吸血鬼悠×社会人七「君、本当に吸血鬼なんですか?」
どこにでもあるチェーン店の珈琲屋。
日中のまだ日が高い空の下で、私の目の前に座っている彼は季節限定の新メニューを美味しそうに味わっている。
「…まだそれ言う?」
コテンと首を傾げる人物はどうみても高校生。よくて大学生ほどにしか見えないのに、歳を聞けば「多分200歳ぐらい…?途中からわかんなくなっちゃった」と言っていた。
「それは、まぁ…。理解はしているつもりですが未だ信じられませんので」
非日常な会話は、どこかの誰かが聞いていたら頭は大丈夫かと病院にでも連れていかれそうだ。
「ふーん。まだ信じられないんだ」
純粋無垢な少年のような顔から、大人の顔に変わるのは一瞬で、細められた目元と、三日月を描くように上がる口元に体が強ばる。
それがわかったのか、テーブルに置いていた手を握る仕草は優しく、まるで壊れ物でも扱うかのような触り方は対照的で、今度は羞恥心が込み上げてきた。
「離、して下さい…」
小さく呟くよう言えば、上がった口元はそのまま、更にと手の甲にキスを落としながら視線だけをこちらに向けてくる。
「このまま少し吸ってもいい?」
親指と人差し指を軽く開き、噛みつく仕草をする彼のそれが冗談だとわかるのに。
口元からチラリとのぞく八重歯が見えれば、ゾクリと今まで知りもしなかった、身を焦がすような甘い熱を思い出し、一気に体が熱くなる。
「ーーーっ!こ、ここではやめて下さい」
慌てて手を引いたが、すでにもう手遅れで、一度持ってしまった熱は全身へと広がり体が熱い。
(最悪だ…)
どうにか熱を逃がさなくてはと、深く息を吐き出したところで、あまり効果は得られない。
「あー、うん。ごめん。俺が悪かったけど……」
歯切れの悪い言葉が途中で途切れたのを、不思議に思い彼を見れば、私と同じように赤くなった顔を誤魔化すよう、頬を指先で掻いている。
「あのさ、あんまいい匂い濃くされると、我慢出来ないんだけど…」
「それは…」
「君のせいではないか」と言いたいがそれはそれで色々と問題がある気がして、眉間に皺を寄せて押し黙る。
テーブルに視線を落とせば、飲みかけのコーヒーが目にとまり、誤魔化すよう口に含めば、冷たくなった液体は今の体に丁度良かった。
空っぽになったカップの底を見つめ、皿に戻せば、それと同時に彼が立ち上がった音がして顔を上げる。
「行こう」
こういう時の彼は苦手だ。
絶対的な、有無を言わせないといわんばかりの顔つきは、確かに高校生では出来はしないだろう。
「拒否権は?」
「うーん、この場でお姫様抱っこされてもいいなら」
ないのだろうな。とわかっていたが、最後の抵抗とばかりに聞いた言葉に、満面の笑みで帰ってきた答えに深いため息をつく。
「はぁ…。わかりました」
こんなところでお姫様抱っこなど、大の大人が、更に男となれば、暫く外に出れないほどに心のダメージを負いそうだ。
想像しただけで頭が痛くなってきたので、早々に席を立って大人しく彼の後に続く。
店を後にすれば、人気のない路地裏に連れ込まれ、先程彼が言っていた抱き方で抱えられたかと思えば、一瞬で住んでるマンションの路地裏へと移動した。
「毎回思いますが便利ですね」
「もう慣れた?」
首に回した手を離し地面に降りる。
最初は目が回ったようにクラクラして気持ち悪かったが、こう何度も移動していれば流石に体が慣れたのか気づけば平気になっていた。
「ええ、多少は。それにしても羨ましい限りの能力です」
「ナナミン、ほんとさぁ、そういうとこだよ??」
「……?なにがです?」
言われてる意味がわからず、首を傾げる。
困ったような寂しそうな顔の彼に無意識に手を伸ばせば、急に体に飛び込まれ、ぎゅうっと音がしそうなほど抱きつかれてしまった。
突然のことに固まっていれば、首筋に顔を埋める彼が口を開く。
「怖くないの?」
「は?」
彼は何を言っているのだろうか。
今更も今更すぎるだろうに。
「君、私と会ってからどれぐらい経つと思ってるんですか?」
「えっ…とー、半年ぐらい?」
「正解です。君が思ってるよりも人間は順応が早いんです」
困った顔のままの彼に答えるが、こういう時は、時間の感覚の差が露になるのだと、少しだけ胸が痛む。
彼からしたら数日のような出来事かもしれないが、こちらからしたら十分に長い時間を過ごしたというのに。
「まだ、俺のこと信じられないのに?」
今度は不思議そうな瞳でこちらを見上げて、甘えるように胸板に頬を擦り付けてくる姿は、やはりどう見たって年下の子供にしか見えない。
「それは君というより、生物の話しです」
事実は小説より奇なりとはよく言ったものだと、ここ半年で嫌というほどその言葉が身にしみた。
吸血鬼だと理解しているつもりでも、普段があまりにも人間と変わらないから、時々彼が本来の吸血鬼なのかとわからなくなるのだ。
「うーん?よくわかんないけど、俺のことは好きってこと?」
「……えぇ、まぁ説明も面倒なのでそういうことにしておきましょう。それよりそろそろ離して下さい」
彼にこの複雑な感情をわかれと言ったところできっと無理なことだろう。
それは私も同様に同じなのだから。
それよりも、と彼の体を押しのける。
人がほとんど来ないとはいえ、隣人がいつ通るかもわからない場所でこんな場面を見られたら誤解されるに違いない。
人間社会は面倒なのだと、散々と言って聞かせたかいあってか、不満そうにしながらも、渋々体を離してくれた。
「ちぇー、そのまま好きになってくれてもいいのに」
「はぁ…。それより、お昼はいいんですか?」
唇を尖らせて拗ねる彼の話題を逸らすのに、本来連れて来られた目的を口にしたが、このまま忘れてくれた方が良かったのでは?と後悔したのは口にした後だった。
「いえ、必要ないのなら…「ナナミン」」
慌てて弁解しようとした言葉を遮るように名前を呼ばれ、あぁ、今日はもう一歩も外に出れないだろう。と覚悟したのに、その後に続いた意外な言葉に面食らう。
「牛丼食べ行こう!」
言ってる意味の真意を確かめるべく、彼の顔をまじまじと見ればニカッと爽やかな笑顔が返されるだけだ。
「今から…ですか?」
「そ、今から。ナナミンまだなんも食べてないじゃん」
「そうですが、君は大丈夫なんですか?」
我慢できないから、影を移動してまで帰ってきたのだろうに。それに、能力を使ったのだから、きっとさっきよりも空腹なはずだ。
「うーん、まぁ、少しぐらいなら。だから出来るだけ近いとこだと助かるんだけど…」
「…なるほど。それで牛丼ですか」
マンションが立ち並ぶ一角で営業している牛丼屋は確かに近く、歩いても5分とかからない距離にある。
「うん。それで大丈夫ならだけど…」
申し訳なさそうに眉をハの字にしている彼をみていると、どうしたって伝承に残るあの吸血鬼だとは思えない。
私のことなど気にせずに、自分の欲だけ満たすような、もっと身勝手な人物だったら、こんなにも絆されることはなかっただろうに。
(…こいうところが憎めないのだ)
「それでは、お言葉に甘えて食べに行きましょう」
どうせ彼に血を吸われてしまえば、暫くの間まともに動けなくなるのだから。と、素直に提案を受け入れて、目的の場所へ歩き出す。
そういえば確か、彼に初めて会ったその日も、こんな風に2人して牛丼屋に向かった。
「あっ、そういえばさ、最初もこんなだったよね」
まるでこちらの心を覗いたかのようなタイミングで、私が思っていた事を口にする彼に口元が緩む。
「ええ、そうですね。確か君は極限まで空腹で…」
「あー、まって!思い出さなくていいから…!むしろ忘れて欲しいんだけど…」
当時を思い出し、喉の奥で笑えば慌てた声が横から上がる。
「忘れたくても忘れられませんよ」
人生が180度ひっくり返ったあの日を忘れることなど出来るはずがない。
無理矢理覚えられさせた熱も同様に、忘れたくても忘れられなく困っているというのに。
「ナナミン…?」
ごくりと喉を鳴らす音を隠す気もなく、こちらを見つめてくる彼もまた自分と同じであればいいと。そんな下らないことを思ってしまう。
彼に会ったのは、そう。
今とは真逆の、日も落ちた深夜のことだった。