アイアム煩悩「働かずにゲームしてたい……」
と呟いたそれは、本日に限り、本気の涙混じりの泣き言であった。
何しろ茅ヶ崎至は廃人ゲーマーであると同時に、某大企業で身を粉にして働く立派なサラリーマンなのである。それ故、絶賛お楽しみ中のランキングイベントの最終日、本来だったら有給を取る予定だったというのに、緊急で超重要な会議などが割り込んで来たら、『わかりました』以外の返事は許されない。心情としては何よりもゲームが大事であるけれど、残念ながら、この世には時に趣味よりも優先しなければならないものが存在するのだ。これでも一応『大人』という自覚があるのだから、そういうことはきちんと理解しているつもりだった。そうして上司より話を聞いた職場では、笑顔で涙を呑んだ。
だから今、寮に帰宅してから改めて落ち込んでいる。悲しいかな、こういう理不尽はままあることだから、いい歳の大人なら黙って自分の中で消化すべきなのだろう。
だけれど至は、今日は真澄が真っ先に出迎えてくれたせいで、遠慮なく甘えてしまった。ねぇ真澄、聞いて聞いて、それで俺のこと慰めて。恥も外聞も無ければ、躊躇い一つも無い。身を寄せ肩を抱いて、べたべたまとわりつきながら、あっという間に自室へと引きずり込む。そうして吐いたのが、先述のひどい泣き言だった。
状況が状況とは言っても、やはり一般的には子供じみた情けない不満と言えるだろう。にもかかわらず、今日はゲーマーのワガママというより疲れた社会人の嘆きの方が強かったせいか、真澄はひたすらに優しかった。
もたれかかるような至の拘束を一度ほどくと、くるりと真正面から向き合うように振り返って、ぎゅっと抱き付き直す。覗き込んでくる瞳が、星を閉じ込めたかのようにきらきらと輝いていた。
「至のことは、俺が養ってやる」
直後、口から飛び出してきたのは熱のこもった宣誓だ。
「今すぐは無理だけど……でも、俺が至の代わりに仕事して、至の分も家事ぜんぶする。そうすれば、至はずっとゲームしてられる」
自らの言動に自信満々らしい真澄は、最後まできっぱりと言い切った。相変わらず、相手へその身すべてを投げ出してしまうような美しい献身は続いている。
だから至も真澄のことを、いい子だ、と思わずにはいられない。世界一のいい子だよ。ただし、都合のいい子とも言う。
大海原のように心が広く寛容で、現代の天使の如く優しいこの発言は、しかし決して褒められたものじゃない。だって、こんな提案をされたら、俺は素直に『ラッキー!』とガッツポーズをしてしまうから。
きっと、自堕落の権化と奉仕精神の化身では、相性が良すぎるあまり、組み合わせがこの上なく最悪な二人になるのだろう。恋人として付き合っているからこそ至は、真澄には俺じゃない方がいいんじゃないか、と繰り返し悩む羽目になる。例えば、千景や紬のようにきちんと頼り甲斐のある大人や、万里や莇のように年若くもしっかりしているタイプとか、もしくや咲也や綴のようにお互い支え合える相手の方がベストなのかもしれない。
そういうことが頭をよぎるというのに、だけれど至は、じゃあ今更真澄を他の男の元へ引き渡せるかというと、頑として首を縦に振れなかった。許せるわけがない、そんなこと。
おかげで今日も、無邪気に擦り寄って来る真澄のことを手離せない。むしろその逆で、肉付きの薄い肢体を抱き締め返す。
「やだ……真澄は俺のだもん……」
先刻以上に切羽詰まった、本日一番の泣き言となってしまった。別名、何よりの本心とも言える。
とはいえ、会話としては一切噛み合っていないのだから、『何言ってるんだ』と呆れられて当然だろう。さすがの真澄も、話についていけないみたいに、きょとんとした顔を見せていた。
と思いきや、ふっ、と噴き出したのを止めるように、口ごと両手で覆い隠す。掌に埋めてしまったから、真澄が今どんな表情をしているのか、さっぱり見えないけれど、その代わりに、教えてくれるようにくつくつと声が漏れていた。肩も小刻みに震え始めていた。何より、指の隙間から見える肌の色が、もうすっかり薄赤い。あーあ、と呆れるのは至の方だ。真澄、喜んじゃったよ。
そうして真澄は単純に上機嫌になってしまったから、すぐさま有言実行。不意に力付くで押してきて、至は背後にあったソファーへと転がされた。すわ何事か、と目を白黒させている内に、至を跨いで、真澄が上に乗ってくる。思わず見上げた先で、
「至は、ゲームしてて」
一足早く興奮を溶かしたような恍惚に染まった瞳が待っていた。語りかけるのに伴って、伸びて来た両手が至の体を這い回る。
「その間に、俺が、スーツ脱がせて、着替えさせて、夕飯食べさせてやる。あと……風呂に入る暇が無いから、体も拭いてやる」
宣言通りに、まずは肩から上着を落とされた。それからネクタイもほどかれて、ぽかんとしている内に、ワイシャツのボタンまですっかり外される。前を留めるものがなんにも無くなったから、外気に晒された肌がほんの少し寒い。そこへ、熱を孕んだ真澄の溜め息が落ちてくる。
「俺が、ぜんぶする……」
うっとりした顔で呟かれるのは、日頃常々よくあることだ。真澄にとっての行き過ぎた歓喜は、もはや享楽にほど近い。だから、こんな風に腹の上に跨った体勢で、服を一枚ずつ脱がされながら、そんな昇天直前の顔を見せられれば、一般的な成人男性ならば、まったく別のことを想像するだろう。いくらゲーマーだって、さすがにこの状況で平然とゲームなんてできるわけがない。目を奪われたまま、その先のことばかり期待してしまう。
至は、改めて嘆いてやりたい気分になった。
「真澄……それは逆効果……!」
「えっ。……なんで?」
end