波の音だけが繰り返し聞こえる、夜の桟橋。
船乗り達も皆引き上げたこの時間、辺りにオレ達以外の人影はなく、相談事をするにはもってこいの場所だった。
「……そうか。お前、アラタの事をなぁ……」
片手で顎を擦りながら、アルロー教官がしみじみ呟く。
や、やっぱり言わない方が良かったかな。引かれてしまっただろうか……
短い沈黙の後、アルロー教官が再び口を開き、
「まぁ、惚れちまったもんは仕方ねぇやな。相手は手強そうだが……頑張れよ、ジェイ」
いつものように快活に笑い、オレの背をバシンと叩いた。そんなアルロー教官の反応にオレの方もホッとして、
「は、はい!」
よろめきつつも、大きく頷き返したのだった。
最近オレの様子がどうもおかしい。
気もそぞろで、訓練にも身が入っていないように見える──と、訝しんだアルロー教官から『何かあったのか』って問い質されてしまったんだ。内容が内容だけに、本当の事を言うか迷ったけど……アルロー教官なら変な目で見る事なく、オレの悩みも受け止めてくれる。分かってくれる。そう思って、正直に打ち明けた。
即ち、あの猛き炎を──アラタさんを好きになってしまったという事。それも友人としてではなく、正式にお付き合いしたいとか、そういう意味で、だ。
そしてオレの予想通り、理解を示してくれたアルロー教官。度量が大きくて本当に助かる。
「ならお前の悩みってのはアレか、アラタとは男同士だから……とかそういうヤツか?」
「それは……勿論あります。だけど今一番気になるのは、ウツシ教官の事で……」
「あー……」
アルロー教官が、納得したような声を漏らす。どうやらオレの言わんとした事を分かってくれたようだ。
「確かにな。あの二人、距離が近すぎるってか……ウツシ教官の過保護っぷりが凄ぇよなあ。アラタを大事にしてるってのは分かるんだが……ん?」
ふと何か思い至ったらしく、言葉途中でアルロー教官がこちらを向いた。
「なぁおい、ウツシ教官とアラタって既にそういう関係なのか?」
「いえ、オレ独自の調査によれば、お付き合いしている様子はないと思います。……多分、ですけど」
「何だそのお前独自の調査って。直接聞いたりはしてねぇのかよ?」
「き、聞けませんよそんな事! いきなり『お二人は恋人同士なんですか?』なんて質問、空気詠み人知らずもいいところじゃないですか!」
「まぁ……そりゃそうか……」
先日の、とても親密な雰囲気だった二人の様子を思い出す。
一瞬でも『お似合いだな』って、ボンヤリ考えてしまったけれど。だけど、オレだって……!
「ウツシ教官は確かにすごい人だし、オレも尊敬しています。分が悪いのも分かってます。でも、アラタさんの事に関しては負けたくないんです……!」
そんな一心で、こぶしを握り締めながら呟くと、隣のアルロー教官が軽く口笛を吹き、
「ジェイ、お前も言うようになったじゃねぇか」
オレを見つめて、ニヤリと笑う。
教官のそのセリフと表情が、何だか『男』として認められたみたいで、ちょっと嬉しい。
妙な照れくささを感じつつも、オレはもう一つアルロー教官に相談してみたかった事を口にした。
「そ、それでですね。アラタさんのハートを射止める、もしくは好感度を爆上げするいい方法って、何かないですか!?」
「はぁ!?」
「今のところ、気持ちの面以外でオレがウツシ教官に勝てるビジョンが全く見えないんですよぉ……」
「見直した矢先に、情けねぇ事言いやがって……」
「だってあの人イケメンで性格良くてめちゃくちゃ強いし、筋肉だってすごいし。アラタさんとの付き合いも、子供の頃からみたいだし……オレの入り込む余地があるのかなって……」
自分で言ってて悲しくなってきたぞ。
でも実際、ウツシ教官のスペック高すぎなんだよな……あれで未だ独身っていうのが嘘みたいだ。
「そう悲観するなって。お前にもいいところのひとつやふたつ、何かあるだろ」
「た、例えば!?」
「そうだなぁ……」
「…………」
「…………」
「何か言って下さいよぉ!!」
思わずアルロー教官に縋り付いてしまった。教官はそんなオレをベリッと引き剥がしつつ、小さく咳払いをして、
「まぁ何だ。お前がアラタに抱いてる強い気持ちは、充分力になるんじゃねぇか?」
「オレの……気持ち……?」
「何事も諦めない心ってのは大事だからな。自分から諦めて望みを捨てたら、僅かにあった可能性だってゼロになっちまう。それは狩猟だろうが恋愛だろうが、同じ事だ」
……そうだ。
アルロー教官の言う通りだ。
地道にアプローチを繰り返して、オレの存在を少しずつでもアラタさんに認めさせる。いきなりウツシ教官と同じ場所に立とうとしても無理だろうから、日々のトレーニングのように努力を積み重ねていくしかない。
小さな事からコツコツと。オレにはとても慣れてるやり方じゃないか……!
「負けんなよ、ジェイ。俺も影ながら応援してるぜ」
「はい!」
一人で抱え込んでいた事柄を話してスッキリしたのもあるけど、頼もしい味方を得た気分だった。今夜は久しぶりによく眠れそうだ。
「話も纏まったところでそろそろ引き上げるか。確かお前、明日もアラタと約束してんだろ」
「あっ! そ、その件でもアルロー教官にお願いが!」
「まだ何かあんのかよ……」
「明日アラタさんと城塞高地に行くんですけど、教官も一緒に来てくれません……?」
「……それ、アラタとの仲を深めるチャンスなんじゃねぇのか? っていうかお前ら、今まで何度も二人で出かけてただろ。何で今更──」
「じ、実は……アラタさんの事を意識し始めたら、何だか急に緊張しちゃってですね……」
大きな溜息をつくアルロー教官。
もちろん教官の言うようにチャンスではあるのだが、同時に心配事もあって。オレはその場で俯きながら、ぽつぽつと語っていく。
「緊張しすぎてまた失敗したり、オレの不用意な行動でアラタさんを傷付けてしまうのが……怖いんです。アルロー教官が居てくれたら、オレが何かしでかしても、フォローして頂けるかなと……」
「分かった分かった。乗りかかった船だ、アラタが何て言うかはわからねぇが、とりあえず付き合ってやる」
「ありがとうございます!」
パッと顔を上げたオレに、アルロー教官は少し意地悪く笑った。
「その代わり、後で良い酒奢れよ」
「うっ……わ、わかりました……」
だいぶ財布が軽くなりそうだが、背に腹は代えられない。
アルロー教官に心から感謝しつつ自室に戻ったオレは、明日会うアラタさんの事を考えながら──とても安らかな気分で眠りに就いたのだった。
* * *
「あれ? アルローさん?」
「よぉ」
翌朝、待ち合わせ場所の茶屋で。
オレともうひとり、アルロー教官の姿を認めたアラタさんが、意外そうな声を上げる。
「どうしたんですか? 何か用事でも……?」
「それが、アルロー教官がどうしてもオレ達と一緒に行きたいって駄々捏ねちゃって。今日は三人でも良いですか?」
「お前……」
背後から教官の低い声が聞こえた気がした。すみません今はオレに花を持たせて下さいお願いします。
突然の参入に戸惑っていたアラタさんは、アルロー教官の顔を見やり、確認するように問い掛ける。
「い、いいんですかアルローさん。今日はその、大型モンスターの狩猟とかじゃなくって、俺が城塞高地に慣れたいだけというか……地図埋めたり素材集めたり、そんな感じなんですけど……」
「おう、いいぜ。あそこなら俺も案内してやれるしな。勿論、お前さんが良ければの話だけどよ」
そんなアルロー教官の言葉にアラタさんは目を輝かせると、
「……はい! よろしくお願いします!」
嬉しそうにニッコリ笑った。
うーん、相変わらず素直で可愛いなぁ……
「よし、それじゃ早速出発するか。おらジェイ、ボケッとしてんじゃねぇよ」
「いだっ!?」
オレの脳天にゲンコツを一発落とし、さっさと歩き始めるアルロー教官。
「ま、待ってくださいよ~!!」
結構本気で殴られたらしく、頭がズキズキする。たんこぶ出来てそう。
オレは痛む頭をさすりながら、慌てて教官の後を追った。
アラタさんとオレ、アルロー教官の三人で向かった、城塞高地。
正直言ってオレもこの土地には明るくないから、アルロー教官が来てくれた事は二重の意味で助かった。アラタさんとふたり、試行錯誤しながら探索を進めるのもそれはそれで楽しいだろうけど──彼からの質問内容に、オレでは答えられなかったものがいくつかあったからだ。アラタさんのガッカリした顔とか、あんまり見たいものじゃないしな。
「勤勉だなあ、お前さんも」
地図に何か書き込んだり、エリアの繋がりを再確認しているアラタさんに向けて、アルロー教官が言う。一方アラタさんは地図に目を落としたまま、
「ここで戦う際、モンスターに対して少しでも有利に立ったり、的確に追い詰める為にも……地形を早く頭に入れておきたいんです」
そう答えた彼の表情と真剣な眼差しは、いつもの幼くて可愛らしい印象とは違い──手練れのハンターとしてのそれだった。か、カッコイイ……なんてオレが内心ときめいていたら、
「他のハンターと比べて、体格的な面で俺はちょっと不利だから、使えるものはどんどん使っていきたいんですよね……って、こういうの全部、教官からの受け売りなんですけど」
顔を上げ、照れ臭そうに笑うアラタさんは、すっかりいつもの雰囲気に戻っていた。
そんなギャップも彼の魅力を引き立たせるひとつではあるのだが、同時にここでもまたウツシ教官の影を感じて、ちょっぴりヘコんでしまう。ま、負けないぞ……!
「さて、大体これで一回りできたか?」
アルロー教官の言葉に、アラタさんはハッとしたように地図を見せ、
「えっと、この南の方にも行けるみたいなんですけど……道がよく分からなくて」
「ああ、そいつはこっちだな」
地図を覗き込んだアルロー教官の案内に従い、移動する。
やがて辿り着いたのは、倒壊した壁に隠されて一見分かりにくい洞窟……というか、鉱山の跡地のようだった。
「……こんな入り口があったんですね」
中を進みながら、ぽつりと小声を漏らすアラタさん。
岩壁からは鉱石の一部がそこかしこに見えていて、昔はここも炭鉱として賑わっていたのだろう。今となっては人の気配など全く感じられないが。
薄暗い通路をしばらく三人で歩いていると、
「そういやアラタお前知ってるか? ジェイの秘密」
「ジェイさんの……秘密……?」
「ちょっ!? 一体何の話ですか!?」
唐突なアルロー教官の発言に、慌てふためくオレ。
秘密なんて心当たりが……いや、ある。思いっきりあった。オレがアラタさんに抱いてる感情だ。まさかこんな所で勝手にバラしたりしませんよね!?
「あいつな、ああ見えて結構エリートなんだぜ。何せ過去最年少で王国騎士に就任したんだ。将来有望だろ?」
……えっ。
な、なんだ、その事でしたか。良かった……
アルロー教官の口を手で塞ごうかと本気で迷っていたオレは、ホッとして肩の力を抜く。
「へぇ……! すごいんですね、ジェイさん!」
「い、いやあ、それほどでも……」
相手が『英雄』と呼ばれる人物だけに、オレの功績なんて大した事のないように思えてしまうけど──
それでも、目をキラキラさせたアラタさんに賞賛されるのは、正直悪い気分ではなかった。そして、アルロー教官のちょっとした心遣いも。こういった話は、自らアピールするにはあまり向いていないというか……単なる自慢のようで、逆に相手の好感度を下げる結果になりかねないからだ。
騎士かあ、カッコいいな、なんて呟きながら、足を進めているアラタさん。
もしかして、騎士に興味がおありで……?
アラタさんが望むなら、いつか一緒に王国へ行ってみるのもいいかも知れない。王都を案内がてら、デートするのも悪くないな……などと、アラタさんとのデートに思いを馳せているうちに廃坑を抜け、急に視界が開けた。
頭上に広がる青い空と、白い雲。
そして前方には──船着場から繋がっている海、だろうか。光の反射で輝き、静かに波打つ広大な水面。
更に目を引くのが、崩れ落ちた大きな建造物。その一部だったと思われる、以前の面影を僅かに残した石壁や柱の残骸。それらがあちこちに水没している光景は、どこか現実離れした美しさを醸し出していた。
「わぁ……」
感嘆の声を漏らしたアラタさんが、岸辺へ駆け寄っていく。
水面を覗き込み、魚がいっぱいだ、とはしゃいでいるアラタさんの横で、オレも素直な感想を口にする。
「綺麗ですね」
「……いいとこだったんだよ。本当にな」
アルロー教官の小さな呟き。
視線をそちらに向ければ、どこか遠い目をしながら、崩れた建物を見つめているアルロー教官の姿があった。
──教官……?
教官の様子が気になって、思わずその名を呼ぼうとしたところで──
ぐううううう、と、オレの腹が派手に鳴ってしまった。
「すっ、すみません!」
恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じつつ、慌てて謝罪する。しかしアルロー教官は笑い声を上げ、
「まぁ朝から散々ウロウロしたしな。丁度いい、魚でも焼いて食うか」
そんな教官の提案に、オレとアラタさんは諸手を挙げて賛成したのだった。
アルロー教官が火を起こし、アラタさんとオレで魚を釣る。そんな風に役割分担をしてから、しばらくすると──
「どうだ、釣れたか?」
桟橋で並んで釣りをしていたオレ達の側に、アルロー教官が様子を見にやってきた。
「はい、サシミウオいっぱい釣れました!」
「よーし、上出来だ」
アルロー教官はアラタさんの頭をワシャワシャ撫でながら、オレの方を向き、
「ジェイ、お前はどうだ?」
「いやあ……釣れた事は釣れたんですけど……チャッカツオに、はじけイワシが……」
「……食うには向かねぇ奴らだな」
「ですよねー……」
アルロー教官の言葉に項垂れ、オレは釣った魚達をリリースした。幸い、アラタさんの釣ったサシミウオがあるから、食べるには困らないだろう。
「俺の方も火は起こせたんだがな、焚き木がもう少し欲しい……ん、どうした、アラタ。人の顔じっと見て」
「あ、あの、その……」
最初は口籠もっていたアラタさんだったが、アルロー教官を上目遣いで見つめると、躊躇いがちに口を開く。
「アルローさんって……何だかお父さんみたいですよね」
「あぁ!?」
素っ頓狂な声を上げるアルロー教官と、思わず噴き出してしまったオレ。
いや、笑い事ではない。
アラタさんの家庭事情……というかご両親がいない事は把握している。お二人の顔すら知らない事も。なので父や母という存在に対して憧れを抱くのはおかしくないし、普段平気なフリをしていても、やっぱり……心の何処かで寂しく思っているんだろうな、と推測してしまう。
いつかオレも、アラタさんのそういった寂しさを、少しでも和らげる事ができる存在になれるといいんだけどなぁ……
「あっ俺、両親の事全然分からないからあくまで想像なんですけど! おっきくて、頼りになって、優しくて……一緒に居ると、安心できて。お父さんがいたらこんな感じなのかなあ、いいなあって……」
えへへ……と照れたように笑うアラタさんは可愛らしかった。
一方、アルロー教官の方は押し黙ったまま何の反応も示さない。けど、オレには分かる。きっと教官は──
「へ、変な事言ってごめんなさい! 俺、焚き木拾ってきます!」
そう言って、この場から逃げるように大翔蟲で飛び去ったアラタさん。
オレは相変わらず沈黙したままのアルロー教官に背後から近寄り、ぼそりと名を呼んだ。
「アルロー教官……」
「お、おう。どうした?」
「オレの事、応援するって言ってましたよね!? 何ですか今の『きゅん』って音は!」
「き……!? お前の気のせいだろ、俺は別に──」
「いーや! 確かに聞こえましたッ! 言っときますけどアラタさんは絶対に駄目ですから! BSS!」
「うるせぇなあ分かってるよ! ていうかなんだそのBSSって……おいバカ押すな!」
「うわあっ!?」
* * *
「……水遊び、してたんですか?」
追加の焚き木を抱えて戻ってきたアラタさんが、目をぱちぱちさせてこちらを見ている。
「まぁ、そんなところだ……」
「ちょっとはしゃぎ過ぎちゃいまして……」
ずぶ濡れになり、浅瀬で座り込んだまま、げんなりした声で答えるアルロー教官とオレ。
しかしアラタさんは、ふふ、と何だか楽しそうに笑うと、
「ほんとアルローさんとジェイさんって仲がいいですよね。羨ましいです」
「いや違うんですアラタさん! そうだけどそうじゃないっていうか!」
立ち上がり、アラタさんに駆け寄って慌てて弁明するオレの背後で、
「なぁジェイ、もう正直に話しちまったらどうだ?」
「えっ! ま、まだ時期尚早ですよぉ!」
溜息混じりにぼやくアルロー教官の言葉を否定すると、今度はアラタさんがきょとんとした顔になり、
「話すって……何の事ですか?」
「そ、それは──」
ふたりの間を右往左往しながら。
アルロー教官の言うように、オレの気持ちを、想いを、アラタさんに全部伝えたら、何かが変わるのだろうか。
だけど……今の関係から進展するどころか、逆に悪化したらどうしよう。完全に否定されてしまったら、オレは──
そんな不安に苛まれ、結局アラタさんに対しても誤魔化し続ける事しか出来ない、オレなのだった。