甘やかな温もり「えっ、ちょ、なになになに……⁉」
寒い夜だった。いつもより少し早く任務を片付けることができて休息にあてることにした僕は、いつもより少しだけ長く湯船に浸かって身体を温めてからベッドにもぐりこんだ。
それからすぐに寝落ちするくらいには疲れが溜まっていたらしい。掛布団の中に冷たい空気が入ってきたせいで目が覚めた僕は、そこで初めてぐっすり寝入っていたことに気付いた。
「……さむい」
「いや、それ僕のセリフだからね」
寒いと文句を言いながら僕にくっついてくる金髪。暗い部屋の中ではいつもよりくすんで見えるけど、この体温と匂いを間違えるはずもない。外の空気をまとっている七海の身体を抱き寄せると、温めるように背を擦ってやった。
「はー……」
「随分疲れてんね。どこまで行ってたの?」
「……福島。日帰りです」
「あは、おつかれ」
眠くはないのか、目はパッチリ開いている。単純に帰ってから寒さに耐えかねて僕の布団に潜り込んできたのか、それともすやすや寝ていた僕への腹いせか。ともかく風呂にも入らず、部屋着に着替えただけらしい七海は僕で暖を取り始めた。
「すみません、珍しく寝ていたのに起こして」
「いーよ。寝すぎると却って怠くなるしね」
「ん」
僕の腕を枕にした七海のおかげで顔がよく見えるようになった。触れ合わせるだけの軽いキスを贈ると唇まで冷たい。もう何回かキスをすると、熱が移ったのかいつもの温もりを取り戻してきた。
「……シャンプー変えました?」
「あれ、変えてから来てなかった? 先月変えたんだよね」
「いつもあなたが私の家に乗り込んでくるから、こっちに来るのは先々月の連休以来ですよ」
「どう? 嫌い?」
「……悪くない」
ぎゅうぎゅうとくっついていると、七海の手が僕の髪を手慰みのように掻き混ぜる。ふわりと広がるシャンプーの香りに目を眇められたから苦手な匂いかと思ったけど、そのあと口元が緩んだから結構気に入ったみたい。
気分転換で変えただけだけど、七海のお気に召したならよかった。
「七海もこの匂いになってきたら?」
「もう動けないので無理ですね」
「動けないかぁ〜。なら仕方ないね。もう寝ちゃいなよ」
シャワーを浴びてさっぱりしてきたほうが寝付きやすいかと思ったけど、七海はもうベッドを出る気はないらしい。
動けないと言うわりには寝やすい位置を求めてもぞもぞし始めた身体に回していた腕をゆるめて代わりに頭をポンポンと撫でた。
「……眠たくなるまで、何か話してください」
「ほんと、時々無茶ぶりするよね?」
「あなたの無茶ぶりには負けます」
僕の胸元に半分顔を埋めている七海の声はくぐもっていて聞こえづらいけど、この距離で聞き漏らすほどでも無い。
小さな子供みたいなワガママに思わず笑ってしまったけど、七海が本気なのは分かってるから何か話のネタになりそうなことはなかったか、今日のことを振り返ってみた。……うん。今日は朝から呪霊の相手しかしてないからろくなことなかった。高専に顔出せてたら生徒の話とか、できたんだけどな。
「えー、急に喋れって言われると困るね。なんかお題ちょうだい」
「なんでもいいですよ。声を聞いていたいだけなので」
「なんでもいいはダメっていつも言ってるのお前でしょ。もー、仕方ないなぁ。じゃあ僕のとびきりカッコイイ彼氏の話したげる」
なんでもいい、なんて。僕が七海からの質問にその答えを返すと滾々とお説教してくるくせに。自分のことは棚上げしてゆったり寛ぐ姿はまるで猫みたいに自由で怒る気にもならなかった僕は一番話に困らない話題で攻めることにした。
普段の七海なら恥ずかしがって嫌がるところなんだけど、今日は本当になんでも良かったみたいで大人しく僕の腕の中におさまったままだった。
「彼氏はねぇ、僕のこと甘やかすのが世界で一番うまいんだよ。彼氏の手にかかれば僕なんて溶けた猫みたいにされちゃうんだから」
仕事柄飼うことはしないけど、七海は猫も犬も好きだ。真面目な顔してスマホ見ていても、見ているのは撫で回されている犬だったり狭いところでくっついて寝ている猫だったりする。
だから、僕が七海に甘やかされているときどんな気持ちなのか伝わりやすいかと思って選んだ言葉は思いのほかツボをついたのか、ふるりと抱えていた身体が震えた。
「……猫」
「そうそう。でろーんって床に伸びきってさ、警戒心の欠片もないの」
「ふっ、くく……っ」
もう堪えるのを諦めたのかクスクスと笑い始めた七海が可愛くて、小刻みに揺れる背を撫でてみる。
そのうち笑いの衝動がおさまったのか、目尻に浮かんでいた涙を拭うと僕の鎖骨あたりにすりっと額を押し付けてきた。
「はー、もう。明日の朝から寝起きの貴方が猫にしか見えなくなりましたよ」
「いーっぱい可愛がっていいんだよ?」
「そうですね。久々に可愛がりたくなりました」
七海の笑いのツボが浅いときは、鋼の理性も緩くなってて眠たくなってきてる証拠だ。
眠気を吹き飛ばしてしまわないように少しだけ声量を落とすと背を撫でていた手を止めて、そっと毛布を被せ直した。
「ふふ、じゃあ明日期待してる」
「朝、出るのは何時ですか?」
「なんと明日の午前中は休み。七海もでしょ?」
「……伊地知くんですか」
「そういうこと。優秀な後輩がいて助かるよねぇ」
「今度お礼しておきますよ」
伊地知が予定を調整してくれたおかげで僕と七海は明日の午前が休みだ。今日は七海が遅くなると知らされていたから明日の朝にでも七海の家に突撃しようと思っていたのに、まさかの先手を打たれた。
もっとも、七海は僕の予定を知らなかったわけだから本当にたまたまそうなっただけなんだけど、おかげで一緒に過ごす時間が長くなったから嬉しい。
「眠くなった?」
「ん」
「いいよ、寝て」
「でも、」
「僕は明日甘やかしてもらうから、今日はお前の番。ね?」
もう半分目が閉じかかっているのに、一生懸命喋る七海が愛おしくて堪らない。
どうせ僕を叩き起こしておいて、自分がさっさと眠るのに気が引けてるんだろう。そんなの、気にしなくていいのに。
僕に抱き締められてぐっすり穏やかに眠る七海の顔を見るだけで身体に詰まった疲労が溶けていくみたいに無くなるんだから下手な睡眠より余程いい。
それでも頑固な七海は納得しないだろうから、明日は甘え倒すつもりだよと笑えばようやく重たそうな瞼が閉じた。
任務明けで神経が昂っていただけで、身体のほうは元々寝落ち寸前まで疲れてたんだろう。あっという間に寝息を立てた七海をもう一度抱きしめ直すと乱れた前髪の間に覗く額へ唇を押し付けた。
「おやすみ」
明日まで待たずとも、今も僕の隣で気を抜いて眠ってくれるお前の温もりに甘えているのだと、馬鹿正直に伝えるのは気恥ずかしいから。
明日の朝になったらキスのひとつでもねだってみようか。きっとお前は嫌な顔をしながらも、してくれるだろうからね。
おしまい