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    dentyuyade

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    dentyuyade

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    矢野くんと坂井くんのちょっと先の話。坂井克樹、矢野葵に負けないでほしい。

    世界心中願望にさよならを息をすることは容易いことだと、生きとし生けるものすべてが思っている。それは今を生きる存在は皆等しく呼吸をしているからであり、それが難しくなるというのは即ち、死に近づいているという事実を意味するからだ。だから、肺というのは実のところ心臓よりもずっと生に密接した器官であり、それを損なわんとする行為は自殺と呼ぶに等しいのである。そう、それは例えば煙草であったりだとか。
    「あー、まっず……」
    一度たりともこの人生において煙草の煙を美味いと思ったことは、矢野にはなかった。ではなぜそれを欲するのか。ニコチンへの依存と言ってしまえばそこまでかもしれないが、あえて言うならば、そこに安心を覚えるからと表現するほかない。肺を汚染することは緩やかな自死で、希死念慮を満たすにはもってこいの小道具なのである。それを思うたび矢野は、大人になってよかったと唯一感じるのだ。フェンスに寄りかかり、マンションの一室から街並みを眺める。知らぬ街からそれなりに知った街になったそこには、いくつもの光が息づいては湛えられていた。いつまでここにいるべきか。そんな答えのない問答に、静かに火蓋が切られたのを矢野は肌で感じ取る。
    (あのハガキ、ちゃんと届いたんかな)
    帰るべき場所だったそこの住所を、皮肉なほどに肉体は覚えていた。かつて己のような人間を家に住まわせていたお人好しの名前を書店で見かけてしまったのも、それにしっかり気づいてしまったのも、なんというか端的にいって不幸だった。その不幸に酔わされてしまったのだ。店内のポップを撮らせてもらったそれを封筒に入れて、一言だけ「すごいっすね」と沿え封をした。文を綴れば最後、要らぬことまで書いてしまいそうだったから。それがなにかは、矢野にはわからないけれど。息を吸って、肺を汚して、息を吐いて、街を汚す。これからのことを、考えなければならない。大学だっていつまでも休学していられるわけじゃないのだ。両親は今更何を言うわけでもないだろうが、しかし最低限の報告は必要なのも事実なのである。それだけ頼んで、あとは適当に行方を眩ます。それでいいのだと、ただひたすらに宵闇に言い聞かせた。
    「……それなりに、上手くやらないと」
    この街はそれなりに悪くない。夜更かしな町で、誰もが程よく無関心だ。矢野がヒモをしていた女の子に紹介してもらったバーの仕事は驚くほど肌に合っていて、踏み込みすぎない粗雑な距離感で、楽しく会話だけができる。ここで数年使って、しばらくしたら別の町に行って、それから? 同じことを永遠に繰り返してそのたびにいろんなものを削ぎ落とす人生は、いったい何時終わるのか。急に人生という限りある悠久が現実味を帯びて、矢野はぞっとした。いつまで、こんなことを続けるのだろう。早く終わらせなければ、と流行る気持ちがフェンスの外へと手を伸ばさせて、冷たい風だけがそれを止めた。はは、と力なく笑って震える指先から煙草を落とす。死ぬことは、多分まだ許されていない。寝よ、と踵を返してぴしゃりとベランダの戸を閉める。笑えるくらい無機質だった。


    舌打ちしそうなほどに良い朝だった。日差しに無理やり叩き起こされ、うんざりとした気持ちのままに水で憂鬱を押し込める。今何時なんだろうか。そんなことだけを考えながら台所に突っ立って、自動操縦モードの自分に体を明け渡す。やらなくちゃいけないことはなんだろうか。食事、は別にいい。洗濯、必要。掃除……はする必要がないほどに物がそもそもない。無理やりに整理されていく脳みそをゆっくりと見つめながら、今日一日のことだけを考えていた矢野の耳を、ふと軽快な音が突いた。自分の家にそんな明るさだなんて存在していたか。一瞬理解が及ばず固まる体に、今度はノックの音が響く。瞬間、先の音がインターフォンだったことを思い出し、焦りドアへと向かった。相手を確認する必要性は感じなかった。悪人であれ、困ることは一つもない。はあい、と瞬時に笑みを浮かべてドアノブを回せば、扉の向こうで確かに息を呑む音が聞こえる。
    「……おー」
    「久しぶりに会った雇用人にその反応はないんじゃないかい」
    「あー……や、そう来るとは思わなくて」
    うけますね、とお茶を濁せば、まったくウケてない顔で言われてもね、といなされる。その瞬間矢野は初めて自分の表情筋が強張っていることに気が付いたのだ。坂井ははあ、と一つ息をつくと困ったように「自分でも何をしているのかよくわからないよ、僕は」とだけ言って苦い顔をした。矢野はそれに答えることもせず、ただ黙って扉を大きく開いて降伏のポーズをとることしかできない。二人で連れ立って靴を脱いで、テーブルを囲む。今まで、どうやって話していたのか。それすら矢野はうまく思い出せなかった。
    「よく、こんなとこまで」
    「まあ遠くなかったと言えば、嘘になるね」
    ここを調べ上げるのも面倒だったし、と頬杖をついて窓の外をちらりと見る。君が送ってくれた写真を元に、いろんな人に協力を仰いだんだと、坂井はどうでもよさそうに呟いた。彼にとって過程はどうでもいいのだろう。矢野だって、あまり興味もない。どうして、こんなところにまで。本当に関心があるのは、ただそれ一つ。連れ戻しに来たんですか。震える声がそんな言葉を吐き出す。矢野の緊張した質問とは裏腹に、坂井はただ首を横に振って「違うね」と目を伏せてみせるだけだった。
    「別に、大した理由があるわけではなくてさ」
    「……わざわざ調べ上げてきたのに?」
    「それはそうなんだけれど」
    なんとなく、顔が見たくなったんだ。苦笑しながら坂井はただそれだけを告げた。なにそれ、と思わず本音が漏れる。意味が、よくわからなかった。顔が見たい、だなんてそんなことがあり得るのだろうか。何時だって厚顔無恥な居候だったはずで、しかもさんざいろんなことに巻き込んで、最後には適当に行方を眩ました男だ。今までよりずっと長く帰らなかった。もうきっと、縁を切るつもりだったことくらい、理解されていると思っていたのに。例えわかっていなかったとしても、今まで一度も、そんなことはなかったのに。思わず目を白黒させる矢野に、坂井は呆れたように「君、本当に取り繕うのが下手になったね」と呟く。
    「そんな風にびっくりできたとは」
    「あー、はは。すみませんね」
    「しかし君の驚くツボはよくわからないな。別に、長らく会っていなかった相手を尋ねるのは不思議でも何でもないだろう」
    「……ハガキ一枚から居場所を特定してみせるのは、どう考えても不思議でしょ」
    恨みがましく彼の行動を詰って見せても、坂井は涼しい顔をしてそれを肯定する。異常な行動だとは自覚があるらしい。だったらどうして。募る疑問をそのままに口にするわけにもいかず、喉元で婉曲された言葉だけが矢野の口から絶えず溢れて止まない。これは、彼の言葉なんかじゃない。どうしようもなく弱く、恥知らずな自分の言葉だと、認めざるを得なかった。
    「俺、そこまでして会ってもらっても、なんも出来ないっすよ」
    「別に端から君にそこは期待していないよ」
    「……楽しく会話とかも、今日はちょっと、上手くできそうにない、し」
    「君は楽しい会話担当じゃないだろう」
    「えーと……」
    「何をそんなに怯えているんだ君は……」
    意味不明と言わんばかりに眉を顰める坂井のことを、初めて怖いと思った。坂井が知っている矢野葵を鑑みても追いかけてくる理由がないし、万が一坂井がどぎつい物好きであったとしても、今相対している矢野はその需要さえ満たせない。今ここにいるのは人懐こく無神経な好青年ではなく、他でもない、人間不信の塞いだ少年でしかないのだから。だって、怖いでしょ。掠れた呼吸音のような何かが、坂井を遠ざける意図だけを以て顕現する。理解できないもんって、怖いんすよ。俯いて垂れる前髪で、顔が隠れているのだけが救いだった。
    「君はいつも、理解できない方が面白いって言っていたじゃないか」
    「ああ、そうでしたね。俺はそうあらなきゃ」
    「人間の感情は強制されるべきものではないよ」
    「強制されなきゃ、何もできない人間だっているんです」
    今の俺の体たらくを見ればわかるでしょ。膝の上で握りしめられた拳に爪が刺さって、痛い。痛いのだなんて、随分と久しぶりだと思った。いつだって鈍痛の中で息をしてきたからこそ、気づけば傷つくことに億劫になっていた。あの時だって、あの終末の日にだってこんな痛みは感じなかったほどに、痛い。奥歯を噛み締めて、唸るようにして嗚咽を無理やり殺す。地獄みたいな空間で、坂井はどんな顔をしているのだろうか。それを見る勇気すら、あの日から止まったままの少年には残されてはいないのだ。
    「……君が何を背負い込んでいるのか、無理やり口を割らせる気はないけどね」
    「何も、背負い込んでなんて」
    「人間、自分の感情全てをコントロールすることなんて不可能だよ」
    今の君は痛いほど理解しているだろうけれど。息をついて忠告するように坂井は呟いた。強制されているんじゃない。全部、君の感情なんだ。冷たく、しかし確かな情を以て教えられるそれに、矢野は何も答えることができない。そんなこと言われたって、納得できるはずがなかった。今すぐにそれを認めることは、矢野の人生の意味を根本から変えてしまうことに同義なのだから。違う、と譫言のように唇が動くのを、坂井はもう咎めてすらくれない。
    「俺はそんな、世界を……あんたを、救えるような優しさは、持ってなくて」
    「うん」
    「だからそんなこと、を、言われても困る……」
    「そうかい。……まあ、ゆっくりでもいいんじゃないか」
    別に明日死ぬってわけでも、もうないだろう。それだけ話すと、坂井はおもむろに立ち上がって「じゃあそろそろ僕はお暇しようかな」と一つ伸びをする。え、と矢野が驚きからがばりと顔を上げても、不自然なほどに目を合わせようとはしなかった。気遣われている、と直感的に理解する。言葉にしない心配りに感謝の言葉は無粋だ。矢野はただ静かに心の内で礼を言って、それから坂井の後に続いて玄関口へと躍り出た。一人で帰れますか、とへたくそな揶揄いにも坂井はおかしそうに、帰れるよと笑う。
    「もうちょっとしたら帰りたいです、俺も」
    「帰りたい、ってなんだい」
    「あはは。帰ります、ちゃんと」
    「よろしい。……どれだけゆっくりでも、何人増やしてもいいから」
    扉の向こうに見える街は、夜に見たそれとは全く姿が違っていて色彩が物足りない。それでもやっぱり、この街もそれなりに悪くないと思った。この感性は、きっと矢野葵のものだ。なら、ここから離れようとしているのは、誰なのだろう。あの店での時間をまた進めたいと思っているのは、本心じゃないのだろうか。相反している感情に、人はどのようにして折り合いをつけて生きているのか。それを今から学んでいくのだと思った。
    「煙草、吸ってる俺でも、受け入れられます?」
    「君、喫煙者だったかい? いやまあ、店と僕の前で吸わないなら……」
    「嫌なら俺が煙草吸わなくていいようにしてください」
    矢野は夜な夜なベランダに出て煙を吐き出した、あの時間を思い描いた。主流煙を吸い込むことが緩やかな自殺を意味するのなら、副流煙を吐き出すのは心中に他ならない。深夜、月の白光に誤魔化しながら白い煙を街に垂れ流すのは、世界への、人類への心中願望の表れでしかなかった。けれども、それがもし必要なくなるほどに、変われるのなら。今度こそ本当に、呼吸が容易くなるのだと思った。胸を張って人間が好きだと、言えるのだと思った。
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    dentyuyade

    DONE性癖交換会で書いたやつ短編のやつです。割とお気に入り。
    星になる、海に還る輝く人工色、眠らない町。人々はただただそこで足音を鳴らす。唾液を飛ばす。下品に笑う。息を、止める。その中で自分はただ、誰かの呼吸を殺して、己の時間が止まるのを待っている。勝手なものだと、誰かが笑ったような気がした。腹の底がむかむかとして、思わず担いでいたそれの腕を、ずるりと落としてしまう。ごめん、と小さく呟いていた。醜いネオンの届かない路地裏の影を、誰かが一等濃くする。月の光を浴びたその瞳が、美しく光る。猫みたいでもあり蛇みたいでもあるその虹彩の中で、自分がただ一人つまらなさそうな顔をしていた。
    「まーた死体処理か趣味悪いな」
    「あー……ないけど、趣味では」
    「いや流石にわかっとるわ」
    「あ、そう?」
    歪む。彼の光の中にいる自分の顔が、強く歪んでいる。不気味だと思った。いつだって彼の中にいる自分はあんまりにも人間なのだ。普通の顔をしているのは、気色が悪い。おかしくあるべきなのだと思う。そうでなければ他人を屠って生きている理屈が通らない。小さく息をついて、目の前のその死体を担ぎなおす。手伝ってやろうか、と何でもないように語る彼に、おねがい、と頼む声は、どうしようもなく甘い。
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    dentyuyade

    DONE息抜きの短編。百合のつもりで書いたNL風味の何か。こういう関係が好きです。
    観覧車「観覧車、乗りませんか」
    「……なんで?」
    一つ下の後輩はさも当然のようにそんなことを提案した。園芸部として水やりに勤しんでいる最中のことだ。さっぱりとした小綺麗な顔を以てして、一瞬尤もらしく聞こえるのだから恐ろしいと思う。そこそこの付き合いがある自分ですらそうなのだから、他の人間ならもっとあっさり流されてしまうのかもしれない。問い返されたことが不服なのか、若干眉をひそめる仕草をしている。理由が必要なの、と尋ねられても、そうだろうとしか言えない。
    「っていうか、俺なのもおかしいやん。友達誘えや」
    「嫌なんですか」
    「いや別にそうでもないけど」
    「じゃあいいでしょう」
    やれやれと言わんばかりにため息をつかれる。それはこちらがすべき態度であってお前がするものではない、と言ってやりたかった。燦燦と日光が照っているのを黒々とした制服が吸収していくのを感じる。ついでに沈黙も集めているらしかった。静まり返った校庭に、鳥のさえずりと、人工的に降り注ぐ雨の音が響き渡る。のどかだ、と他人事みたく思った。少女は話が終わったと言わんばかりに、すでにこちらに興味をなくしてしゃがみこんでは花弁に触れている。春が来て咲いた菜の花は、触れられてくすぐったそうにその身をよじっていた。自分のものよりもずっと小づくりな掌が、黄色の中で白く映えている。
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