恋の終わり、情の始まり「誕生日おめでとう、アキラくん」
千石さんのアパートで俺は21歳を迎えた。酒が飲めるようになって一年、もう年齢確認をされるワクワクもなく、今日も先週や先々週と同じように近所のスーパーで買い込んだ酒を二人で開けていたところで、日が変わった。
「乾杯しようよ」
千石さんが掲げるのは特別な日に持つようなワイングラスではなく、100円の缶チューハイだ。
「飲み始めたときも乾杯したじゃないすか」
「君の誕生日になったんだからそう言わずに」
俺が持っている缶に掲げた缶をぐいぐい押し付け、千石さんは「乾杯」と言った。
「君の誕生日に一緒にいてくれない跡部くんなんて捨てちゃいなよ」
千石さんは酔っ払うとそればっかりになる。跡部なんて捨てちゃえ。もう何回言われただろう。週に最低一回のペースで互いの家で飲んでるから、50回は言われたと思う。十代の頃からなんだかんだで繋がりはあったけど、こんなに頻繁に会うようになったのも、千石さんが酔って悪魔みたいに囁くのも、俺が酒を飲めるようになって、跡部の許婚の話をしてからだ。
「しょうがないだろ、イイナズケの誕生日なんだから」
「何ハタチそこそこで理解のある愛人ヅラしてるのさ」
「ハタチそこそこで愛人人生決定してるからだよ」
許婚がいるけれど俺を手放したくないって言った跡部が言わんとしていることを完全に理解した上で、俺も離れてやんねーよって言った。できた人間らしく振る舞って説教垂れてる跡部だが、裏ではちゃっかり愛人契約をしてる。下手な漫画よりも面白い。
跡部のために言い訳をしてやれば、跡部が完全に悪いわけじゃない。跡部が許婚の存在を知ったのは、跡部が十八歳になったときだった。その頃にはもう俺たちは自分たちの意志で付き合って、自分たちの意志でセックスもしていた。
つまり、恋人がいるところにいきなりほら許婚だよって出されたわけだ。はいそうですかと納得できるもんじゃないだろうし、俺だって跡部に許婚がいたから今日で終わりにしましょうなんて言われたらブチ切れる。
だから俺たちは周りの大人たちには内緒で、関係を続けている。皮肉なことに、男同士っていうのは古い人間には思いつけないようで、一度も関係を疑われたことはなかった。そうこうしているうちに、最初は許婚に他の好きな人ができて破談になれば良いなと思っていたのに、今では俺が愛人の座に収まっていることを当然のように受け入れている。
「だからさあ、捨てれば良いじゃん」
「捨てられないから困ってんの!」
「アキラくんさあ、恋人はいないの? 跡部以外の。セックスするような。でもまあこうやって俺んちにしょっちゅう来てたらいないか。俺にはヤらせてくれないけどさ」
「力ずくで抱いてみれば」
「跡部に一途な君に手を出せる気がしないもの」
千石さんは缶をあおって、ひと口で飲み切るには多い残りを無理やり飲み干し、すぐに新しい缶の栓を開けた。みかんの匂いがふわっと広がる。
「縁切り神社にでも行こうか」
「なんで」
「悪縁が切れるのを願って、跡部くんと別れることになったら跡部くんが悪縁。逆に俺との縁が切れたら、俺が悪縁ってこと」
「そんなこと言い出すってことは自信があるんだろ」
「俺はラッキー千石だからね」
千石さんは女の子に向けてするみたいにウインクをした。
「それに許婚がいるのに君を囲い込んでる跡部くんが良縁なわけないでしょ」
正論だ、ど正論。そんなの分かっているけれど見ないようにしているんだから、余計なお世話だ。悲しくなってくる。だから言い返してやる。
「男がいる俺に言い寄る千石さんも良縁じゃないだろ」
「たしかに」
自嘲気味にはっと笑って、千石さんはイカゲソと格闘を始めた。なかなか固くて噛みきれないみたいで、歯軋りをしたりイカを引っ張ったりしている。
間抜けだなと思っていると、俺のスマホが鳴った。画面には跡部の名前。千石さんは空いている手でさりげなく俺からスマホを遠ざける。俺はめいっぱい手を伸ばした。
「出ないでよ」
「うるさいなあ」
俺は腕を引っ張る千石さんを振り払ってスマホを掴んだ。千石さんはつまらなさそうに缶の縁を噛んでいる。ああ、やっと噛み切れたんだ。
「もしもし」
『やっと出たな』
「ユカリさんは?」
『明日レストランに連れて行く』
「フレンチ?」
念のために言っておくと、別に跡部に怒っているわけじゃない。わざわざ誕生日を迎えてすぐに電話をかけてくる健気な跡部に嫌味を言っているわけでもない。これが俺たちの会話なんだ。俺が跡部に許婚の話を振って、跡部が簡潔に答える。いつもそうだ。
『イタリアン。つーかそれはいいだろ……ついさっき大学の集まりが終わったんだ。お前今家か?』
跡部のことだから、駆けつけようとしてくれているのかもしれない。今すぐここを出て、家まで走ればきっと間に合う。
でも。
「今は……千石さんち」
千石さんがばっと顔を上げる。電話の向こうでは跡部が舌打ちをした。千石さんは何回も口パクで「マジで?」って言ってる。あんまりしつこいから俺は千石さんの口を手で塞いだ。跡部は今すぐ行くから帰るなって言ってる。決意してすぐにスマホをスピーカーにしたから、千石さんにも聞こえたはずだ。
俺は「待ってる」と言って電話を切った。待ち構えていた千石さんは俺の肩を掴んでガックガック揺すった。急に激しく頭を動かすとアルコールが一気に回る。頭がグルグル回ってヤバいと思って、千石さんを止めた。
「え、アキラくん、マジ?」
千石さんは珍しく動揺している。俺が動揺させてるんだと思うと面白くて、俺は笑った。
「笑ってないで!」
「マジ」
千石さんがあんまり焦るものだから本当におかしくておかしくて、笑いすぎて涙が出てきた。俺は必死で頷いた。
「どうするつもりなの? ……まあ俺は……引くつもりないけど……」
じゃあ良いじゃん。今夜全部決めちまおう。
俺はひとしきり笑ったあと、ふうと息をついた。
「そろそろ悪縁は切らないとな」
神頼みじゃなくて、自分たちで選んで。