記憶に残るモノ 先輩には、非番の次の日にだけする香りがある。
甘さと酸味が程よい、腹が減りそうな果物のにおい。
それはすれ違うときにほのかに感じる程度の軽いもの。
だけど他の日にはしないものだから、きっと、非番だからと会っている、どこかの誰かの香りなんだろうなと、僕は思っていて──感じるたびに少し、息苦しく、なっていたんだ。
それが変わった。
果物ではなく、柔らかい花の香り。
やっぱり非番の次の日だったから、僕は、ああきっと、会う人が変わったのだろうなと思って、更に息がしづらくなった。
よりどりみどり、相手には困らないだろう憧れの人。
昨日はどう過ごしたのだろう、という、下衆でくだらない妄執に囚われた僕はどんな顔をしていた?
きっと
「どうかしたか?」
と、あなたが眉を顰めるほどに醜悪だったのだろうね。
「今までと違うにおいがするから」
そう、半ば自棄に吐き捨てた僕に、あなたは少しの間首を傾げて、それから
「ああ!」
と片手の拳でもう片手の平を叩いた。
「おか──母が言っていたな!新しい柔軟剤を使ってみたと!」
…………ん?
「普段使っている物に新しい香りの試供品が付属していたからそれを今回は使用したと言っていた!そのせいだろうな!」
と頷きながら
「いつもはジューシーフルーツバスケットだが今回はオータムフローラルブーケだ!どうだ!」
と、誇らしげに胸に手を当てた先輩、に、僕は──
「あ……いい、と、思います」
と答えるのが精一杯だった。
自分が、とんでもない勘違いをしていたのではないかと気が気ではなくて。
それなのに、
「それにしてもよく分かったな?母は『香りが苦手な人もいるだろうから』と普段から少量しか使っていないのに」
向けられた、先輩の無垢な疑問顔が僕の焦りに拍車をかけて、しまって──
ああどうしようどうしよう
僕が、あなたが好きで好きで仕方がなくて、すれ違ったあとの残り香すら追い求めているなんて、知られてしまったら、
僕は──
「サギョウ?」
……ああ、その、青ざめた心配そうな顔が
僕だけに向けられる物じゃぁないんだろうな、と、思えていたら
諦められていたかも、知れないのに。