豚の文明「……猿じゃなくて豚が二足歩行し始めたとしたら」
世界はどうなっちゃうんでしょう。生真面目そうな顔でちびちびと烏龍茶を啜る。その姿に同じテーブル上で食事をしていた三人は三者三様に怪訝な顔をした。豚が、なんだって。その中の一者である笠田が聞き返す。律義に同じ発言をする平山に、この話題が続行されることを各々が悟った。
「そもそも野生の豚っているんすか?」
「野生の豚って猪とちゃうん」
「いや、猪と豚は別物だろう。イノブタが別枠でいるぐらいなんだから」
「猪を家畜化したのが豚ですよ。まあでもこの場合は同列に扱うとしてください」
本川が自分の手元の皿を見つめながら、神妙な顔で「家畜化」と呟く。その様子がおかしかったのか、矢野もまたカツサンドを見つめながらけらけら笑っていた。話が進まない。笠田は事務的にホットドッグを処理しつつ、冷静に思考を巡らせる。そもそも、豚に二足歩行をする理由などあるのだろうか。というか、猿が二足歩行を始めた理由すら、笠田は正直言って怪しい。より高いところの物が取れたりするのが理由なイメージがあるが、詳しいことはよく知らなかった。専門外である。そもそも豚って、二足歩行できるような体のバランスじゃなくないかい。そうぽつりと零せば、矢野が「たしかに」と感心したように頷いた。
「じゃあできるような体のバランスにまず進化してもらいましょう」
「そこまでして豚の進化に固執する理由なんなん?」
「見たくないですか、豚の文明」
「なんか映画のタイトル見たいっすね、豚の文明」
「僕らの豚は今のところ文明とはかなり遠そうだけれど」
広げていたノートに小さく豚のイラストを描いてみる。ノーマルかつキャラクター的に描かれたそれは、なかなか笠田自身でも満足のいく出来だった。自分、えらい可愛いイラスト描くんやな、と若干引き気味な声が隣からする。興が乗ったのかそのまま身を乗り出してきて絵を描き始める本川に、笠田は何も言わずに好きなようにさせていた。自分の描いた豚が二足歩行する想像で忙しかったのである。
「でも二足歩行を習得すれば、頭が重くても対応できるようになるんすよね確か」
「ってことは巨頭の豚が生まれるってことか」
「妖怪染みてきましたね」
「ミニブタと対極の存在だ」
気づけば笠田のノートにはなかなか見ごたえのある豚の怪人が顕現していた。無駄に絵が上手いのが説得力を増していて気色が悪い。うわあ、と嫌悪感丸出しの声にも本川は同調していた。いやマジできしょいな、と生みの親にすら言われている様子を見ていると、やはりこんな歴史は存在するべきではないのだろうなと思う。悲しきモンスターに憐れみすら覚えながら、笠田はホットドッグを口に運んだ。こいつの腸かと思うと俄然食欲が失せる。手は蹄のままなんすね、とどこかズレたことを矢野が感慨深げに呟いていた。
「蹄のままで火って起こせるんですかね」
「蹄って物掴んだりできるのかな」
「いや、無理っすよ絶対。あれ可動域やばそうだし」
「でも火が無いと文明って無理では?」
「国民的キャラクターの手ですら物掴めるんやで。球体でいけて蹄でダメな道理はないって」
本川が熱弁をふるって豚は火を起こすことに成功した。ここまでくればあとは軌道に乗るだけである。豚が採集をやめて農業を始め、群れ同士で交流を始めて経済が生まれた。誰も疑問を呈する者はいない。大真面目に全員が育てるのはトウモロコシだの、虫を食うのだから虫を育て始めるだのと無茶苦茶を言うだけである。最終的には豚の宗教の教義の話にまで行きついた時、四人の頭上に明らかに呆れの含まれた挨拶が降ってきた。
「なんつー話してるんですか」
引き気味に、それでも律義に声をかけてくる優一に、四人とも適当な挨拶をする。本川は既に優一の持つトレーの上に意識を奪われているのか、そんなんで足りひんのちゃうかと持っていたビスケットの小袋をひょいと乗せていた。
「君も入る? 豚の宗教の話」
「やぁですよそんな珍妙な話に参加するのは。胡散臭すぎます」
「胡散臭いとはひどい言われようっすねぇ」
「最近ちょっと物言いが笠田さんに似てきましたよね」
やいやいと次のおもちゃがやってきたと言わんばかりに、四人ともが後輩を構い倒す姿勢に入った。笠田は一旦ノートを閉じて優一のために場所をあけてやる。戸惑いながらもそこに収まる彼に、次の話題は尽きそうになかった。