綿毛の君と傘帽子の君⑥第6章
金切り声をあげた後、糸が切れた人形の様にその場に倒れ込みそうになる愛し子の肩を抱きとめた。
年の割に少な過ぎる体重に、いささか不安を感じ、これからは美味しいものを沢山食べさせてあげますねと声をかける。
僕の思惑は、完璧とは言えないが、着実に進んでいた。
この家に火をつけたのは、僕だ。
我ながら名演技だったと、自画自賛してみる。
母親に依存的なこの子を、家に帰らせないためには、こうする必要があった。
ただし、僕は、この子の帰る場所を燃やしてはいない。
僕が燃やしたのは、コチラの世界に創造されたアチラの世界の模倣品であって、アチラの世界のものは干渉していないのだ。
この子に、帰る場所が無くなったことを知らせることが目的だったので、それで十分だった。
僕の計画では、家事現場を見て項垂れる彼に「帰る家がなくなってしまいましたね…では、僕たちの家に来るのはどうでしょう?」と声をかけ、誘導するつもりだったが、どうやら効きすぎてしまったようだ。
彼を大きく悲しませるのは、僕の、僕たちの本意ではない。
『…次は、あの人の所に行こうか、ウィック』
相棒は機嫌よく返事をした。
**
『こんばんは、バルサーさん』
バルサーさんは僕の古くからの友人だ。
それそこ、僕が人間の念によって、土地神として創造されたばかりの頃からの付き合いがある。
けれど、僕は彼については多くを知らない。
そして、彼も僕については多くを知らないだろう。
僕も、彼も、自分のことを語りだがらない質なのが要因だ。
改まって、自分はこういう経緯で生まれ、こういう役割を与えられ、最近はこういう生活を送っている、なんて話す気は、僕には無い。
そんなものを知らなくても、相互にある程度の不自由のない関係を作ることはできるのだから、必要ない。
僕が彼について知っているのは せいぜい、彼は好奇心旺盛な人物で、日夜 摩訶不可思議な研究を行っていることぐらいだろうか。
今回は、その研究成果が目当てで、彼の元を訪れていた。
『やぁ グランツ君、ウィック君もこんばんは。
今夜はいい夜だね。』
にかっと笑う彼の唇の隙間で、尖った八重歯が光った。
バルサーさんは僕の友人のウィックにも、対等に接してくれるから、友人として好ましい人物だ。
『ええ、とても…とても素敵な夜ですね』
腕に感じる、この重さ、温かさが愛おしくて たまらない。
『その子は…。
いや、聞くのは止めておこう。
ところで、今日はどんな用があって、私を訪ねてきたんだい?
もしかしなくとも、その子絡みかな』
『そうなんです。
少々、お願いごとがありまして』
僕が恭しく頭をさげると、
『珍しい君からのお願いだ、協力するよ。
中で要件を聞こう』
と、僕たちを彼の家へと招き入れた。
『さて、君は僕に何を求めているのかな』
『その前に、この子を横にならせても?』
『ああ! 気が利かなくて悪かったね。
今、寝床の用意をするよ。
着いてきてくれ』
『ありがとうございます 』
短くお礼を伝え、彼の後ろをついて行くと、六畳程の和室に通された。
畳の敷き詰められた床の四隅に、大樹をそのまま利用した、躍動感溢れる柱が立っているのが、印象的な部屋だった。
その部屋の上座には、上品に飾られた花瓶と、それと引き立てる様な、素朴な掛け軸が飾られていた。
『さぁ、ここに』
ルカさんが用意してくれた布団に、アンドルーさんを寝かせてやる。
それから、部屋を出ると、僕は早速要件を切り出した。
『僕たちは、あの子どもを引き取りたいのですが、彼と穏やかな生活を送るためには不都合な記憶が存在するんです。
僕たちは、それを取り除いてあげたい』
『成程、君の要望はよく分かった。
だが。私の研究分野とは大きく外れるな』
ルカさんは、顎に手を当て考え込むようにしてから 答えた。
『…そうですか』
『いや、待ってくれ!
たしか、知人から似たような効用の香を貰ったことがある。
それなら記憶の消却ができないかもしれない。
だか、僕も専門家ではないんでね、失敗する可能性が無いとは言えない。
例えば、君が消したいと思っている以外の記憶まで消してしまうかもしれない…』
『僕はそれでも構いません。
この子から、母親と火事の記憶さえ消すことができれば問題ありません。
もしも、今回僕が消したい記憶を消せなったとしても、成功するまで繰り返すだけです』
向かいに座っていたバルサーさんの表情が引き攣っていた。
『それはそれは。
随分、あの子供に執着しているんだね。
ヒヒヒッ、分かったよ!
君がそこまで言うなら、私も力を貸そうじゃないか!』
その後、ルカさんは準備があるからと、奥の部屋へと消えて行った。
半刻後に戻ってきた彼の両手には、香炉が抱かれていた。
『待たせたね。
しまった場所をうっかり忘れてしまってね、最近はこういうことが多いんだ。
まったく、困ってしまうよ。
…さぁ、あの子が起きてしまう前に終わらせてしまおうか』
部屋へ戻る彼の足跡からは、桃のような、甘ったるい香りが香った。
部屋に着くと、1番にアンドルーさんの表情を確認する。
彼の顔からは、悲しみや困惑、驚愕等の感情は抜けきって、紙のようにまっさらだ?
早く目を覚まして。
また、色とりどりの感情に染まった顔を見せて。
僕は、彼の底に引っ込んでしまった感情を掘り出すように、彼の頬を撫でた。