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    ななみ

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    ななみ

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    ディとジュ。もしもあとちょっとだけ、の世界に触れたディと、かっこいい(かわいい)ジュ。
    ディが仲間を殺した世界線に触れています。解釈違いの可能性にお気を付けください。
    これでも………削ったんです………!!!

     イエローウェストにある大きい遊園地にサブスタンス反応が出たのが1時間前。その情報がアナウンスされた時にちょうど一番近くにいたディノとジュニアが急行することにしたのはそれとちょうど同じ時間で、そのあとに遊園地のスタッフから通報があった。曰くミラーハウス迷宮の中にあるそうだ。



     普段立ち入ることはできない従業員用通用口から園内へと入れば、思ったよりもそこは穏やかで大きな混乱はなさそうだった。ただ、ロックサウンドで奏でられる園内BGMや喧騒は聞こえてくるものの、いつもは聞こえてくるはずのジェットコースターに振り回される人の悲鳴は聞こえてこない。スタッフに事情を聞いたところ、影響が出ているのはミラーハウスだけだが、念のために全アトラクションを封鎖して代わりに売店とグリーティングを強化しているらしい。迅速な通報と判断ありがとうございます、といつもの定型文を心を込めて告げたあとに、きゃあ、とあちこちから女性の声が聞こえた。ちら、とそちらを見れば目を逸らされて首を傾げた後ぴんと思い至る。

    (観光客かな。ヒーローってニューミリオンの名物みたいなもんだもんなあ。……ここにいたのがフェイスだったら大変だったかもな)

     何せあの顔と愛嬌の良さである。偶然とはいえ、研修チームの中で言えばミリタリー調のスーツと決していい方ではない愛想で怖い雰囲気を感じさせる可能性があるキースや、吊り橋効果も相まって余計な混乱を起こしてしまいかねないフェイスではなく、質感はともかく耳と尻尾を付けた自分とまだ幼さが顔立ちに少し残っているジュニアがこの遊園地という現場に来られたのは良かったことなのかもしれない。
     ――と思うディノは、自分が『そういう』目で女子に黄色い悲鳴を上げさせている事には気付いていない。

    「さっさと回収してアトラクション動かしてもらおうぜ! こーゆーのはな、予定ってのが決まってるもんなんだよ」
    「確かにそうだな。……俺、ひとっ走りして先に行ってみるよ。ジュニアは近くに異変がないか見回りながら来て」
    「了解。ディノの方が脚速いもんな」
    「じゃあ、また後で!」

     きっとジュニア自身は自分がさっさと行って大活躍し、異変の正体を突き止めて解決したいだろうが、司令塔の立ち回りを勉強し始めた彼は適材適所という言葉の意味を表面上だけでなく理解していた。ここはディノが行くのが何よりも適当だと判断してくれたのだろう元気なお返事に頷いて手を軽く上げてから、ぐっ、と脚に力を込めて駆けだした。
    いかに効率よくアトラクションやショー、買い物を選ぶか。それを考えたり実行するのも遊園地の楽しみのひとつなのだ、それをこんな形で奪ってしまうわけにはいかない、と走りながら改めて思った――のが45分前。



    「あ、ヒーローの……ディノさんですね! 来てくださってありがとうございます!」
    「こちらこそ、迅速な通報、ありがとうございます。現場はこちらのミラーハウス迷宮ですね?」
    「ええ。今日は何故か一人当たりの所要時間が長くて。15分前後想定のところ、1時間かかっていて。おかしいと思って点検すると、薄紫のクリスタル……サブスタンスが視界の端で移動しているのを見かけまして……なんとか脱出して確認したらサブスタンス反応、と。すぐすべての扉を閉めたので、外には出ていないかと」
    「なるほど。中に人は?」
    「全員脱出しています」
    「分かった。ありがとうございます。……じゃ、中に入って回収してきます。もうすぐここにジュニアというヒーローが来ますので、彼にも同じ説明をお願いします」
    「はい!」
    (――ジュニアにサブスタンスの回収をやって貰ってもいいけど、これは急いだ方がいいもんな)
    「もし俺が長時間戻って来ず、連絡も取れなかったら……」
    「……少しの破壊は覚悟してます」
    「でも、そうならないように頑張るから大丈夫!」

    それが、40分前。



    「……迷った」

     それが、今だ。サブスタンスも見つからないし、試しに壁に手を付きながら歩いてみても全くゴールに辿りつかない。この迷宮は確かに広いけれど、これほどまで迷い続けるとは到底思えない。

    (迷うっていうからテレポートの類も考えたけど、俺が瞬間移動させられた感覚もなかった。……ならやっぱり、方向感覚とか知覚に作用するタイプか……?)

    「……ちょっとまずいな」

     ヒーローはサブスタンスの対処が仕事の内だが、それの影響を受けやすい側面もある。自他ともに認める感覚派の自分は、どうやら知覚に作用するこのサブスタンスとは相性が悪いらしく、さらに得意の勘も上手く働かない。過信は良くないとよくルーキーに言って聞かせているが、とんだブーメランだったなと苦笑いした。

    (壁も天井も全部鏡、マジックミラーやハーフミラーもある。床は流石に鏡じゃないけど、幾何学模様が分かりにくいな……)

     ただ遊びに来ただけなら難しいねと笑って楽しめるが、生憎今は仕事中だ。ブランクはあれどヒーロー歴はそこそこある自分だ、よほど焦りはしないけれど少しばかり気持ちは急く。ミラーハウスの名の通り、その鏡たちが見せてくるいくつものヒーロースーツの自分の姿に何故か心がざわつく。手近な鏡に映った自分の頬に触れてそっと撫ぜた。グローブをしているから指紋はつかない。
    ――合わせ鏡、だったか。
     それを怖がるような時期はとっくに過ぎてはいるけれど、その迷信がふと頭をよぎった。悪魔が現れる、未来や過去が見える――死人が見える。その言葉を浮かべた瞬間、空調の音が突然大きくなり、驚いて見上げてもそこには鏡に映った自分の焦った顔が見えるだけだ。ぞわ、と鳥肌が立ったのは冷風のせいだと思ったが、このヒーロースーツは特殊素材で出来ており温度を通しづらくなっているはずで、つまりこの鳥肌は自分の内側から出てきたものでしかない。確かに怖いものは得意ではないけれど、それとこれとは話は別で今は仕事中だ。外にいる来園者は不安になっているかもしれないし、この件が解決しないと外のジェットコースターは動かない。落ち着け、落ち着け。
     ぱっと端末をつけて、先程スタッフに送って貰った地図を見る。今はだいたいこの辺りだな、と目星を付けてから、インカムを叩いてジュニアへと通信を繋げる。

    「こちらディノ。ジュニア、今どこに? ……ジュニア? 俺は今、迷宮で迷ってるとこ――って、やっぱりダメかあ」

     端末をしまいながら先程から何度も通信を試みているが、上手くいかない。出られなくてサブスタンスが見つけられないだけだから心配ないぞと一言掛けられればそれでいいのだが、どうやら知覚――というよりは電気信号やそれに近いものに影響しているらしい。この状況を知れば研究部は張り切るだろうな、あとで報告しようと呑気な事を考えているとインカムの向こうからザザ、とノイズが聞こえる。

    「ん? あれ、ジュニア? 聞こえる?」
    『……』

     音の向こうに人の気配を感じる。なんとかして拾えないだろうかと辺りをぐるぐると回ってみたり背伸びをしてみたりするが、はっきりとしたものは聞こえない。

    「先に見つけて脱出する方が早いか」

     だから最初からそれが目的なんだって――と思い直す。ガンガン、と足踏みを2回、頬を挟むように1度叩いて気合いを入れ直し、正面にある少し上を向いて傾いた鏡を見つめれば周りの鏡と反射した分も含めて自分の姿がいくつも見える。その隙間。

    「あ」

     あっさりとふよふよと呑気に宙に浮いているサブスタンス――の鏡像を薄っすらと発見した。反射的にバッと振り返ったがそこには何もなく、何度か反射してあそこに映し出されたのだろうと推察してから一旦この場の全体を見ようととん、とサブスタンスを映した鏡に背中を付けた。正面にはいない、右、左――上に目を向けてその姿を確認しすぐにドン、と地を蹴って大きく跳んだ。少し強く踏ん張ってしまったから床や鏡に傷がいったのかもしれないのはあとで謝っておこう。捕獲のためにディノが伸ばした手をするりとすり抜けたそれは、あざ笑うかのように先ほどディノが背をつけた鏡の正面で浮遊した。勢い余って天井にぶつかりそうになったディノは、そこにぱしぱしと優しく手を付け、力を込めて床へと自身を押した。

    「よっ、と――」

     その時インカムにザザザ、とノイズの音とハウリングのような甲高い音が流れ込んだ。突然の事に顔を顰めながら、そのノイズの向こうにかすかに人の気配を感じ取った。今忙しいから声をかけるのはあとでいいか、そう思っていると、人の声が異様な響きを含んで届いた。

    『……お前は』
    「ッ!?」

     聞き間違えるはずがない、自分の声だ。たった一言で分かったのはそれだけで状況が読めなかったが、その声の正体は目の前の鏡が教えてくれた。サブスタンスの向こうにある鏡の中、いくつもある枠の中のほんの隙間にもあった自分の姿のうちのひとつは――イクリプスの戦闘服を着ていた。その自分――ディノは、ディノがしないような冷たい目でディノを睨み付けていたが、すぐに驚いたような表情へ色を変えた。

    『ヒーロー、か?』

     驚きながらもほんの少しの嫌悪感を混ぜ込んだ声にドッ、と体温が一気に上がって瞬時にそれ以上に下降した。そんな場合ではないのに目の前がくらくらして呼吸が浅くなる。
    “合わせ鏡は、悪魔や死人、異世界へと通じる”
     先程振り払ったはずのその迷信が、嫌にディノの心を侵食した。こんな現象、無視するのが得策だが、何かに惹かれるようについ言葉を投げてしまった。

    「誰だ」
    『そっちこそ、誰……』

     当然だが、目の前の鏡に映った白い自分の口の動きと、インカムから聞こえてくる声はちゃんと連動している。きっと自分は浮かべないだろう暗い敵意を抱いた表情の彼の言葉が嫌に突き刺さる。それはきっと、心当たりがあるからだ。
    ――死人。あの日、自分がリスタートを始められた日は、同時に彼の命日とも言えるのだ。

    「……俺はディノ」

     そうだ、洗脳されていた時の自分自身だ。HERIOSはそんなディノにゼロという名前を付けたらしいけれど、生憎自分はその名で呼ばれた記憶はない。

    『俺は―――おっと』

     鏡のディノが名乗ろうとしたとき、浮遊していたサブスタンスがまたどこかへ飛んでいくために力を溜めて光り始めた。それを察知したディノは反射的に跳んで虫を捕まえるように両手でぱん、とその水晶を挟み込んだ。

    「おっととと……ごめん。ちょっとこっちの仕事」
    『ヒーロー、だもんな?』
    「……うん、そうだ。俺は、ヒーローなんだ」

     ぽこっ、カラン、きゅっ、と特殊ケースにサブスタンスを入れてしまえばもう任務完了だ。きっともう迷路――を認識するための知覚は元通りになっているはずだから、鏡の事なんて無視して離れてしまえばいい。幽霊や奇怪な現象はさすがにディノの手に負えないのだ、あとでその道のプロに依頼でもしておくくらいしかできない。――と頭ではわかっているのに、どうしても背中に感じる視線を放っておけない。これが自分の性格から来るものなのか、何か不思議な力に引き寄せられているのかは自分では判断しきれなかった。

    『なあ、少し、話をしないか』
    「…………」
    『取って食ったりはしないよ。お前、俺なんだろ? なら、この俺のことだって分かるだろ』
    「外に仲間がいるから急がないと。お前に構ってる暇はない」
    『! 俺が、お前と話したいんだよ。今しかできない事だろ?』
    「……? お前……」

     何か様子がおかしい。仲間たちから聞いた話や、自分で確認した監視カメラにあったイクリプスのディノとは、明らかに何かが違う事を感じ取った。それとも、あの時は周り全てが敵と思い込んでいたからあんな態度だったのであって、本来の彼はこんな性格だったのかもしれない。

    『お前が俺をどう思ってるかは知らないけど――少なくとも今の俺は、もう何もする気にならない』

     嘘だ、と切り捨ててしまうことは簡単だ。だが、妙に何かが引っかかる。どんな引っ掛かりがあっても、引きずってでも逃げてしまえと頭ではわかっているのにどうしてもそれが出来ず振り返ると、鏡の中、鏡の隙間にいるディノにはもう先程までの敵意はなかった。
    そうだ、この男は自分の記憶にない時間を知っている。例えば自分の親の事やサブスタンスの事について情報があるのかもしれないのだ。とっくに諦めていたことだが、せっかく掴めるチャンスがあるのなら棒に振るのは損なのかもしれない――と自分に言い訳をする。

    「……少し、だけなら」

     やった、と呟く鏡のディノの瞳がちらりと輝いたのをディノは見ていなかった。



    「……俺、だよな。……でも、お前……」
    『ああ、分かってる。ここ、鏡か?』

     そう言ってノックをするような動きをすると、いくつも重なっているうちの何番目かの鏡がコンコンと音を鳴らして小さく揺れた。この鏡たちは基本的には鏡面加工をされた薄壁や安全な素材が多いが、豪華に飾り付けられたそれだけは本物の鏡だった。
     お前は死んでいるんだ、とは誰が相手でも告げて気持ちが良いものではないが、彼は察しがよくて言わずに済んだことを申し訳ないと思うと同時に安心してしまった。

    「そうだよ。……合わせ鏡の向こうに死人が見える、って本当だったんだ」
    『そっちの俺はそんなこと信じてるのか?』
    「そっち……? ああそうだ、というよりは今こうして現実に起こっているから信じるしかないというか」
    『はは、確かにそうか』

     気持ちのこもってない笑い声にそわ、と胸の奥がざわついた。

    「話したいことって?」
    『世間話だよ。お前のヒーロー活動の事、教えてくれないか? ほら、やっぱり自分がいなくなった後の体のこと、気になっちゃうもんだろ』
    「……それもそうか」

     思ったよりも穏やかな自分に望まれるまま、あれからの道行きを聞かせることにした。ちらりと端末を見て、五分程度なら大丈夫だろうと時刻を覚える。
     あれから――キースとブラッドと、いろんな人に救われてヒーローへ復帰するチャンスを貰えたこと。ルーキーズキャンプで紆余曲折あったものの、自分の中でも一区切りついて同じセクターに配属される仲間の事も知れたこと。バレンタインイベントでは空回りしたり、事故があったりしたものの、ラブアンドピースな結末を迎えられたこと――。改めて連ねると、なんて自分は幸せ者なのだろうと再確認する。一度や二度じゃない回数裏切り傷つけてきた自分を、受け入れてくれた人たちはやっぱり何より大切だ。そんな大好きな人たちの事を話しているとだんだん饒舌になって、口元が緩んでくる。そんなディノの話を、鏡の中のディノは簡単な相槌だけ打ちながらただ聞いていた。
     大切な思い出をいくつか語り終えてふう、と息を吐く。端末を見れば、丁度五分経っていたようだ。時間だけ確認したディノは、その端末がまだ圏外であることには気づいていない。

    「って、感じかな」
    『そうか。ありがとう』

     こんな話でよかったか、と聞いてみれば、鏡のディノはただ微笑むだけだった。その瞳はやはり暗いのに、ただの暗さではない何かがそこにあった。ディノは人の機微には敏感な方だが、相手が自分だからなのかどうにも掴めない。止まってしまった会話をなんとか復活させようとぱっと鏡を見る。

    「お前は俺で……俺の知らない俺の事、知ってるんだよな? 今度はお前の番――って、後出しで言うようでなんだけど」

     そう言ってみれば、鏡のディノは感情の見えない笑い声をあげた。驚くと同時に解けかけていた警戒をまた強くする。ざり、と靴底が床と擦れる音がどこか遠くから聞こえたように認識した。

    『あははっ……勘違いしてるようだから教えてあげる』
    「――え」
    『――捕まえた』

     その言葉に反応するよりも先に、ディノの腕は何かに――鏡のディノの手に掴まれ、ぐっと引っ張られる。左腕の肘から先は鏡の中に吸い込まれていた。冷たくて広くて狭い、何かありそうで何にもない空間――まるで、まるで。

    (鏡、の、中に……?)
    『――もーらい』

     手首を掴まれた時点で本能的に体に力を込めて踏ん張り、体全てが飲み込まれることは避けることが出来たが、鏡のディノの力は存外強くピンチなことには変わりない。ともかく、あの時さっさと立ち去らなかった自分を責めた。きっとディノのヒーローとしての話を聞きたがったのは時間稼ぎだったのだと今更思い至ったけれど後の祭りだ。くっ、と悔しそうな顔をした鏡のディノは、自嘲して種明かしをした。

    『俺は、お前じゃない』
    「え」
    『こっちの世界には誰もいない。キースもブラッドも。ジェイも、オスカー、アッシュ。十三期のルーキーたちだって。そっちにはいるんだろ? 今、話してたもんな』

     ぞく、と背筋が凍ると同時に心臓が大きく跳ねた。

    『俺が殺したんだ。……キースを殺したのはシリウスだけど、見殺しにしたのは、俺だ』

     その顔は、後悔に塗れていた。イクリプスの服を着ているのに、先程からあった違和感の正体。洗脳なんてないかのように振る舞う自分。ヒーローを殺したのを後悔している自分。悲しげに伏せられたお揃いの空色の瞳は、光を溜めているのにずっと仄暗い。

    (あの時――キースのところに行けなかった俺)

     シリウスに仕組まれたものを振り切ることが出来ずに、攻撃されるキースの元へと行けずにブラッドへ攻撃を続けた自分。この鏡にいたのはディノが洗脳状態にあった時の人格、ゼロではない。異世界――ifの世界のディノであると気付き、ほんのわずかな違いで自分はみんなを殺してしまっているのだと改めて思い知らされた。だが同情はしても、それ以上の事はディノには出来ない。鏡の世界の仲間たちの冥福を祈り、自分の仲間たちをその分も守りきらなければならないと決意し直すことでしか、彼に報いることはできないというのに、何故。

    『――して。どうして、どうして――お前が、お前なんかが』

     それを持ってるんだ。
     恨みがましく発せられたその言葉に返す言葉は持ち合わせていない。自分と彼の行動の違いを知らないのだから、何がどう作用してここまで二つの世界に違いが生まれたかなんて分かるわけがないのだ。ただ、自分がサブスタンスを回収してすぐに立ち去らなかったのは、彼がどういう存在なのかを無意識に理解して引き寄せられてしまったからなのかもしれない事を感じ取った。有り得たかもしれない自分の可能性を無視できなかったのだろう。その可能性くんは敵意――厳密には恨みがましい目で未だこちらを見ている。もしもの世界の自分は、こんな目をして、こんなことを言えてしまうのだと思うとショックだった。

    『俺が持ってたって、いいだろ。そこにいるのは俺でもいいはずだ』
    「それは違う! 俺の場所だ。俺が相手でもそこは譲らない」
    『違わない! 俺が、俺がもう一歩届いていたら……あと一歩さえ、あれば……! あんなの嘘だろ、間違いだろ。あんな形で、あいつが死んでいいわけないだろ』
    「それは……」
    『……なんで、なんであの時、俺は、あいつを、あいつは、戦いたくないって……言ってくれた、のに……どうして、チャンスなんて思って、ッ……』
    「……」

     あいつ、おそらく入り混じっているがキースとブラッドの事だ。鏡のディノの彼ら死んだことが正しいとも、死んでよかったとも言えるわけがない。しかしそれは彼の世界で既に起こってしまった事であって、酷な話でも受け入れろと突き放すしかディノには出来ない。自分の世界を譲るなんて以ての外だ、人の道を反している。――いや、それも綺麗事でしかなく、正直に言ってしまえば大切な人たちはたとえ自分が相手でも譲りたくなんてない、それだけだ。だが、そんなディノの想いに反して引っ張られる力は強くなっている。鏡のディノだけではなく、まるで向こうの世界の全てがディノという光を欲しているかのように、体中にぞわりと何かが這って力を込められているのを感じた。

    (向こうの俺が出てきたわけじゃない。――でも、もしかして、成りかわる算段が)

     体中を這っていた何かは、可視できるものでもないのにだんだん冷たく硬くなっていくのが分かった。ディノを向こうの世界に連れていく。そういう意志のようなものがディノの頭を麻痺させていく。どうする、どうする――。



    「ディノ!」

     ――目の醒めるようなロックサウンドと同時に、あたりに雷が落ちた。鏡のディノはその音の発生源に目を向けて驚いていた。あの時の少年が、自分の名前を呼んでいる。その瞳は驚きと共に、後悔の念と、慈しむような気持ちも混ざっているように見えるのはディノがそうあってほしいと願っただけなのかもしれない。

    「ジュニア!」
    「行くぜ……ッ!」

     それから、鏡のディノがいた鏡にもう一度雷が落ちて、ぱきん、と何かが砕ける音がした。まだ鏡が割れていたわけではないけれど、鏡のディノの白いコートからガラガラと血のように赤い結晶が砕けてこぼれてきた。それが向こうの世界のサブスタンスだとディノが思い至るのはもう少し先だ。チッ、と舌打ちした彼はさらに力を強めたのだろう、顔が赤くなってあちこちに血管が浮き出て見えたが、ディノは腕を掴まれている感覚も冷たさももう感じない。
     もう一度。軽快にゴキゲンな、しかし軽薄ではない音はディノのために奏でられた。
     このフレーズは確か、彼のバンドのオリジナル曲だ。ここ好きだな、っていつかディノが言ったことを彼は覚えていたのかも知れなかった。
     目の前の鏡は派手に砕け散る。ああ、ゴーグルをしていてよかったな、なんて遠のく意識の中考えた。



     ぱ、と目が覚めると、心地良い風を感じた。仰向けに寝ている自分の頭上にはカラフルなパラソルがあって、その向こうに見えるのは綺麗な青空。陽気な音楽とざわめき、遠くからは人の悲鳴が聞こえて――がばっと起き上がった。自分が今ヒーロースーツではなく制服を着ていることもすぐに理解して、頭にいくつもハテナを浮かべたような顔を見せた。
    「こ、っこは!? 俺は……っ」
    「目覚めたか、ディノ!? 無事か!? 俺の事は分かるか!?」
    「……ジュニア……?」
     隣に座っていたたきらきらと輝く金髪とそれを強調するように添えられている黒髪を持つ少年は、ぱたりと端末を置いて詰め寄った。どうやら心配をかけさせてしまったらしいが、ディノが応えると安堵の息を漏らした。起き上がって改めて周囲を見れば、ここはどうやら芝生広場のようだ。自分の頭上にあるものと同じようなパラソルがあちこちにあり、食事やおやつを楽しむ人たちがそこら中に見え、平和な光景にほっと息を吐く。ほい、と渡された水のボトルを素直に受け取り、半分ほど一気に煽ると頭がすっきりしてきた。

    「……どうなったか聞かせてくれるか?ジュニア」
    「あの時……サブスタンス反応が消えて一安心だなって話してたんだけど、なかなかディノが戻って来なくてよ。探してみたらディノが」
    「あれは……ジュニアにも見えて……聞こえてたか?」
    「……あー」

     あ、そうなんだな。きっと彼はディノのために優しい嘘を言いたかったのだろうけれど、あまりに素直すぎて誤魔化しきれていないのだ。

    「鏡の中に、俺じゃない俺がいたの見ただろ? 向こうの世界が、どんなものなのか――ジュニアも聞いた?」

    それからやっと彼はこくりと頷いた。ディノも似たようなタイプではあるけれど、ジュニアがそうというだけでなんだか可愛らしく見えてくる。彼のこういうところは好ましくて変わってほしくない部分ではあるけれど、ヒーローとしては多少の嘘には慣れていた方がいい。ジュニアは顔がそこそこ広いしこれからもっと有名になっていくだろうから潜入捜査の仕事は多くはないだろうが。うーん、うーん。とにかく、とかわいい後輩の教育方針について考えることはあとにしておいて、今は自分の正直な気持ちを伝えなければならないだろう。彼の顔を覗き込むように視線を合わせてにかっと笑って見せる。

    「大丈夫だよ、俺は。心配してくれてありがとう」
    「お、おう……」
    「――俺がいるのは、ここだから」

     あの世界の自分とは違うんだ、と決意を込めた目を向けたが、そうかよ、と言うジュニアはそれでも釈然としていないのだろう、顔が分かりやすくぶすくれている。片手で頬をきゅっと挟んでみればふぁっく! とお決まりのセリフと共に払い除けられた。単純に拗ねている――とも違う横顔は、ディノが思っていたよりも大人っぽく見えた。
    ジュニアにはまっすぐでいてほしい、と思う気持ちは確かにある。彼の性格か見た目か年齢か、もしくはそのすべてなのか、どれでもないのか――何かが周りにそう思わせてならない。故にディノもこの期に及んで綺麗な言葉を選び、ジュニアを安心させるために丁寧に包んでいたのだと、今更思い至った。
    ジュニアはヒーローだ。まだ若くて未熟なところも多いけれど、可愛いだけの存在ではない。だから、ディノは今度こそ素直な言葉を紡ぐ。

    「……それは、まあ……嫌だよな」
    「!」

     ディノの改めた言葉にジュニアは反応してぱっとこちらに目を向けた。大きい目がさらに開かれているのは、まさか自分に語られるとは思わなかったからだろう。

    「ジュニアはあの場にいなかったけどね。キースがシリウスに殺されかけた時、ほんの少し……本当に、あとちょっと間に合わなかったら全部ダメになるところだった。それ自体はたまに考えてたんだ」

     もし、間に合わなかったら。あとほんのちょっとだけでも洗脳が強くて、動けなかったら。間に合ったとしても、当たり所が悪かったら――それに関しては自分が死んでしまうだけだからいいか。これは誰にも言うべきではないけれど。

    「本当にあったんだ、有り得たんだ。……あの鏡の向こうの世界は、俺がすべてを壊してしまった世界。そんなもの聞かせられて、ちょっと元気じゃいられないかも」

     へへ、と笑うのは自分の心を守るためだ。ああ、この狼の力は守るためのものだったはずなのに、ちゃんと強くいられてしまったから全部壊すことが出来てしまった。だが――シリウスに言わせれば、愚かな男が再度輝きを得られるまでの滑稽な喜劇、とでもなるのだろうか。何かを言おうとしては口を閉じるジュニアを横目に言葉を重ねる。

    「……それも、嫌だったし。この俺は……この世界はそうならなくてよかったって思っちゃった。あの世界と比べて、ここは良い場所なんだって思った」

     どんなふうに向こうのみんなが散って行ったかは分からない。ディノの事を恨んでいるのかもしれない。けれど、それでも向こうが『可哀想な世界』で、『正しい世界』にいる自分はああならなくてよかった、なんて思うのは絶対に違うだろう。そう頭ではわかっているのにあの時はそう思ったし、それを反省する今もずっとそう思ってしまっている。向こうは向こうの流れがあって、こっちにはこっちの流れがある。向こうの世界は確かに悲劇だけれど、それに後ろ指を指しているような感覚になってどうにも落ち着かない。

    「いや、そりゃそうだろ。嫌なifがあって、そうならなくてよかったー! って思うのはそんなに悪いかよ。おれだって死にたかねえし!」

     すぱっ、とジュニアは黙って話を聞いていたが、何を当たり前の事言ってるんだ、と言いたげなトーンで口を開いた。驚いたディノの瞳に、逆に何故驚くんだとも言いたげな瞳を向けている。思わず目をぱちくりと開けば、それに驚いたのかくりくりとした目はディノを見つめ返す。上手く言えないんだけど、と悔しそうに続けたジュニアは、自分の言葉に迷いながらもぴこん、と人差し指を立てる。

    「気にするなって言うのもちげーし、忘れろとも言わない。でも、違う世界の事も責任持って後生抱えろ、も違うだろ。あー、なんて言えばいいんだ」
    「ジュニア」
    「……違うのは分かるんだよな~! なんつーか、ディノにそこまでの責任はないしとれねえし。向こうのディノは向こうのディノがきっちり責任取るべき、っつーか。ううん……?」
    「ジュニア~……?」
    「でも見放せって言いたいわけでもねえし……!」

     あ、聞こえてないな。ジュニアに話を聞く隙間ができるまで見守ることにした。自分より考え込ませてしまったようで申し訳ない限りだ。

    「こっちがよかったって言うことは、向こうを下げる意味にはならないと思うんだよな……!」

     それからしばらく、ああでもないこうでもないとジュニアは言葉を選ぶ。本当は見つけたい言葉はどこにも存在していなくて、まず自分の頭すら整理できていないのかもしれない。キー! と立ち上がり、ととと、とディノの正面に立つ。木漏れ日に照らされる金髪は、まるで王冠を被っているようにも見えた。と、とにかく! と声を張るジュニアはびし、とディノを指差した。

    「元気出せ! ディノ!」

     なんか凄くありきたりな言葉が出て来た。
     思わず笑ってしまったのは、苦笑いではなくて嬉しかったからだ。そうだ、もしかしたら自分は、そんな言葉が欲しかったのかもしれなかった。

    「……ああ、ありがとう。ジュニア! はは、なんか言われたら元気になってきたかも!」

     そう言って立ち上がりぐっぐっと両手を挙げて体操の動きをすると、緊張していたジュニアは安心したように表情が綻ばせた。よしよし、と撫でると子ども扱いすんな! と叱られてしまった。それから情報の共有をやっと始める。
     どうやら遊園地は既にアトラクションを再開させているらしい。サブスタンス反応、イクリプスの気配もなく、人の混乱も見られないことから総合的にそう判断され、ジュニアの名前でそれに許可を出した。いちルーキーの言葉にそれだけの力はまだないけれど、キースに状況判断の相談をしたところ彼からも許可を得られ、メジャーヒーローの名前も有り難く使わせてもらった。ただ、件のミラーハウスは少しばかり傷が入っていた上に客の心象も良くないだろうという判断の元、しばらくは封鎖、修繕をするようだった。傷をつけてしまった事に関しては本当にごめんなさい。
    ディノの方は体に不調もなく、サブスタンスは既に確保済みであることも伝えてほら、と見せびらかす。ジュニアはそれをじろじろと見つめた後よいしょ、とそれを片手で背負った。

    「よし、オッケー! あ、今日はおれたち帰っていいってさ。むしろディノは早く帰って検査受けに来いってよ」
    「はは、はあい」

     先にスタッフに一声かけとくな、と小走りで行ってしまったジュニアの背中を見守る。テキパキと話を進める彼は本当に頼もしい後輩だと改めて思い、そんな頼りがいのある男には頼らせてもらった方がいいのかもしれないな、と思い直す。後輩だからって可愛がるだけは誰のためにもならないのだから。

    「……」

     コンコン、インカムを叩くとすぐにブツッと音がして可愛らしくも鋭さを持った声が聞こえてくる。離れたところに見える小さな背中はぴたっと止まってこちらを振り返っていた。

    『ディノ?』
    「ジュニア。……何でもないよ、インカム壊れてないかなって確認だけー」
    『? おう』

     通信をディノから切ってしまえば、それ以上インカムからは何も聞こえてこなかった。
     彼がどうしたらいいのかなんて分からない。守りたいものを自分で壊したその手に、自分の手を重ねることはできない。何のアドバイスも出来ないし寄り添うことも出来ないけれど、それでもひとつだけ、無責任でも何でも、彼に言葉をかけるならば。
     ざあっと風が吹いて木々が揺れるそのざわめきの中、ディノは呟いた。

    「……頑張れ。俺も、こっちで頑張るから」
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    😭😭🙏🙏🙏😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
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