幼い頃から大切に育て上げられたその蛸は齢四つにして既にその才能、家庭教師さえも超えていた。
教えたこと以上の事を成すその姿に、彼が次期将軍であると唱える者に反対の声は無い。
齢七つにして既にもう自身が背負う物を理解していた彼は、時々であるがお偲びで外の街に繰り出す事が多くなった。
多くの場合は蛸の街なのだが、その日は偶々烏賊の街に繰り出した。
話には聞いていたものの烏賊を見るのは初めてで、同年代とは話すことが出来ない。
と言うのも、話し掛け此方を見た途端に、相手の烏賊は固まってしまうからだ。
更に彼は民の願いを聞くことが多いため専ら話すことは苦手の部類であった。
そして、彼は色恋沙汰には非常に鈍感である。
よもや話し掛けた烏賊が自身の余りの美に惚れてしまい固まっていることなど思いも寄らないのだ。
然し、そんな中にもなんとか仲良くなる事が出来る烏賊が居た。
その烏賊は彼を見、固まりはすれども一瞬の後再び話し始めた。
ヨっちゃんと名乗ったその烏賊を見、彼は思案した。
自分の名は烏賊には到底呼べないような難しき蛸の語であり、愛称はあるものの皆からは呼ばれないため慣れないだろう。はてさて如何したものか。
そんなこんな思案しても結論は出ず、結局その烏賊と握手を交わし共に遊戯をし、また会おうと言って帰った。
それから彼はヨっちゃんと共に遊ぶようになった。同年代の友と見る景色は新鮮で刺激的であり、夜もこっそり祭りを共に過ごしたり秘密基地を建てたりする等するようになった。
女中やら近衛の者等は心配したが、彼の方が口は上手い。見聞を広めるために外に出ていると話した。
そして自身の名を名乗らずに、過ごしては居たが、とうとうその事を不思議に思われたので、事情を話した。
すると呼べなくても良いから御前の名を教えてはくれないか。と言われ驚きながらも長らく口にしていなかった名を名乗った。
確かにこれは呼べないな、等と笑いヨっちゃんも本来の名を教えてくれた。
齢十二の頃である。
名を名乗り合ったその日から、彼の心に暖かな感情が宿った。
淡い恋心なのだが、繰り返す。
彼は色恋沙汰には非常に鈍感である。
抱いた感情こそ正に友情なのだなと考えたのである。
その頃の女中や近衛、果ては下々の者達が口々に言う。
将軍様が恋をなさった、と。
周りが見れば一目瞭然に恋をしていると判断するほどに分かり易いのだが、如何せん彼本人が自覚していない。
だが周りは騒ぎ立てる。
「お相手は誰であろうか」「同族か?烏賊か?はたまた海月か?」「何時出会ったのだろうか」「一目惚れか?それとも長く想いを寄せていらっしゃるのか?」
こんな具合である。
そしてこの密かな騒動は、当然他の種族にも知れ渡る。
然し噂は曲解されるもの。況してや恋の話題である。
烏賊達の耳に届く頃にはこんな具合になっていた。
「蛸族の若将軍が一目惚れをし、長き年月を得ている。お相手は蛸も烏賊も海月とも似つかぬらしい」
そう届いたものであるから、烏賊達は「蛸の将軍はジャッジくんに恋をしているのか??」と解釈した。
そしてこの噂。
当然ながらヨっちゃんこと、辺目義男にも届いてしまった。
齢十六の頃である。
齢十四の頃の話をしよう。
従軍する事となった辺目家嫡男は少年兵の期間から灰殻で訓練をし、此度一般の兵卒となった。
七つの頃に知り合った蛸の少年の名を十二の時に聞き、到底呼べないような名だったものの何だか聞き覚えがあるな。と思っていた。
そして気づいた。
あ、将軍じゃん。
然しそれを口に出すことはしなかった。
きっと彼は自分に将軍として接せられたく無いのだろうと思ったからである。
実はこの時既に恋心を自覚していた。
十四になり、ヒト型になれたし折角ならまた祭りに行こうと誘おうか迷っていた頃。
兵卒になった。
忙しすぎて全く会えない。
ヒト型に成った彼をまだ見ていないと思いながら、全然時間が取れない。
文を送る時間すら無いし、何なら書く時間も無い。
月日が経ち一ヶ月、半年、一年。
どうやら彼も忙しいらしく、全く文も来ない。
そうして十六の時。
噂が耳に入った。
控えめに言って最悪の瞬間であった。
仕事が一段落し、会いに行こうかというときに偶々他の烏賊の噂話が入ってきたのが良くない。
普段ならば「彼奴がジャッジくんに?無い無い」と笑い飛ばせる筈だった。
しかし疲れていて判断能力も鈍く、長らく会って居らず、かなり精神的に参って居たのが良くない。
その噂を信じてしまった。
それからの行動は愕くほど早かった。
まず上官から彼の居る住み家を聞く。
こっそり会いに行って彼が所謂恋する者の表情や仕草をしているか確かめようと考えた。
そしていざ決行して、普通に捕まった。
偶々入り込もうとしたら偶々女中がいて、偶々捕まった。
そして彼と最悪の再会を果たした。
会わなさすぎて遂に頭がイカレたのか、とか。
普通に玄関口から入れよ、とか。
そんなことを考えてはいたのだが。
イカんせん、実に再会二年振り。
むしろ、自分に会いに来たと知って舞い上がらん程に喜んでいた。
無論心の中で。威厳ある将軍は簡単に表情に出したりはしないのだ。よっぽどのこと以外。
実は離れていた期間、彼もかなり寂しかった。
しかしグッと堪え、あと少ししたら烏賊の本軍基地に行くことになっていた。
視察目的で会おうと思っていたのだ。
その前に会えるのは嬉しいが、このせいて皆が烏賊に厳しくなったら如何するんだ。
そう問うと、ぐうの音も出ずに無言になっている。
勿論本軍基地に行こうとしていたのは話していない。
そしてお説教をし、今日はもう帰れと追い返した。
しかし気づいていない。
叱るときの彼が物凄く嬉しそうにしていたこと。
もう一つ。
実は近衛がこの時見ていて、全て悟った事。
気づいていないのは叱られた烏賊。
そして、元々鈍感な蛸の将軍様だけである。