金曜、18時都会のカフェは、狭い土地になんとか置けるだけテーブルと椅子を置いて、そんな中でも最低限お客さまが過ごしやすいようになんとか工夫を凝らすさまがいじらしくて好きだ。今日は金曜日だったから、大体の人間がディナー前の待ち合わせか、あるいはその待ち合わせまでの時間つぶしのために、無駄のない配置で置かれた椅子に腰かけて思い思いに過ごしていた。
なんか、あれに似てる、広げた生地からできるだけたくさんのクッキーを型抜きするみたいな感じ。角もムダなく、ぴったりと机が収まっていた。そんなことを考えている俺も、この後の予定のために仕事終わりの恋人を、おりこうに待っているわけである。
学生の時からこうやって待つことは割とあって、けど、俺にはいつも持ち歩いている小説だってあったし、趣味の人間観察をしていたってよかったし、時間をつぶすことは得意な方だった。まあ、アラサーになった今、じろじろ他人を見ていると面倒なことになりかねないので、こういう誰もが座ってその場から動かないような場所ではあんまり人間観察はしなくなったかな。世知辛い世の中である。
都会のカフェの好きなところ、もうひとつあった。席と席の間隔が狭いところだ。隣の会話がかなりクリアに聞こえる。盗み聞きとかではありません、聞こえちゃうだけなんです。たまたま、僕、音楽とか聴かないタイプの人間なので。なんか、怪しげな講習会のお誘いとかだとはらはらして気が気じゃなくなっちゃうけど、今日は女子二人が恋バナをしていたので大当たりの日だった。しかもどっちも両想いらしくてなんだかパステルカラーの雰囲気がそのテーブルの周りだけぽわーっと包んでいて、幸せそうでいいなあと思う。
ちなみに背中側の席では仮想通貨で一発当てた知り合いの話でかなり盛り上がっていた。こちらはこちらで夢があっていいと思う。各々がぜんぜん違う話をしているのに、その会話の声はほどよくノイズがかかってひとまとめにカフェのBGMとして機能しているのがおもしろい。
「お待たせ〜」
「お疲れさん、仕事大丈夫だったん?」
顔を上げると、俺が待っていた人物がすこし疲れた顔をして立っていた。今日も本当は岳人の方が先に終わるはずだったのに、終わり間際にバタついたんだろうか、結局俺がこうして待つ羽目になったというわけである。まあ、ぜんぜんいいんだけど。チェーン店なのに意外と重たい椅子を使っているようで、俺の向かいに座ろうと椅子をひくと、ぎいい、と大げさな音がたった。けど、それも各々のお喋りの声へまぎれてなんでもないように過ぎさる。
「あー、まあ、日曜ちょっと出るかな………てか、俺さあ、カフェでなんもしないでぼーっとしてる人って何考えてんだろって思ってたんだけど、なに考えてたの?」
「あ、俺?」
「うん、しかもなんか表情が限りなく、無」
岳人は、こんなかんじ、と言って俺の肩と顔のすきまを無表情で見つめた。いつも表情豊かな人間の無表情ってなんかこわい。とはいえ、青くてくりくりした目には俺を笑わせようっていう無邪気が踊っていたのでまったく怖くなかったけど。かわいらしかったので、思わず、ふ、と笑うとそれをみて岳人も、おいしいものをおなかいっぱい食べた時みたいに笑った。出会った時から俺が笑ったら自分も笑っちゃうくせ、俺は一生指摘しないから、一生気付かないで、一生直さないでほしいと思う。
「まだ結構時間あるな………Sサイズにするんじゃなかった」
「ここおかわりドリンクめっちゃ安いで」
「えー、二杯はいらない。Mくらいでちょうどいいかなって」
そんなこと言って、手元のちょっと氷で色がうすくなったリンゴジュースはもう半分くらいになっている。二杯、余裕そうだけど。
「少なめで、って言うたらええやん」
「それは損したみたいだからやだ」
片手で器用にストローの袋を小さく折って、しばらくもて遊ぶとちらりと俺のアイスコーヒーが入ったグラスを見て、自分のよりも色のついている部分が多いことに気付いて思い直したのか、やっぱおかわりしようかなとつぶやいた。まあ、店の予約の時間から逆算するとここにはあと三十分はいることになるだろうし、懸命な判断だと思う。
「で、なに考えてたの?」
あ、あれってちゃんと質問だったんだ、顔芸やりたいだけかと思ってた。一旦アイスコーヒーをひと口吸い込み、喉を潤す。目線を少し横にずらすと、いつの間にやら恋バナで盛り上がっていた隣の席の女子はクリエイター風の若者に変わっていて、なにやらノートパソコンとにらめっこして真剣に作業をしている。いつの間に………いまだに、岳人が目の前にいるとほんと他のところに注意が向かなくなってしまうんだ、俺は。
「考えてたっちゅーか、近くの会話聞いとった」
「げ!お前そんなことしてたの!?小説読んでろよ………なんのために持ち歩いてんだよ」
「聞こえてくるんやもん、しかも恋バナやで。小説読んどるみたいなもんやん」
「そおか〜?知らない人の恋バナ聞いて面白いの?」
「なんやかわいくてええやん、好きな人の話しとる女子って」
ストローを咥えたまま「ふうん、」と呟くと、岳人は残りわずかとなった、うすい檸檬色をじゅ、と音を立てて吸いきって「おかわりしてくる」とグラスを持って立ち上がった。よく考えてみれば、俺って誰かとそういう話、したことがないな。中学生の時は岳人に片想いしてて、けどとても誰かに相談なんてできなかったから、俺は恋愛小説やらラブロマンス映画、人の恋バナの胸の切なさ、ときめきに『わかる………!』と激しく同意するくらいしかなかったし、付き合ってからはずーっとずーっとハッピーで、たぶん全人類でいちばんしあわせな人間である自信があったから、自慢みたいになっちゃいそうであんまり人に喋らないようにしていた。所謂、のろけみたいなのは。というか、岳人のちょっとかわいいところとか、男前できゅんとするところとか、別に他の誰かが知る必要もないし。俺が岳人と出会ってから今まで、十何年もかけてひとつづつ知っていった、袋とじみたいな部分を、なんで試し読み程度の人間に公開しないといけないのか?というのも少しあった。
「どんな話だった?」
また大袈裟な音を立てて、椅子を引いた岳人がたっぷり入ったりんごジュースをとん、と机に起きながら腰掛ける。先程持っていったグラスよりも一回りくらい大きい気が………差額払ってサイズアップもできた気がするからそれか。
「彼氏が自分のこと好きでしゃーない、困るみたいな話やったで」
「はあ、のろけか………女子ってそういう話すきだよなあ、職場の後輩もよく言ってるわ」
「でも、ええよな、平和で」
俺がふふ、と笑うと、例に漏れず岳人も「たしかに!」と言って笑った。平和そのものである。しばらくして、岳人がいいこと思いついたみたいな顔をして両目に星をいっぱいまたたかせた。何年経っても、濁らなくてすごいと思う、これ。大抵大人になったら色々あって、徐々にあの頃の色とは変わってしまうだろうに、この瞳は色々あったすべてをきらきらした何かに変換して、こうして今も変わらずにきれいなままだ。そういうところが、たまらなく好きだと思う。
「俺の付き合ってる人も俺の事大好きで毎日困ってる」
にや〜っと笑って言われたので、びっくりしてむせそうになった。こんなところで何言ってんだ、とかではない。顔がかわいすぎたのである。俺は努めて冷静を装い「へえ、そうなん」と言ってグラスについた水滴をぺらぺらの紙ナプキンで拭う動作をした。思ったよりも水分が多くて、ぴたり、張り付いてしまう。
「先寝てても絶対頭撫でてキスしてくるし、出張でもなんとかして日帰りしてくる」
「付き合って十年も経ってんのに、未だに二人で外食する時、お気に入りのネクタイしてくるし」
岳人は俺のネクタイをそっと持ち上げると、にやりと笑った。いつの間に、こんな表情するようになったんだ。大人になったもんだ。………じゃなくて、起きとったんかい。俺がなんだかいたたまれなくなって、またアイスコーヒーを飲もうとグラスを持ち上げると、岳人はふっ、と表情を変えてネクタイを元の位置に戻した。はー、なんか、ずいぶん余裕だなあ、と思う。大人っぽい所作、過ごしてきた時間の長さを感じさせるのでそれはそれで好きだったけど。ちょっと寂しい気持ちにもなる。
「俺の恋人も俺の事大好きやで」
俺がそう言うと、岳人はぴくりと眉を動かして、こちらを見る。何を言ってるんだこいつは、みたいな顔だ。いや、当然仕返ししますけど。そっちが始めてきたことですし。
「先寝とってもベッド入ると寝ぼけながら抱きついてくるし、出張帰りはいつも俺の好きなもんばっか作って待っとるし」
「外食の約束守るために仕事めっちゃ調整してくれるし」
「おおきに、」と言って頭をぽん、と触るとくちをわなわなさせて「べつにしてねーよ!」と顔を真っ赤にさせて言う。眉毛もつり上がっちゃって。そうそう、岳人のこの顔、めっちゃ好き。「でもぜったい、俺の恋人の方が俺のこと好きだし」とくちびるをとんがらせてぼそり、言ったので「そりゃ当たり前やん」と当然みたいに返したら、限界だったみたいでぱっと顔を覆うと「あー、」とうなっている。ほんと、かわいらしい人。俺の方に向けられた、岳人の腕時計をちらりと見ると、結構いい時間だったので「そろそろ行こか?」と声をかけた。これ以上やってると、外食しないで家に帰りたくなっちゃうし。岳人は「くそー、」と恨めしそうに俺を睨みながら、りんごジュースを勢いよく吸い込む。結局SサイズとMサイズを一杯ずつ。仕事中ちゃんと水分を取ってるのかちょっと心配になる。昔からよく食べ、よく飲み、よく笑うやつだったけども。
各々グラスを下げ台に置いて、店を出る。しばらく歩いて、ちょっと落ち着いてきた岳人が「恋バナ向いてない」と呟いた。恥ずかしがり屋さんだもんなあ、岳人がそういう話してるところ、あんまり想像つかないかも。「他の人とせえへんの?」と聞いたら「なんで他のやつに侑士の話聞かせてやんなきゃなんねーの」とケロッとした顔で言われたので、俺は『わかる………!』と一人思ったのであった。