シュトーレン ハロウィンも終わり、世は既にクリスマスの足音が賑やかに近づいてくるそんな頃。
『しゅとれん?』
『そう、シュトレン。』
聞き慣れないその単語に首を傾げる俺に、レシピを渡しながら先輩が教えてくれた。
曰わく、サワー種にナッツやドライフルーツをあわせて作られるドイツ由来の伝統的なクリスマス菓子で。
クリスマスを待つ『アドヴェント』の期間に少しずつ食べる為に日持ちするように作られてきたということだった。
昨日より今日、今日より明日、より美味しくなっていくその味に、キリストの生誕を待ちわびる想いを重ねるのだと。
『アドヴェントカレンダーと同じだな。』
『え?あれってそんな意味があったんですか?』
『何だと思ってたんだ?』
『……単なるカウントダウンイベントだと』
『まあ、それも間違ってはいないがな。』
そんな会話を交わしながら、俺はふと、銃兎のことを思い出していた。
『シュトーレンではなく、シュトレンが正しい発音なんですよ。』
と、やけに馬鹿でかい真白い塊を俺にくれたことがあった。
貰い物で悪いが、一人では持て余すので三人で食べて欲しいと。
あっさり兄弟で食べ尽くしてしまったが、そんな意味があったとは。
『……あんな感じで、食べてしまえば楽になるのかな。』
あの眼鏡を見る度に胸によぎる痛みを、無理やり飲み下すこともなく。
あいつがくれた塊が、あっさりとなくなってしまったように。
込めた想いごと食べてしまえば、きれいさっぱりなくなってくれるだろうか。
もうずっと、何年も胸に抱えた不毛な想い。
分かってるんだ、最初から。
あいつの目に、俺は『そういう対象』として映ったことなんかない。
大人なあいつは、いつだって俺をコドモ扱い。俺の言葉を、まともに聞いてくれなくて。
俺が何度好きだと言ったって、それはいつか治る麻疹のようなものだと。
それが、死に至る病だとはどちらも知りはしないのに。
もういっそ俺の想いごと食べてもらえれば、踏ん切りの一つもつけれられるだろうか。
もう、抱え続けることも苦しくて。
苦しいのに、会わないこともできない。
それがコドモ扱いであっても。銃兎の世話を焼くのは、銃兎にかまってもらえるのは嬉しいから。
『……でも、もう。』
今年はいい機会、かもしれない。
「これは、シュトレンか?」
いつものように萬屋の依頼で訪れたハマのマンション。家主が留守の内に依頼の家事を片付けて、珍しく定時上がりで帰ってきた銃兎に差し出した白い塊。
「うん、そう。
俺が今バイトに行ってるパン屋で出してるんだけど、この大きさなら一人でも食べきれるだろ。」
「二郎、俺は。」
「甘いの得意じゃないのは知ってるよ。
でも、これから忙しくなるだろ。これなら手っ取り早く糖分補給できるから。」
疲れてても、ちゃんと食べろよ。
「……分かりました。
ありがたくいただきますよ。」
くしゃりと髪を混ぜるその手が、苦しいのは見ない振りをする。
「貴方も、これから忙しくなるのでしょう。
がんばって。」
「へへ、さいっこうに盛り上がるクリスマスにしてやるよ!」
「ふむ、負け犬の遠吠えと聞いておきましょう。」
「だから、まだ負けてねぇっ!」
「……銃兎、ちゃんと食べてっかな。」
机の上、半分ほどの大きさになったシュトレンの真ん中から一切れ切り取って、切れ目をまた綺麗につなぎ合わせて丁寧にラップに包む。
あれから、何度かマンションに行ったが家主には会えず、少しずつ短くなっていくシュトレンを見ては嬉しいような苦しいような何ともいえない気持ちを俺は持て余していた。
あれに込めた想いを、もちろん銃兎は知るはずもない。
それでも。
見る度小さくなっていくそれが、まるで自分自身のようで。
目の前の同じそれをかぷりと齧る。
しっとりとドライフルーツに馴染んだ生地は、噛みしめれば濃い甘みが口の中に広がる。
「……なんで、だんだん美味くなってくるんだよ。」
そんな、見当違いのうらみごと俺はそれを飲み下した。
銃兎の腹と、俺の腹と、二つそろえて納めてしまえば、もう何も見なくていいよな。
少しずつ削って、飲み下して、もう、終わりにしたいんだ。
ディビジョン単独ライブが終わり、興奮冷めやらぬまま俺達三人はホテルの部屋でささやかな打ち上げをしていた。
缶ビールと缶ジュース、持ち込んだジャンクフードとお菓子で盛り上がる中、ポケットの中触れた小さな欠片にドキリとする。
どうしても、飲み下せなかった俺の気持ちの最後のひとかけら。
今なら、紛れて食べてしまえるだろうか。
もう、食べてなくさなきゃいけないのに。どうしてもなくせないそのひとかけらをこっそり手に取る。
「あれ?シュトーレンなんてあったっけ?」
「いや、これは……」
思わず隠してしまったそれに、三郎が怪訝な顔をする。それでも、何かなんて言えないから。
……ポポンっ
不意に響くスマホの通知音。
「おい、二郎のスマホだぞ。」
「あ、ありがと兄貴。……っ」
渡されたスマホを開いて、俺はそのまま駆け出した。
なんで?
なんで、あんたが?
兄貴と三郎が俺を呼ぶ声も聞こえない。
ただ、スマホを握りしめ走る。
『出てこれるか?』
食べてなくなってしまえと思ってた。
知らなかったんだ。
食べた想いが積もっていくなんて。
俺の中にも。……あいつの中にも。
消えてしまえと、思った先にあった、光。