ダイアローグ こんな会話をしたのがいつだったか、よくは覚えていない。たぶん、付き合い方が変わってすぐの頃だ。肌を重ねるのにもいくらか慣れ、けれどまだ照れくささの抜けない頃。その日も私は王都での仕事を終え、バハリに呼ばれるまま彼の家まで行ったのだと思う。私たちの夜は大抵そんなふうに始まった。バハリが私を誘い、私がそれに応える。おやすみを言い交わして眠るまでは外のことは忘れて、目を覚ましては普段の顔に戻る。その日もきっと同じようにしただろう。
事を終えて気怠さの残る体をベッドに横たえていた。隣には暑そうに顔を拭うバハリがいて、寝返りを打つと違和感を覚えたので半身を起こした。ベッドから手の届く範囲にバハリは色々とものを置いている。そして私は家のものは好きに使って構わないと言われていた。
「どうかした?」
うつ伏せたバハリが両肘をついて私を覗き込みながら言う。部屋の中は枕元の明かりだけで薄暗かったが、私が何事かごそごそしているのが気になったのだろう。正直言って多少気まずかったが、彼相手に隠し事をしても追及が待っているだけなのはわかっていた。
「……オマエが中に出したのがこぼれそうだったんだよ」
「あー……拭いたげようか?」
「自分でやる」
恥の上塗りは勘弁だ、私はバハリに背を向けて足を軽く広げ、そこを薄手のタオルで拭った。体を起こしたことで奥からとろりとこぼれ出るそれは、聞いた話によると人間のものと見た目は変わらないらしい。見比べたわけではないので真偽はわからない。
一体どれだけ出したのか、くぷ、とさらにこぼれるのを受け止める。意味などないとわかっていながら、バハリはいつも中で出したがった。私は構わなかったし、どことなく、そうしたい気持ちもわからないでもなかった。だからこれも、いつものことだ。
「何考えてるの、フィオ」
いつもと違うのは、バハリが私の横顔に不躾な視線を向けながらそう聞いてきたことだった。
「いや、別に」
「考え事してますって顔に書いてある。俺の目はごまかせないよ、諦めて話しなよ」
そんなにわかりやすい顔をしてしまっていたろうか、迂闊だった。特別考え込んでいるつもりもなかったが、どうにもバハリといると気を抜いてしまいがちだ。
ほらほら、とちょっかいを出してくる手を掴んで止める。指の長い、器用な、私を知り尽くした手。この手にどれだけ好き放題されていることかと思うと、少しだけ恨めしくなる。
「ここまで似た生き物なのに、交わっても子を成さないのは何故なんだろうと思っただけだ」
「……なるほど」
意趣返しのつもりはなかったが語気が強くなってしまったかもしれない、バハリの声はわずかに揺らいだ。言っても仕方のないことだとわかっていたので、私は話を切り上げようと言い添えた。
「別に子どもが欲しくて言ったわけじゃない。ただの素朴な疑問ってやつだよ、気にするな」
その言葉にも嘘はない。実際気にして欲しくなかったので、努めて軽く言った。
元より王国に捧げた身だ、伴侶は求めていないし、それよりもやりたい仕事がいくらもある。一番に優先するものが他にあるのは私もバハリも同じで、それが心地良かった。二番目にいつも同じ顔があるだけで私には充分だった。
拭き終えたものを始末していると、いつの間にか体を起こしていたバハリの腕に捕まった。抱き締められ、そのまま倒れてベッドに引き戻される。改めて横並びになると、ついさっきまで私をゆるめ、ほどいていた手が、穏やかな手つきで髪を撫でた。
「それってさ、逆なんじゃないの」
「逆? 何がだ」
「子を成すどころか番うなんて到底無理だった別々の生き物が、ここまで近づいてようやく交われたんじゃないの?」
取り繕うのではない、当たり前の顔をしてバハリはそう言った。
「そう考えると悪いもんじゃなくない? 人間と竜人が積み重ねてきたこれまでの途方もない年月の果てに、俺たちはようやく結ばれたってわけ!」
バハリは散々見慣れて目に焼きついてさえいる、好奇心の果てに答えに辿り着いたときの得意げな顔で、けれどいつも以上に大仰に言って笑ってみせた。なんとも芝居がかった言い様だ、釣られて思わず笑ってしまうくらいには。
「オマエがそんなにロマンチストだったなんて知らなかったな」
「ロマンを追うのが俺の仕事だよ。何なら人間と竜人族の生物学的知見の講義でもしようか? それこそロマンにあふれた話になるよ」
「面白そうな議題だが、子守唄の代わりになってしまいそうだな」
裸のまま、ふんだんな知識を朗々と述べる語り口は軽妙で、私は思わず聞き入った。別々に生まれた竜人と人間とは別々の道を歩み、そしてその道はいつしか重なった。そう語りながら、合間に挟まる私の拙い質問にも真面目に答えるバハリはいかにも楽しそうだった。
腕の中で語る声を聞いていると、私のものよりもっとゆっくりとした心音が低く響いた。普段よりも少し抑えた声と、静かな鼓動とを聞いていると、心地良い眠気がとろとろと私を満たしていつの間にか眠りに落ちていた。その日は本当によく眠れた。胸のつかえが取れたような、温かで軽やかな眠りだった。
いつだったのかは覚えていないが、たしかに、そんな夜があった。