴れ初めの話なんかもある。あと、俺がどうしてあなたを置いていったのか、とか」
ドガが、くいっと眉を上げる仕草を見て、俺は心を決めた。
この年になって、こんな若者に慕われるのも、何かのめぐり合わせだろう。
「ドガ、この書類を提出したら、飲みに行くか。だが、お前は飲めるのか?」
「一杯程度なら、なんとか」
遠くないうちに、ドガはCIAから去るだろう。
IMFに行くだろうか。
それとも、常に世界を救う側に立ち続けるために、どこにも所属しないつもりだろうか。それが、例え困難な道になったとしても。
どの道に進む事になってもいい。この真っ直ぐな瞳がとらえる道を選び、歩めばいい。
俺はこの若者の味方で居続けよう。
迷ったら背中を押し、傷ついたら少しの間だけ休ませて、窮地には駆けつける。
そんな味方に。
ふっと息を吐く。
「ドガ、無理に飲まなくて良い。お前のよく行く店でいい。一種類くらい酒はあるだろう」
「いいんですか? ありがたいです、本当は半分も飲めなくて…って、いま笑いました? 笑いましたよね? ブリッグス!」