本日の授業も全て終わり、帰り支度をしていた時だった。
スマホに黛からのメッセージが届いている事に気付き、目を通す。
この近くまで来てるから合流しないか、って誘いだ。特に断る理由もないので、黛に返事を送って手早く待ち合わせ場所を決める。
今日は金曜だし、うちに泊まっていってくれたらうれしいな。なんて思いながらリュックを背負い、俺は教室を後にした。
* * * * *
学校を出た俺が向かったのは、駅前広場の一角にある銅像のところ。わかりやすいし、そこで黛と待ち合わせる事にしたんだ。
黛はまだ到着してないっぽい。というか俺が早く来すぎたかもしれない。夕方だけあってなかなか人も多いなあ……って。
銅像の近くでスマホを眺めてる、ひとりの男性。それが自分の知っている人物に思えて目を凝らす。やっぱりそうだ、あの人は──
「アキさん!」
彼の名を呼びつつ駆け寄ると、俯いていたアキさんも顔を上げてこちらを向いた。
「こんにちは! アキさんも誰かと待ち合わせですか?」
「…………」
……あれ?
アキさんは無言のまま、何か考え込んでる様子で俺を見つめてくる。
「あの、アキさん……? どうかしたんですか?」
そう言ってから、間近で見たアキさんに対し俺も違和感を覚えた。
うまく言葉にできないんだけど、いつものアキさんとちょっと違う気がするような……
俺に対する反応は勿論、それ以外にもどこか違って見えるというか……うーん、何だろう……
「あ、そうか。きみ、アラタ君でしょ」
……んんん?
ぱっと顔を明るくして、合点がいったという風にひとり頷くアキさん。その不自然なセリフに俺が動揺していると、
「ショウ、お待たせ」
背後から掛けられた、これまた聞き覚えのある声に思わず振り向き──
そのひとの顔を見た途端、一瞬だけ固まってしまった。
「……え? えええ!?」
前後にいる人物を、ついつい交互に見てしまう。
だって、そっくりなんだよ。2人ともまるっきり同じ顔だ。
目の前でニコニコしているアキさんと、後ろでちょっとびっくりした表情を浮かべている、もう1人のアキさん。
アキさんが2人!? ファイナル分身!? ……っていくら何でもそれはない。これってまさか。ひょっとして。
「ふ、双子ぉ!?」
そのまさかだった。
実は双子の弟がいて……という驚きの事実をアキさんから聞かされ、弟さん──ショウさんの事を紹介してもらった。アパートで2人暮らしをしながら同じ大学に通っているけど、学部は別なんだとか。
「よろしくね、アラタ君。きみの事はアキから聞いてたんだ」
にこり、と笑って右手を差し出してくるショウさん。俺はショウさんの手を軽く握り返し、頭を下げる。
「こ、こちらこそよろしくお願いします! さっきはアキさんと間違えちゃってごめんなさい……」
「いいよ、慣れてるし」
ショウさんはそう言ってくれたけど、その『慣れてる』って言葉に引っかかるものを感じてしまう。だって裏を返せば、それだけ普段から間違えられてるって事だもんな。俺も、今後は気を付けなきゃ。
アキさんと、ショウさん。2人が並んだのを見て、さっきの違和感が何だったのか漸く気が付いた。2人とも片方の目が髪で隠れているのは同じなんだけど、それがお互い逆なんだ。
それとアキさんは基本的に落ち着いた声音でゆっくり話してくれるけど、ショウさんの方は声に割と抑揚があるというか、だいぶ感情の籠もった話し方をしているような気がする。
その辺りを除いたら、本当に2人はそっくりで。人間、こんな『瓜二つ』って言葉通りに似るもんなんだなあ……としみじみ思いながら、アキさんとショウさんの2人をほへーっと眺めていたら、ショウさんが俺の方にチラリと視線を向け、呟く。
「双子がそんなに珍しい?」
……しまった。ジロジロ見てたら流石に失礼だよな……
「あっ、すみません! 俺、双子のひとって見るの初めてで……」
「そうなんだ。ビックリした?」
こくんと頷くと、小さく笑うショウさん。
不躾な視線で怒らせちゃったかなって思ったけど、ショウさんはむしろ俺の反応を見て楽しんでいるような、そんな感じだった。
「アキの言ってた通りだ。きみ、素直で可愛いね」
「え」
いきなりそんな事を言われて返答に困っていると、ショウさんの手のひらが俺の頬に添えられた。余計動けなくなった俺の目を覗き込むかのように、ゆっくり近付いてくるショウさんの顔。
「あ、あの、ショウさん……!?」
「高校生なら体力も有り余ってそうだし……ほんと、美味しそう──」
「ショウ」
アキさんの静かな呼びかけに、ショウさんの動きが止まった。
パッと俺の頬から手を離し、軽く肩を竦めたりしてる。
な、何だったんだろう、今の。ちょっとドキドキしてしまった。
「……アラタ君もここで待ち合わせ?」
急にアキさんから話を振られ、俺は反射的に背筋を伸ばして答える。
「あ、はい!」
「黛君と、かな」
うっ、バレてる。
ほんの少し目を細めたアキさんに、へへ……と照れ笑いを浮かべていたら、人混みの中を歩いてる黛の姿を発見した。
「あ、黛ー! こっちこっち!」
俺の声に反応して、顔を向ける黛。その目線が僅かに動く。恐らく、俺の後ろにいるアキさんとショウさんの姿を捉えて──
「…………」
一瞬、訝しげな表情を浮かべたと思ったら、何やら眉間の辺りを押さえ込んでしまった。黛もアキさんの事しか知らないし、まあ、そうなるよな。
そして黛にも、ショウさんの事を話してくれているアキさん。黛にしては珍しく、ちょっと驚いてる様子が面白かったりもしたんだけど……俺と握手した時はニコニコしていたショウさんが、その……黛をじっと見つめてた事の方が、俺としては気になってしまった。
言い方がアレで申し訳ないが、黛の顔から足の方へと値踏みするかのような視線を送ったかと思えば、小声で『……へぇ』とか興味アリそうに呟いたのが聞こえて、余計に不安が募る。
べ、別に俺だって誰彼構わず『黛は俺のですから!』みたいな牽制をするつもりは全然ないし、そもそも俺の思い過ごしという可能性だって無きにしも非ずだ。アキさん、そして同じ顔をしたショウさんも勿論カッコいいから、イケメン同士で何か思うところがあるのかも……知れない。
ちなみに今日の黛は、黒のタートルネックに黒いトレンチコートを羽織り、穿いてるズボンもやっぱり黒という出で立ちである。シンプルながらも似合ってて、さながらモデルさんのような……そういえばちょっと前に、モデルの代役頼まれたとか言ってたっけ。
だけど俺は知っている。どこぞの蒼の竜騎士よろしく、黛も中にヒートテックをしっかり着込んでいる事を。
黛って寒がりなんだよなあ。最近気温が下がってきたせいか、手足も冷たくなってるし。まあ、黛の方からくっついてきてくれたり、ギュッとしてくれる回数も増えてるから、俺にとっては悪い事ばかりじゃないんだけど。
「じゃあ、俺達はそろそろ……」
ひとりで悶々と考え込んでいる俺を余所に、アキさんがそう切り出した時だった。
「アラタ君、ちょっと」
「? はい?」
ショウさんに手招きされ、アキさんと黛の2人から少しだけ離れた場所に移動した。するとショウさんが身を屈め、俺の耳元で静かに囁く。
「ね、アラタ君。スワッピングとか興味ない?」
「すわ……?」
聞いた事のない単語だった。
なんですかそれ、って俺が聞き返すより早く、
「ショウ!!」
妙に慌てた様子のアキさんが、ショウさんの腕を掴んで俺から引き離す。
「ごめんねアラタ君。ショウが言った事は気にしないで……」
ほら、行くよとアキさんに腕を引かれて連行されていくショウさん。
アキさんに引っ張られながらもショウさんが笑って『またね』と手を振ってくれたので、俺も手を振り返しておいた。
……なんだか、ちょっと不思議なひとだったなあ。
それがショウさんに初めて出会った時の、彼に対する第一印象だった。
* * * * *
黛と一緒に駅に入り、ホームに向かう道すがら。そういえばさっきショウさんが言ってたやつ、黛なら知ってるかな? と思った俺は、ホームの乗車位置に立ったタイミングで隣の黛を見上げ、聞いてみる。
「あのさ、黛」
「ん?」
「す……すわっぴんぐ? ってなに? 黛知ってる?」
俺がそう尋ねた途端。
まさに苦虫を噛み潰したような──という表現が相応しいぐらい、黛がすごい顔になった。
「それ、誰から聞いた」
「え、えっと、さっきショウさんに『興味ない?』って言われたんだけど、俺わかんなくて……悪い事しちゃったかなって」
「分からなくていい」
憂鬱そうに、大きな溜息をつく黛。
うーむ……この様子だと黛も知ってるっぽいなあ。
一体何なんだろう。言葉のイメージというか響き的に、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしそうな感じなんだけど……でも黛の反応からすると、もっと不穏な事柄だったりするのだろうか。
「気になるな~。後で調べてみよっと」
「やめとけ。忘れろ」
「ええー、俺だって知りた……んいぃ!?」
急に後ろ襟のところから黛の冷たい手を突っ込まれ、悲鳴が上がった。
「もう! いきなり手入れるのやめろよな!」
冷えてるなら握っててやるから、と黛の手を取り、とりあえずモミモミしてやる。
「黛、血行不良なんじゃないの。ビールじゃなくて養命酒とか飲んでみたら?」
「……アラタ」
「んー?」
「アキはともかく、あのショウって奴には用心しとけよ」
「へ」
突然の物言いに、目をぱちくりさせる俺。
どゆこと? って黛に聞き返しても、何だか言葉を濁された。
「ショウと会うなら必ずアキも同席させろ。いいな」
「う、うん……?」
黛の声に有無を言わさぬ迫力を感じ、思わず頷いてしまう。
そういえば、ショウさんに言われて気になってた事がもうひとつあったんだっけ。
『ほんと、美味しそう』
あれもどういう意味だったんだろう。
俺、男だし。女の人に比べたら硬くて美味しくはないと思うんだけど。
何となく、ショウさんにほっぺをガブリと囓られてる自分の姿を想像して──
流石にそれはちょっとやだなあ、と思いつつ。ホームにやってきた電車のドアが開くのを、俺は大人しく待っていた。