現パロジャンハン②「点検する。早く出てくれ」
リヴァイが感情の読めない顔で言った。
「あの、リヴァイ、これは」
ハンジが顔の唾液を拭いながら、おそるおそるリヴァイに話しかけた。なんて間抜けな姿だろうと思う。でも何か言い訳せずにいられない。
それを見たジャンがハンジの手をぐいと引いた。
「ハンジさん、行きましょう」
「二人とももうここには戻らない?」
ミカサがエレベーターから出たジャンとハンジに確認する。
「ああ。社内に忘れ物があるかもしれねぇ。けど、それはまた取りに来ると思う」
「了解」ミカサが答えた。
駅に向かうまでの遊歩道は北風が吹いている。何かの拍子で雪でも降りそうな寒さだ。
ハンジはジャンに借りたままの大きすぎるコートを着たまま言った。
「ちょっと、私全部荷物置いてきちゃったよね……。仕事はまた休日返上でやれば間に合う案件でよかったけどさ……」
「仕方ないです」
「ハハ……」
ハンジは力なく笑った。さっきの状況を思い出す。力なんか入る訳がない。
リヴァイはどう思っただろう。ジャンと付き合っている? そう思うのが妥当だろう。エレベーター、一応職場という公的な場所でベロチューをかます女を一体どう思ったんだろう、あー死にたい。いや死にたくはないけど、いや死にたい。ハンジの脳内を答えのない問答がぐるぐる回っている。その姿を見てジャンが言った。
「ハンジさん、俺んちに来て」
「え?」
俺んち? 俺んちとはそれすなわちジャンの家? と当たり前のことをハンジは声に出さず反芻した。
「なんで」
「なんでって、何もかもロッカーに置いてきたんでしょ。家の鍵も」
「あ」
「俺、謝らねーから」
拗ねたように言うジャンの口振りがやはり弟みたいでハンジはまた笑った。
「さみぃ…」と言ってジャンがハンジの手を取って握った。冷たくなった手。多分自分にコートを貸してくれているからだ。ハンジも握り返す。
お互い口には出さないが、エレベーターから出てきたこの二人は今すぐ何かに、誰かに寄りかかりたいほどには疲れていた。
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ジャンの家の最寄り駅で電車から降りる。最初に出会ったときに行った飲み屋はこの辺だと駅前を歩きながら思う。あのときは新規のプロジェクトを任されたばかりだったなぁ、あれから半年かぁなどと年末らしくハンジはしみじみ振り返った。それから私の恋は現在こんな有り様でと思って、死にたみが増した。
どこかぼーっとしているハンジにジャンは声をかけた。
「ハンジさん、コンビニ寄りましょう。俺んち、女物の化粧品とか全然ねーからテキトーに買って。あとメシも」
ジャンの家は駅から歩いて五分くらいだった。マンションのエレベーターは正常に動いたため、ハンジはほっとした。ずっとパニック状態だったので、ジャンの心理状態まで心を配ることができていなかったと思う。上司として、それから姉みたいな者を自称だが名乗っているにしては失格だ。ハンジはジャンに聞かなければと思う。
「どうぞ。ちょっと散らかってるかもだけど」
ジャンがドアを開けて言った。
「ねぇ、ジャン。死にたくならないかい」
「はあ?」
「すっ、好きな人に、ミカサにあんなとこを見られてさ、それで」
「ああ」
ジャンは玄関のドアをロックする。部屋に入ったハンジを確認して、しらっと返す。
「別に。見込みねーし、多分。あとハンジさんとしたかったし」
ジャンが不敵に笑った。
悪さを企むクソガキのような、でも何処か可愛さが滲む(ような気がする)顔を見てさすがのハンジもなんだこの年下男は……と思った。もしかして、この部屋に来たのはまずかったかもしれない、とも思った。
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「ハンジさん、ビールどうぞ」
ジャンが冷蔵庫からビールを二本取り出し、一本をハンジに手渡す。テーブルにはさっきコンビニで適当に買ってきた食料が並んでいる。
「ありがとう」
ジャンがビールのプルタブを開けて言った。
「好きぴの前で公開ベロチュー記念日に乾杯」
「うっ……やめて………」
「あんなヤツやめて俺にしたら?」
「あの……ジャン……、君は一体どうしたんだ……。エレベーターでその、べ、ベロチューをかますまではそんな素振りはまったくなかったじゃないか……」
ハンジはたまらずコンビニのパスタに差した使い捨てのフォークをぐるぐるぐるぐる余計に回した。ネクタイを取ってシャツの首もとを緩めたジャンは、ビールを機嫌よく飲みながら話す。
「俺、結構いいと思いますよ? 今日はコンビニ飯で済ませちゃって申し訳ないと思いますけど、料理もできるし、背も高いし、そうだな~、あと今何をすべきかとかもわかります」
「君の営業成績はなかなかいいのかもしれないね……」
パスタを口に運ぶのをやめ、ハンジはわりと絶望しながらビールを飲んだ。
「まぁ優良物件すね、正直」
謎のドヤ顔でジャンはビールの二本目を開けた。
酔ってはならないと思い、ハンジはかなりビールを控えた。二本だ。ジャンは多分六本開けた。まずい気がする。何かはわからないが。
「ハンジさん、シャワーどーすっか」
「ジャンが先に入って」
「なんで」
「なんでもだよ」
「あー、わかった。一緒に入ります? 風呂」
「入らない」
「そ~ですかあ~。わっかりましたよ~」
ジャンがのそのそとシャワーに向かった。
エレベーターでのキスやここまでの道で手を繋いだのは、ちょっと自分も気持ちが盛り上がってどうにかしてしまっただけだ、きっと。絶対に酔ってはならないと再びハンジは己に誓う。
「お先っす」
シャワーから出てきたジャンを見てハンジは一瞬固まった。パンツしか履いてない。安心してください履いてますよではない。これでは安心できない。
「……ちょっと、何で下着一枚で出てくるんだよ」
「なんでって、ここ自分んちだし」
「目っ、目のやり場に困るだろ! あと風邪も引くかもしれない!」
「前に見たことあるじゃないですか。それに風邪なんか引かないですよ。俺、若いし」
ラブホだ。いつかの朝チュンラブホのときのことをジャンは言っている。そして若さアピールは多分リヴァイを意識しての発言だ。
「そ、それはそうだけどさあ!?」
「ハンジさんも下着のまま出てきていいですよ。見たことあるし」
「そういうことを…ヌケヌケと君は……」
ジャンはまた冷蔵庫を開けてビールを出した。ハンジはハンジで、ジャンの無駄にいいカラダが目に入ってどうしようもない。なので目を逸らすために自分もシャワー室に向かった。
「お~、いっすねー、彼シャツならぬ彼ジャージ」
シャワーを浴びて出てきたハンジの姿を見てジャンが歓喜する。ハンジはピシャリと言った。
「あのさ、多分君はもうほろ酔い状態だから言っても無駄かもしれないけど一応言うね。彼のではない。ジャンだ。君の私物を私がお借りしてる」
「うん、俺の」
会話のキャッチボールが意味不明だが、もはや仕方ないとハンジは諦めた。
「ハンジさん、ドライヤーかけてあげます。ここ座ってください」
「……大変ありがたいけど、その前に何か着てくれないかな」
ジャンはしぶしぶTシャツを着て言った。
「はい、ここ座って」
ハンジがしぶしぶベッドに腰かけたジャンの前に座った。
ヤバい。昇天しそうだ。ドライヤーをかけてくれているジャンの手のひらがゴツくて大きいため、マッサージ効果が絶大すぎるとハンジは失神さながらの眠気に襲われながら思う。ジャンがハンジに話しかける。それすらも子守唄のような心地だ。
「これは今限定のお得話なんすけど、俺といたら毎晩ドライヤーかけてあげます」
ジャンの軽口に対して、ハンジの返事はない。
「ハンジさん?」
ハンジは完全に寝落ちしていた。
慣れない感触に包まれて、ハンジは目を覚ました。ぼんやりした視界の前の何かは小さく上下に動いて鼓動が聞こえてくる。まさかこれは。
急に意識がはっきりとしてハンジは起き上がった。目の前にあったのはジャンの胸板だった。どうやら抱えられて寝ていたみたいだ。かなり中毒性のある安心感だったため、ハンジは本気で参ってしまいそうになる。だがやってはいない。ここ、テストで出る重要ポイント。そして自分は寝る前に確か歯を磨いていないことに気付いた。ベッドをそっと抜け出して洗面台で静かに、コンビニで買った歯ブラシを開け、歯を磨いた。
歯を磨いてスッキリして、さて私はどこで寝るべきかとハンジは思う。ベッドの縁に腰かけて、さすがにとなりで寝るのはまずいと結論づける。だがこの部屋にはソファーはない。ならテーブルに突っ伏して寝てもいい。まだ午前2時半だ。
「わあっ!?」
ジャンの腕が伸びてきて、ベッドに座っているハンジを掴まえた。そのままベッドに押し倒して、ハンジをうしろから抱えてジャンが言った。「風邪引いちゃうでしょ」
「ちょ、起きてたのかい」
「起きたんです、ハンジさんがいないから」
「またそういうことを言う……」
ジャンがハンジの頭のてっぺんにキスをした。ような感触がした。
「ちょっと……」
異論を唱えるため、ハンジはベッドの上でジャンの方を向くため振り返る。ハンジがこちらを向いたことをいいことに、ジャンはハンジの首筋にすりすりと鼻を擦り付けた。ペットにすり寄られる的な甘やかさで、眩みそうになる。なにしろ彼女は寂しい女なのだ。ハンジの理性はかなり限界を迎えていた。そしてジャンの理性はすでにもう限界を超えていた。なにしろ彼は傷ついた男だから。