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    nana0123co

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    nana0123co

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    ED後のアシュルクはなかよし

    and with you ここはこんなに暗かっただろうか。
     バチカルの港へと降り立ったアッシュはふと足を止めて上を見上げた。
     空はほとんど見えない。なぜなら見上げた視界のほとんどは大きな岩壁で覆われているからだ。積み重ねられるように構成されたバチカルの街は広大で、港から見ればアッシュの向かうべき先は遥か上空だ。ぼんやりと白い城壁が浮び上がって見えて、やっとその存在が分かる。
     今からあそこまで上るのかと、自分の足で登るのでもないのに少しだけげんなりした。そんなことはいつものことなのに、どうしてだろうか、なぜかアッシュはもっと違う姿を想像していたのだと気がつく。
     こうやってバチカルの街を下から見上げるのは何度目になるだろうか。その回数を数えていた頃、アッシュは確かにこの風景がまぶしいと思ったのだ。
     それは、まだアッシュが鮮血のアッシュと呼ばれていた頃だ。キムラスカの首都、自分の命と引き換えに繁栄を約束された街。音素灯の明かりが街を夜の闇から浮き上がらせるように照らして、空へと続くかのごとく王城は城下の光を受けて白く輝いていた。それを見上げていたときの気持ちは忘れてはいない。あの時は憧憬も羨望も憎悪も全てそこにあった。唯一つの事実は、そこには足を踏み入れることはできない。それだけだった。
     あの時と今と、多分街の明るさはそれほど変わってはいないだろう。プラネットストームが閉じられて二年と少し。肌で感じる音素は確かに少なくなっている。それに伴い音素を使う街の明かりも少しだけ少なくなった気はした。けれど、ひとたび街の中に入ってしまえばそれは気になるほどのものでもない。むしろ、音機関に関してはキムラスカがマルクトより一歩リードしている点でいっそう街は活気付き、そこかしこに新技術が取り入れられているという。その全てを把握しているというわけでもないが、ガイなら目を輝かせて説明してくれるだろうけれどそれなりの知識はアッシュも持ち合わせている。
     こうやって見上げる風景は、昔のそれと劇的に変わったわけではない。確かに世界は変わった。けれど、見える風景が違うと感じる最大の要因はアッシュの立ち位置が変わってしまったからだろう。
     昔は輝いて見えた場所はそれが手に入れられないものだから余計まぶしく見えただけなのだ。それがアッシュの無くしてしまったもので、もう手に入れられないのに、それを手にしている奴がいる。同じものを持っていたときにはそんなことは思わなかったのに人の手に渡ったとたんにそれがすごくいいものに見えた。考えてみてもただの子供の思考だ。返すよといわれて要らないといったのは、それを本当に欲しいと思っていなかったからだ。その時には分かっていた。本当に欲しかったのは何かということを。
     アッシュは視線を戻して歩き出す。
     夜中だというのに港には数人の兵士が緊張した面持ちで立っている。アッシュがこんな時間に戻ってきたからだというのではない。以前のような戦争がいつ始まるかという緊張感はないものの、港は守りの要だ。船からはアッシュ以外の乗客も降りてはバチカルの街へと足早に消えていく。足を止めているアッシュに兵士の視線が集まるのは仕方がない。けれど暗闇でも分かるその赤い髪は疑うことなき王族の証で、アッシュの顔を知らない兵士でも声をかけてくることすらない。
     昔はこの目立つ髪はフードで隠すか染めるかしないとバチカルには立ち入れなかった。バチカルは比較的温暖な場所で、フードをかぶっていればさすがに不審な目で見られるから染めるのが定石だった。けれどその頃は捨て切れなかった小さなプライドから髪を染めることすら躊躇われたときもあった。
     今になってはほんとにカスみたいなプライドだったなと思う。
     けれどルークがいまお忍びで街に出ようとしたときにそれをしようといえば止めるだろうからこだわる対象が変わっただけかもしれない。
     この色はアッシュにとって単に王族の証ではなく、自分達が元は同一の存在だったという確かなつながりに変わってしまっているのだ。どうでもよくない、その言葉は一緒でも根本が違うだけで気持ちも全く違う。
     天空客車に乗り込めば、夜のバチカルの姿がアッシュの目の前に広がる。自分の街だ、と思う。十年以上前の小さかったころの自分が思ったことを今になって再び思うとは思わなかった。
     ここが自分の帰る場所になるなんて今でも時々不思議に思う。足を踏み入れることが出来なかったあの頃、消えてしまう自分は帰れないのだと分かってしまったあの頃。アッシュがそれを取り戻そうと思えばいつでも手に入れられたのだと今になれば思う。
     アッシュがアッシュである限り本物のルークであることを証明することはたやすいことだった。現にアッシュは多少の騒動はあったもののファブレ家の一員として今ここにいる。多少の騒動とは死んだと思われていたアッシュとルークが突然帰ってきたことによるものでアッシュの真偽が問われたものではない。あまりにもあっさり認められたものだからアッシュはむしろ驚いた方だ。
     どうしても取り戻したいものではなかったそれを今回は拒まなかったのは、拒むその理由がなかったからだ。預言に縛られた未来も、消えてしまう運命もアッシュには何もない。
     むしろあったとすれば。
     バチカルがまぶしく見えていたあの頃と今はちがう。目を凝らしてその先の光を探る必要などないのだ。そこに光があるかどうかを確認しなくても、アッシュはそこに確かに自分の光があることを知っているから、ただその光の元へ帰るだけだ。
    「……ただいま」
     そう、小さく呟けば何か気恥ずかしかった。


     バチカルの最上階にまでたどり着いたときにはもうすでに夜も深くなっていた。日付が変わるまでにはまだしばらくの時間がありそうだが、こんな遅い時間に街の中を移動するのは久しぶりのことで、しばらくの間、いかに健全な生活をしていたのかを思ってアッシュは小さく笑った。神託の盾騎士団に居た頃や、世界を回っていた頃はむしろ昼間に動き回るよりは夜中に動く方が目立たずに済む事もあってこのくらいの時間は外にいることも多かった。今を健全というなら昔は不健全だったのだろうか、けれどその時はそれが普通でおかしいなんて欠片も思っていなかった。それ以上に、自分のことを普通の枠にいれたことなど一度もなかったのだから。
     それが今では平和とも言える生活を送っているだなんて。
     今日も本来ならばもう少し早い時間にバチカルにつく予定になっていたはずだった。
     自分で自由に動いていた頃とくらべてスケジュールが決まっているというのは多少窮屈だが、先に何をしなければいけないか分かっているぶん気持ちは楽だ。二十歳の誕生日に還ってきてしばらくの時間がたった。バチカルでの生活にも慣れて、公爵子息という立場、もらってしまった子爵の位はただの飾りではないとばかりにナタリアや父からいろいろな仕事が舞い込んでくる。バチカルに帰ってきてしまった以上、相応の働きをすべきだということは分かっている。これでもいろいろな可能性を考えた上でバチカルに帰ることに決めたのだ。アッシュのこれまでの行動や、神託の盾騎士団での立場、世界を救ったといってもアッシュが実際にしたことといえばそれほど多くない。ルークはアッシュもいろいろやってくれたと言って来るが、あのときのアッシュの中での世界を救わなければいけないという問題はそれほど重要なものではなかったのだといえばルークはどんな顔をするだろうか。
     アクゼリュスが消え去ったとき、アッシュはすでに預言の死からは解き放たれた。大爆発だって自分が生き延びたければ分かったその時にルークを消してしまえば大爆発の相手がいないのだ、止まったかも知れない。ヴァンを倒すという目的が同じなのだからルークたちと共に行くとかもう少し協力する方法が最適だと分かっていたのにそれをしなかったのは。自分が生き延びるでもない、世界を救うでもない、アッシュが唯一つこだわっていたのはルークのことだけだった。
     認められない、なのに切り捨てられない。相反する感情をもてあました結果がこれだ。認められなかったのはただ、アッシュがルークに抱いていた感情だけの話で、アッシュは結局ルークを生かすことしか考えていなかったのだ。
     本来ならばアッシュなんて王族としてバチカルに帰ることの出来る身分ですらないのだ。本当に世界を思って戦って命を落としたルークがそこにいることは当然として、自分の命のために王族を捨てたアッシュが歓迎されるとは思っていなかった。けれどアッシュとルークが居なかった間にどんな噂が流れたのだろうか、いつの間にか世界を救った英雄の一人にされてしまって、良く戻ってきたと歓迎されればバチカルに戻ることもアッシュの中の選択肢として加算せざるを得ない。
     生還してしまったあの時、せっかく生きて再び顔をあわせたにも関わらず目に涙をいっぱいにためて、けれど泣くとお前の顔が良く見えないからと必死にそれをこらえながら抱きついてきたルークに結局顔なんて見てないじゃないかと言いながらアッシュは、ルークを抱きしめながら思っていたのだ。自分はどこに行くべきなのかと。その時にはアッシュにはバチカルに帰るという選択肢はなかった。そこはルークの居場所だし、帰るつもりがないと言ったあの時の気持ちはまだあった。ダアトにでも戻るか、特に目的もなく旅をするのもいいかと思っていた。
     結局その後ルークはアッシュの手を離そうとはせず、仕方なく一緒に戻ったバチカルに腰をすえることになってしまったのだが、その時点でもアッシュが請えば自由になれたのだと思う。いったんファブレの名前を取り戻してしまえば王族としての面倒な責任もついてくることは分かっていた。けれど、自由よりも面倒さよりも何よりもアッシュがバチカルへととどまる理由なったのは、口ではアッシュの好きにすればいいと言いながら笑うルークの瞳だ。
     言えばいいのに。一言、行くなと。
     あの時は何度もバチカルへ帰って来い、ここはお前の場所なんだと言ったその口はどうしたのだと思うほどルークはそれに関しては無口だった。けれどその瞳はアッシュを離すまいと真っ直ぐにアッシュに絡みついてきたのを心地よく受け止めていたのも事実だ。
     どこにも行かないと言ったその時がいつだったのか、多分還ってきてから二週間くらいだったような気がする。念のためと連れて行かれたベルケンドで、二人とも音素は正常値だと診断してもらってほっとしていたからだと思う。自分の体の調子は悪くないと知っていたがルークがどうなっているかはさすがの同位体でも知ることが出来ない。もしルークが以前と同じ音素乖離を起こしていて、いつ消えるか分からないからアッシュに対して何も言わないでもすぐに全てを返せるからなどと考えているのならば。そんなことを考えないでもなかったがその時はどうするつもりだったのか、もしかしたらバチカルを出て行っただろうなと今のアッシュなら考える。もちろんルークを掻っ攫ってだ。
     そんなことを考える必要もないくらい二人の体は正常で、二人でこの世界で生きていけるのだと改めて思えば、別にアッシュはどこにいようと構わない気がしてきたのだ。ならば目的のない場所よりは、誰かに請われた場所でいいんじゃないかと。王族としての責務とか面倒とかそれよりもルークが伸ばした手のほうがアッシュには貴重なものだったのだ。
     それから、アッシュは長年の神託の盾騎士団の生活から一変して貴族としての生活が始まってしまったわけだが、今のところ決まった役職をもらっているわけでもなく、それほど忙しくもない。アッシュが得意なことといえば剣を振るうことくらいだ。かつては特務師団長という役職をもらってはいたが、ごく少数の師団でヴァンの手駒の一つのようなものだったから軍で役に立つようなスキルもそれほど持ってはいない。今のところ期待されているのはその明らかに王族と分かる容姿と公爵子息という地位くらいだ。それでもルークが未だ一日の半分を勉強に費やしているのと違い便利にあちこちへ使われているアッシュの差は、神託の盾騎士団に居た頃の肩書きだけでも師団長を戴いていたスキルの差だ。
     それゆえに、せっかく同じ屋敷にいるのに顔をあわせない日すらあるというのはいただけないとアッシュは常に思っていた。多分これからルークが子爵として働くようになればさらにすれ違う日が続くのだろうことは予測できた。
     今日だってそうだ。本当はもっと早い船便で帰る予定だったはずだったのに伸ばさざるを得なかったのはその場でついでにと一仕事追加されたせいだ。
     今回の行き先はダアトで、ローレライ教団とはレプリカに関することを協力して行っている関係上、アッシュも時々向かうことがある。ルークが同行することも多いのだが今日はアッシュだけだった。バチカルに建設する予定のレプリカ保護施設についての話で、後はサインをもらって建てるだけという段階のもので、ここから話がこじれるというものもない。ここまでたどり着くのに時間はかかったが、これは公務以前にレムの塔でのレプリカとの約束でもあるのでアッシュは率先してそれらの仕事を引き受けていた。
     あれから二年以上が経過したが未だにレプリカ問題は解決したとはいえない。アッシュの力だけでは何も出来ないそれもキムラスカという後ろ盾があるだけでかなり違うし、王族でしかも自身のレプリカと共にある事実はかなり効果的だった。そのために見世物になるならいいよとルークが一緒に行動するのは喜んでいいのか微妙な気持ちだ。ルークを道具扱いしたくないし、他の誰にもそんな扱いをさせたくない。けれどアッシュだってすでに政治的な道具にされているようなものだ。それと同じだと思ってもなんとなく不快になる。だから必要のないときにはルークを連れないし、そうすればルークと共にいる時間は減って。ルークはルークでアッシュ以外の誰かに利用されて。何の悪循環だ。
     誰かに利用されないようなそんな力を付ければいいというのは分かっている。けれど二人ともまだ全くの力不足で。出来ることをするしかないというのは分かっている。やはり、どこか放浪の旅にでも出たほうが楽だったかもしれないと思うときもあるが、いつだってやる気のルークを見ればアッシュが愚痴を言うわけにも行かず、これはまた小さなプライドの問題なのだが、それなりにやり甲斐もあるし手を抜くつもりもない。
     今日だってそのためにダアトに出向いて、順調に話も済ませて。
     なのに、予定が狂ったのは全然別件だったのだ。


     今日も当初の予定通り話も進み、アッシュは後は帰るだけと教団総本部の中を歩いていたところだった。
    「アッシュ! やっと見つけたー」
     呼ぶ声に振り返ったのはそれが知った声だったからだ。
    「時間あるよね」
     笑顔でアッシュの前に立って見上げてきたのはアニスだった。また面倒な奴に見つかったとアッシュは内心思ったが顔には出さない。アニスとアッシュが知己であるのは教団の中では周知の事実であるし、ここ二年でアニスもその口と実力でそれなりの地位にいるので、そんなアニスとアッシュと二人が顔をあわせればもちろん目立つ。アッシュはもちろんキムラスカの名を背負ってここにいるから悪態などつけるわけもなく、ルークのようにとまでは行かないまでもそれなりの好意的な反応を迫られる。それを分かって人前で話しかけてくるのだからアニスもあのメガネと類友だ。
    「ルークに渡したいものあるからちょっと一緒に来てくれるよね」
     そう声はかわいらしいものだが目が笑っていない。言葉もお願いとは程遠い響きで。またかとアッシュは思いながら人目がある以上おとなしくアニスの言葉に従う。
    「これ、お願いね」
     ついていった先で笑顔で渡された書類の束には正直殺意を覚えた。
     大抵こうやって持ち込まれる案件は正式にダアトとキムラスカでやり取りすれば蹴られてしまう類の、裏情報だったり議会では反発をされてしまう突飛な案件であることが多い。そのほかにもフローリアンからルークへの手紙が挟まっていたりとかその中身はバラエティにあふれていて正直嬉しくない。アッシュは無言でそれを手に取る。取らないという選択肢はなかった。わざわざ手渡してくるそれがどうでもいいものであるはずはないし、正直こういった秘密裏の情報に助けられることも多い。国をまたいで信頼できる者がいるということは大きな利点ではあるのだ。ただ。
    「ちょっとアッシュ、返品は不可だよー」
    「そのくらいお前がどうにかしろ」
    「えーキムラスカ側からやってもらったほうが楽かなって」
     笑顔を作られても受け取れないものは受け取れない。
     いくつかの書類を突っ返して、残りをアッシュは手元に納めた。以前に同じようにルークが受け取ったときは中身を見ずそのまま持って帰ったものだからアッシュとナタリアと二人して散々叱ったことがある。今回もなぜかマルクトの印が入ったの書類も混じっていて、たらいまわしかと思わないでもない。例のごとくルーク宛の普通の手紙も混じっていたのでそれはそのまましまってアッシュは一息ついて時計を見た。もともとの予定の船の出航時刻はとっくに過ぎていて次の船ではバチカルへは夜中になってしまうだろう。バチカルを立ったのが昨日で昨日の朝からルークの姿は見ていないからこれで夜中会えなければ丸二日だ。それをアニスに言うことはしないけれど言えばからかわれるだけだ。昔は半月顔をあわせないことだってあったし連絡をまめに取っていたわけでもない。二日ごときと鼻で笑われるのがオチだ。なるべくアニスにはネタを握られたくないアッシュはむっと眉をひそめるにとどめる。けれどアニスは何か感づいたことがあるのだろうか楽しそうな笑みを浮かべているだけだ。
    「今度はちゃんとルーク連れてきてよね」
    「そう連れまわせるか」
    「そうだよねーアッシュはルーク一筋だもん……ってあんたに言ってもつまんない」
     いつも適度に遊ばれている自覚があるアッシュは一人でよかったと心底思った。ルークが一緒ならルークを巻き込んでアッシュで遊ばれている最中だろうから。
    「まああんまり引き止めたらルークに怒られるからアッシュそろそろ帰りなよ」
     引き止めたお前が言うなと思ったが、そろそろアッシュも帰りたかった。お土産だと用意して会ったのだろう袋を渡される。中には確かに包みが一つ入っている。アッシュは渡された袋の中からさっき突っ返したばかりの書類を抜いて再びアニスに渡すとアニスはぶーとだまされてくれてもいいじゃんと口を尖らせている。目の前で突っ込まれたのだから気がつかないわけがないだろう。残ったのはアニスの言うお土産とこれは手紙だろうか、それだけなのを確認してアッシュはそれをしまう。
    「それは正真正銘のルークへのお土産だよ。前に好きだっていってたやつだから。ちゃんとアニスちゃんからって言ってよね」
     まあ言わなくても分かるだろうと一目見て思った。ピンクのラッピングにルークへと書かれたそれが誰からのものかなんて。
     見送りはいらないよねと、ルークなら絶対ついてくるアニスは笑顔で手を振る。
     アッシュは予定にないものを手に持って、予定より遅い時間にやっとダアトを発てたのだ。


     屋敷の門をくぐれば、門番が夜中だということを気にしてか小さな声で出迎えてくれる。音素が少なくなっていることを考慮して公爵家にもかかわらず庭も屋敷の中も最低限の明かりしかない。もともと外の生活に慣れたアッシュにはそれでも明るいくらいだと思ったが、ルークにしてみれば十分暗くなったらしい。足元さえ見えていれば問題ないとアッシュは思うのだが、暗闇に慣れていない者にとっては心もとないのだろう。屋敷の中に足を踏み入れればさすがにメイドの出迎えはないが、いつもの定位置でラムダスが控えている。
    「本日はこのままお休みになられるように、とのことです」
     船に乗り遅れた時点で帰りが遅れる事は伝えてある。
     本来予定していた時間ならば夕食にも間に合う時間で、ダアト行きの報告をするために登城すべきだったのだがさすがにこの時間に向かうわけにはいかない。本当は明日は休みのはずだったのに午前中は休めなさそうだとアッシュは小さく息をつく。
    「ルーク様はお部屋に戻られています」
    「そうか」
     ルークのことを聞く前に伝えてくれるのは、アッシュの瞳が少しだけ誰かを探して彷徨ったせいだろうか。そんなに常にルークの位置を聞いて回っているわけでもないのに、こういうときに限って伝えてくれるということはやはりアッシュの視線の意味などばれてしまっているわけで少しの気恥ずかしさを感じる。船のつく時間は分かっているからもしかしたら出迎えてくれるかもしれないとどこかで思っていたのかもしれない。そう長い間離れていたわけでも命の危険がある場所に行っていたわけでもないのに、わざわざ出迎えがあると思うほうが間違っている。ただ、いたらいいなと思っていたのはアッシュがルークの顔を見たかったからだ。最近は顔をあわせる時間も少なくて、やっと今日ならまとまった時間が取れそうだと思ったところにこんな状態だったからなおさらだ。部屋に戻っているということはもう寝ているかもしれない。けれどアッシュには今日はアニスの手土産というアイテムがあった。部屋を覗いて起きていれば渡せばいいとアッシュは部屋へと足を向けた。
     以前使っていたルークの部屋は二人して屋敷に落ち着くことに決まったときにどちらが使うかもめて、決闘の一歩手前までいった所で母に止められた経緯がある。結局その部屋はそのまま使わずに、その奥にあった場所に少しだけ手を入れた部屋をそれぞれアッシュとルークの部屋にしたのだ。子供のために作られた元の部屋ではこれからの生活には不都合があったと気がつくのは新しい部屋に落ち着いてからのことだった。それでも時々もとのルークの部屋に入ってはなにやらしているルークの姿を見ることはある。落ち着くんだと笑うその顔は何を思い出しているのか聞いたことはないけれども。
     そんな元のルークの部屋を窓の向こうに見ながらアッシュは自分の部屋の扉に手をかけた。
     隣り合ったその部屋は別々の部屋だけれども、改装ついでに部屋の内側に両方から行き来できる扉が作られたのは二人の意思ではない。だって本当は一つの部屋にしたかったんですものと笑って告げた母にはどうしても逆らえないのは仕方のないことだ。
     はじめは遠慮がちにその扉を使っていたルークも最近は遠慮もない。そのたびに叱る気も失せてやりたいようにさせているが、ルークが側にいることに慣れてきたアッシュも集中しているときに邪魔さえされなければ気にならないようになってきた。それでも最近はどちらも何かと忙しく、アッシュの部屋にルークがいることは少なかった。
     今日もアッシュが自分の部屋入るとそこは真っ暗で、当たり前のように人のいる気配はない。外からの僅かな光で見えるその部屋はいつもの殺風景なそれだ。何度か遅く帰ってくるアッシュをアッシュの部屋のソファーでごろごろしながら待っていたルークがいたことがある。にこりと笑ってお帰りと、そんな妄想にとらわれてアッシュはちょっとだけ死にたくなった。だいぶ末期だ。
     視線をめぐらせてルークの部屋と続きの扉を見れば薄く光が漏れていた。どうやらルークはまだ起きているらしい。アッシュの帰りを待ってくれたのかと一瞬思うがまだ日付も変わらない時間だ、このくらいなら普通にルークだって起きている。寝ているときもあるけれども。また妄想に取り付かれそうになる頭を振ってアッシュは小さく息を吐いた。
     その光に惹かれるようにアッシュは扉に手をかけて、一瞬思い直して軽くノックをした。
     返事がない、そう思うまでに本当はたいした時間などかかっていないのにアッシュには長い時間に感じられた。この扉を叩けるのはアッシュしかいないはずなのにそれに反応しないとなると、聞こえていないのかそれとも。もう一度ノックをしようとしたその手は空を切る。
    「アッシュ? 遅かったな」
     返事の前に扉を開けれられてアッシュは驚いて一瞬言葉に詰まる。
    「何だよ、明かりつけてないじゃん。アッシュ暗いとこ好きだなー」
     そういいながら扉の近くにある音素灯のスイッチに手を伸ばしたルークは明るくなったアッシュの部屋をアッシュ越しに満足そうに覗き込んでいる。視線が自分を素通りしているのが何か気に入らなくてむっとルークを見つめれば、ルークがアッシュを見てふわりと笑った。何だよとルークが目の前にゆれるアッシュの髪を一房手に取った。
    「アッシュ今帰ってきたとこなんだ、やっぱり似合うよなそういう堅苦しい格好。かっこいい……ん」
     目が合ったから、理由なんてそれくらいだ。ルークの口にしようとしていた言葉の続きはアッシュにふさがれたそれの中に消えていく。顔をあわせてまず触れるのが唇だなんてまるで飢えているみたいだと思わないでもなかった。突然の口付けにもさほど驚いた様子は見せないルークがそっと目を閉じたのを確認してからその腰に手を回して抱き寄せた。薄い部屋着ごしに伝わる体温が心地よくて手放し難くなる。小さな音を立てて離れた唇を惜しい気持ちで見つめて、右頬に最後に唇を落とすとアッシュはその腕を解いた。密着していた体が僅かに離れて、けれど距離はそのままにルークはゆっくりと目を開く。視線が交わればルークの手がそっとアッシュの肩に触れた。
    「……まあいいや、おかえり。お前ももっと普通にただいまとか言って帰ってこれねぇの?」
     少しだけ呆れた顔のルークが言う言葉は、まさにアッシュの行動を言い当てていて、アッシュは返す言葉もない。それを言えば突然扉を開けて現れたルークが悪いのだと思うことにする。顔を見たかったい相手が突然至近距離に現れれば口付けたくなるだろう。本当は普通に帰ってきたこと告げて少しは話でもできればと思っていただけなのに。
     外に出て言葉での駆け引きをするのは思った以上に疲れる作業だ。剣を持って一騎打ちしたほうが楽だと何度思ったか。それで解決できることの方が少ないと知っているからこそ我慢するしかないのだが。だからこそ、ルークの側にあるこの部屋がアッシュの休める場所であり、気を抜いてしまうのも仕方がない。
    「ああ、ただいま」
     用意していた言葉をやっと告げると、ルークもほっと息を吐いた。
    「何かあったのかと思ったけど、別に何もなさそうだな」
     そっとアッシュの頬に手を触れるルークの手は少しだけ冷たくて、思わずアッシュはその手に自分の手を重ねる。覗き込まれた瞳はゆるく笑っているように見える。予定より遅く戻ってきたことに少しは心配してくれていたようだ、何にもなさそうだと評されたのはアッシュの表情を読んだ結果なのか行動がいつもどおりと思われたのか、いつもこんな顔でこんな行動をしている自覚はあまりないのだが、ルークがそう思うのならそうなのかもしれない。
     何かあるとすれば、もっと触れたいと思っていることくらいか。
    「帰りにアニスに捕まったんだ」
    「あ、またなんかもらってきたんだ」
     アニスの名前を出せばルークもそれが何か理解したらしい。以前さんざんいらないものを持って帰るなと叱ったのだから当たり前か。アニスからアッシュへの用事なんてそんなものしかない。
    「用事はちゃんと終わったぞ」
    「そうか、良かったな。あそこにでっかい建物建てるんだろ? バチカルの南通りの教会が古いから立て直すついでに隣に救護施設も併設するって。町の中心から離れてるからあまり手が回らなかったところだからよくなるといいな」
     もともとはルークも一緒に手をつけていた用件だった。ダアト側のことはアッシュが、キムラスカ側のことはルークがと分けて行動していたのだ。うまくいったことにルークもほっと息を吐いた。
    「出来上がるまでのレプリカの保護とかはお前がやってんだろうが、うまくいくかはお前しだいだろ」
    「う……ガンバリマス」
     ルークは少しだけ難しい顔をしながらアッシュの手を掴みなおすとぬくもりを確かめるように軽くそれを掴んでゆっくりと離した。アッシュの手から顔へと視線を移してルークはあれ? と小さく呟く。
    「疲れてんだろ? 早く休めよ」
     せっかく顔をあわせたのに出て行けとばかりの言葉には少しだけ落胆する。けれどゆっくりと話を出来るほどの時間ではないことは確かだった。ルークは寝ているかもしれないと思った時間なのだ。実際は起きて何かしていたようだけれども。もう少し話をしたいと思うけれどルークから拒否されれば言葉もない。
    「違うって、お前まだ帰ってきたままじゃん。先に俺のとこ来たってことはこのまま休むのかなって」
     そういえば、アッシュはまだ帰ってきたまま着替えてもいないことを思い出す。早くルークの顔を見たくて明かりもつけずにいたところを明かりだけはルークの手によってつけられたものの、それ以外は全くそのままで。置きっぱなしにした荷物に目をやったときにその存在をようやく思い出す。
    「お前に土産だ」
     アニスに持たされた袋ごとルークに手渡せばルークは目を丸くしてアッシュと手に持っているそれを交互に見やっていかにも信じられないといった顔をした。
    「え、アッシュが?」
     確かにそれは自分からの土産ではないが、もしアッシュからだとしてもルークの言動は失礼だろうと思う。けれど今までルークに何か買って来た事があるかと思えばほとんどなかったことを思い出して少しだけ反省した。けれど一日やそこらの仕事で土産など要らないだろうし、長期の場合はルークが一緒であることが多い。その必要性を感じなかったのも事実だ。確かに今回も自分の手土産ではないけれども。なんとなくその事実が悔しくて次は何か買ってこようとアッシュはひそかに心に決めていた。
    「あ、アニスか、なんだ」
     そして包みを見た瞬間のその表情の差は何だ。アッシュからなら不可解で、アニスからなら当然なのか。そして思ったとおり包みを見てすぐに分かるとアッシュも思ったが本当に分かられるとなんとなく癪だ。一瞬たりともアッシュからのものだと疑われなかったのも含めて。
     そんなアッシュの内心も知らず、ルークは中の手紙に目を落として楽しそうに笑っている。ルークの意識が完全にアッシュから逸れたのを感じてアッシュは面白くない気持ちになってルークの言うとおり今日はもう寝てしまうほうがいいんじゃないかとさえ思う。明日になれば休みだ。確かルークも休みのはずだったから明日に捕まえればいい。そう考えればどっとアッシュに疲れが押し寄せてくる。じゃあなと部屋に戻ろうと足を向けようとすればそんなアッシュに気がついたルークが顔を上げた。
    「アッシュ、俺はもうちょっと起きてるから」
     それだけ告げて小さく手を上げるルークにそれはどういう意味だと聞き返す前に、またルークの視線はアニスから送られた土産に移ってしまっている。
     これはルークからの誘いの合図なのか、今までそんなことなどあったためしなどないし、絶対にルークはそんな深いことなんて考えていないと断言できるアッシュは断言できることに少しだけ悲しくなった。ルークの言葉はなかったことにして寝るか。とりあえず着替えてシャワーでも浴びてそれから考えようとルークに背を向けようとしたアッシュの前ではルークがいそいそとその包みを開けて小さく声を上げている。
    「……何の賄賂だ……」
     思わずルークがそう呟くほど、その土産はそこそこ値が張るものなのかもしれなかった。ちらりと見ればそれはビンに入った飲み物のようだ。どうりでそこそこ重かったはずだとアッシュは深く考えずに着替えるために自室に戻った。
     持ち帰った書類をそろえているときにその間にフローリアンからの手紙が混じっていることを思い出してそれだけ隣に避ける。結局ルークの部屋に行く事が決まってしまった。別に嫌なわけではないのでいいのだが、その手紙を渡せばルークの意識が逸れるのが分かっている。せっかくゆっくりできる時間なのにもったいないと一瞬でも思ってしまう自分がいっそ馬鹿馬鹿しくなる。ルークを好きだと自覚するまではただイライラが募るだけでそれを逆にルークにあたっていたこともあったが、認めた今ではそれを顔に出すのも逆に恥ずかしいと思うようになった。どれだけルークのことが好きかと言っている様なものだ。道理でルークの周りの奴らがにやにやしていたはずだ。その記憶を消して回りたい。今だって気がつかない間にいろいろにやにやされているかもしれないと思うと、いっそ引きこもっていたい気分だ。もちろんルークと。
     そういえば、アニスがつまんないと言い放って言ったのもそのあたりだろう。これ以上玩具になってたまるかと思う気持ちと、常にルークの隣にいる権利を得たことを見せ付けたい気持ちと両方あって、ルークが隣にいるなら少々の玩具になるのも我慢しようと思ってしまうあたりも昔の自分ならありえないと思うだろう。アニスがこれ見よがしにルークの好きなものだよとアッシュに物を託すのも嫌がらせの一環だ。一番ルークの大変だった一年に常に近くにいた彼らには未だアッシュの及ばないところもあって、時にルークはアッシュよりも彼らを優先することもある。ルークからのアッシュへの思いと彼らへのそれが違うことは分かっているのだが、時に我慢できないのはアッシュの心が狭いからだろう。その自覚はある。
     今だってきっとアニスの土産を眺めてもしかしたら返事でも書いているかもしれない。アッシュのことなんて脳内に欠片もないかもしれない。そんなしょうもないことにいちいち一喜一憂している自分にもよく呆れるのだ。
     そうだ、ルークが好きだからと渡されたアニスの土産のこともアッシュは知らなかった。そのラベルに見覚えはあった。アッシュ自身は手に取ったことがないが、場所によっては時々そのラベルを目にすることはある。その場所とはいわゆる酒場で。ルークが手に持っているのは紛れもなくワインのはずだった。アッシュが入ったことのある酒場においてあるものであればそれほど高級なそれではないはずだ。アッシュが酒場に行くのは人に会うとか情報収集のためだったからアルコールは飲まなかったのでそれを口にしたことはない。還ってきてからは幾度か食事時に勧められて飲んだほかはガイにつぶされるまで飲まされたくらいか。しかしルークがそのワインを口にする機会があっただろうかとアッシュは記憶をめぐらせる。アッシュが口にしていないのならばたぶんルークもないだろうと思うのだが、アニスがルークが好きなものだといったのだからどこかで口にしたのだろう。
     どこで?
     思いつくのはアッシュの知らないルークをアニスが知っている間しかない。
    「まさかな」
     シャワーを浴びて濡れたままの髪を雑にまとめるとアッシュはテーブルの上に避けた手紙を手にとって再びルークの部屋へと続く扉に手をかけた。
     ルークの部屋に入れば机に向かったままのルークが振り向いて、小さく笑った。すぐにアッシュの方によってくるのかと思えば動く気配がない。何かしているのだろうか、けれどアッシュが部屋に来るだろうことが分かっているのに何故やめないのかアッシュにはそれが不満だった。多分顔に出ていたのだろう。
    「もうちょっとしたら終わるから座ってて」
     そう言ってすぐに顔を机の方に戻してしまうルークがアッシュには面白くない。
     お誘いではないと分かってはいたが本当にルークの夜更かしのついでだと知らされればなおさらだ。自分より優先することがあるのかと思いながらもいったんはルークの言葉に従った。手紙はソファーの前のテーブルの上において、ソファーに腰掛けようとして、やっぱりそれをやめたアッシュはルークのいるほうへと足を向けた。
     足音を殺しているわけでもないのに、近づいてくるアッシュに振り向きもせずに机に向かったままのルークにむっとしながら、ルークの机の右側に立つと机の端に手をついてルークの手元を覗き込む。
    「何をしてるんだ?」
    「んーあとちょっと」
     そういいながら指でなぞるようにして読んでいたのは一冊の本だった。何かの娯楽小説かと思ってみれば専門書らしい、本の文字をなぞりながらときおり左手が何かの文字を書き留めている。確かにその本の残りは後少しのページのようだし、ルークがあとちょっとと言うのも分からないでもない。けれど、それは今しなければいけないことなのか。アッシュの帰ってくるのが遅くなることもルークは知っているはずだし、大体の時間だって把握しているはずだ。それに明日はルークも休日なのだから急いで何かをしなければいけないものはないはずなのに。
    「第七音素学……?」
     問いかければページをめくろうとしていたルークが少しだけむっとした表情でアッシュを見上げてくる。
    「アッシュ、終わるものも終わらないじゃん」
     振り払われたのはルークの跳ねた後ろ髪に手を這わせていたアッシュの手だ。それにと、ルークの伸ばされた手が肩口でまとめただけのアッシュの髪に触れる。
    「俺のことはちゃんとしろとか言うくせにお前は自分のことは雑なんだよな。ちゃんと乾かせよ髪。ほら、しずく落ちてきて、邪魔」
     ぐっとアッシュを後ろに押しやればまたルークはアッシュに背を向けて机に向かってしまう。何だか拒絶されているような雰囲気にアッシュはなんと表現していいのか分からなくなってじっとそのルークの背を見つめた。
     動く気配のないアッシュに気がついたのかルークが振り向いて、なぜか小さく笑った。何がおかしいのかそう思う間にルークの手が伸ばされて乾ききってない髪に再び触れた。その次の瞬間にはルークに髪ごと引っ張られてアッシュの唇に柔らかい感触が訪れる。
    「お前が帰ってくるまでに読み終える予定だったからさ。お前が言ったんだろ中途半端にすんなって。後十分くらいだから待てって。お前だっていっつも邪魔すんなって言うくせに」
     するりとルークの手の中からすり抜けた赤い髪を名残惜しそうに見つめてまたルークはアッシュに背を向けた。さっきと同じ状態のはずなのに、先ほどのなんとも言えない気持ちはアッシュの中から抜け落ちていた。ルークが笑ったからだ。拒絶されてないと分かったからか、部屋に来てもいいと言われた時点で拒絶されることなどないことは分かっているのに、ルークのちょっとした言動で自分のの心が揺れるのが少しだけ不快で、けれど心地よく感じる。
     結局、最初に言われたようにソファーに身を任せるとアッシュはもう一度ルークの背中を見て何か言おうと思った言葉をぐっと飲み込んだ。
     誰も見ていないと分かっていても、自分がどんな表情をしているか分かってしまって目元を隠すように手で覆った。構って欲しいとか、どうして構ってくれないのかとか、以前ルークから聞いた言葉がそのまま自分に降りかかったような気分だ。言うわけにはいかない、けれどさっきのルークの楽しそうな表情はきっとばれてしまっている。駄目だ、自分はこんな情けない姿ではなかったはずなのに。
     そう思って、自分らしい行動とはどんなものだと思い返してみればそれらしい行動なんて思いつかなかった。ルークに対する行動なんて昔からそれほど変わってはいない。ルークは初めからアッシュのもので、思い通りに行かなくて苛々して、思わぬルークの行動にペースを狂わされて。ルークが必死にアッシュを追っている姿はいつだって優越感を覚えたし、ほかのことに気を取られていれば苛々した。独占欲なんて初めからあったし、それが愛情だと気がつけばなおさらだ。
     こうではなかったと思うのは、もっとこうしたいという気持ちの表れなのだろう。もっとルークに対して優位に立ちたいとか、小さなプライドを積み重ねた結果でしかない。現実はそんなプライドよりもルークへの気持ちの方が先立っているだけの話だ。
    「まあ、悪くないかもな」
     取り繕ったって仕方がない。現にルークにはしっかりばれているし、他に誰に隠すのだ。それに、かくして、我慢するなんてそれこそ自分の性に合っていない。
    「えっ、アッシュもう飲んじゃったの?」
     慌てたような声と共に振り向いたルークはアッシュと視線が合うなりしまったという顔になった。
    「何だ」
    「だって、お前悪くないとかいったからアニスからもらった奴飲んじゃったのかと」
    「もらい物を勝手にあけたりしねぇよ、まあもう開いてるか」
     確かにアッシュは独り言を呟いたが、別にルークに聞かせるつもりではなかったので返事があったことにこそ驚いた。それまで目の前に置いてあるワインなど気にも留めていなかったのにそういわれればさっき思った疑問が思い出される。
     グラスに少しだけ注がれたそれはルークが味見でもしたのだろう、瓶の中身が対して減っていないところを見れば本当に味見程度だということが分かる。それほどルークはアルコールを好んでいただろうかと思い出してもそんな記憶はない。
    「まあ、ほんとに悪くない味だから飲んでていいよ」
    「お前は飲まないのか?」
    「うーん、飲むと眠くなるから後でー」
     照れ隠しなのかそう言ってまた机に向かうルークがぐしゃりと髪をかき回すのまで見てアッシュは目の前のワインを手に取った。グラスはその横に二つ用意されている。もともと二人で飲むつもりだったらしい。空いているグラスの方に少しだけワインを注いで香りを確かめる。ごく普通のワインだ。舐めるように少しだけ口にしたその味も多分おいしい方なのだろう、けれどアッシュにはワインの良し悪しなど良く分からない。そういえばこの間グランコクマに行った時にこれはとてもいい奴なんだと飲まされたそれにさほど感動しなかったことを思い出す。とすればこの目の前のワインは飲めると思うだけアッシュの舌には合っているのだろう。十年近く貴族の贅沢な暮らしとはかけ離れて過ごしたアッシュにとってはこのくらいのものが丁度いいのかもしれない。
     ぐっとグラスに残っているものを飲み干せばなんとなく手持ち無沙汰でもう少しと今度は多めにグラスについで、机から動かないルークの後ろ髪が揺れるのを見ながらまたワインを口にする。時間をとられるならもっとゆっくり来れば良かったと思ったけれども、少しでも早くルークの顔を見たかったのだから仕方ない。アニスに押し付けられた書類をこんなところで見る気にもならないので部屋に取りに帰るのも億劫で、それならばルークをじっと眺めている方が建設的だ。早く振り向けと念じながら後姿を見つめる。
     そうしてどのくらい経っただろうか。
    「なあ、第七音素ってさ」
     ルークが椅子に腰掛けたまま、くるりと振り向く。手には先ほど読んでいたのだろう本があるところを見ると読み終わったのだろうか。それならば早くこちらに来ればいいのに、アッシュはその本を半ば睨みつけながらぞんざいに返事をする。
    「預言を読むときに必要で、その預言が譜石に刻まれるってことは、第七音素自体に未来を見る力があるってことなんだよな。でも、第七音素が癒しの力を持ってるってのは第七音素の未来を見る力を使って怪我なんかを未来の正常な状態まで進めてるんじゃないかって。そしたらさ、もしかしたら怪我しまくって治癒術掛け捲られたら早く年取っちゃうってこと?」
     やけに真剣な顔をしているから何を考えているかと思えばそんなことか。アッシュは少しだけ脱力する。ルークの持っているその本はアッシュも眼を通したことがある。未だはっきりと属性が解明されていない第七音素はつい先日までその集合体であるローレライの存在すら疑問視されていたほどで、しょっちゅうローレライに干渉されていたアッシュにとっては今更な話だ。
    「ちゃんと読め。第七音素が生まれた瞬間から消えるまでの全ての記憶が刻まれてるだけで未来じゃない。今だって過去の譜石も作れる。治癒術は過去の正常な姿に戻しているだけかもしれないと他の文献にもあっただろうが」
    「ええ! それなら使い続けたら小っちゃくなっちゃうこともありえるってこと?」
    「だからどっちもねぇよ。一番有力な説は第七音素が他の六音素から生まれたものだから干渉させて活性化させてるんじゃないかって奴だ。それに、怪我しまくって治癒術掛けられまくってたお前の背が伸びたりしたか? それが答えだろう」
    「……伸びてない」
     むっと頭の天辺に手をやったルークは髪の毛を引っ張ったりして無駄な足掻きをした後机の上に本を置きなおして椅子からようやく立ち上がった。
     終わった解放感に、大きく背伸びをしてぐるぐると左肩を回しながらルークはようやくアッシュの隣に腰を下ろした。
    「お待たせーって、アッシュなんでもう半分も俺の飲んじゃってんだよ」
     そして素早くボトルの残量に目をやると途端に笑顔が消えた。
    「お前が呑んでいいって言ったんだろうが」
    「言ったけど!」
     そういいながらアッシュの手に持っているグラスを奪おうとするものだから、アッシュはルークの腰に手を回してぐっと自分に抱き寄せる。いきなり引き寄せられてアッシュにもたれかかるように手を突いたルークの顔が近い。なのにルークはアッシュよりも減ってしまったワインに気を取られているようで、アッシュの手にあるグラスにさらに手を伸ばして奪い取ると、ようやく満足した顔でそのグラスに口をつけた。
     両手で包むように抱えられたそのグラスは同じ大きさの手の中にあったはずなのに自分が持っていたときよりも大きく見えて、ルークの口の中に消えていく赤い液体はさっきまで口にしていたものよりも美味そうに見えた。アッシュの腕の中でもたれかかるように体を任せているルークがちらりとアッシュを見て笑う。
    「美味かっただろ?」
    「まあ、普通だな」
     それは偽らざる感想だった。普通というのは一般的に多く流通しているということで、つまり多くの人がいいものだと思っているもので、値段に見合わないと思われるものはすぐに消えていってしまう。そういう意味ではほめ言葉のつもりだったのだが、ルークは何か不満そうにグラスを傾けている。
    「そうだよな、これってキムラスカではほとんど売ってないけどケテルブルグあたりだったらどこの店にも置いてる奴だし、うちの蔵にあるみたいな高級品じゃないし」
     そういうつもりで言ったのではないのだが、どういえばいいのかアッシュは少し悩む。すごく美味いわけでもなくまずいわけでもない。どちらかといえば美味い? そもそもルークがそれほどのものではないといっていたではないか。
    「まずいものはこんだけ飲んだりしねぇだろうが」
     すっかり減ってしまった瓶を指差せば、なぜかルークはさらに機嫌を悪くしたらしい。むっと眉をひそめながらグラスを揺らした。
    「お前があの時言った台詞もそういやそうだったよな」
    「あの時?」
     何を思い出しているのか、アッシュには全く見当がつかなかった。
    「ケテルブルグでやっとお前捕まえてさ、俺の作った料理食べたときの台詞。あの時、ちょうどこのワイン手に入れてさ、俺飲めないし丁度いいから料理に使おうって使ったんだよ。せっかく美味く出来たのにさ、お前そんなことしか言わなくてしょげてたら、もっとよこせとか訳わかんないじゃん。やけになってさ、後で残ったワイン飲んだらそんなにおいしくないし、頭痛いし最悪だったんだぜ」
     多分あのときのことかとアッシュは記憶をめぐらせた。確か寒いからとシチューを出されたのだったか。黒いからたぶん失敗したのだと思っていたらビーフシチューで、そこそこの味だったので二重に驚いた覚えがある。
    「まずいものを二杯も食うか、それにお前の料理が普通だったことこそ奇跡だろ。そのほかには芸術的な味のものしか食った覚えがない」
    「芸術的で悪かったな。で、後でギンジから聞いたんだよ。珍しく美味いもの食べさせられたって言ってたって。そういうのは本人に言えよな!」
     いえるわけがない。特にあのときのアッシュはいろんな感情が入り混じっていて、ルークに対してきつく当たることしか出来なかったときだ。ほめれば多分ルークは喜んだだろう。その後にルークに対してどんな反応をすればいいのかアッシュには分からなかったのだ。
    「そういえば、キムラスカでは未成年は飲酒禁止なはずだったが?」
    「……ケテルブルグでは子供だって飲むって言ってたもん。……まああの時は飲めなかったから料理に使ったんだけど、やけになって飲んだのはお前のせいだし!」
     ぷいと背を向けてしまったルークをアッシュは横目で見やって、空いたグラスにワインを再びついだ。飲んでみてもやはりとても美味いとはいえなかった。
    「いーんだよ、俺はこれがいいんだから。お前が俺の料理を認めてくれた記念の味だから」
     ルークの腰にはアッシュの手が絡まっているままなので動くことは出来ないが、ルークは器用にアッシュに背を向けるようにしてソファーに座りなおすとそのまま振り向きもしない。机に向かっていたさっきとは違いアッシュの腕はルークを捕まえたままだし、そのぬくもりはずっと手の中にある。そのぬくもりだけでまあいいかとアッシュは思いながらグラスの中のワインを飲み干した。

         ◇  ◇  ◇

     ルークが話しかけなければアッシュはあまり自分から話をすることはない。それは昔からそうで、ルークはいつもアッシュとの会話の間を埋めるのに必死だった。今はこうやって何も話さない静かな時間でもそれはそれでぴったりと寄り添っていればなんとなく流れる時間を二人で過ごすことはある。けれど、昔のアッシュはそんな時間をとってくれはしなかった。間が開けば用事はもうないとばかりにルークに背を向けてしまうことばかりで、アッシュを正面から見た時間より背中を追った時間のほうが長いんじゃないかと思うほどだ。
     それなのに今は手を伸ばせば届くところに、まあいつもとは言わないけれどもいることが少しだけ不思議だ。あの時はあれもこれれもと言いたいし聞きたかったけれど、明日も明後日もその後もいつでも時間はあると思えば何も言葉のない空間もむしろ居心地のいいものだ。もともと、ルークは外の世界に事故のような形で出るまでは屋敷の中で閉じ込められた生活をしていた。常に誰か側にいるわけでもなく、何かしなくてはいけないわけでもなく、決められた勉強の時間と体を動かす時間以外は外には出れないだけで自由だった。時折ガイを探して話し相手になってもらったりしたけれども、他に屋敷にいるのは体の弱い母と後は使用人だけだ。使用人はそれなりの距離を持ってルークに接していたから、ルークは基本的には一人でいることが多かった。部屋でごろごろしたり、庭でぼーっとしたり。ルークの世界は狭かった。ただ知っていた唯一の外は四角く区切られた場所から見上げた空の色だけだ。ただつまらないと思っていたその音もない静かな空間のことは嫌いではなかった。それは仮初だったけれどもルークにとっては平穏の無音だったからだ。
     対して、アッシュはあまりに静かな空間は逆に苦手らしかった。なんとなくアッシュのイメージは静というのがあったのは、その行動が落ち着いて見えるからだろう。けれど落ち着いて見えるのはその表情があまり変わらないからで、実際はじっとしていることがあまりないと思うのがルークの見識だ。じっとしているとしたら、本でも読んでいるときだろうか。旅の間も、いつだって何かにせかされるようにしていたのは実際本当にやることがあったというだけではなさそうである。無駄がないといえばそうだが、ゆっくりできるときにまで何かしようとするのは逆に無駄じゃないのかなとルークは常々思っていた。
     ルークがなかなか用事の終わらないアッシュの背中をじっと待つことは時々あった。それでもルークはアッシュが同じ空間にルークの存在を認めてくれているだけで十分で、その後でルークのこともしっかり予定に入っているのだから、待つなんて苦でもない。ただ二人だけの空間というのを楽しんでもいる。けれどアッシュは、待つことは嫌いだし、自分はしゃべらないくせにルークが黙っていれば不機嫌になる。たぶん、間が嫌なんだろう。無駄だと思っているのかもったいないと思っているのか、ルークに関しては後者の方が嬉しいなとは思っている。
     しばらく一緒に暮らしてきて、アッシュのペースがだんだん分かってくるようになって、今まで思ってきたアッシュと違うところも、変わらないところもある。自分勝手なのは最初からだし、これと決めたら譲らないことも。他人を寄せ付けない雰囲気だったのはただ接し方が分からなくて、面倒だっただけだとか、大事なものは見えないところにしまっておくとか。
     ……その自分が大事なものに分類されているとは思わなかったけれども。
     はじめは鍵がかかっていない部屋の中にある扉からアッシュの部屋に行くことすらためらわれたのは、アッシュがそこにルークを入れてくれないだろうとどこかで思っていたせいだ。そういえば初めからはいっても怒られはしなかったことを思い出す。出会ったときからルークはモノ扱いで、還ってきてからも結局はルークはアッシュのレプリカでアッシュの一部くらいにしか思われてないのかなと思っていたら、大事な一部扱いだったことに驚いたのはいつのことだろうか。アッシュが公務をはじめだして、けれどルークはまだ勉強中で、顔をあわせる機会が突然減ったとき、なんとなく思いついたその時だったと思う。なかなか言う機会のなかったそれをアッシュに言いたかったのは、本当にアッシュがここにいることを確かめたかったからだ。
     言ったのはたった一言「おかえり」それだけだ。けれどなぜかぎゅっと抱き返されて耳元で言われた返事はその声音すら今も覚えている。
     なぜかその時に分かったのだ、アッシュは屋敷に帰ってきてるんじゃなくて自分のところに帰ってきてるのだと。
     今も背中に感じるあたたかさを肴に少しだけぬるくなったワインの残りを口にする。今でもその一言を聞くたびに、アッシュを独占しているような気分になる。実際に今は独占しているわけだけれども。
     少しだけ余分に背中に体重を預けて、ちらりとアッシュを覗き込む。さっきからだまったままのアッシュが動く気配はない。ルークが怒ったと思って様子見しているのだろうか、それにしてはあまりに反応がない。さっきだってちょっとといったのに、それすら待てなかったアッシュがじっとしているとは思えなかった。腰に回ったままの手に触れれば少しだけ力を強めたものの特に反応はない。伸ばした手で空になったグラスを置いて、アッシュの手を両手で包むように触れた。同じ大きさの手なのにアッシュのほうが何だかなんとなくしっかりして見えるのは今まで剣を持った時間の違いだろう。確かにアッシュに肩を並べることの出来るくらいに腕は上達したが、アッシュはその何倍もの時間真剣を握り戦ってきたのだ。本当なら敵うわけない相手のはずだった。剣の腕だけでなく、知識も、その行動力も。今だって追いつけたとは思わないけれども、追いつきたいとも思うけれども、時々そんなことはどっちだっていいんじゃないかと思う瞬間がある。
     手のひらを合わせてみる。おんなじ大きさ、けれど違うのは二人が違う存在だからだ。アッシュが右で剣を持つなら、ルークは左でその隣を埋められればいい。そのままぎゅっと握り締めればやんわりと返される。
     何だか反応が鈍いと思っているうちにアッシュの赤い髪が視界に入って、何だと思う間に触れている部分の重みが増して、やばいと思った瞬間にアッシュの体はルークの上にかぶさるように倒れてきた。当然まだアッシュに捕まったままのルークは逃げられるはずもなく、かろうじてアッシュにつぶされることを避けたが、そのひざはアッシュに占領されてしまった。
    「アッシュ?」
     呼びかけに答える声はない。無造作に散らばった髪の毛を掻き分けてアッシュの顔を覗き込めば、その瞼はゆるく閉じられていて、足元には空になったグラスが転がっている。
     寝てるんだと、再び呼びかけようとしていたのをやめる。そんなに疲れてるならルークを待たずに休めばよかったのにと思ったが、ふとテーブルの上を見て思い直す。そういえばルーク自身も眠くなるからと本を読み終わるまで味見程度しかしていなかったほどだ、ルークがその程度の酒量なのだからアッシュもそれほど違わないだろう。それも、さっき見たときは半分くらいに減っていた瓶の中身がさらに減っているところを見てしまってちょっとだけこのまま床にグラスと一緒に転がそうかなと思ってしまった。
    「そんなことはしないけどさ」
     そういいながらそっとアッシュの髪を梳く。まだ少し濡れたそれは少しだけ冷たかったけれども、アッシュの触れている部分は温かい。ルークは困ったなと思う。
     すごく困る。
     アッシュはルークの目指すべき場所で、憧れる人で、ルークはまだアッシュにいくらでも頼りたいのに、なのに。
     こんな無防備にされると、抱きしめたくて仕方なくなる。
    「多分、そんなこと起きてるときに言ったらすごい顔するんだろうけどな」
     なぞるように指で触れた唇が薄く開かれる。何かの言葉をつむいでいるのだろうか、それが自分の名前だったらいいなと一瞬考えたルークはあまりの馬鹿らしさに笑いたくなる。
    「いいな、じゃなくて呼べよ」
     軽く触れあった唇からは今度は欲しい言葉が漏れた、気がした。

         ◆  ◆  ◆

     ベッドの上で目が覚めたら腕の中にルークがいてアッシュはまだ夢でも見てるんじゃないかと二度寝しそうになった。だが、寝起きのアッシュの頭が二度寝するよりこの状況を堪能する方が得なんじゃないかと囁いてくれたおかげで、アッシュは無事にそのまま覚醒することが出来た。目は覚めたが、この手の中のぬくもりを手放すのはまだ肌寒い朝にはもったいなくて、ルークを抱いたままでアッシュは覚えている記憶をなぞっていく。確か、ルークが何かしてるらしく机に向かったままだったので、手持ち無沙汰に目の前のワインに手をつけたのだ。それが意外に飲みやすく、また止めるべきルークもアッシュを見ていなかったし、それもあわせて余計に飲んだ覚えはある。やっとアッシュの隣に座ったルークと何の話をしたのだろうか、気がつけば今だ。確かに少しは疲れていたかもしれないが、寝落ちとはあまりにも格好悪い。ルークのベッドで目が覚めたということは、何とか自分でルークを連れ込んだか、それとも運ばれたか。最後のプライドとしては前者だといいなと思ったがルークの安らかな寝顔を見れば多分後者だろう。
     時計を見ればまだ少し早い時間だったがいろいろ反省するには丁度言い時間かもしれない。結局昨日はルークと一緒にいた記憶がほとんどないし、足りないとも思うのだけれど、今ルークを起こすのも忍びない。どうせ今日は後でルークとゆっくりできるのだ。今は少し外で健全に剣でも振ってこよう。そう思ってそっとルークを起こさないように起き上がれば、ぬくもりを奪われたルークが少しだけ身じろぎした。毛布を掛けなおすついでにそっとその頭をなでれば小さな声を上げてルークが笑ったように見えた。


     部屋に戻れば、ルークがアッシュの部屋のソファーを占領して転がっていた。昨日何だかこういう情景を妄想したような気がするが、なんとなく違う気がするのはルークの顔がどう見ても怒って見えるからだろう。
     別に足音を消して部屋に入ったでもなく、扉を開く音だって分かるだろうに、わざわざアッシュの部屋で待機していたらしいルークはソファーにうずもれていて、はじめは誰もいないものと思っていたくらいだ。視界にあの明るい朱色が映ったときにはどきりとしたが、その表情を見て逆の意味でどきりとする。
    「なにやってんだ」
    「怒ってんの」
     一応返事はあるようだ。
     思い当たるとすれば昨日のことだろうか。起きているルークと顔をあわせるのは今日はこれで初めてだからそれしかない。せっかくアニスにもらったワインをほとんどアッシュが飲んでしまったのは事実だ。いや、酔って眠くなったときに何かやってしまっただろうか。けれどそれで怒ってるのならばアッシュはベッドでなくソファーに転がされてそうなものだが、今日の目覚めは快適だった。
    「昨日はお前のをあれほど飲むつもりはなかったんだ、悪かったな」
     ソファーにうつぶせるように転がっているルークの頭を撫ぜると、むっとした顔のまま見上げられる。
    「それは別件」
     頭に乗ったアッシュの手を掴んで撫ぜる手を止めたルークはぐっとその手を握り締める。
    「途中から記憶がないんだが俺が何かしたとか」
    「良く寝てたよ」
    「だったら、」
     後は何だと言おうとしたアッシュは思わず言葉を止める。
    「しらねー」
     そういいながらルークが握り締めたアッシュの手に軽く歯を立てたからだ。くすぐったいような感触の後にぺろりと舌で舐められる。言葉を失ってルークを見つめるアッシュを見上げたルークがしてやったとばかりの顔でふふんと笑った。
    「起きたらお前いねーし、やっと帰ってきたと思ったらこれだし。俺はお前を待ってたの。だから怒っていいとおもわねぇ?」
     アッシュの手を掴んだままルークはソファーの上にむくりと起き上がる。空いた手でルークがふさいでいたソファーの上を叩くのだから座れというのだろうか。指示されるままにそこに腰を落とせばルークはアッシュのひざの上にごろんと転がった。位置的にはルークがさっきまで持っていたクッションの代わりだろうか。
     怒っているという割には、行動が逆な気がするのはアッシュの気のせいではないだろう。握られたままの手は離されないし、空いた手で乱れた髪を撫で付ければアッシュを見上げてルークはにやりと笑う。
     待っていた、という言葉でアッシュはようやくルークがどうしてアッシュの部屋にいたのかを理解した。
     今日はアッシュが特に何の用事も入っていないということで、自主的に休みということにした日だった。決まった仕事があるわけではないアッシュは忙しいときはずっと毎日何かをしているときもあるけれども、そうでない日もある。バチカル以外の他の街へ出かけるなどといった以外のことは特に日にちも決まっていないことが多い。この日は仕事をしないと決めないといつまでたっても休みなど手に入れられないのは父を見ても良く分かっていた。変わってルークの方はアッシュほど仕事を回されているわけでもなく、週に何回か招いている講師が来る日以外はいたって自由で、それについての愚痴も良く聞かされる。忙しいなんて休みもろくに手に入れられないし、ルークといる時間は減るしあまりいいことはないような気がするし、同じ仕事を振り分けられることは多分ないだろうから、これ以上ルークとすれ違うくらいなら部屋の壁をぶち抜いてしまおうかなとアッシュは考えているところだった。それくらい、今でもこうやって休日が合うことさえ少ないのだ。
     さらに言えば、アッシュはさっきまで休日を返上で登城していたのだが。それは昨日のうちに済ませる予定だったものが、帰る時間が遅れたせいで今日に伸びただけで、これでもナタリアからの新規の仕事を断って早く戻ってきたのだ。それでも太陽はもうすでに頂上を目指している時間になってしまったが、その努力は買ってほしい。
    「別に約束はわすれてねぇよ。今からでも十分時間あるだろうが」
     次の休みには二人でバチカルの街にでも降りようかと話していたのは先週の話だろうか。この日ならアッシュの休みが取れてルークも都合がつくと分かって、ルークは指折り数えていたのが一昨日の話で、それで今日だ。
    「知ってる。今朝アッシュが登城したって聞いたときに昨日遅かったからかなってくらいは俺だって分かるし、アッシュなら明日に回したりしないことくらい。だから待ってたんじゃん」
     ひざの上に伏せたままのルークはアッシュから目を逸らせてひざの上に顔をうずめる。そういわれてみれば机の上には昨日とは違った本が置いてある。途中にペンが挟まっているところを見るとそこまでは飽きずに読んだらしい。タイトルを見れば見たことのあるそれで、アッシュの本棚をふりかえれば隙間が空いている。もともと専門書どころか普通の大衆小説さえ文字というだけで面倒くさいといっていたルークが手を出し始めたのは最近だ。アッシュの持っているような本ばかり手にしているのでレプリカは被験者の嗜好まで似るのかと思っていたら似ているじゃなくまさにアッシュの本棚から漁っているのだと知ったときはなんともいえない気持ちになった。アッシュの軌跡をなぞるようなそれは、確かにルークがアッシュを見て追いかけている証拠で。自分はそれほどたいしたもんじゃないと知っているのに、ルークに対してはどうしてもたいしたふりをしたくて。
     多分、ばれているのだろうけれど。
     それに怒っているといいながらルークはアッシュの部屋から移動しなかった証拠をしっかり残しているのはわざとだ。
    「前はさ、お前なかなか捕まんなくってさ、いつまで待っても回線もつながらないし、連絡があったときは待つのも後ちょっと! って思えたから平気だったんだけど、何で今は前に比べたら全然長い時間じゃないのにまだだ! っておもうのかなーって。そしたらちょっと出かけるってそのちょっとって何なんだって思ったわけ」
     むくりと起き上がったルークの顔が近い。ソファーの上にアッシュに体を向けて正座をしているような状態のルークは普通に座っているアッシュよりも少しだけ目線が高い。
    「昨日はごめんな?」
     突然謝られて、驚くのはアッシュのほうだ。
    「だってお前、怒ってるって……」
    「怒ってると思う?」
     確かに、さっきから見える表情に怒っているという感情の欠片も見えない。見えたのは最初だけで、それだって本気で怒っている表情ではないことはアッシュには分かっていた。
    「だって、俺がお前と一緒にいる時間がだんだん短くなるのがものすごくやだ、って思ったくらいに俺がちょっと待ってって言った時のお前も昨日そう思ったってことじゃねーの?」
     だから今日俺は怒ってたんだぜと今日一番の笑顔で言ったルークは、アッシュの上から退くつもりはないようだ。
    「出かけないのか?」
     一応そのつもりで帰ってきたアッシュはルークに問いかける。
    「だから今日はアッシュを構い倒すことに決めたんだ」
     嬉しいだろ? と問われても答えなんて決まっている。
     アッシュは膝の上で笑うルークに返事の代わりに唇を落とした。




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    PAST過去本の再録
    pixivにもある「ルークが剣になってかえってきた話」はこの前の話ですが、話を書いた順番はこっちが先です。中身はED後ルークが剣になって帰ってきた話(そのまま)です
    この時系列っぽいxxx年後の話が「音の記憶」(pixiv再録済み)です
    音の記録 はるか昔に記された預言のとおり、聖なる焔の光はこのオールドラントに生れ落ちた。
    預言に記された聖なる焔の光は一人、けれどもう一人の聖なる焔の光が人の手よってこの世に現れたのは預言にも記されていないことだった。二人の聖なる焔の光は同じ時間を生き、そして二人が最後にたどり着いた場所で、その同位体でもあるローレライが音譜帯へと駆け上るその中で二人はオールドラントから姿を消した。
     けれど。
     契約の歌に導かれるようにして再び地上に現れたのはたった一人の姿だった。
    「それがさ、あるべき姿だったって思わねぇ? だってもともと預言に詠まれていたのはアッシュだし、普通に考えるならどれだけアッシュのレプリカを作ってもそれはアッシュ自身にはならないんだし、だとすれば、もともとこの世に「聖なる焔の光」ってのはアッシュただ一人ってことじゃん。途中でルークを二人にするからややこしくなるんだよ。もともとルークは一人。一にゼロ足したってひいたって一。一人なんだよ。だから、あの夜何かよく分からない間に生還してたのはアッシュ、お前でいいんだって」
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    nana0123co

    PAST過去本から
    家出するルークと当たり前のように追いかけるアッシュの話
    (2011年8月)
    沈黙の破片 それはもうだいぶ前からルークの中にあった。
     こんな思いを抱いているなんて、誰にも気が付かれてはいけなかった。心の奥底にそっとしまって鍵を掛けて、誰にも、唯一ルークの心の中にまで足を踏み込むことの出来るアッシュであってもそれを見ることが出来ないように。
    「ごめん」
     小さく呟いたその先には誰もいなかった。
     ふわりと風に揺れた髪の間から緑の瞳がかすかに揺れる。そっと伏せられたそれが再び開いたその時には先ほどの陰りはどこにもなく、意思を持って歩き始めたその足取りはいつもと変わらぬルークのそれだった。
     はずだった。


     ルークがいなくなった。その知らせがバチカルへ届いたのはその日の夜のことだった。


     定期船の着く時間帯はその船から乗り降りする客ばかりでなく、その客を狙った辻馬車や行商人が港に現れていっそう騒がしくなるのはいつもの光景だった。船の上の揺れる足元から開放されたルークは、潮風の混じる外の空気を思いっきり吸い込むと、体をほぐすように大きく伸びをした。船は嫌いではないが、その性質上長時間波に揺られている上、定期船では個室などないから寝てやり過ごすという手段が取りにくいから普段より疲れた気分になる。それに、普段ならば他の乗客とたわいもない話をして気分を紛らわせれるが、今回は事情があってそれも出来ず、ちょっとだけ今の状況を悔やんだりした。
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