うそつき稼業はつらいよ 正直に言うと、おれさまは嘘つきだ。
さて、突如としてパラドックスが生まれたわけだが、「正直に言っているのならば、本当に嘘つきである」または「嘘つきであることが本当なら、正直には言っていない」のどちらを正とするかは、結局自分次第なのだ。どちらを信じたいか、という話でもある。
人間は自分の都合のいいように物事を捉えたがる。おれさまがステージの上から、大好きだよ、とウィンクすれば、前方五メートル範囲内の女の子たちは倒れ込む。愛してるぜ、と指でハートを作れば会場が断末魔で揺れる。おれさまの言葉をどう捉えるかは聞き手次第だが、会場を埋める約五万人のファンは「信じる」という選択をした。ただそれだけのことだ。
スポットライトの下、衣装を靡かせ歌い踊るおれさまは、光り輝くアイドルだ。甘い言葉を唇に乗せ、憧れの最大公約数のような容姿を見せつける。そうしたきらめくパフォーマンスの最中に、おれさまはこんなことを考えている。そういう男が嘘つきかどうかなんて、言うだけ野暮ってもんだろう。仕方ない。人は嘘にこそ夢を見てしまうものだ。
けれど、このステージの上にはたった一人の例外がいる。
「キバナ!」
花道の先にいたその男が、間奏のさなかに駆け寄ってきた。アップテンポな曲が続いていたので、テンションが昂っているらしい。ふりまく汗はダイヤのように輝いて、その軌跡はどんな物理法則よりも美しい。
「なんだよ、ダンデ」
「キミって本当に最高だ」
「今頃、おれさまの魅力に気づいたのか」
わあ、と黄色い歓声が上がる。ダンデはおれさまの目をまっすぐに見据えて、大きく笑った。
「そんなの、最初っから知ってたぜ!」
さらに歓声。だがおれさまは知っている。この男は、想像を軽々と超えるアイドルであると。
「この先もずっと、ずーっと、おれの隣にいてほしい!」
言葉にならない声が爆発する。熱気が充満し、無数のペンライトが激しく震える。ファンのうちの何人かは、胸を抑えて座り込んでいるようだ。
そんな熱狂のど真ん中で、ダンデはきらきらとした笑顔をふりまいている。ファンではなく、おれさまに、だ。太陽を直接見た時のような眩しさに、一瞬くらりとした。
とはいえ、やられっぱなしは性に合わない。そして、数万と向けられた期待の目がそれを許さない。おれさまは次の歌詞に入るまでの残りカウントを目一杯使い、もったいぶるように腕を上げる。会場全てが固唾を飲んで見守る指先を、ダンデの顎にそっと添える──、と見せかけて。
ぶに、とダンデの頬を横につまんだ。メインステージの大画面には、ユニークな顔が大写しになっている。おれさまは叫んだ。
「こんなところで言ってやんねえ! 控室でたーっぷり伝えてやっから、覚悟しな!」
……のちに検索したSNSで、ファンは語っていた。あれは後世にも語り継ぐべき、伝説的な公演だったと。もしも詳細が知りたければ「キバダン事変」と調べればいい。阿鼻叫喚のレポがずらりと出てくるだろう。楽しんでもらえたようで、何よりだ。
盛り上がりはそのままに、ライブは無事に終了した。二度のアンコールを終え、会場の照明が白色に戻っても、熱の冷めない観客はおれさまたちを呼び続けた。
そんな声を背中に受けながら、舞台袖から控室へ戻る。満足感と達成感、そしてわずかな反省に満ちた体は重たい。早くシャワーを浴びて、マッサージでクールダウンして、眠ってしまいたかった。が、それを許さない男が一人。
「キバナ!」
控室の扉を開けると、いまだにキラキラと笑うダンデがいた。スポットライトもスパンコールも纏っていないのに、どうしてこうも発光してるんだ。おれさまはくちゃくちゃの己の髪をさらにかき混ぜた。
「なんで待ち構えてんだよ……」
「今日も最高だった。すごく楽しかったぜ!」
「ああそうね。おれさまも楽しかったよ」
「それで?」
「は?」
突然のパスに、おれさまは間抜けな声を上げる。けれどダンデの中では話が繋がっているようで、やつは再び「それで?」と言った。
「それで、って何だよ」
「さっき、キミが言ったんじゃないか」
「なにを」
「控室でたーっぷり聞かせてやる、覚悟しろって」
だからおれ、覚悟して来たぜ!
その言葉は、冷水みたいにおれさまの体内に浸透する。いまだライブの興奮を燻らせているダンデとは反対に、おれさまは冷えた頭で思う。何言ってんだこいつは、と。
正直に言うと、おれさまは嘘つきだ。大好きだとか、愛してるとか、そんなのは唇と喉を働かせて出た音でしかない。それをどう解釈するかだなんて、好きにすればいいと思う。おれさまの本心は、マイクを通した言葉では理解することなどできやしない。
「なあ、ほら、どうなんだ?」
一方で、ぐいぐいと体を寄せてくるダンデの目には、疑うという概念は一切ない。おれさまが常日頃駆使するような「世渡りの秘訣」みたいなものの存在を知らないのだ。ダンデが繰り出す、大好きだとか、大切だとか、そういうものは全て本物だ。誠実で、懸命で、まぶしくて、危うい。
「シャワー浴びたいし、早く帰りたいから、また今後な」
「待ちきれないぜ! ほんのちょっとだけでも。三十字以内に要約したって構わない」
「国語の小テストじゃないんだから」
キバナのけち! という文句を聞き流しながら、シャワールームに避難する。水栓を捻ると、お湯になりきれなかった冷水がつむじに降り注ぐ。おれさまはそのまま、ほてった肌の上で跳ねる水音をじっと聞いていた。
きっとダンデは、おれさまのシャワーが終わるのを待っている。ああなったらテコでも動かないような男だ。ほしいものを見つけたら、手に入れるまで求め続ける。
おれさまは、ダンデになんと言うべきか。「ずっとおれの隣にいてほしい」という言葉に、アイドルであるキバナはなんと答えるのが正解か。どうせ、雑誌やテレビのインタビューやらで消費されるのだから、世間が納得するエモさのある回答にするべきだ。おれさまの本心なんて、関係ない。必要もない。
のろのろとシャワーを済ませ、部屋に戻る。やっぱりダンデは待っていて、スマホから顔を上げ「遅いぜ!」と唇をとがらせた。
「おまえはシャワー浴びないの?」
「おれはもう済ませた」ほら、と髪をなびかせる。淡い花の香りが広がった。
「マッサージは?」
「それはこれから。キミと同じタイミングにしようと思って」
「なんでよ」
「なんでって……一緒がいいなって、思っただけだぜ」
どうやら本気で言っているらしい。おれさまはため息をついて「なんでも一緒って、小学生女子じゃないんだから」と小声でつぶやいた。
「何か言ったか?」
「いいや、マッサージはパスしようかなって言っただけ」
どうして、と食い下がるダンデを、最近揉み返しがきついからいいんだ、などと適当な言い訳でかわす。
しまいには体にまとわりついてくるので、ダンデを引きずりながら荷物をまとめ、タクシーの到着とともにひっぺがす。エモい答えが思いつかなかったので、いったん逃げを打つことにしたのだ。
ダンデは相当不服そうな顔をしていたが、またね、と爽やかに手を振れば「またな」と返してくれた。執念深いが、人を恨むタイプではない。きっと明日は、からりと許してくれているのだろう。
タクシーの車内には、ラジオがほそぼそと流れている。明るい調子のパーソナリティが、次の曲はこちら! と告げたとたん、聞き慣れたイントロが始まった。聞き慣れるどころか、ついさっきまで会場に響き渡っていたメロディーだ。
「この曲、ほんと流行ってますよねえ」
赤信号で手持ち無沙汰になったのか、運転手が不意に話しかけてきた。こちらの素性を知っての会話かと思いきや、「うちの娘も入れ込んでて。壁中ポスターだらけですよ」と笑うばかりで、どうやら気づいていないらしい。お宅の壁に貼られている顔面が、今あなたの後ろにありますよ、などとわざわざ言う必要もないので、「大変ですねえ」と相槌を打つ。
「二人組のアイドルだそうで。娘は、ダンデ? とかいう方が好きみたいですけど。お客さんも知ってます?」
「ああ、ダンデ」
おれさまは、シートに気だるい体をうずめながら、目を閉じて呟く。
「好きではないですね」
「え?」
「いや、なんでもないです」
おれさまは難儀な仕事をしている。アイドルと書いて、うそつき稼業と読むのだ。
自分の家に戻ると、疲れがどっと押し寄せる。今すぐソファに飛び込んでしまいたい衝動を抑え、ストレッチとSNSの更新、洗濯物と日々のタスクを潰していく。
そうしていよいよ就寝の時。おれさまは、寝室のドアを開ける瞬間が一番好きだ。何者にも侵されない秘密の空間。うそをついてばかりのおれさまが、唯一素肌のままの心を取り出すことができる安全地帯。ああ、今夜もこの甘やかな時がやってくる。気だるいながらも飛び跳ねたい気持ちを抑え、おれさまは扉を押す。
おれさまは、そこで静かに待ってくれていた『かれら』に声をかける。
「今日も頑張ったから褒めてくれよ、なあ」
壁紙の色さえ分からないほどのポスターの数々。壁沿いのテーブルや棚には、アクリルスタンドやデフォルメされたぬいぐるみがびっしりと並んでいる。紫の髪、金の瞳、溌剌とした笑顔、それらは全て本物には叶わないけれど、あのひと──ダンデを感じるにはじゅうぶんな作りだった。
「ライブ、まっじで最高だった。頭のせり出しはタイミングばっちりだったし、照明でいっそう映えてたよ。何よりダンデのパフォーマンスが、もうほんっとに最高だった。ビジュアルも仕上がってるし、この世のものとは思えなかったぜ! ああ、ダンデの尊さを表す言葉が、この世に無いのが本当に悔しいっ。やっぱり言語をイチから発明するしかないのか!?」
おれさまの胸でぎゅうぎゅう押しつぶされているのは、今回のツアーで新販売されたダンデぬい(夏衣装ウィンクバージョン)だ。均等に愛情を注ぐべく、おれさまは次のダンデぬい(冬衣装にっこりバージョン)を抱きしめる。
「ダンデはいつもまぶしくて、笑顔で、みんなを元気にしちまう。天性の明るさと、惜しまない努力の上に、アイドル・ダンデが存在してるんだ。表情管理も抜かりなくて、MCの天真爛漫さと、ソロ曲の妖艶さのギャップで失神するかと思ったぜ。ほんと勘弁してくれ、プールですら体を慣らすために足から水かけんのに、ダンデはいきなり胸にぶちこんでくるから心臓発作寸前だわ!」
お次は一番古株のぬい(デビュー衣装微笑みバージョン)に頬を寄せた。
「何年ダンデを推してても、毎年魅力を更新してくるからつらすぎるわ。キャパオーバーの上にもっと供給増やされたら、おれさま頭狂っちまうよ。あー、もうだめ、一生推す……」
肩で息をしながら、ぬいたちを所定の位置に戻す。慎重に角度を直したら、最後は古びたポストカードの前で膝をつく。まるい頬を持ち上げて、ちょっぴりぎこちない笑顔を浮かべる少年の写真。学生時代のおれさまの、定期入れにそっと潜んでいたお守りだ。
「ダンデに出会ってから、おれさまの人生はびっくりするくらい賑やかになったよ」
ダンデ少年の写真の下に、劇団の名前が小さく印刷されている。優秀な子役が所属することで有名なその劇団は、今も昔もこう噂されている。「大人になったら、子役の大半はどこかへ消えてしまう」と。
さてここまで来れば、もうとっくにお気付きのことだろう。おれさま、キバナはダンデを強く推している。その歴は古く、ダンデが子役の頃からずっとこの有様である。
当時、ダンデは子役を集めて結成されたダンス・ボーカルユニットに所属していた。爆発的に売れることはなかったが、たった一度、CMに起用されたことがある。歌い踊りながらハンバーガーを頬張り、「おいしい!」と言うだけの簡単なものだ。きっと誰もが、数分も経てば忘れてしまうようなありふれたCM。けれど幼いおれさまは、その片隅できらめく彼を見て、衝撃を受けた。
ほとんど同い年くらいに見えたその男の子の、一挙手一投足全てがおれさまの目を釘付けにした。きちんと伸ばされた指、毛先が踊るようになびく髪。そしてなにより、画面越しでもきらきらと光り、こちらをまっすぐに見つめる金の瞳。おれさまは漠然と思った。自分もこうなりたい。きらきらとしてみたい、と。
子役時代のダンデは、ほとんど仕事がなかったので(大人の見る目がなさすぎる、とおれさまは毎日憤っていた)、そのCMを録画してえんえんと見ていた。けれどある日、両親が誤って録画データを消去してしまった。ダンデとの唯一のつながりを断たれたおれさまは絶望し、泣き叫び、「だいきらい!」と初めて両親に言い放ったりさえした。
これまで品行方正で、反抗期のハの字も知らなかったようなおれさまの嵐に、両親も焦った。口をきかない、という子ども特有のストライキまで始まってしまい、うろたえた両親は関係回復の手立てを探した。そうしてついに、運命のひと言をおれさまに告げたのだ。
「アイドルオーディション、受けてみない? ──ダンデくんも、同じオーディション受けるみたいよ」
それはちいさなちいさなネットニュース。子役ダンデ、新たな挑戦! 新天地はアイドルか。
一時間後、おれさまは履歴書用の写真を撮ってもらっていた。それが今に至るわけだ。
おれさまがかなり古参のダンデ担であることは、両親の他には誰も知らない。オーディションに合格し、ダンデとグループを組むことになった時、ほとんど昇天しかけていたことは、両親でさえも知らないことだ。だっておれさまは誓ったのだ。この気持ちは一生封印していく、と。
おれさまは、ダンデの幸福を一番に願っている。初対面の時、ダンデは言った。「おれたちでトップに立とう」と。
なんとしても売れなくてはいけなかった。どうすれば、ダンデの願いを叶えられるのか。過酷なレッスンから帰宅した後、他のトップアイドルたちを研究する日々が始まった。そうしておれさまは、あるグループ像にいきつく。
天真爛漫で太陽みたいなダンデ。そして、それを冷静に見ながらも、時に熱く同じ方向を目指すおれ、キバナ。それを実現するためには、ダンデ大好きキャラでいてはダメなのだ。おれさまはあくまでも付属品ではなく、引き立て役でもなく、おれさま自身として魅力を発信し、自立したアイドルでいる必要があった。
アイドルは嘘つき稼業だ。愛してるとか、大好きだとか言うくせに、本当に見ているのは隣のたった一人だけ。
客席の彼女たちみたいに、ダンデの一挙手一投足に対して心置きなく叫びたい。 ダンデのことが好きかと問われたら、好きではなく大好きだと、いいやそれ以上なのだと答えたい。 ずっと一緒にいてくれと言われたら、ずっと一緒にいさせてほしいと願いたい。
だけど、嘘をつかなくちゃ。おれさまはキバナである前に、アイドルなのだ。自分のためでなく、誰かのために生きる人生が、始まってしまったのだ。
それでもやっぱり、儚い夢を見てしまう。もしも「ただのキバナ」をダンデの前に晒すことができたなら。素肌のままの心を、そっと渡すことができたなら。ファンという言葉の枠をはみ出し始めたこの想いは、日に日に膨れ上がるばかりだった。おれさまは気づきつつある。誰よりも近い場所でダンデを見つめていても、物足りなくなっていることに。ほしいのは、誰でももらえるファンサービスなんかじゃない、ダンデという人を、そのたった一人を──……。
「あーあ。おれさまの人生めちゃくちゃだぜ」
勢いよくベッドに倒れ込む。最初は純粋に応援していたはずなのに、まったく厄介なものになってしまった。
明日も嘘つきでいられますように。そんなことを願いながら、ダンデ抱き枕(結成三周年記念グッズ会場限定版)を抱きしめて今夜も眠る。
(うそつき稼業はつらいよ/2023.12.10)