君は特別、僕も特別『せっかく作ったから、もう一枚あげる』
いつもよりのんびりとした朝。ブラッドリーはフライ返しにのせたパンケーキを、もう十分に焼き立てが積み重なった僕の皿に追加した。柔らかいパンケーキに背徳感ある黄金色のシロップが流れ、真っ白な湯気は向こう側のマグカップの縁を曇らせた。
『マーヴには特別ね』
そう言って笑う彼は、パンケーキの甘い香りがした。
『マーヴ、次何飲む?』
任務後の久々の集まりでも、 ブラッドリーは僕の隣を陣取り、僕の肩に腕を回す。騒がしいバーの中でも一際賑やかなテーブルで、彼は静かに囁く。目の前のボトルのラベルを読み顔を上げると、彼は小さく頷きカウンターへと消えた。
2本のボトルを手に戻ったブラッドリーに、優秀で調子の良い若者たちが声をあげ始める。俺も私もと、一斉に彼に注文を始める光景の賑やかさが喜ばしい。
『あーあーうるさい、お前らは自分で取りに行け、マーヴは特別なんだよ』
ケチだとか人でなしだとか、ブラッドリーは好き放題言われていたが、彼は勝手に言ってろと笑い、僕にキスをした。それは意外にも優しく紳士的なものだったが、お互いのアルコール臭さと見知った若者たちのひやかしの声に囲まれて、意識が溶けるような心地がした。
『マーヴお疲れ様』
珍しくブラッドリーより遅く帰宅した日は、彼は玄関先で僕を待っていた。制服姿のまま、バイクのエンジン音に耳を澄ませて。
『僕を待ってたの?』
『もちろん』
『デリバリーじゃなくて?』
『今日は注文してないよ』
仕事を終えた解放感で、ブラッドリーはけらけらと笑った。
『俺にはマーヴ以外に待つ人はいないよ、だってマーヴは特別だから』
風が2人の頬を撫でた。外でただいまのキスをすると、終わりに近づく一日の匂いが鼻腔をくすぐった。
『うん、君はすぐシャワーを浴びた方がいいね』
言いながらブラッドリーの頬に手を添えると、彼はわかりやすく口角を下げた。彼の目は、僕の手を握ってシャワールームへと向かう算段を立てていた。
「マーヴ、マーヴ」
「ん?」
「ボーッとしてどうしたの」
「ああ」
ブラッドリーはその大きな身体を丸ごとソファに預け、傍らで僕を見上げている。
「何かあったの」
「いや、何もないよ」
彼は険しく目を細め、鼻から深く息を吐いた。
「言ってよ、気になるじゃん」
「はは、本当に何もないよ」
そう、本当に、なんでもない。
僕はもう恋人に甘やかされていいような歳でもなければ、それに値する人間でもない。だけどね、そうやってあどけない目を瞬かせ、まるで世界で僕のことしか知らないないような声で"マーヴ"と呼ぶ君を見てると、君に特別扱いされない人生には戻れないと実感する。そんなことを考えていただけなんだ。"マーヴは特別だからね"と笑う君は、それなしでいられないほど強く輝いている。
しかしこんな年甲斐もないことを、どうやって君に伝えればいい?
「…ブラッドリー」
「なに?」
「君も、僕の特別だからね」
「…唐突でよくわかんないけど、俺がマーヴの特別じゃない日なんてあった?」
この子はいつも、良い所を突いてくる。
「ふふ、ないよ。僕が君の特別になる前から、君は僕の特別だった」
「ややこしい言い方するね」
ブラッドリーはそう言って目を伏せ、ふと呟いた。
「マーヴが俺を呼ぶ時って、世界で俺のことしか知らないみたいな声だよね」
「…君に言われたくないな」
彼はええ?と首を捻って身体をずらし、僕の太ももに頭をのせると小さな音を立てて深呼吸した。頬に落ちるまつ毛、すぅと音を立てながら微かに動く小鼻、太ももの痺れなど気にしない穏やかな話し声。
ブラッドリー・ブラッドショー、君は特別だ。世界にとっても、僕にとっても。あと何度、君の"マーヴは特別"が聞けるだろう。あと何度、"君は特別だから"と言えるだろう。僕にもわからないし、君にもわからないだろうね。だけど、それでいい。こういうことはわからないまま置いておく方がいいんだ。
「僕がブラッドリーにとって特別な人間であるという事実が、この先も変わらないことを願ってるよ」
「…キスしてくれたら変わらないことをこの場で約束してあげる」
「もう…仕方ない、ブラッドリーは特別だからね」