喧嘩して嫌いって言ったら記憶喪失になった話声にならない声を上げて静かに泣いている。
校内のざわめきから離れて、驚くほど静かな中庭の隅。
同じ寮のローブを着たツートンカラーの髪の人がベンチに座って静かに目に涙をためていた。
初対面の人だけど僕は目を離せず彼を見つめた。
しばらく立ちすくんでいると僕に気づきこちらを見た。
僕を見て目を見開くと、指で目頭を抑え俯いた。
「あの……すいません。邪魔しちゃって」
「……。いや、いい。少し長居をしすぎたようだ」
彼はポケットからうさぎ柄のハンカチを取り出すと目元を拭った。
ハンカチをポケットに仕舞うと静かに立ち上げった。
どんな言葉をかければいいかわからなかったけど、何も言わなければ彼はここを直ぐに立ち去ると思った。
「ここによく来るんですか?」
「……来ないようにはしている。だが思い出多すぎて、考え事をしているとつい、ここに来てしまう」
「はぁ……」
僕横を通り、立ち去ろうとする彼の手を掴んだ。
眉間にシワを寄せて、煩わしさを露わに見つめられた。
「……なんだ?」
「あの、なんで泣いてたんですか……?」
彼に対して優しい言葉じゃない、何故だかわからないけど、どうしても彼の涙の理由を知りたかった。
黙れと強い目線を感じたが彼の言葉を待った。
僕が全く引かないでいると諦めたように答えてくれた。
「恋人に振られた。諦めたつもりだったが……俺は思ったより未練がましいらしい」
自分自身をあざ笑うように彼は言った。
横目で彼の顔をみる。
目の圧が強い人だけど凄く整った顔をしてて、耳元に光るピアスはオシャレでカッコいい。
こんな素敵な人を振るってどんな相手だろう。
価値観は人それぞれだから、相手の人に取って彼は良くなかったのかもしれない。
彼が離せと手を引いたが僕は離さなかった。
もっと彼と話をしたいと思ったけど、上手い会話が思いつかなかった。
どうにか引き止めたくて、まずは自分の名前を名乗る事にした。
「僕、あなたと同じ寮の一年で、マッシュ・バーンデットっていいます」
「…………レイン・エイムズ。アドラの監督生だ」
「エイムズってフィン君と同じ?」
「フィン・エイムズは俺の弟だ。お前はフィンと同室のヤツだろう」
「そうです。よくご存知で、ってフィン君のお兄さんで監督生なら知ってますよね」
「もういいか?」
「……またここに来ますか?」
「さっきも言っただろ。来ないようにしていると」
今度は有無を言わさずに手を振りほどかれた。
さっきまで悲しい空気を微塵も感じさせずツカツカと歩いて校舎へ消えていった。
僕はレイン君の後ろ姿から目が離せなかった。
◇◇◇
僕、マッシュ・バーンデットは一ヶ月前に記憶喪失してるらしい。
生活とか友達の事とかは覚えてて、日常生活には不自由はしてない。
勉強ができなくてよく先生に怒られるけど、それは記憶がある頃からそうらしい。
記憶がなくなってる事を周りは気にしてくれてるけど、僕は何とも思ってなかった。
でも心の真ん中辺りに大っきい感じで、足りない何かを感じていた。
昨日中庭で会った人、レイン君。
別の学年の人とか監督生に興味なんてなかったけど、レイン君の事は気になった。
もっと彼の事を知りたいと思った。
監督生だから周りに聞けばわかるかと思って聞いたら、レイン君は思った以上に凄い人だった。
アドラ寮の監督生で最年少神覚者。
僕と同じ学生なのに、権力も名声も地位を持っていた。
ちょっと凄すぎて簡単にお近づきになれる人じゃないなとヘコんでしまった。
俗に言うハイスペックイケメンなレイン君をフッた相手も凄い人なのかな。
ヘコみつつも何か良い案は無いかと考えていたらフィン君はレイン君の弟だと思い出した。
フィン君に聞けば何か良い案が浮かぶかもしれない。
フィン君を探していると廊下の先から声が聞こえた。
誰か友達と居るのかと近づくとフィン君はレイン君と話をしていた。
レイン君は居るとは思いも寄らなかったので、声を掛けず柱の陰に身を隠してしまった。
二人の会話が耳に入ってくる。
「兄様……会いにはいかないの?」
「前にも言っただろ。先に終わりを告げられたと」
「それは絶対本心じゃないはずだよ。ねぇってば会いに行った方がいいよ」
どうやら二人の会話の内容は、レイン君の元恋人に会いに行くようにフィン君が説得してるみたいだ。
フィン君は二人が別れる事に反対みたい。
元恋人さんに会いに行かないこと、想いを諦めようとしている事を怒っているみたいだ。
あんな必死に別れないで欲しいって言うって事は、フィン君はレイン君の元恋人さんを知ってるんだろうか。
レイン君と元恋人さんの事を知ることができたけど、会話を盗み聞きしてるみたいで気まずい。
フィン君はレイン君に寄りを戻して欲しいと思ってる。
相談するのはやめておこう。
僕がレイン君を気になってるって言ったら、フィン君を困らせてしまう。
相談する前に解って良かったけど、少しショックだ。
フィン君から見た二人はお似合いだったのかな。
レイン君の隣に立って居られる人。
本当にどんな人だろう。
なんだか胸の中がモヤモヤする。
僕は二人に気づかれないようその場を去った。
寮に戻ろうと渡り廊下を歩く。
あの角を曲がればレイン君に初めてあった中庭に行ける。
立ち止まって少し考えた。
こんな沈んだ気持ちの時はシュークリームでも作って落ち着こう。
僕は寮の調理室へ向かう為に渡り廊下を真っ直ぐ進んだ。
フィン君に相談しよう作戦は失敗してしまった。
どうやったらレイン君ともっと仲良くなれるかな。
僕は無心にシュークリームを作りながら考えた。
丁寧に下処理したバニラビーンズを鍋に入れてカスタードクリームを作っていく。
僕はなんでレイン君と仲良くなりたいんだろう。
一度しか会った事が無いのに。
元恋人さんを思ってる姿が衝撃的だったから?
いや、別に衝撃を受けたからって仲良くなりとは思わないな。
鍋の中で混ぜる滑らかなカスタードクリームの淡い色はレイン君の目の色みたいって思ったらドキドキしてきた。
レイン君に自分の作ったシュークリームを食べて欲しいと思った。
理由は……なんだろう。
解らないや。
解らないけどレイン君にシュークリームを渡そう。
僕は焼き上がったシュー生地の中で出来が良いものを4つ選び丁寧にクリームをのせて紙袋に包んだ。
調理室を手早く片付けると中庭に向かった。
レイン君が座っていたベンチに来たが、今は誰も居ない。
ま、わかってたけどね。
でも来ずにはいられなかった。
ここに来たからってレイン君に会えるわけじゃない。
ベンチに座って夜空を眺めた。
あと一時間もすれば消灯時間になる。
それまで待ってみてから今日は諦めよう。
でも、明日またここでレイン君を待ってみよう。
中庭のベンチでレイン君を待ち伏せを始めて3日が経った。
授業が終わると調理室にダッシュしてシュークリームを作る。
沢山作った中から出来が良い物を4つ選び紙袋に入れて中庭に向かう。
レイン君、今日は来るかな。
ベンチへ行くとレイン君が少し疲れた様子で座っていた。
会えた事が嬉しくて早足で向かった。
「こんにちは」
挨拶をすると目だけで僕を見た。
レイン君は僕に興味がなさそうだけど、僕は仲良くなりたい。
「お疲れのようですね。どうです?疲れた特は甘いもの、特にシュークリームが格別ですよ。シュークリームはいつ食べても格別ですけど」
僕は紙袋を差し出した。
レイン君は凄く驚いたみたいで、目を見開いて僕を見た。
両手を差し出し受け取った紙袋を膝にのせた。
とても大切なモノを受け取るような仕草に少しびっくりした。
「くれるのか?」
「はい。レイン君に食べて欲しくて作りました。実は僕、シュークリームが大好きなんです。だから味は保証しますよ。あ、もしかして甘いものダメでしたか?」
「いや、俺は何でも食べる。……少し驚いただけだ」
「僕がシュークリームを作るのは以外ですか?」
「いや、お前がよく調理室を無断で使用してシュークリームを作っているのは知っている」
「な、なぜそれを……ってレイン君は監督生でもんね。チェックしてるんですね」
「俺の業務だからな……」
レイン君はシュークリームの入った紙袋を何度も撫でている。
好きな食べものだから大切にするのではなく、本当に大事なものを慈しむように。
「……まだ、何か気になることでも?」
「シュークリームは……アイツがよく作っていた。友達や知り合いには直ぐに食べさせていたのに、俺は一度しか食べさせてもらえなかった。……それを思い出しただけだ」
初めて見た時みたいな顔してる。
元恋人さんはなんでシュークリームを一度しか渡さなかったんだろ。
僕がシュークリームを作って一番食べて欲しいって思うのはレイン君だから食べてもらいたい。
だから何度でも渡すのに。
「そうですか。……美味しかったですか?」
「あぁ、美味かった」
レイン君にシュークリームを受け取ってもらえた時は嬉しくて、なんだか胸が暖かくなった。
だけど元恋人さんの話を聞いていると腹の底に黒くて重いものがじわりと広がった。
「僕のも美味しいです。食べてみてください」
「そうだろうな。だが、もうすぐ監督生会議が始まる」
レイン君は優しく紙袋を抱えて立ち上がった。
「ありがとう、後で食う」
僕の横を通り過ぎる時にお礼を言われた。
レイン君の言葉が嬉しくて、腹にあった黒いものは一瞬で消えていった。
最初に会った時と同じようにレイン君はツカツカと歩いて校舎へ消えていった。
さっきまでレイン君が座っていたベンチに座る。
もっと会って話がしたい。
シュークリームをまた食べてほしいし、僕も一緒に食べたい。
レイン君とできたらいいなって思う事がどんどん増える。
色々な事を思い浮かべていると、ここ数日あった疑問の答えが出た。
何故シュークリームをレイン君に食べてほしいと思うか。
一緒に話したいか、会いたいのか。
好きだから。
僕はレイン君が好きなんだ。
◇◇◇
レイン君への恋心を自覚した翌日。
朝目覚めて窓の外を見る。
なんだか景色がキラキラと輝いて見えた。
僕が記憶をなくしてからずっと感じてた、足りない何を今は感じない。
その代わり満たされたものを感じる。
これが恋の力か、すごいね。
昨日シュークリームを渡すことができたけど、習慣になっていて、今日もシュークリームを作って中庭に来てしまった。
レイン君は居ないけど、ベンチに座った。
とても忙しい人だから、2日連続で会えるなんて思ってない。
それに毎日ここへ元恋人さんを想って来たりしないで欲しい。
僕がレイン君に会えるのはここしか思いつかないけど、ここは僕とレイン君が会う為の場所じゃなくて、レイン君が元恋人さんの思い出に浸る場所だから。
振られたんなら、さっさと忘れてしまえばいいのに。
ふと遠くを目を向けると、レイン君が向かって歩いて来てた。
考え事をしいて周りが見えていないのか、僕に気づく事無く歩いてくる。
「レイン君、こんにちわ」
会話ができるくらい距離が近づいた時、僕はレイン君に声をかけた。
僕が居ると思ってなかったんだろう。
レイン君は僕を見て驚いている。
「な……、どうしてここに」
「レイン君に会えたらいいなって思って」
半分本当で半分嘘。
これだったら僕にも普通に言えるらしい。
ここでレイン君に会いたかったけど、僕と会う為じゃないなら会いたくない。
「そうか……昨日のシュークリーム美味かった」
「食べてくれたんだ。嬉しいです。よかったら今日も食べますか?」
僕は紙袋を差し出した。
「……今日もくれるのか」
「はい。レイン君に食べて欲しくて、今日も持って来ちゃいました」
レイン君は数秒考えると昨日と同じように丁寧に受け取ってくれた。
「……もしかして毎日きてたのか?」
「まぁそうですね。いつここに来るかわからなかったし、レイン君って忙しい人なんでしょ?」
「確かに忙しいが、……俺のこと気遣う必要はない」
「え?嫌です」
「は?」
「僕はレイン君にもっと会いたいし、仲良くなりたいんです。僕の作ったシュークリームを食べて欲しいんです。だから僕は毎日ここに来ます」
不躾に言い過ぎてしまっただろうか。
レイン君が固まっている。
「俺は毎日ここにはこれない。だからシュークリームを用意する必要は」
「だったら連絡取り合いませんか?」
「……連絡?」
「そうです。放課後ここに来れる日は教えて下さい、そうしたら僕の時間もシュークリームも無駄にならないんで」
僕はシュークリームならいくらでも食べれるから、レイン君に会えなくても無駄にはならないけどね。
「連絡か……面倒じゃないか?」
「全然。レイン君と連絡取りたいです。なんなら仕事の愚痴とか、今日あった事とかも書いてくれていいですよ。僕は今日あった楽しかった事とか書きますから。もっとレイン君の事知りたいです。」
「……そうか」
「また元恋人さんの事考えてます?」
「……わかるのか?」
「わかります」
無言で「教えてくれないんですか?」と見つめると、僕ではない誰かを見ながら教えてくれた。
「アイツは連絡と取るのを面倒と思うタイプだったかな。俺が連絡するだけの……一方通行のやりとりしかした事が無かった」
僕ではない誰かを見るレイン君はいつも寂しそうだ。
いつも大切に思い出を語る。
だけど、なんていうかレイン君の思いは報われてない気がする。
元恋人さんと別れて良かったじゃないかな。
僕は好きな人、レイン君と連絡はいつでも取りたいし、どんな事でも教えて欲しい。