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    reika_julius

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    reika_julius

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    ワンライだけどワンライじゃなくなった

     類のことが好きだ。
     ショーに真摯に向き合うあの姿勢や不器用な性格に惹かれた。あの瞳を、自分へも向けて欲しいと願った。
     けれど、この浅ましい欲を本人にぶつけるのは躊躇われた。この気持ちは、隠しておかなければならないと確信した。

     だから──

     ガチャリ、と鍵の閉まる音がこだました。


    ───────


     目が覚めて、視界に入ったのはひたすらに青い空だった。身体はそのままに、瞳のみを動かしていると見覚えのあるフェンスを認めて初めてここが神高の屋上だと確信する。
     どうにも長い夢を見ていたような気がする。司は未だにハッキリしない頭を起こそうと身体に力を入れるがどこからか伸びてきた手に頭を抑えられて叶わない。

    「おや、司くん。お目覚めには早いんじゃないかい?」
    「るい…!」
    「随分疲れていたようだね。君が学校でこんなに熟睡してしまうなんて珍しい、昨日は何時まで起きていたんだい?」
    「昨日…昨日、は何時に寝ていただろうか。」

     司はゆっくりと昨晩の記憶を手繰り寄せる。確か昨晩は日付が変わった後に寝たはずだ。机の上に置いていたアナログ時計を見て、もう寝なければと焦りを抱いた覚えがあった。司は素直にそれを口にする。

    「少なくとも寝たのは昨日ではないな。」
    「ダメじゃないか、僕にはいつも早く寝ろと言うのに。」
    「仕方ないだろう、やらなければならないことがあったんだ。」
    「やらなければならないこと?」
    「あぁ!」

     その“やらなければならないこと”を終わらせて、一息ついてから部屋に戻り、時計を確認した。それは覚えていた。

    「やらなければならないことって、なんだい?」
    「…ええと、だな…」

     類の問いかけの言葉は、咄嗟に返事をすることが出来なかった。少々馬鹿げた話ではあるが、司はその“やらなければならないこと”が思い出せない。もやがかっていて、自分が何をしていたのかすら。
     けれど、しっかりと日付が変わっていたのは覚えているのだ。司はうんうんとその場で唸り続けた。

    「もしかして、思い出せないの?」
    「…情けない話だがそうだな、思い出せん。」
    「へぇ…それはそれは。心配だよ、大丈夫なのかい?」

     類が青空を背景に、心配そうに見下ろしてくる。と、その時初めて司は自分の頭の下は類の太ももにあると気づいた。所謂膝枕という体勢である。通りで寝心地が良いわけだと司は一人頷いた。
     だが──それにしても、と司は不思議だった。これまで類に膝枕をしてもらったことは一度もない。何度か提案されたことはあるのだがずっと断ってきた。それなのに何故今日は。それだけでは無い、そもそも司は何故膝枕をされているのか思い出せない。昼休み、どんな会話を経てこうなったのだろうか。

    「まぁ…大丈夫だろう。それよりももう午後の授業が始まるから行くぞ。」
    「ああ、待って。もう少し寝ていけばいいよ。」

     起き上がろうと身体に力を入れると類がそれを制した。柔らかく優しい笑みを浮かべて司の瞳に手を乗せる。黒く、暗く染められた視界にもう一度、耳に馴染む心地よい低音で「寝て」と呟かれた。

    「顔色、悪いから。」
    「…類、今日なんか変だな…?」
    「変じゃないよ。」

     閉ざされた瞳の内には先程の笑みが映る。優しい、柔和な表情。だというのに司は何故か不安を覚えていた。今までそんな穏やかな表情を向けられたことはあっただろうか。
     目の前にいるのは、本当に類なのか。

    「類…」
    「さぁ、おやすみなさいだよ。」

     類の太腿も、太陽も、暖かくて、意識がどんどん遠のいてゆく。自分はこんなに寝てしまうほどの夜更かしをしただろうかと司は困惑しつつそのまま眠りについた。


    ───────


     ふと、予鈴の音が、ゆっくり司の意識を引き戻した。緩慢な様子で瞼を開けると空はまだ青く、類は何をしてるわけでもなく司を見下ろしている。

    「フフ、ゆっくり眠れたかい?」
    「ん、あぁ…すっかり眠ってしまったな。」
    「今丁度放課後になったところだよ。そろそろ起こそうかと思っていたから良いタイミングだったね。」
    「うぐ…すまないな…」
    「君が眠れたようで何よりだよ。」

     いつもの悪い笑みはどこへやら。類はまた穏やかな笑みで司の顔に手を添える。添えられた場所は火傷をしたように熱くなってしまった。いたたまれない、と司はそれを振り払うように起き上がる。長い間枕にされていた彼の太腿は随分と丈夫なようで司が離れると何事も無かったかのように体勢を崩した。

    「授業をサボってしまったが、とりあえず帰るか…」
    「そうだね、帰ろうか。」

     今まで寝ていたからか頭がぼんやりとしている。けれど、それは類の次の発言で吹っ飛んだ。

    「今日は練習も無いし、僕の家に泊まりに来るんだよね?」
    「──は、と、泊まるっ?!何を言っているんだ?!
    「おや?昨日のこと覚えていないのかい?」
    「昨日…?」

     驚いた衝撃ですっかり目覚めた脳が急いで昨日の記憶を手繰り寄せる。昨日、昨日と云えば。記憶がゆっくり蘇り思い出す。

    ──そうだ、昨日の夜は類と通話をしていてその中で泊まりの話が出ていた。それで──

     スマホの画面を確認すると日付が変わっていたから早急に寝ようという話になったはずだった。しかしまだまだ話し足りない故に泊まってしまおうかという流れだったと司は反芻する。

    「すっかり忘れていた…」
    「フフッ、でも来るだろう?」
    「いや、行きたいのはやまやまなのだが着替えなんて持ってきた覚えが──」
    「おや司くん、今日は随分と忘れっぽいねぇ。ちゃんと朝しっかり持っていたじゃないか。」
    「む、そうだった、か?」
    「そうだよ、そんな調子ではまた咲希くんから心配されてしまうよ。」

     眉を下げて苦笑いを浮かべる類を見て司は再度記憶を振り返る。今日家を出る時の荷物はどうだっただろうか。しかし、おかしい。記憶が無い。思い出せない。ぼんやりと登校したような記憶はあるというのに手荷物がどうだったかが分からない。もしかするとまだまだ頭は目覚めきっていないのかもしれない。

    「とにかく帰ろうじゃないか、司くん。」
    「あっ、あぁ!すまないな、帰るとしよう!」

     類に促され、司は屋上を出た後静寂な廊下を渡り、2-Aの教室へと戻ってきた。教室にはよく喋ることの多いクラスメイトが2、3人残っており司の顔を見るなり笑い声をあげた。

    「なんだお前達は!人の顔を見て笑うなど!!」
    「いやいや、天馬じゃん!どこ居たんだよお前!」
    「先生が困惑してたぞ!」
    「あ、ああ…そうだった。すまん、授業をサボってしまった。」
    「俺らはどうとも思ってねーよ。まぁ珍しいじゃん、お前がサボるなんて。」
    「また神代と何かやってんじゃないかって皆で噂してたんだよ。」

     クラスメイトの鋭い考察に「まぁ、そんなところだな」と司は返し自分の机にかかっている鞄を手に取る。すると、類の言った通り普段の鞄の隣に着替えが入った別の鞄が置いてあった。全く記憶は無いままなのだが。そのままなんとなくスラックスの後ろポケットへと手を入れ、

    「そういえば今は何時だっただろうか。」
    「時計あるぞ。」
    「あぁ、そうか。」

     時間を確かめる為に時計を見上げると針は15時55分を指している。ふと、違和感が司に芽生えた。けれどその違和感が何か分からないまま廊下から司を呼ぶ声が聞こえてくる。

    「司くん、帰ろうか。」
    「ああ、そうだな。」

     結局違和感の正体は分からないまま、司は類と帰路に着く。

    「司くん、次はどんなショーがしたい?」
    「そうだな…秋はもう決まっているから冬のショーを考えていこう!」
    「うんうん。」
    「またクリスマスをテーマにしたショーはやるとして、他にも冬ならではのショーをやりたいなあ!」
    「フフッ、そうかい。」
    「類はどう思っているんだ?」
    「僕?僕は…司くんの台本に対して精一杯の演出をつけるよ。」
    「ああ…?そ、うだな、オレも演出のしがいのある台本を書くぞ…?」

     その帰り道の会話にもまた司は違和感を覚えた。何が、とははっきり言えない。しかし何かおかしいのだ。類の後ろで紅い夕日がゆっくりと落ちていく。それを見て司は、胸の内が晴れないままに秋はこれほど日が落ちるのが早かっただろうか、と疑問を抱いた。

    「司くん、どうしたんだい?もう着くよ。」
    「えっ!あぁ大丈夫だ!」

     よっぽどぼんやりしていたらしい。考えごとをしているうちにいつの間にか類の家の前に居た。司が「ご両親に挨拶を」と言うと類は「今日は両親共に居ないから気を遣わなくていいよ」と返す。

    「居ないのか。」
    「うん、そうだよ。いらっしゃい司くん。」

     類の両親は出かけていると聞くことが多いが今日もそうらしい。一度心配でお節介だとは思ったが家族仲を聞いた時は思ったよりも良好で司はホッとした覚えがある。
     ガレージの中に「お邪魔します」と言って入るとやはりそこは前に来た時と同じく散らかり放題の部屋だった。類は部屋に入るなり鞄をその辺へ放り捨て、そこからガシャンと金属の部品であろう物の音が鳴り響く。

    「類、今は何時だ?」
    「5時半だね。」
    「そうか。」

     5時半。高校から類の家まで寄り道無しで歩いた割には到着時刻が遅いような。いや、そもそも司は学校を出た時刻が思い出せない。
     そうしている間にも窓の外はどんどん暗くなっていって、電気をつけなければと司はスイッチに手を伸ばす。しかしその手は静寂の中誰かに取られてしまった。誰か、と言ってもこの部屋には司以外1人しか居ないのだが。

    「類?」
    「電気なんて付けなくてもいいんじゃないかな?」
    「──は」

     類は悪意の一切感じられない満面の笑みを浮かべながら司の身体に体重をかけ、バランスを崩してしまった司はベッドの上に背中を落とす。類は司の真上でまだ笑みを浮かべており、司は初めて自分が押し倒されたことを認識した。
     司は、全く意味が分からない、と目を見開いて類を見つめる。

    「る、ぃ……?」
    「…何を驚いているんだい?これは、君が望んだことだろう?」
    「の、ぞんで、いた…?」

     類の瞳はひたすらに静寂を映しており感情が見えない。

     その瞳を見た瞬間に司は、確かに類のことが好きだったことを思い出した。
     隣に居て欲しい。出来るのであれば──友人以上の関係を望んでいた。何故今まで忘れていたのだろうかと思えるほどの抱えきれなかった感情が込み上げてくる。
     だけど、何かおかしい。こんなのは、おかしい。こんなのは、類じゃない!

     司の頭の中で警鐘が響く。刹那──

    「ぐっ…ぅ…?!」

     気がつけば司は類の腹を思い切り蹴り上げていた。低く、重い、耳に馴染む声が苦しそうにあがり、それに合わせて腕の拘束が緩みすぐにそこから抜け出した。
     窓の外は真っ暗で、すっかり日が落ちているようだったが、司は迷わずガレージのドアを空けてその闇の中へと飛び込んでゆく。辺りを照らすのは空に浮かぶ月と街灯のみ。後ろは一切振り向かなかった。

     司は、類のことが好きだった。それは変わらない事実だ。そこにおかしいことなどない。けれど、司は類からあんなことを言われるような覚えはない。
     何故なら想いを伝えられていない。恋に落ちたことを口に出せていない。それなのに──

    「オレが、何かを、忘れている…?」

     何度も通ったスクランブル交差点を前に司は呆然と空を見上げて立ち尽くす。辺りの建物に光が点っていないだけでこんなにも星は美しく瞬いているのが見えるのかと司は感心した。
     類は何故、急にあんなことを言い出したのだろうか。いや、急にではない。司は改めて今日の類の行動を振り返り、違和感の正体を探ろうとして、あることに気がついた。
     思えば今日は丸一日違和感を覚えていたことを。変だ、おかしいとずっと思って過ごしていた。その最大の違和感は、類と、記憶だ。類の態度に変だなと思い続け、記憶がはっきりしないまま過ごしていたのを思い出す。思い出そうとしても全く思い出せない、今日の午前と昨晩の記憶にきっと何か手がかりがあるのだろうかと司はその場で考え込む。
     まず、昨晩の記憶だ。類と話していたら日付が変わったことに気づいて眠りについた。その通話中に類の家へ泊まりに行くことが決まった、らしい。らしいというのは記憶がはっきりしないからだ。通話中の会話を覚えていない。何を話しただろうか。話して、日付が変わっていたことだけは覚えているのが不思議だ。どうしてか脳裏にしっかり焼き付いている。机の上のアナログ時計は──

    「…時計、机…?」

     部屋に戻って、机の上のアナログ時計を確認した。そうだ、何かやるべきことがあった。それ自体は思い出せないが。
     やはりおかしい、記憶が二つ混在している。昨日類と通話した覚えなんてない。けれど、類と通話した記憶はある。
     スクランブル交差点を眼前に、司は1人息を呑む。暗い空、街灯のみが灯された暗い摩天楼の群れ。司は時間を確かめようと後ろポケットに手を入れる。しかしそこに目当てのもの──スマホは存在しなかった。今だけじゃない、放課後に確認した時もスマホはなかった。いや、今日1日スマホを見ていない。

    「待て、明らかにおかしい…!」

     やけに人の居なかった学校、誰もいない交差点、明かりの消えた街並み、進み方がおかしい時間、そこに何も疑問を感じなかった自分。

    「──司くん。」

     そして、様子のおかしかった、類。
     あれから追いかけてきたのだろう、類は司の後ろに、やはり微笑を浮かべて立っていた。
     しかし司はもうそれが類ではないと確信を得ていた。だからこそ投げかける。

    「お前は、類では無いだろう。」
    「何故?」
    「ショーの話に対してやけに消極的過ぎた。類が、あんな中途半端な気持ちでショーをやっているわけがない。」
    「司くんに、見とれていたんだよ。」
    「…それに、お前は覚えているかは分からないが…類の部屋でお前は鞄を放り投げたな?その時部品が散らばってしまっていた。あれは、確かネネロボの部品だ。」
    「……」
    「類は、大切な部品をぞんざいには扱わない…!!」

     口に出してから初めて司は、なんでこんな単純なことにも気が付けなかったのか不思議でたまらなくなった。何もかもおかしい世界を何故受け入れられたのだろうか。

    「お前は、類じゃない……!」

     再び、類の姿形を取った“何か”にそう言った。自分自身に言い聞かせる為でもあったのかもしれない。
     司の言葉を笑顔のまま受け止めた類はその笑みをゆっくりと崩して「そうだね」と一言発した。やはり類ではなかった。しかし司がそれを事実として受け止めたその瞬間、

    「?!」

     バシャンッという音と共に類の体が液状になって地面に水たまりが作られた。目の前で起きた光景を信じられないと司は一歩後すざる。すると、水たまりの中で何かが月の光に反射しているのを見つけた。一体何が、と恐る恐る近づいて目を凝らすと水たまりの中に落ちていたのは銀色の鍵だった。その鍵には見覚えがある。

    「オレの家の鍵ではないか……!」

     嫌ではあったが水たまりの中へ手を入れてその鍵を取り出してもう一度よく見る。どこからどう見ても司の家の鍵だった。何もかも分からない。何故このタイミングで鍵なのだろう。これまでの自分は家の鍵を持っていなかったということなのだろうか。考えても結論は出てこない。

    「…家に帰るか?」

     鍵を握りしめて1人、スクランブル交差点を背にぽつりと呟く。答える者は誰もいない。司は1つため息をついて家の方へ足を向ける。ここで鍵を落としていくなんて家に何かあると言っているようなものだ。

     家に着くとやはり電気はついていなかった。緊張で手を震えさせながら鍵を入れて回す。当たり前のように鍵の開く音がした。
     家に入り、玄関で家族を呼んだが返事はないままリビングへ行く。真っ暗で静かな広いリビングに司は息を呑む。それでも電気を付けて、中央のソファがあるところまで歩いていくと何やら微かに音が聞こえてきた。何かは分からないが、遠くで何か鳴っている。耳をすませるとその音は何となく聞き馴染みのあるようなもので、吹き抜けの上から聞こえてきていた。

    「オレの部屋…?」

     司はその吹き抜け──自分の部屋を見つめてゴクリと唾を飲み込み階段を1歩ずつ着実に登っていく。この緊張感と恐怖心はまるでホラーゲームをしているような気分だったが、しかし、司の考えが正しければここは司もよく知る場所のはずだ。きっと危ない目には遭わない、何故かそんな確信があった。そのまま2階にあがり、少し歩いて司はとうとう音の根源である自分の部屋の前に立つ。一度深呼吸をしてドアノブに手をかけるとドア越しから音が形をとって耳に入った。

    「やはりな。」

     聞こえてきたのはよく知る音楽だった。司はそのまま勢いよくドアを開けてリビングの明かりが差し込む部屋の中、机の上で淡い光を放つスマホの前に立つ。画面に映し出されていたのは“セカイはまだ始まってすらいない”という文字。司は驚きを示すことなくその画面をじっと見つめる。
     やはり、ここは、セカイだった。

    「しかし、いつものセカイとは全く違うな…」

     煌めきながら回る観覧車も、空を走る機関車も、いつも賑やかな劇場も辺りには見当たらない。司が今見ているのは現実とそっくりそのまま同じ世界観だ。
     さて、ここがいつものセカイと同様であればこの曲を止めさえすれば現実へ帰れるだろう。流れている曲はどう聞いてもいつもの曲なのだから止めても帰れないなんてことあるはずもないだろうが、と司は考える。そしてもう帰ってしまおうと指を画面へ向けた時、背後から声がした。

    「見つかっちゃった〜。」
    「っ!?」

     高い、独特な、機械的な柔らかい音色。この声は聞いたことがある。後ろを勢いよく振り返れば大きく揺れる緑色の髪の毛が目に入った。

    「ミク……!」
    「どうだった?司くんが望んだセカイは。」
    「…のぞ、んだ?」
    「そう、司くんが願って、想って作り替えたセカイ。」
    「…あ……、オレ…!」

     無邪気なミクの目は光の反射の関係かよく光る。彼女がいうにはここは司の想いで作り替えられたセカイ。司はその意味を最初の数秒は理解出来ないままだったが突如頭の中に覚えのない記憶が流れ込んできてその場に膝をついた。
     そして、思い出した。ここに来る前の記憶を全て、思い出した。

     司は昨晩このセカイへ赴いた。沢山のワンダーが詰まった非常識なセカイへ。そしてミク達に言った。
     類への恋心を無くしたい、けれど捨てるには未練がある。だから一度だけ。一度だけ類と恋人ごっこがしてみたい。
     ミク達はそれを黙ったまま聞き、静かに涙を流す司に恋心を隠すことなら出来ると言い、司の理想に忠実な類もセカイに出現させることも出来ると言った。そして司はそれを、望んだ。

    「だから類に恋をしていたことすら忘れていたのか…!」
    「えへへっ☆司くんはどうだった?この望んだセカイは!」
    「うーーーむ…いや、良いものではなかったな。結局オレは類に対して偽物だと断言してしまった。オレの望む類は、オレのいつも見ている類とは到底違うものだったという事だな。」
    「うん!びっくりしたよ〜!急に偽物だって言うんだもん!!」
    「まぁ、理想は理想、現実は現実という事だな。今のオレの理想はあまりにも現実にそぐわないんだ。」
    「うーーーん?」
    「確かにオレだけを見て欲しいという想いはあった。が、しかしだからと言って他を粗末にするような類は…現実的ではなかった。ままならないものだな。」

     理想を現実にする。偉人たちによく使われる言葉だ。きっと、自分がセカイでやって見せたのとは全く別の意味を持っているのだと司は思う。これは現実逃避だった。日に日に増す類への感情が重たくなりすぎて、抱えきれなくなって、目を背けようとした。

    「司くん、いい笑顔だね。」
    「あぁ。」
    「類くんへの恋心はどうするの?」
    「どうしてしまおうか。でもきっと、隠したところですぐに惚れ直してしまうだろうな。オレは、あの類が好きだから。」

     煌々と光るスマホを持って指を構える。ミクはニコリととびきりの笑顔で笑ってみせた。

    「感情を隠してしまったら、きっと心の底から笑えなくなっちゃうからどーしよーって皆とお話してたんだけど、司くんがそう言うなら良かったよ〜!」
    「ああ!ちゃんと現実に向き合おう!!嘘の笑顔も、嘘の愛も、オレは望んでなんかいないからな!」

     嘘は、虚構は、ショーの舞台上だけでいい。そう言って、曲を止めると司はワンダーステージの舞台裏に居た。外は明るく、スマホに映される時間は昼の14時で通知欄には大量の着信が入っている。まさかと思って日付を見ると記憶に残っている日付と違う。どうやら1日程経っているようだった。どうしよう、心配をかけてしまった。まずは親に連絡を入れるべきだろうかとスマホを持って固まっていると着信音が鳴り手の中のスマホが震え出す。発信源には神代類の3文字。

    「出づらいな…」

     よりにもよって類だとは、と司はスマホを見ないように腕を下げた。気分はすっかり失恋なのに現実に帰ってきて1番最初に聞く声がそれなんてあまりにも酷ではないだろうか。しばらくするとスマホは大人しくなり司は胸を撫で下ろしながら家へ帰ろうとワンダーステージを出た。着信履歴を調べると咲希の文字もある。倒れていやしないだろうかと心配で胸が重くなった。
     そのままスマホを操作しながらフェニックスワンダーランドの従業員用出入口から出よう、とその瞬間のことだった。

    「司くんっ!!」
    「!類っ?!」

     ハァハァと息を切らし、汗を流した類が目の前に居た。どうやらたった今ここに入ってきたらしい。どうしてここに、だとか色々言いたいことも思うこともあった。けれど司はなんと言えばいいのか分からずに「おはよう」とだけ震える声で呟く。

    「良かった…!皆心配していたんだよ!君は居なくなったまま連絡が取れないし、セカイには入れないし…」
    「す、すまない…!」
    「何か…あったのかい…?」
    「いや、その、だな…」
    「僕…達には言えないこと?」
    「それは…っ…」

     心配そうに眉を下げて司の顔を覗き込む類に、司は本当のことは言えなかった。月のように綺麗な類の瞳を見続けることも出来ず、視線は硬いコンクリートへ向ける。

    「何か、してしまったかな?」
    「ち、違うっ!お前達は関係ない!!オレの問題、だ…」

     類の言葉は震えていて、随分心配させてしまっていたのだと理解した。早く誤解を解かなければ、思わず顔をあげて否定をすれば類の瞳は少し潤んでいて、司は唖然として言葉を失った。類の涙を見たのは初めてかもしれない。

    「関係なくても、いいよ。司くんの力にならせてよ、僕…達は仲間だろう?個人の問題でも、君は今まで…」
    「類…すまなかった。ただ、オレはセカイで演技の練習をしていただけだ!夢中になっていたら帰ることを忘れてしまっていてな、次からは気をつけよう!」
    「…本当に?」
    「ほ、本当だ!」

     そっと、類の瞳に溜まっていた涙を指で拭う。それにしても咄嗟に思いついた言い訳を口走ったもののこれは無理があるのではないかと司は苦笑を漏らす。けれども類は静かに「そうかい」とその言い訳を受け入れた。

    「心配かけてしまったな、もうしない。」
    「…咲希くんが泣いていたよ。早く連絡を入れてあげたらどうかな。」
    「あーーーっ!!そうだ!咲希に連絡しなければ!!!」

     謝ると類は何も言わず咲希のことを口にした。そういえば連絡するのをすっかり忘れていたと、手に持ったままだったスマホに電源を入れて連絡帳を開く。すると何故か類が静かに名前を呼んだ。

    「司くん。」
    「…ん?なんだ?」
    「ううん、なんでもないよ。ただ、司くんは、君が思っている以上に沢山の人に愛されているということを忘れないでいてくれたまえ。」
    「…、あ、あぁ!!」

     類はニコリと笑顔を見せてそう言った。その笑顔に司もつられて口角が上がる。
     愛されている、なんてタイムリーな言葉だった。司は類の言葉を反芻して、もう一度笑顔で「そうだな」と呟く。きっと、司が思っている以上に愛というのは複雑で、決まった形を取らないもので、分かりづらいものなのだ。類に愛されたいなんて思っていたのに、もう愛されていたことに今の今まで全く気が付かなかったように。

    「類。」
    「なんだい?」
    「お前も沢山の人に愛されているぞ!」

     類は一瞬呆けた表情を見せた後嬉しそうに笑った。そうだ、これでいい。きっとこの恋が実らなくても、全く違う形で愛されている。理想は、既にほとんど現実だ。
     そんな気持ちを抱えながら電話をかける前、司はもう一度心の底からの笑みを見せた。
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