#3 少しばかり時は過ぎて、十月十日。達也は魔法幾何学準備室へと訪れていた。呼び出し人は市原鈴音。生徒会書記を務めている生徒である。
達也には、十一か月違いの妹がいる。それが、達也たち現一年生の頂点、つまるところ主席の成績を収めている司波深雪。現生徒会役員の生徒である。
周知の事実ではあるが、この妹‐深雪と達也の仲は悪い。昔はそうでもなかったと達也は思っているのだが、どうやら彼女は達也のことを相当嫌っているらしく、顔を合わせようものなら文字通り、ブリザードが吹き荒れる。
達也とすれば彼女に興味も欠片もないため、ブリザードが吹き荒れようが、彼女が感情を高ぶらせて魔法を暴走させようが、どうでもいい事であった。だが、それのせいで生徒会役員からはなにかと目を付けられている、と言う点は少しばかりいただけなかった。
「論文コンペディション・・・ですか」
それは今月末に行われる、文の九校間対抗戦。夏に行われた九校戦とは双璧を成す一大行事と言っても過言ではない。高校生が魔法学、魔法工学の研究成果を発表する場。発表された論文が、そのままインデックスに収録され、大学や企業に利用されることもある。
「それに・・・?」
「えぇ。第一高校の代表として、参加していただきたいのです」
市原はそう言い切った。
本来であれば市原を筆頭に、二年の五十里と三年の平河の三人で出場予定だったそうだが、平河は此処の所体調を崩し気味だそうで。理由はおそらく、九校戦だろう。無頭竜の介入によりミラージ・バッドで落下した選手のエンジニアだったはずだ。
「しかし、何故自分を?論文選考会にすら参加していませんが・・・」
「次点の関本君が、今回の作業には向いていないのです」
関本、というと達也も所属している風紀委員会の生徒である。委員会が続々と継承を行う中で、いまだに風紀委員会に在籍している人物。達也としても、面倒で関わりたくない、とラベリングした部類の人間である。
肩を竦めて見せれば、五十里も似たり寄ったりの表情であった。
論文コンペでは、メインの執筆者一名と二名のサブが役割分担をして論文の作成とプレゼンの準備を行う。今回のメインは市原。関本とはそりが合わないのだろう。
「私の論文のテーマは、重力制御魔法式熱核融合炉の技術的可能性です」
達也は素直に驚いた。まさか、同じ話題に取り組んでいる人材がいようとは。そして納得した。
「成程・・・残り三週間。すでに研究をしている自分が適任だと」
「私、人を見る目はあるつもりですよ?」
市原はそう言って笑った。おそらく達也が最も懸念している点について、言っているのだろう。達也は降参だと手を挙げた。
五十里が、別件があると言って先に準備室を出て行き、残された達也は市原から論文コンペの詳細を聞いていた。大まかではあっても詳細を掴んでいた方がいいだろう、とのことで。
全く興味を示していなかったわけではなかったが、二科生となった以上、一年生の内に縁はないものだと思っていたのだからとんだ幸運である。
「・・・聞きたいんですか?」
達也は、不意に作業の手を止めた市原にそう尋ねた。そうすれば、少しばかり肩が揺れるのを確認することができ、達也は意地の悪い笑みを浮かべた。
「面白くもなんともないですよ・・・」
達也はそう言って手元の資料を片付ける。
達也と深雪の仲が悪い理由は、純粋に派閥争いのようなものだろう。元は深雪のガーディアンとして育ってきた達也であったが、あの一つの火種によって作り上げられたコミュニティによって、その任は解かれた。
おかげであの夏、達也は自分の母親を救う事ができなかった。
情報戦を得意としている黒羽家に認められ、養子入りとまではいかないものの、達也の後ろ盾になると誓われたその日、達也は母を失った。元より母として見ていなかったと言えばそうなのだが、母を失ったのだ。
深雪はそれを恨んでいる。それより前はまだましな関係を続けたというのに、その死をきっかけに二人の関係は冷たく冷え切った。
ただそれだけ。言葉にするのならば、
「母が亡くなった。それだけなんです」
本当に、ただそれだけ。