綿毛の君と傘帽子の君⑨第9章
高く連なり頂点の分からない石階段を、アンドルーさんの歩幅に合わせて歩く。
彼は、 田んぼから飛び出したカエルのように ぴょんぴょんと跳ねて登っていく。
ウィックは いつも、慣れたように、ひょいひょいと登っていくものだから 忘れていたが、普通は この石階段を短い足で登るのは厳しいのだ。
抱き上げて運んでやりたいが、アンドルーさんの瞳は 常に上を向き続け、疲労や億劫さを感じさせなかったため、彼の意志を尊重すべく 手を引いた。
半ば辺りまで登っただろうという時、彼から質問を受ける。
「ねぇビクター、なんで片方だけ掃除してもらえていないんだ?」
子供らしい 純粋な疑問だろう。
何も知らない者が見れば、必ず違和感を抱く光景だ。
だが、なんと答えていいか 僕は逡巡した。
僕は、かつて この神社で祀られていた土地神である。
そして、ウィック"たち"は神使であった。
時代の流れか、天候が安定したせいか、人間たちは 神に祈ることを止めて行ってしまった。
僕たちの存在は 人々の中であやふやになり、液状化し、再び姿を得た時には、僕の頭には角が生え、ウィックたち神使の面は純白から漆黒へと変わっていた。
それに耐えかねた彼は、僕の元から去ってしまったのだ。
その時の僕には、彼を止める術が無かった。
それ以来、彼の宿っていた狛犬の彫刻だけが、朽ちていったのだ。
『もう、そこには誰も居ないので』
僕の答えは、この一文だけとなった。
アンドルーさんを、本殿の中へと誘導し、奥の間を目指し歩く。
後ろからは、肉感を感じさせる足音が ぺたぺたと 着いてくる。
突き当たりの部屋の襖を 両手で開く。
中には 1組の布団が引いてあった。
ウィックが 風のような速さで 布団に飛び込こんでいく。
続いて 僕も、布団の中へ入った。
アンドルーさんは 戸惑った表情をして 、部屋の入口で固まっていた。
誰かと一緒に寝るという経験をあまりしてこなかったのだろうか。
僕は 布団を開き、おいでおいで をしてやる。
すると、彼は おずおずと布団へ入ってきた。
僕と アンドルーさん とウィックで、1つの玉になるように 寝転がる。
数分もすると、2人分の寝息が聞こえてきた。
眠ってしまったアンドルーさんの、純白の睫毛に縁取られた瞼へ 軽いキスを降らす。
擽っそうに瞼を震わせる、ただそれの動作ですらも愛らしい。
自然と 唇が 弓なりを描くのが分かった。
隣で眠る2人を起こしてしまわないよう、細心の注意を払いつつ、布団から起き上がると、アンドルーさんの枕元に座り直す。
そして、彼の頬から首筋へそっと手を這わせた。
『アンドルー、アンディ、ドリュー。
愛しい子…愛しい人』
1母音、1子音すらも を噛み締めるように、彼の名前を呼びながら、指を滑らせる。
左胸に位置を定め、僕からも"お守り"を贈ろうとした刹那、月明かりのような青白い光の膜が僕の邪魔をした。
『ーっ』
弾かれた指先が ヒリヒリと痛む。
何事かと、原因になり得そうなものを探ると、アンドルーさんの胸元から、綺麗に真っ二つに割れた木の板が カラコロと布団の上へ零れ落ちるのを見た。
その板の裏に書かれた文字の筆跡と あの青白い光には 見覚えがあったため、現象の原因を作っただろう人物を 特定するのは容易であった。
『あの人、やっぱり何か仕込んでいたんですね』
思わぬ妨害が入ったことで興を削がれてしまった。
大人しく布団へ戻ると、布団の中は 二人の体温によって、べったりと纒わり付くような熱気で溢れていた。
だが、その温度を不快に思うことはなく、寧ろ何物にも代えがたい、幸福を感じた。
太陽が完全に登りきった頃、僕は アンドルーさんの悲鳴で飛び起きた。
ウィックも同じ状況だったようで、目を白黒させていた。
「ルカから貰ったお守りが!」
どうやら、目が覚めると、昨日バルサーさんから貰ったお守りが壊れてしまっていたようだ。
アンドルーさんは、半ば泣きそうになりながら、状況の説明をしてくれた。
頬の肉が焼き餅のように膨らみ、瞳は瑞々しく潤っていて、可愛らしい。
けれど、このままでは 彼の瞳が溶け落ちてしまいそうだった。
後日 もう一度貰いに行こうと アンドルーさんを説得し、泣き止んでもらう。
その間、僕の視線は ゆらゆらと定まることを知らず、いやな汗をかいた。