それは駅から自宅であるアパートまでの道のりを歩いている時のことだった。
久々に仕事を切り上げることができた大和はカツカツと杖を鳴らしながら、夕陽に照らされた道を進む。その足が、アパートを目前にふと止まった。
アパートの前に設置されたゴミ捨て場。そこで、四羽のカラスが何かを熱心に突いていたのだ。
生ゴミの回収は今朝のはず。大方、誰かが遅れて出して、回収し損なわれたのだろう。
そう思った大和は、これ以上ゴミが散乱することを防ぐため、その群れへと一歩、足を踏み出した。
その瞬間、カラス達が一目散に飛び立っていく。近付く人の気配を敏感にも察知したのだろう。
しかし、大和は早々に逃げていったその姿を意外に感じていた。
ゴミを食い漁っているカラスは執念深く、下手に近付けば、人間に攻撃してくることもある。
そこまでうまいもんじゃなかったのだろうか、と興味を惹かれた大和はカラス達がいた場所を覗き込んでみた。
そこにあったのは、野菜の切れ端や食べ掛けの弁当などではなく、手のひらサイズの小さな人形であった。
全体的に薄汚れたそれは、カラスに突かれたせいか、所々から綿が飛び出している。なんとなしに拾い上げれば、吊り上がった眉に、猫のような瞳、口のような線の上には髭のようなものが描かれていた。
その姿は大和に一人の男を彷彿させた。
同僚であり、幼馴染でもある諸伏高明だ。
よく見れば、スーツのようなものまで身に纏っているようで、ますます諸伏に似て見える。
それをそっと握りしめた大和はアパートの二階にある自宅へと向かった。
本来、捨てられたものであろうと無断で持ち帰ることは、褒められた行為ではない。けれど大和にはそれを再びゴミ捨て場に戻すことはできそうになかったのだ。
服を脱ぎ捨てた大和は、自分の身体を洗うついでにと人形を手にシャワールームの扉を開いた。
洗面器に張った水の中に人形を沈め、洗濯洗剤を注ぐ。普段人形に関心を持つことのない大和には、適切な洗い方などわかりもしないが、所詮は布と糸。まぁ、問題ないだろうと泡立つ水の中で、それを揉み込んだ。
何度か水を変えて、汚れのひどいところをゴシゴシと擦ってやれば、人形はようやく元の色を取り戻したようだ。
それに満足して、大和は頭から水を被る。
今度、裁縫道具でも買ってこようかと、そう思いながら。
*
糸と綿を手にした大和は思い悩んでいた。目の前の机。その上に寝そべるのは、すっかり乾いたあの人形だ。
強く絞られ、脱水機にかけられたそれはすっかり萎びてしまっている。
何も生地が縮んだわけではない。だから多分、綿さえ入れれば、元に戻るはずなのだ。けれど、大和には裁縫の経験なんてほとんどなかった。最後に触ったのはきっと中学校の家庭科の授業だろう。
恐る恐ると摘んだ綿を穴の上に被せ、綿棒で奥へと入れていく。とりあえず、ふっくらとすればいいのだろうと無心で続けた結果、少しふくよかになり過ぎてしまったが、大和はまずまずの成果にほっと息をついた。
あとは穴を糸で閉じるだけ。
頭、肩、手に足と四箇所も空いてしまったそこを極力近しい色味の糸で縫い合わせていく。
出来上がったそれを掲げた大和は苦く笑った。綿のバランスは悪いし、糸の縫い目はガタガタだ。正直言って、全く褒められた出来栄えではない。けれど、まぁ、かわいそうなことにと言うべきか、この人形を目にするのは、恐らく大和だけなのだ。だから、いくら不格好であろうとも、誰に責められるわけでもないだろう。
そっと机の上に人形を横たえた大和は裁縫道具を片付け始めた。
慣れない作業に疲れてしまって、欠伸を一つ零す。
もう寝てしまおうと寝室へと向かった大和は知らない。その背を見送るモノがいたことを。