狩人の掌中楽屋というものは、現場の雰囲気がそのまま反映されていることが多い気がする。
まるで自宅のように安心して寛げる空間を演出しているところもあれば、一時の待機場所だからと、あからさまに簡素でよそよそしい雰囲気の場所もある。
今日の現場は前者だったが、こはくはかえって落ち着かなかった。
──それもそのはず、一見して落ち着ける空間を演出している室内には、さりげなく見つかりにくい位置にカメラが数台、密かに設置されていた。
極力カメラを意識しないよう、なるべく自然に振る舞ってはいるつもりだが、その素振りだけでひどく気力を使う。
──まったく、品のない趣向やわ。
内心でひどく呆れながらも顔には出さず、こはくはこの仕事を受けた経緯を振り返る。
今回受けた仕事は、今注目を集めている新人アイドルやアーティストにフォーカスし紹介していく新規の音楽番組で、主に若手の発掘と支援を目的にしている。
『Double Face』に出演依頼が舞い込んだのは、一新した『マーブルキャスト』を見たその番組プロデューサーが自分たちを気に入って是非に、と掛け合ってきたから、らしい。
──が、楽屋に仕掛けられた隠しカメラから窺えるように、それはあくまでも表向きの話。
そもそも始めからなんだかきな臭いと踏んで、その番組とプロデューサーの下調べを相方の斑が行ったところ、結果は案の定、真っ黒と出た。
まことしやかに囁かれている噂によると例の番組では、出演者の待ち時間を狙った悪趣味なドッキリが行われているという。
ドッキリといえばバラエティにありがちな趣向だと納得するかもしれないが、この番組の謳うそれは出演者の楽屋に無断でカメラを仕掛け、無防備な姿を撮るといったひどく一方的なものだった。
しかも仮に出演者が知られたくない、隠したいような事柄が映っていた場合、番組のVには使わない代わりにプロデューサーがその映像をネタに出演者を強請ってくるらしい。
要求は出演者によってさまざまなようだが、出演者は皆まだ立場の弱い若手なため声を上げられず、今後の活動のことを鑑みて唯々諾々と従う者が多く、最終的には表沙汰にもならない。完全犯罪の成立、というわけだ。
そして今回の標的は招かれた自分たち『Double Face』ということになる。
しかしよりによって自分たちを標的にするなんて、とこはくは密かに酷薄な笑みを浮かべた。
どうやらこの番組のプロデューサーは、自分たちが裏で『処刑人』などと呼ばれている物騒なユニットだとはご存知でないらしい。
それだけで件のプロデューサーが単なる小悪党の類いであるとわかる。
本気で自分たちを仕留める気概のある巨悪ならばもっと慎重を期すだろうし、こんなに簡単に尻尾は見せてこないはずだ。
最初から不愉快なことにしかならないであろう仕事ではあったが、こはくも斑も一二もなく依頼を快諾した。
別にこはくは正義の味方などではないが、他者から無理矢理押さえ付けられ強制される不快さを知っている。
その仕業で涙した者がいる、と知ってしまったからには、徒に放置しておくのも寝覚めが悪い。基本的に無用な殺生はしない主義だが、視界に入ってしまったなら害虫は駆除すべきである。
そこは斑も珍しく同意見なようで、今日までに張り切って証拠固めをしていた。
今は番組MCである某有名タレントの入りが遅れているという名目でユニット衣装を着たまま楽屋に留め置かれているが、斑はきっと今頃例のプロデューサーの元に出向き集めた証拠を突きつけているだろう。
こはくの役目はそれまでここでひたすら何食わぬ顔で過ごし、相手方の目を釘付けにしておくだけ──なのだが、大人しく待っているだけというのはそれはそれでストレスが溜まる。
だが、この居心地悪い空間ともあと少しでお別れだ。
内心でそう唱え気持ちを落ち着けようとしたこはくの視界に、不意にあるものが映り込む。
身支度用のドレッサー上に無造作に放置してあったのは、黒の革手袋だった。
斑が身に付けるべきユニット衣装の小物の一つである。
──珍しいこともあるもんやね。
いつもならユニット衣装の着付けに手間取り、小物類の存在をうっかり身に付け忘れそうになるのはこはくのほうなのだが。
思わず苦笑を浮かべると立ち上がり、ドレッサーのほうへと近づき付属の椅子に腰掛けて手袋を手に取った。
常時身に付ける衣装とはいえ上質な素材を使っているため、手触りがよく作りもしっかりとしている。
さすがはESの肝煎りであるプロデューサーが自ら製作しただけのことはある。
こはくは手にしたままの手袋をなんとなく自身の片手に嵌めてみた。ちなみに自分の手袋は、先程まで座っていたソファ手前のローテーブルに置いてある。
「……でかい…………」
革の手袋は素材の性質上ぴっちりして手にフィットするため、サイズ違いでも特に違和感はないだろうと踏んでいたが大間違いだった。
嵌めた手袋は思っていた以上にぶかぶかで、手指と素材の間に隙間が出来ている。
それだけ斑の手が大きいということなのだろうが、自身の手指の貧弱さが際立つようで無性に悔しさが募る。
と同時に、斑の骨張った手指に触れられる感覚を思い出してしまい、不覚にも頬が熱くなってしまった。
鏡に映る情けない表情の自身を見て、まだ隠しカメラが動作しているかもしれないのに、と宿ってしまった熱を抑え込むように手袋したままの手で膝を抱え椅子の上に縮こまる。
──と、次の瞬間、
「……ただいまああああ!!!!」
突然大音声が響き、部屋の扉を蹴破る勢いで斑が帰ってきて、こはくは動揺し思いきり背をしならせてしまった。
「喧しいなあ……もっと普通に入ってこれんのか、ぬしはんは。……ほんで、首尾は?」
動揺を悟られないように努めて平静にいつものように騒乱ぶりを嗜めつつ、手袋を嵌めたほうの手をさりげなく斑の視界から隠す。
もちろん本日の「仕事」の成果を聞くのも忘れない。
「いやあ、あまりにも順風満帆で拍子抜けしてしまったなあ! 件のプロデューサーの正式な処分は後日下るはずだが、これで食いものにされていた人たちの気も少しは晴れるはずだ。ただし本日の収録はなしになってしまったので、残念ながら俺たちはタダ働きだけどなあ!」
そう言ってあっけらかんと笑う斑の表情は晴れやかで、タダ働きをした残念さは微塵も感じられない。それはこはくも同様で、無事解決に至ったことに心底安堵した。
それにこれでようやくカメラを意識して振る舞わずに済む。
「ほんならさっさと帰り支度しようや」
ユニット衣装を脱ぐのに紛れ気づかれないうちに斑の手袋を外してしまおうとしていたこはくの目論見は、いつの間にかドレッサーの傍まで近づいてきた斑によって防がれてしまった。
「──ところでこはくさん、俺の手袋を知らないかなあ? どうやら着け忘れてしまったみたいでなあ」
問うてくる斑の視線はこはくの隠した右手にしっかりと注がれていて、斑が既に問いの答えを得ていることに気づく。
早々に観念したこはくは膨れ面で斑に右手を差し出した。
「……斑はんのいけず。いつから気づいてたん?」
ぼすっと軽く腹に当てた拳を破顔一笑し受け止めた斑は、懐から取り出したスマホの画面をこはくに見せ事も無げに告げる。
「最初からだなあ。これで、見ていたから」
画面に映し出された映像を見て、こはくは目を見張る。それはこの部屋の隠しカメラが映した映像のようだった。四分割された画面それぞれに、向かい合うこはくと斑が映っている。
「あのプロデューサーの悪事の道具だ。然るべき処罰を受ける前に逃げ出したりしないように、一時預かることになってなあ」
「さよけ。ほんでわしの醜態を眺めとったっちわけか」
「こはくさんは結構無防備だよなあ」
スマホを仕舞い、笑って揶揄してくる斑に悪かったな! とこはくが噛みつこうとしたときだった。椅子に座ったままのこはくの肩に斑の手が掛かり、少し屈んだ斑の顔が大写しになる。
「……んっ……!」
不意のくちづけに強張るこはくを解すように、斑は舌を使いこはくの口内を丁寧に辿った。
数分後、ようやく唇を離した斑をこはくは思いきり睨みつけ、苦情を申し立てる。
「こんな、とこでっ……見境なしかっ……!」
せっかく先程まで抑えていた性感が刺激され戻ってくる感覚に舌打ちをするこはくにはお構い無しに、斑はこはくの小さな頭を胸元に引き寄せて囁く。
「──君のこんな姿、他の誰かには見せられないなあ」
「……妙な心配せんでも、ぬしはん以外に見せる予定もあらへんわ」
斑の匂いと鼓動を感じながらぶっきらぼうに返せば、再び顔を上向かされくちづけが降ってくる。
なんだか誤魔化された気がしないでもないが、ひとまず今は目を瞑ってやることにして、こはくは素直にその触れ合いに応じるのだった。
数日後、とある番組関係者の不祥事が記された記事が芸能誌面に大きく掲載され、しばらく巷を騒がせた。
ES内部では特に話題にも上らない取るに足らない事象とされたが、裏の世界ではESの闇に潜む双頭の猟犬の牙に掛かったのだろうとまことしやかに囁かれた。
またしても名を上げた当の猟犬たちも、日々の仕事に追われ、いつの間にか事件のことを忘れていった。