これより先不可侵領域につき 色々と良くない噂が流れがちな風雲児高校は、実は他校と引けを取らないくらい規律を守る生徒が多い。双方合意の喧嘩以外では暴力を使用しない、煙草やお酒は二十歳になってから、ヒーローの指示にはちゃんと従う、いじめはしない、などなど。
これらの規律の多くは代々引き継がれて来たものだが、その時々によって厳しくなったり、増えたりしてきていた。
例えば煙草。少し前まではバレないようこっそりやる程度なら見逃されてきたが、矢後が総長に就任した時(と言っても齢十六歳、入学直後についうっかり当時の総長を矢後がぶん殴って倒してしまった時だ)に、尊敬すべき御方が気管支の病気を患っており、煙草の煙が体に支障をきたすと広まった際にそれは厳禁になるまでに厳しく取り締まられるようになった。勿論、反発はあったが風雲児の生徒はなんだかんだと単純な奴らが多いので、矢後の圧倒的な力に魅せられてそんな奴らもすぐになりを潜めた。
そう、他人からの支配を嫌う孤立した超人の集いと言われる彼らが唯一従う存在が総長、副長である。
だから風雲児高校の規律というのはその当時の総長や副長によって特色が垣間見えたりするのだが、今年はその中でも一等変わった規律ができた。
風雲児高校は男子高校である。
毎日喧嘩に明け暮れる者、一芸を磨く者、高校生活を謳歌する者、その過ごし方は人それぞれあるが総じて言えるのは彼らはあまり恋人を作る傾向にないということだった。これには様々な理由があるが、そのひとつに恋愛に向くはずだった熱量や興味関心が別の方向に向いている場合が多かった、ということが挙げられるだろう。実際、彼らは喧嘩を愛し、自らの生み出す作品に恋をし、己を取り巻く高校生活の全てとひたむきに付き合っていた。方向性は、他校の生徒とは果てしなくズレていたかもしれないが。
とはいえ、恋愛しないと性欲がないはイコールではない。健全な男子高校生たる彼らは恋愛に無関心傾向にあっても溜まるものは溜まる。規律のひとつに不誠実な交際、強姦紛いな行為は御法度とある風雲児高校で如何にして効率的に性欲を鎮めるか、それは長年の彼らの課題だった。
彼らにとって最も効率良く性欲を鎮める方法は、エロ本やAVの貸し借りだった。そういう類のものにかけられるお金もたかが知れている彼らは、様々な趣味嗜好を持つ仲間を集めて定期的にオカズの交流会を開催していた。多くの人間はそんなもの大っぴらにしたりなどしないだろう。だが、ここは風雲児高校だ。彼らが最も優先すべきものの障壁として性欲が立ちはだかるのなら、皆で協力してしてどうにかしてしまおうという考えが、何故か割とナチュラルに浸透していた。
晴天から一転、ゲリラ豪雨に見舞われたあの日もそうだった。屋上は総長と副長以外基本立ち入り禁止なので、そこに上がる手前の階段が彼らの溜まり場のひとつだった。その日も舎弟たち数名が、そこで多くのエロ本だのAVだの画像だのを広げて談義に花を咲かせていた。
総長が屋上で寝ているような天気のいい日にはこんなところでこんなことやれるはずもない。だが土砂降りの雨が降りしきる今日のような日は総長は屋上に居ない。なんなら今日は朝から副長が「今日はパトロールの日ですからね!!何がなんでも来てくださいね!!」と朝からそれはもう全校生徒にしらしめるかのように総長に語りかけていたのだ、放課後のこの時間はまさにそのパトロールの時間だ。
何よりこの場所は穴場だ、うるさい教師に見つかる可能性が教室などに比べると限りなく低くなるのが最も良いところだった。
そう思っていた時期が、彼らにもあった。
「あ、わ、こんなところでなにして、るん、で、す……か」
彼らの第六感が誰かの気配を察知した時には、時すでに遅し。捌き散らかした本たちを片付ける暇も与えずその人は現れた。あまりにも驚いてしまったものだから、「副長、流石、気配消すの上手いっすねー……」などとアホなことを口走る舎弟の口を塞げる者などいなかった。
彼らが尊敬して止まない人物の一人、風雲児高校副長の久森晃人その人がすぐ傍まで階段を上ってきていた。水も滴るいい男は手持ちのタオルで頭を拭きながら歩いても様になるもので、自分たちの現状すら忘れて思わず見惚れてしまっていた。しかし固まっていたのは何も舎弟達の方だけではない。突然目の前にさらけ出されたエロ本たちを前に、久森の方こそ現状を忘れて固まってしまっていた。
「あの、副長、何か御用でも……?」
「え、あ、矢後さん、探してて……」
「や、総長も流石にこの大雨の中じゃ屋上にはいない、かと、オモイマス」
「そ、そう、ですよね」
ジリジリと体を動かしながらアダルトな作品たちを久森から隠す舎弟たち。あまりにも気まずすぎて視線を不自然な程に泳がせまくる久森。両者が両者、気を使いすぎて不自然な空気が漂っていた。
なんとも言えない沈黙の中、舎弟たちの内心は外のゲリラ豪雨並に大荒れしていた。
彼らにとって総長、副長は尊敬すべき御方々なのだ。そんな人たちにエロ本だのAVだのを見ている場面を見られるのは、父母や教師に見つけられるのとはまた違った羞恥心がある。出来れば一番見つかりたくなかった。
なにせ彼らから見れば総長と副長は同じ高校に通う男である以前に手の届かないレベルにかっこいい戦神なのだ。もうエロとか性欲とか、そういう次元を飛び越えた修行僧以上の何かなのだ。
だから大丈夫、副長はこんなものを見た程度じゃ動じねぇ!と三週思考を巡らせてよくわからないところに着地したまま、意気込んでようやく真っ直ぐ久森を見た舎弟たちは、再度固まることになった。
さまよう視線、寒いのか左手で右腕を強く握りしめるその姿勢、そしてうっすら朱を引く白い肌。雨で透けたシャツは肌に張り付いてやけに色っぽい。耳も首も薄ピンクに染まって、シャツの下なんかどこよりも濃く赤い跡がいくつも透けている。
あれ、なんか手元にあるやつよりエロいんじゃないか?てかなんでそもそもあんなところに赤い跡なんかが……?
あれ、何かがおかしい。そう彼らが気が付き始めた時、背後の重たい扉が鈍い音を立てながら開いた。
「……おい」
「ヒッ」
一体誰の悲鳴だったか、その場にいた誰も判別がつかなかった。誰も後ろを振り替えれず、唯一背後の男と向き合えている久森は更にカッと肌を染めただけで、何も言わない。
「……なんか、雨降ってんだけど」
「……そ、うっすね」
「久森はなんでこんなとこいんの?」
「じ、時間になっても矢後さんが来ないから迎えに来たんですよ」
「……ふーん」
間が、怖い。久森の目に入らぬよう背後に隠した彼らのコレクションは、つまり背後に立つ男からは丸見えなわけである。舎弟たちは怯えに怯えた。隠していた秘蔵のコレクション達を父親と母親に見つかった時よりも、教師に没収された時よりも恐ろしい状況が、目の前と背後に広がっている。
「……あ、それじゃ、矢後さんも起きたことですし、僕先に向かってますね!」
ひたすらに長い沈黙を破ったのは久森だった。一刻もこの場を早く立ち去りたいという気持ちが競って、すぐさま足を後ろに引いた。そこにはまだ段差があるということを忘れていたのか、足を滑らせてバランスを崩す。手すりすら掴み損ねた姿を見て誰もが息を飲むしかなかった中で、背後の男だけが人垣を飛び越えて手すりと久森を掴んだ。一度強く腕を引いて久森のバランスを持ち直させると、慣れた手つきで腰に手を回す。
「あっぶねーな」
「す、すみません……。あぁ、こんなに体が冷えて、風邪ひいちゃいますよ」
「お前の体はあっちーけど、熱でもあるんじゃねぇの?」
「いやっ、それはっ、」
目の前で密着した状態の二人を見て、舎弟たちはなんの言葉も出なかった。いつもなら「かっけぇーです総長!」の一言でもかけるはずの彼らは、何故か見てはいけないシーンを目撃しているような気持ちになって、この居た堪れなさをどうするかということに思考を全振りしていた。
「あー、もしかして、」
そう言葉を切った矢後は耳元にその口を持っていったかと思うと、コソコソと何かを楽しげに久森に耳打ちした。何を、と考えようとした瞬間、耳に届いた「ひぅっ」という誰のものともつかない甘い悲鳴に再び思考は止まる。一瞬の間の後、(あ、今の副長のか)と納得はしても状況は読めないまま。
どうやら腰が抜けたらしい久森を肩に軽々と担ぐと、矢後は振り返って彼らを指さした。
「それ、禁止な」
先程の不機嫌さは欠片も感じられないトーンではあるが、総長にそう告げられて舎弟達はコクコクとおもちゃの人形のように頷くしかない。そんな姿を気に止めず、スタスタと足早に階段を降りていく矢後。肩に担がれた久森の表情は腕で隠されたまま、見ることは叶わなかった。
「……なぁ、総長と副長って」
「やめろそれ以上言うんじゃねぇ」
総長、副長の性欲について考えたこともなかった舎弟たちは、数分の間過去の自分に憐れみの念を送ると、そっとその場を片付けて解散した。
それから少し経って、恋人のいる生活のなんと素敵なことかということに目覚め出した彼らは人並みに他者に興味を持ちだし、例の集いは暗黙のルールとしてその理由すら隠されたまま、それっきり開かれなくなった。