君を待つ宵に(前編) 金鱗台で与えられた客室にて、江澄は寝入ることができずにもぞもぞと寝返りをうった。
そもそも、神経質な江澄は蓮花塢の自室以外で寝るのは得意じゃない。
この部屋を用意した人間はそうした江澄の性質も、江澄の私室の設えも知り抜いている人間だ。江澄が使用しているものと同じ産地から取り寄せた同じ肌触りの布団。欄間や天井の細工などは蘭陵金氏好みの豪奢なものではなく、雲夢江氏らしい素朴ながらも流麗なつくりで、薫きしめられた香も、江澄の好みに調香されている。それでも落ち着かないのは。
「叔父上、一緒に寝よ」
こうして闖入者がやってくるのを、予見していたからだ。――――邸宅の主人を闖入者と呼んでいいのかはわからないが。
体を起こした江澄は、入り口に立つ金凌を一瞥すると枕を投げつけた。
「ひどいよ」
顔面に向かって飛んできた枕を受け止めて、金凌が口を尖らせる。
「金凌ぼっちゃまは寝かしつけをご所望か? あいにくとここは蓮花塢じゃない。お前の家なんだから、一人で眠れないならばあやか侍女でも呼ぶんだな」
「悪かったって」
にやにやと笑いながら形ばかりの謝罪をする金凌の胸のうちが、江澄にはありありとわかった。
(蓮花塢なら寝かしつけてやったと言ったようなもんじゃないか)
蓮花塢で寝かしつけてやったのなんて、金凌がほんの子供の頃の話だというのに。自分より大きく育った成人男性を寝かしつけてやるなんて、滑稽にもほどがある。
「ちゃんと江澄って呼ぶから、許してくれる?」
「…………っ、なんの話だ!」
「だって、名前で呼んで欲しいんでしょ?」
甥に手を出してしまった(実際には手を出されてしまったという方が正しいが)といった罪悪感が刺激されるから、そういう空気の時に叔父上と呼ばれると無性に腹が立つのだ。
赦した覚えもないのに、金凌が江澄の寝台に腰かけてきた。
「夜更けに勝手に訪問してきた無法者を、撃退しようとしただけだ」
――――枕で。
「じゃあ、叔父上って呼んだ方がいい? 甥っ子が、大好きな叔父上の部屋に遊びに来るのは普通だろ」
自分の叔父に夜這いをかける甥っ子などタチが悪すぎる。
「お前は自分を一体いくつだと思ってるんだ。それとも、子供扱いが望みか? 昔みたいに寝かしつけて欲しいのか?」
「叔父上の寝かしつけは、早く寝ないと鞭で打つぞって言うだけだっただろ」
「お前がねだるから、水を汲んでやったぞ」
「歌は歌ってくれなかった」
「そんなことできるか!」
「けち!」
口を尖らせながらも、金凌がいそいそと江澄の下衣の裾に手を差し入れる。外気をまとってひんやりとした指先に、江澄は身を竦ませた。
「お前、文句を言うのか、手を出すのかどっちかにしろ」
「はあい」
間延びした返事とともに黙り込んだ金凌の掌が内腿を這う。ぞわぞわと悪寒がはしりぬけ、とっさにその手を掴んで押さえ込んでしまった。
金凌が不満そうに目を細める。
「ねえ。俺が夜這いをかけるの、期待してたでしょ?」
「馬鹿を言え。付き合ってやるが、さっさと済ませろ」
たとえ……たとえほんの少しばかり期待する気持ちがなかったと言えなくはなかったとしても。期待してたなんて口が裂けても言えない。
「早く終わるかどうかは、江澄しだいかな」
「んっ」
突然、肛門の中へ指を差し入れられた。濡らされてもいない指は、第一関節のあたりまで侵入をとどめて、ぐるりと入り口付近のひだを撫でる。受け入れる準備の整っていない臓腑をこねられる感触に、内壁は異物を押し出そうと激しく収縮した。ところが、金凌がその拒絶をあっさりと受け入れて中指をすぐさま引き抜いたのに物足りなさを感じてしまい、江澄は無意識ながらも切なそうに眉を顰めた。
「ふふっ。……もっとしてって言われたら、俺は逆らえないからさ」
「ぬけぬけと……!」
もっとしてくれとねだる行為など、自分からしたことは一度もない。すべて、この生意気な年下の男に言わされただけだというのに!
「だって、思ってもないことは言わないだろ。江澄はさ」
その言葉に、頭に血が昇ると同時に足が出た。
「痛っ! なにも蹴ることないだろ!」
「蹴られるようなことを言うお前が悪い」
「図星を突かれたからって暴力を振るうなんて」
「次はお前の口を縫いつけてやる」
「それよりもっといい手があるだろ」
金凌の顔が近づいて、吐いた息が江澄の鼻先にかかる。射抜くような琥珀の瞳が眩しくてぎゅっと目を瞑ると、すかさず唇が塞がれた。
両手で江澄の頬を挟み込むと、下唇に何度も噛みついて固く閉じた唇と開けるように催促される。江澄が眉間に皺を刻みながらも渋々と唇を薄く開くと、金凌の舌が待ちわびたように口腔内に潜り込んできた。口内を探っては唇をはなし、また角度を変えては舌を突き入れて、あらゆる場所を暴いていく。唾液が混ざり合うほどに獣じみた刺激的な匂いが広がり、江澄の脳がだんだんと痺れていくようだった。
「ふぅ……っ」
ようやく金凌の顔が離れ、江澄はほっと一息つく。心臓が激しく脈打って、こわばっていた身体に熱が通いはじめる。
「やっぱり無理かも」
口の端についた唾液を舐めて、金凌は余裕なく呟いた。
「もう駄目って言われても、やめてあげられない」
「金凌」
唸るように、名前を呼ぶ。
「だって久しぶりじゃないか」
江澄の手をとった金凌は指先に唇を寄せて、恭しく口づけた。
「会いたかった。……江澄は?」
伏し目がちにいじらしく問いかけられるのに、江澄は弱い。
「……阿凌」
苦々しく絞り出したような声から赦しを感じ取った金凌は、少年のようににっこりと微笑んだ。