ChocolatlChocolatl
ソファに半ば寝そべるようにしたハングマンの上に我が物顔で乗り上げてくる様はまるで猫のような気ままさを感じるが、ハングマンの上に乗り上げているのは猫ではない。
猫にしては大きすぎるし、そこには愛らしい耳はおろか揺れる尻尾さえも存在はしない。
その気ままにも思えるハングマンの恋人は手にした小箱から取り出したひと粒を指先で摘むとハングマンの唇に無言で押し付けた。
唇に押し付けられたそれを口の中へ招き入れればとろりと甘い物質が柔らかく舌の上で溶けて広がる。
光の少ない室内では深い飴色にしか見えない瞳が細められ、くすりと笑った。
「どうだ?」
「何がだ」
意味がわからず問い返したハングマンの目の前で、ルースターは指先に残ったチョコレートの名残を舌で舐めとった。
「口の中で溶かすと脳が興奮するって聞いたから」
続けて潜めた声で『俺とキスするよりも興奮したか?』と普段からタレ気味の眉が更に下がった。
「そんなのわかるかよ」
比較するのであれば先にキスをして、それからチョコレートを食べさせるべきだったとハングマンは主張する。ルースターのそういうところが甘いところだと思うがそこを含めて大切にしたいと思ってしまうのだから仕方がない。諦めなのか惚れた弱みなのかその結論はあえて出さなくてもいいだろう。
「確かに、先にキスしてから食べさせないとわからないかもな」
チョコレートがもたらしたのかもしれないこの胸の高鳴りを「このトキメキは恋なのか?」と誤解をしている間に想いを通わせるのもいいのかもしれない。たとえきっかけはデタラメでもそこから真実の愛が芽生えることもあるのかもしれない。
ハングマンのまだチョコレートの甘さが残る唇にルースターの唇が寄せられるのを感じて、ハングマンは伸ばした手でルースターの頭を引き寄せる。
あいにく自分たちはその段階は随分前に通り過ぎてしまったが、思いの形はそれぞれだろう。
この気持ちは勘違いだと思い込むことで自分達は随分と遠回りをしたように思うが、その最中にいる時にはその道が遠回りだとはわからないものだ。
それはきっとこの先の未来も同じことなのだと思う。それならば今はただこうして寄り添うだけで十分だと思えた。これから先、様々な形で困難に出会うことはあるだろう。だがそれもまた自分たちにとって必要な試練であり、そうして経験して来たことが、この胸に抱いた気持ちに確信へと変えたのだ。
「次はそうする」
触れるだけで満足して離れていった唇からチョコレートのような甘さを含んだ声が零れ落ちるのを聞きながらハングマンは頭の片隅で考えた。
ルースターの言うようにチョコレートには媚薬効果があるという話もあるが果たして本当だろうか?
もしそれが事実であるなら、チョコレートによって先程、自分たちの中に芽生えた感情もまた何かしらの効果によるものだったりするのだろうか?
けれどハングマンにとっても、そしてルースターにとってももうどちらでもよいことだった。
ただ今は目の前の相手に触れていたいという欲求の方が強く、それだけで頭がいっぱいになってしまうのだ。
結局のところ、チョコレートが媚薬であろうがなかろうがハングマンはルースターが好きだということだけは変わらない事実としてそこにあった。だからこそあえて答えは出さなくてもいいだろう。
「ところで、どうしてチョコレートなんだ?」
「だってもうすぐバレンタインデーだろ?」
「お前いつもはそういうの気にしないじゃねえか」
ルースターとの今の関係が成立する前であれば特に何も感じなかったであろう行事ではあるが、彼と出会ってからは少しだけ違う意味を持つようになった。
もちろん今までも友人や家族や同僚といった間柄の人間から受け取ったりはしていたが、それらとは意味が異なる。ただルースターという恋人が出来てからは意味合いが変わってしまったような気がする。
「まぁな」
ハングマンの問いかけにルースターは困ったように笑って肩をすくめる。
「本当に俺とキスするより気持ちよくなれるのかなと気になって」
「お前……」
相変わらずどこかズレているルースターの言葉を聞いてハングマンは呆れたようにため息をついた。
「馬鹿だろ」
「そうか?」
「そうだよ」
ルースターが差し出した小箱を受け取ってハングマンは苦笑いを浮かべる。
「でもそんな俺が好きなんだよな?」
「……わかってるじゃないか」
「ふふん」
得意げに鼻を鳴らすルースターの顔が近づいてきて再び唇が重なる。
今度はチョコレートの味などはしなかったが、ハングマンはそれでも構わないと思った。
「……んっ」
ハングマンがルースターの首に腕を回せば、ルースターもそれに応えるようにハングマンの背中へ手を回す。
そのままお互いの身体を抱き締め合うようにして口付けを深くすればチョコレートよりも甘い吐息が漏れる。
ハングマンはルースターのことを心の底から愛しているし、同じようにルースターにも自分を愛して欲しいと思っている。そして同時にルースターが自分と同じだけの愛情を抱いてくれていることを知っている。
だからこそハングマンはルースターが好きだと、ルースターに好きになってもらえて幸せだと感じることができるのだ。
ハングマンはルースターと抱き合ったままソファの上に寝転ぶと、ルースターの頭を抱え込む。
「俺はお前とこうやってキスをするだけでも気持ちいいけど」
ルースターはどうだと尋ねれば、彼の耳がほんのりと赤く染まる。
「俺もだよ」
そう言って笑うルースターの瞳の奥に熱を見つけ、ハングマンは目を細めた。
ルースターの瞳の中に映っている自分の瞳の中にも同じものが存在しているはずだ。
ハングマンはルースターの目元に口付けると、その瞳を覗き込んだ。
「俺にとってはお前がいればそれで十分なんだけどな」
「そりゃ俺だってそうだ」
二人でいられればそれでいい。それ以上は何も望まない。望む必要もない。お互いが側にいて、笑い合えていればそれで幸せだと思っている。
職務柄、常に危険はつきまとう。そんな世界で自分達は出会い、今も過ごしている。
それでも世の中の恋人たちがイベント事を大切にするように、自分たちもまた形に残る贈り物を交換し合うことを厭わない程度には互いのことを考えている。
理由はどうであれ、ハングマンとは異なりこのイベントごとにマメだとは言えない恋人がわざわざチョコレートを用意してくれたことが嬉しくないわけもなく、ハングマンは彼の愛情に感謝する意味でも素直に礼を述べた。
「ありがとう、嬉しいよ」
「おう」
ルースターが照れたように笑うのを見てハングマンの心臓がドキリと跳ね上がる。
「どうした?」
急に押し黙ってしまったハングマンの顔をルースターが覗き込む。手のひらで顔を包み込むように触れて、親指で輪郭を撫でる。
額を合わせるように顔を寄せられれば、ルースターのまつげがハングマンの肌に触れた。
「……なんでもねえよ」
今感じているこのトキメキはチョコレートの効果なのか否か。
やはり答えを出す必要はないと思った。
少なくとも今はまだ―――。