アヅマは恋を認めない「おまえ、恋と愛の違いを知っているか?」
まだ高校生になったばかりのガキだった俺に、コトハラさんがそんな事を言いだした。急になんだよと半分聞き流してはいたが、酒が入ったコトハラさんは俺にかまわず言葉を続けた。
「恋は浅いもので、愛は深いものだ」
「…はあ?」
「愛ってのは家族にも友達にも恋にも使う事ができるだろ?恋は恋人にしか使えない」
「それって言葉の話じゃねぇの…」
コトハラさんはそうじゃないとでけぇ声をあげて熱弁を続けた。曰く、恋の先に愛があると。だから恋が愛に変わったら、俺にそういう相手ができたらちゃんと幸せにしてやれと。最後は半分泣きながらそう言っていた。
コトハラさんが生きているうちにそういう相手を紹介できなかった。というより、恋ってもんがよくわからないまま遊んで、付き合って…それもめんどくさくなって恋愛自体避けるようになった。それが今じゃどうだ。
「ミツギ、それ取って」
「はいよ」
「あんがと」
コトハラさんの墓の掃除をしながら感傷に浸っていた俺は、隣で同じく墓掃除をするアヅマを見た。コイツと恋人と呼べるような関係になって一緒に暮らすようになって何年経ったか。いつまでも「クソガキ」なんて呼んでいられないぐらい、初めて会った時よりもコイツも俺も変わった。こんな俺を見てコトハラさんはどう思うんだろうか。大学に受かった時のように泣いて喜ぶんだろうか。家族が増えたとか勝手に言い出すんじゃねぇだろうか。なんて、こんな事を考えるとは…俺もじじいになったのかもしれない。
「ミツギ?」
「…ああ悪い、なんだ?」
「なんかいつもよりボケーっとしてるから、どした?」
「なんでもねぇよ、帰るか」
ちょっと待ってとアヅマが墓の前で数秒ほど手を合わせる。最後に「また来ます」と声をかけて俺の方を振り向いた。前に一度、アヅマにとってコトハラさんの存在って何だと聞いた事があった。アヅマは悩みに悩んだ末「わかんねぇけど…」と前置きしてからこう言った。
「ミツギの親みたいな人だから俺にとっても…親?」
その時は正直、返す言葉が見つからなくて「なんだそれ」と笑ったが、今なら「ありがとう」なんて言えるかもしれねぇと思う。コトハラさんもそう思ってるだろうしな。
帰りの車の中で俺はあの質問をアヅマにした。
「は?なんだよ急に?」
「昔、コトハラさんに聞かれたんだよ」
「…ミツギはなんて答えたんだよ」
「わからん、しらんって言った」
なにそれと笑ってアヅマは「恋と愛、恋と愛ねぇ…」とうわごとのように呟いていた。やがて「わかった」と大きな声をあげて言葉を続ける。
「恋は俺がおまえを好きって感情で、愛はおまえが俺を好きって感情!みたいな?」
「な、なんだそれ」
目線だけをアヅマに向けるとドヤ顔で返された。詳しく解説を聞こうと突っ込まずに続けろと促す。
「前になんかで見たんだけど、恋は自分の感情で愛は相手からの感情っていう…あれ、なんか違う気がしてきた…でもたしかそういう感じだった気が…」
「まあどっちでもいいんだけどよ、間違ってねぇと思うしな」
「…コトハラさんはなんつってたの?」
恋は浅いもので愛は深いもの。恋の先に愛がある。それがコトハラさんの回答で俺の記憶に強く残っていた言葉だった。それをアヅマに伝えると「深いなぁ…」と感心して唸る。でも納得できねぇ部分があるようでアヅマが俺に言う。
「恋の先に愛があるのはなんかちげぇと思う」
「なんでだ?」
「うまく言えないけど、恋してその相手と恋人関係になったとしても終わるかもしれないじゃん、恋が愛に変わってもそれで終わるのって悲しくね?」
言わんとしている事は分からなくはないが、それが恋愛ってもんなんじゃねぇかと俺は思う。アヅマの中の恋愛観とやらは俺とは違うようで…そういえばこういう話はあんまりした事がなかったなと思った。
「俺は恋の先に愛があるっつーのはわかる気がする」
「そーなん?」
「おまえを好きだって気付いてそれが恋だとして、もっとおまえ…アヅマの事を知りたいと思って一緒に居るのが当たり前になってからそれが愛っつーのに変わ……」
って何言ってんだ俺は。目の前の信号が赤に変わって急ブレーキをかけた。悪いと呟きながらアヅマを見ると真っ赤な顏して口をパクパクさせていた。つられて俺も顏が赤くなったのがわかって、自宅まで急いだ。
「…ミツギってマジでたまにすごいよな」
「どういう意味だよ」
まだ顔が赤いアヅマが自宅の鍵を開けて中に入る。俺も続いて中に入り玄関の扉を閉めると抱き付かれた。
「…なんだ」
「んー、嬉しかったから」
「そう、そりゃよかった」
「でも俺やっぱ愛より恋のがいいわ」
どういうことだ?アヅマが抱き付いたまま少し離れて俺の顏を見た。自分がどういう顔をしているのかわからなかったが、俺の眉間をアヅマが指で押した。
「難しい顔すんなよ」
「おまえの言ってる事がわかんねぇからだよ」
「だから、恋の方がずっとミツギを好きでいられるって思ったんだよ、愛って家族にも友達にも使えるだろ?そりゃあ家族にもなりたいけど、恋人っていうのが今の俺にはいいの!だから愛より恋でいい、愛は認めません」
そうまくしたてたアヅマに俺は何も言えなかった。言えなかったというより、声を出すことができなかった。アヅマの肩に額を当てて湧き出た感情を抑えられず、俺はただただ頷いた。
記憶の中のコトハラさんはこうも言っていた。
「愛より恋がいいって思うやつもいるだろうし、それは間違っていないだろう、どっちが先だとしてもおまえの事を思ってくれるような相手とおまえが将来結ばれるなら、俺は嬉しいよ」
「そんな人が現れるといいけど…」
「きっと見つかる、というか見つけろ!そんで俺にちゃんと紹介すること!」
アンタが俺とコイツを巡り合わせてくれたんだとしたら、余計な事しやがってと文句を言ってやりたい。だけどアンタのおかげで俺は今、アホみたいに幸せだ。