音の記録 はるか昔に記された預言のとおり、聖なる焔の光はこのオールドラントに生れ落ちた。
預言に記された聖なる焔の光は一人、けれどもう一人の聖なる焔の光が人の手よってこの世に現れたのは預言にも記されていないことだった。二人の聖なる焔の光は同じ時間を生き、そして二人が最後にたどり着いた場所で、その同位体でもあるローレライが音譜帯へと駆け上るその中で二人はオールドラントから姿を消した。
けれど。
契約の歌に導かれるようにして再び地上に現れたのはたった一人の姿だった。
「それがさ、あるべき姿だったって思わねぇ? だってもともと預言に詠まれていたのはアッシュだし、普通に考えるならどれだけアッシュのレプリカを作ってもそれはアッシュ自身にはならないんだし、だとすれば、もともとこの世に「聖なる焔の光」ってのはアッシュただ一人ってことじゃん。途中でルークを二人にするからややこしくなるんだよ。もともとルークは一人。一にゼロ足したってひいたって一。一人なんだよ。だから、あの夜何かよく分からない間に生還してたのはアッシュ、お前でいいんだって」
そう、もっともらしい口調で自分だけ納得したような目の前の人物の頭をアッシュは無言ではたいた。
「寝言は寝て言え」
「暴力反対! いくら俺が――だからって叩かれたらいてーんだぞ」
頭を抱えて少しだけ涙目になったそんな顔をされてもアッシュの心に罪悪感などなかった。
「だったら簡単だ。もっとまともな言動をすればいい」
「俺はまともだっつーの。何にも変なこと言ってないじゃん。お前が何か意地はって家に帰れなさそうにしてるから背中押してるだけで……」
その言動がまともでないと言っているのだが本人は全くそんなことは思っていないようで、けれど少し睨みつければごにょごにょと語尾を濁して何か言いたそうな顔をしながらも口を閉じた。その代わりにせっせと手を動かすことに決めたらしく、手元を真剣に見詰めるその姿に手元が狂うのはアッシュもいただけないので口を挟むことをやめた。
最近は顔をあわせればそんなことばかり言うものだから一瞬こいつをどこかに置き去りにでもしてやろうかと思ったこともある。けれどアッシュがそれをしなかった、いやできない理由はいろいろあったのだが、主には目の前でまだちらちらとアッシュを窺っている彼が、アッシュの人生を変えまくってくれた人物であり、ずっと捜し求めていたもう一人の聖なる焔の光、ルークだったからだ。 ルークの言ったとおり、アッシュは一人でオールドラントに帰ってきた。それは間違いなかった。けれどいま、隣にルークがいることもまた間違いのない事実なのだ。
そんなルークはアッシュにいろいろ言いながらも、アッシュの側を離れることはない。少しくらいは離れてくれてもいいとアッシュは思っているのだがルークは一人でどこかに行ったり、もしくは誰かにアッシュを説得してもらうとかそういう行動にはでなかった。
「帰りたいのはお前だろうが。勝手に一人で帰ればいいだろ」「……そんなこと、出来ないって俺言ったじゃん。俺はもうアッシュ無しじゃいられないんだから、嫌でもお前と一緒にいるんだって」
むすっとした表情のルークは、けれど気分を害したようには見えず、何かしらの期待を含んだ瞳を向けているのが分かった。けれど、ルークのいつも言うその言葉はあまりにもアッシュの理解の範疇を超えていて、いまだアッシュはどう反応していいのか悩むところであったのだ。
ルークが出来ないといった言葉、ルークは嘘をついているわけでも強がってるわけでもなかったからだ。
「そうだったな」
ルークの言ったそんな言葉に感慨もなく答えたアッシュは続く言葉を見失って手元に目を落とした。
腕にぴりりとした痛みが走る。少し前に運悪く魔物に出会ってしまったその時にやられた傷である。今はルークの手でくるくると包帯が巻かれて傷は見えないが戦闘中には痛くなかったその傷も終わってみればそこそこ痛い。今まで一人で手当てしていたものだから誰かが手当てしてくれるのは楽だなと思った一瞬後に思いっきり包帯を絞められてルークに任せたことを少しだけ後悔した。
「え? アッシュ、もしかして痛かった?」
「……」
けれどこんなことで痛いともいえず、けれど反応してしまったからにはばれているし、アッシュはやっぱり黙っていることにした。
「あ、ごめん。でもこれでもまともに包帯とか巻けるようになったんだぜ。初めはジェイドやアニスに……、痛いなら巻きなおすけど?」
ルークに巻かれた包帯をじっと見つめて、思ったより丁寧に巻かれているそれにアッシュは良く分からない感慨のようなものを感じてしまって、これはきっとガイに毒されているんだとそこから目を離した。
「いや、これでいい」
傷自体は利き腕だったけれどもそうたいしたものではないし、剣は握れる。街までも遠くないので少々治療が雑でも構わなかった。動けなければルークがいるという気持ちが多分どこかにあるのだろう。
「ほんとか? だってやばかったから俺のこと呼んだんだろ。大丈夫だよ、俺だってお前とタイマンはれるくらい強いし、
何より俺は……」
「うるさい、お前だってやられてたじゃねぇか」
包帯をしまおうとするルークの手を取って、戦闘中に魔物の牙が掠めただろう場所までぐっと袖を捲り上げた。
運悪く道の途中で出会ってしまった魔物は八匹ほど。群れるタイプのウルフ系の魔物で一匹ずつならどうとでもなるが複数対一はどうも分が悪い。音素の減少でもともとさほどの威力は出なかった譜術もさらにあまり役には立たず、一匹ずつ相手する間に魔物の方もアッシュをしとめる気で襲い掛かってくる。時間をかければしとめられないこともなかったがそこまでするのも面倒で、右腕に爪を立てられたその時にようやく決心した。
「ルーク、少しは手伝え」
けれどそこにはそれを伝える先の人物はいなかった。
その時アッシュは一人で戦っていたし、周りにはアッシュ以外の人間はその呼んだルークすらいなかった。
けれどアッシュが一言そう呼べば、そこにはいなかったはずのルークが現れる。 まるで手品か何かのように一瞬にしてその場に現れたルークは驚いた様子もなくアッシュの隣に立つ。そう、ルークはアッシュが呼べばこの世界に姿を現す。この瞬間はアッシュはどうしても慣れることが出来なかった。 ルークはこの世にはもう存在していない。
けれどルークはそこにいるのだ。
言葉にすれば矛盾しているような二つの事象はそれぞれに真実だ。
ルークはアッシュの左側に立って腰の剣を引き抜くと敵を見据えた。
「たまに呼ばれたらこれかよー。でも俺がんばる!」
掛け声と共に魔物に向かうルークの手の中にはローレライの剣がしっかりと握られ、けれどアッシュのその手にも同じ剣が握られている。アッシュは手の中の剣を握り締めて改めて魔物に向き合った。じり、と間合いを取りながらもこの剣から音素が流れ出ていくのがわかる。それは魔物と相対しているルークに向かって流れ出ていて、その音素の繋がりはまるで剣とルークが糸で繋がっているかのように見えた。それは確かにルークをこの世界に繋ぎとめるための糸なのだ。 ルークの持っているローレライの剣、に似たものはアッシュの持っている本体のレプリカのようなものだ。そしてそれを持っているルークもまた、ローレライの剣を媒体にしたただの虚像に過ぎないのだ。 以前と変わらない姿のルークは、この世に存在しない。
ただ、ルークの情報と記憶と、乖離してしまった体から残った最後の「ルークの欠片」だけがローレライの剣の中で存在している、それだけだ。ローレライの剣を媒介にしてルークはこの世に実体を現すことが出来る。けれどそれは生きているとはいえない。
ルークはただの剣なのだ。
けれどルークは確かに実体を持って剣を握り、敵に向かって走っている。それが剣としての存在意義であるかとでも言うように。
アッシュが三匹めを屠ったその時にルークが二匹目に剣を向けた。その時にアッシュはルークに向かう一匹がいるのを目にした。
けれど、アッシュの位置からはルークに手を貸すことは出来ず、ただ声しか届かない。
「ルーク!」
ルークはちらりと敵の存在を目に留めて、軽くアッシュに手を振った。
「大丈夫、いけるって!」
その言葉どおりルークは切り裂かれた腕をかばうこともなく二匹、三匹と次々に狙いを定めて剣を振るっていく。アッシュもルークに気を取られている間に背後から狙ってきていた最後の一匹を視界に捕らえて剣を向けた。 ルークを助けるどころか自分がやられては意味がない、ルークも動けるようだしそうたいした傷でもないだろうと、ひとまず目の前の敵をどうにかすることが先だと目の前の敵に集中する。
一人ならばかなりの時間がかかるはずのそれは体感で言えばあっという間に終わった。もともとそれほどの敵ではなかったことと、ルークの腕もまたアッシュの認めるところであったためだ。
数匹の魔物は逃げていったのか、そこまで追う気もなかったが仲間を呼ばれては困るとアッシュはルークを連れてその場をさっさと去ることにした。
ルークも後ろを気にしながらもおとなしくアッシュについて歩いていたが、あまりにちらちらとアッシュを窺ってくるので何かと足を止めた。
「何か言いたいことがあるのなら言え」
「アッシュ、怪我してんだろ手当てしてやるよ」
目をきらりと光らせて何を言うかと思えばそんなことかと思ったが、そろそろ危険もないだろうし手当てしないよりはしたほうがいいとアッシュはそこで足を止めた。
ルークもいそいそとアッシュの荷物から救急道具を取り出して準備万端だ。自分の荷物から取り出そうとしないのはそもそもルークが持っているのは剣一本だけだからだ。ルークはいつもただ身一つ、必要があれば剣を手に現れるのだから。 剣から出てこれたのが嬉しいのか、そうだろう、特に用事がない限りはアッシュはルークのことを呼ばない。存在しないところからでてくるということはまた存在しない状態になるということだ。人ではあり得ないその状況にアッシュは慣れない。まだ全てに納得したわけではないアッシュは今の状態のルークをあまり目に入れたくなかったし、かといって出てくれば「変わらない」ルークの姿なのだ、戸惑うのも仕方がないことだ。
ルークを呼ぶのは仕方なくだ。それにアッシュは剣の状態でもルークがそこにいることを「知って」いるのだからただそこにいるのならばそれでいいのではという気持ちもあった。ルークにとってはそれも不満なようで、時々口を漏らすがアッシュは取り合わないことにしていた。
ルークはルークでアッシュの前に出てくれば好きなことを呟くし、短い時間に精一杯会話しようと試みているようだ。ただの記憶の欠片とは違う、けれどもその実体が何なのか分からないが故にこのルークが真実ルークであるかはアッシュにも分からなかった。
アッシュよりも幾分か薄い赤の短い髪は太陽の下ではその光を浴びて時折金にきらめく。記憶の中にあったルークの姿はこうだっただろうかと思って二度見したけれどなんとなく違和感があると思うのは、あの時はこうやってじっとその姿を眺めたことがなかったからかもしれない。 そしてアッシュが帰ってきてから一年と少し、その間いないはずだったルークが今目の前にいることも心理的な違和感の原因だろう。
そして。怪我をしたはずのルークの腕のその場所には、最初から何もなかったかのようにただ白い肌がそこにあった。グミを使ったわけでも治癒術をかけたわけでもない。たしかにルークは怪我をした、けれどその事実さえなかったかのように消えた傷跡。それこそルークが人ではないという証拠にしかならなかった。
初めて出てきたときもそうだった。アッシュをかばって怪我をしたルークのその傷はアッシュの見ている前でふわりと光って、瞬く間に消えてしまった。
「だから大丈夫だって言ったじゃん。俺は剣だから、この体は第七音素を集めて作った入れ物でしかないから作り直せば怪我なんてすぐなくなるから、だから気にしないで俺のことつかってくれていいんだって」
「でも痛みは感じるんだろう」
その言葉にルークは薄く笑うだけ。剣は道具だ。今までだって必要であれば乱暴に扱ったり、時には壊れることも、捨てなければいけない場面もあった。けれど剣は道具だから所詮は消耗品で替えのきくものだ。けれど。
「アッシュ?」
「もう用は済んだだろ、そろそろ黙れ」 ルークがどんな形であれ自分の手元にいることがアッシュにとって何かしらの安心感を与えていることも確かだった。 けれど、納得できない心のどこかはもやもやとしたままで、これは何を持って解決するのだろうか。アッシュがルークの存在に慣れればいいのか、ルークが人として生きれる手段を探せということなのか。それが分からないから多分こうやって中途半端に日々を重ねているのだ。
分かっているのだけれども。
ルークを道具のように扱いたくないと思いながらも、ルークを目の前にしたくない気持ちに勝てずにアッシュはルークの頭に手を伸ばす。アッシュから伸ばされたその手に一瞬びくりとして、けれど観念したようにそっと目を閉じた。
「また、ちゃんと呼べよな」
独り言のようなその言葉にアッシュは答えない。アッシュの手がルークの頬に触れて、アッシュが少しだけその手に力を込める。第七音素に力を加えてそれを少しだけ崩す。それだけの作業だ。
その一瞬にアッシュの手の中から今まで確かにあったはずのルークのぬくもりは消えて、そこにはただ、初めから誰もいなかったかのように何もない。
それは、このオールドラントに存在する聖なる焔の光の名を持つものがやはりたった一人しかいなかったという証拠でもあったのだ。 夏になる前の、少しだけ熱気を帯びた風が港から吹いてきて、アッシュは今まさに出航しようとする船の船尾を見つめた。あの船はどこへ行く船だろうか。アッシュの知る昔は世界中の船が集まるのはこのケセドニアしかなかった。けれど、同じ街なのに港は二つ、キムラスカもマルクトも自分の領土内にしか船をつけられなかった。いったんケセドニアについてしまえばキムラスカで作られた譜業もマルクトで生産された野菜もごちゃごちゃになってまたそれぞれの国へと運ばれていくのに難儀なものだなと思っていた。今は、と、以前立ち寄ったときにアスターに話を聞けば今もそれほど変わっていないらしい。それもそうだ、国境が変わったわけでもなく、両国は友好状態にはあるけれども国益は大事だ。ある意味商売も戦いであることには変わりはない。「全部お任せいただければいいようにして差し上げますのに、イヒヒ」と多分本当に狙っているのだろう台詞を呟かれても困る。今のアッシュには何の権限もない、ただ少しだけその生まれ育ちの中で顔が広いだけだ。多分アスターもアッシュに期待などしていないのだろう、彼にはアッシュなんかの手を借りるまでもなく大きなコネクションと財力がある。キムラスカ、マルクトの大国が無視できないほどの。 だからこそ、ケセドニアは戦争のなくなった世界でも未だ世界の商業の中心であり、重要な都市であり続けられるのだ。 港からバザーへ向かって荷車がいくつもアッシュの横を通り過ぎていく。今の船に乗っていたのだろうか、あまいフルーツの香りがした。これはなんだろうか。アッシュの記憶のなかには該当するものはなかった。
(あの箱、ベルケンドの向こうの村で見たことあるからそこの特産物じゃないかな)
ふいに浮かんでくる言葉に、アッシュは知らず眉間の皺を深めた。それは音ではなかったし、文字でもなかった。
けれどアッシュにはそれが彼の声にしか聞こえないのだ。
「そんなことは知ってる、ただ食べたことがないだけだ」
(そうかなーうちの食卓にもたまに出たけどなー)
「俺は一般市民だ、貴族なんかと一緒にするんじゃねぇよ」 そう言えば頭の中でぎゃあぎゃあと反論されたがアッシュはきれいに無視した。出自がどうあれ今のアッシュはごく普通の一般市民のつもりなのだ。自分で稼いだ金で贅沢とは言わない生活を送っているだけ。
「それに、ベルケンド地方であの果物が名産になったのは五年くらい前だろ。やっと安定生産出来たから市場に流れ始めたんじゃねーか……」
アッシュはそこで足を止めて、むっと眉をひそめた。少しだけ視線をめぐらせれば港からバザーへの道を行き交う人々は忙しそうに目的地へと足を進めている。アッシュのように道の真ん中で一人立ち止まっているものなどそこにはいなかった。
そう、一人、なのだ。
アッシュには確かに聞こえるその声は、アッシュ以外のほかの誰にも届くことはない。街に入るまでは確かに隣にいたその姿も今はどこにもなく、たとえこの世界中どこを探しても見つかりはしないのだ。
だって、彼は、ルークはもうこの世に人として存在しないのだから。
(アッシュ、どうかしたのか? そろそろ行かないと時間に遅れちまうんじゃねぇの?)
脳内に直接響いているからといって、ルークにこのアッシュの微妙な苦悩は分からないのだろう、のんきな声だけが聞こえてくるのにアッシュは少しだけいらつく。
「外では話しかけるな」
そう、以前はアッシュが思うだけでルークに言葉を伝えれたのに、今は声に出さないと伝わらないだなんて不便で仕方ないと思ってしまうのは、この世界でもアッシュだけだろう。普通誰かと会話しようと思えば声を出すか文字に書くしかない。思うだけで、というのはなんとも贅沢な話だ。これが宿の部屋だとか、町の外でほかに誰もいないときならばいい。
アッシュの言葉はただの独り言だ。 けれど他人のいるところでうっかりルークの言葉に答えたらどう見ても変な人ではないか。変なレッテルを貼られるのも、目立つものアッシュは好まない。
(少しは俺の気持ちわかっただろ? 分かるから黙ってるけど、いったん意識途切れたら復活できないんだからちょっとは協力しろよな)
不満げなルークの言葉にアッシュは知ったことかと思う。別に必要なときにはアッシュはルークに声をかけることが出来るし、そもそも必要なときなんてほとんどない。今日ルークと会話するのだって一週間ぶりだし、呼び出したのだって仕方なくだ。。
あまりルークの言葉に協力するのもなんだったが、機嫌を損ねられるとそれも面倒だ。アッシュは声に出さない代わりに腰につるした一振りの剣を軽く叩いた。
バザーの喧騒を抜け、ケセドニアの居住区へと足を向ければ人通りは少なくなったものの、さすがにケセドニアだけあって行き交う人は多い。バザーではなく通りに面した場所に構えられた店の一つにアッシュは足を向けた。木の扉をゆっくりと押し開けると、からんと音がしてカウンターの奥の店主と目が合った。 今までも何度か訪れた薄暗い店内のこの店は昼間は喫茶店で夜はバーとしてそこそこ賑わう酒場だ。酒も飲めない歳から足を踏み入れていたのはここが漆黒の翼のアジトの一つでもあるからだ。そのためか夜になっても騒がしい変な客も少なく、落ち着いた店内の雰囲気は悪くなかった。店主はアッシュの顔を確認すると喫茶店のはずなのに注文も取らず奥の席へとアッシュを促した。おおかた客として見られていないのだろう。それもそうだ、この店内でアッシュを待っていた人物なぞ招きたくないのが本心だからだ。
「お久しぶりですね、アッシュ」
「先月会っただろうが、強制的に」
嫌味を言っても通じるわけないのが目の前に座ってコーヒーを傾けているジェイド・カーティスだった。全く悪びれていないにこやかな笑顔を見ているといろいろ言い返したいこともあるのだが、これに乗れば相手の思う壺だということも分かっている。アッシュはそう長くもない付き合いの中で何とか対等に付き合っているつもりではあるが、相手はどう思っているのかはしらない。けれど、ジェイドは関心のない相手にはその嫌味すら言わないのだから多分そこそこ気に入られているか、そこそこ嫌われているかのどちらかだろう。前者でも嫌だし後者でもなんとなく嫌だ。以前ルークに、アッシュは格好のおもちゃなんだから気をつけろよと言われたが、一体なにに気をつければいいのかは教えてくれなかった。 しかも学びようがないときた。世界を駆け回っていた頃はどうしてもジェイドの頭脳に頼らなければいけないこととか、ルークたちの動向について一番理解してそうなのが彼だったので仕方なく会うことはあったが、平和になった今、しかもアッシュは全く面倒な政治やなにかからすっかり離れてしまった状態でジェイドと会う用事なんてどこにもないはずだった。
促されるまま椅子に座り笑顔のジェイドを真正面に見る。 それなのに、あれは三週間ほど前のことだ。アッシュがグランコクマに立ち寄ったのはそれほど大事な用事があったわけでもないし、ただ定期船の時間に丁度間に合ったからといった偶然の産物だった。グランコクマにいるガイやジェイドに会いに来たわけでもない。ジェイドはともかくガイには顔を出すかくらいに思っていたアッシュが港を出て街の中に入ってそれほど経っていないだろうその時に数人のマルクト兵に呼び止められたのだ。さすがに目立つ髪は色を変えているが変装したりしているわけでもなく、ルークを見知った誰かが見間違えたかアッシュと気がついて声をかけたかそのくらいに思っていたのに。
「それはあの時も説明したではないですか。一応貴方はキムラスカの要人ですし、だからグランコクマに来られたときには何か大変なことが起こらないように部下に言い渡していたのですよ」
「……それで何故強制連行されるんだ」
騒ぎを起こして目立ちたくないアッシュは言われるがままグランコクマ兵の間に挟まれて連行された。争乱中ならともかく、平和が続く今のグランコクマではそれでも珍しかったらしくやっぱり目立ってしまったのは言うまでもない。連れて行かれた先では今日あった顔と同じ顔をして久しぶりですねとこいつがいることも分かっていた。
「それは、私と部下達との意思の疎通ができていなかったせいですよ。大変失礼しましたが、ちゃんとおもてなししたでしょう?」
「俺にはもてなされたというより事情聴取としか思えなかったがな」
アッシュがジェイドに用がないように、ジェイドがアッシュにわざわざ絡んでくる理由なんてたった一つだった。「まあ、過ぎたことはいいじゃないですか。それよりもアッシュ、なにか新しいことでも分かりましたか?」
「何もねぇよ」
この一年、何度問われてもアッシュはその答えしか返さなかった。いや先日までは返せなかったのだけれども。
「そうですか、まあもともと貴方が言い出した事ですし、貴方があきらめるまでは私も協力しますよ。ルーク探し、をね」 眼鏡の奥の瞳を挑戦的に光らせて、まるでアッシュの隠し事を暴いてやろうとでもしているようなそんな感じがした。 事実アッシュはジェイドには重大な隠し事をしているのだから仕方がない。もしかしてどこかでばれているのかとも思ったが一向に核心には触れないところを見るとアッシュの杞憂のようだ。
さも、アッシュが探しているから付き合ってやってるのだといわんばかりのジェイドだが、多分世界で一番真面目に探しているのは彼だろう。レプリカの技術の基礎を作り、大爆発の結末を予測した彼が世界で二番目に正解に近いところにいるのは間違いなかった。一番目はそれを実際に体験したアッシュであって、予測された大爆発の結末も知っている。アッシュが知っている範囲のことはジェイドに伝えたが言葉では伝えきれないこともたくさんあるし、隠していることもある。それは。
(アッシュ、絶対ジェイドには先に言っといた方がいいって) 頭の中でアッシュにしか聞こえない声が響いて、けれどアッシュはそれを黙殺した。
理由はいろいろある。説明が面倒くさいとか、別に人の手を借りなくても解決する問題だったのだとか、あとは。
(俺大丈夫だよ。もともとレプリカで人間じゃなかったのに、ちょっと体がなくなったからローレライの剣に吸収されちゃっただけだからさ)
全然よくねぇと、聞こえない相手に悪態をつく。
「どうかしましたか?」 別に怪しいそぶりをしていたつもりはなかったのだが、やましいことがあるときにそう問われるとどきりとしてしまう。ルークの声は自分以外の誰にも聞こえない、だから分かるわけはないのだ。
ルークが、ついこの間アッシュさえもよく分からない間に現れたことなんて。
いまだアッシュも何故こうなったのかとか、何が起こったのかとかちゃんと理解しているわけではなかった。
だれかに話すべきなのだろう。
けれどアッシュは今一人で世界を放浪していて、別にいつだって誰とだってコンタクトを取ることは出来たけれどもそれをしなかったのはひとえに、ルークの存在をまだアッシュが確信できていないからだ。
街に入る前に見せていたルークのその姿だって、確かに触れた気がするその体だって、聞こえているはずのその声だって、ただ一人アッシュにしか分からないものなのだ。
実際に証明できないを本当にルークが帰ってきただなんていえるだろうか。
ローレライの剣と同化しただなんてルークは言っているけれどもそれだって怪しい。全てがアッシュの妄想だとしても不思議ではない状況なのだ。ジェイドに言わせれば非常識か。 アッシュは自分は常識人だと思っている。故に信憑性がないこんな事態にひとまず様子見をしている状態なのである。 それすらも建前だけれども。
「いや、普通誰かが俺を諌めるだろうと思ってたんだが、どいつもこいつも同じことしか俺に言わないと思っただけだ」「まあ、アッシュ、貴方が帰ってきちゃったのがいけないんですよ。いえ、貴方でなくてルークがよかったといってるわけではなくて、貴方がいるのならルークも戻ってくるかもしれないという希望を持ってしまったんですね。ルークの記憶は持っていない、ルークの気配は感じる気がする。だめですねこの台詞は」
確かにアッシュだけオールドラントに帰ってきてしまったときに、囲まれて根掘り葉掘り質問されてそんなことも答えた気がする。
けれどアッシュが言っただけならただのたわごとだ。それを信憑性の高いものにしてしまったのは目の前のこの悪の譜術使いだ。
「記憶がないのは俺の中にルークの音素がそのまま解けてしまったから、ルークの気配がするのもそれだ。俺のこの体は半分はルークだったものの音素で出来てるからな」
二人が命を落としたあの場所で、ルークの体は乖離する寸前、アッシュの体は命を落としていたし、最後にはレプリカの体を使うはずの大爆発は変則的な形で行われたのだろう、アッシュとルークを一度ばらばらにして継ぎ足したような気配をアッシュは体から感じていた。 結局、実体のあるこの体はどちらのものでもなかったし、意識はアッシュだけのものだった。
「私の理論では記憶は残るはずだったんですけどね。どこに行ったのか解明しないわけには私の理論が完成しません。まあ、それほど長くない老後に少しでも希望が欲しいじゃないですか」
まだそんな歳でもあるまいに、アッシュはこの扱いづらい年長者をどうするべきか悩む。
「とにかく、ここで世間話するために来たんじゃないんだろう。さっさと行くぞ」
このまま世間話を延々とされるとアッシュがぼろを出しそうなので早く切り上げようとアッシュが先に腰を上げた。「そうですね、わざわざ寄り道したのは貴方を拾っていくためですから」
そう言って立ち上がったジェイドはこれ見よがしにため息をついた。
「非常に面倒くさいですよね。貴方に関する検査は全てキムラスカ国内でしか認められないとか。どうせ元の名前を置いてきたんだったら国籍も置いてくればよかったのに」
物騒なことを言うジェイドにアッシュは驚きはない。こんなことを言うのはいつものことで、騒乱の中ですらベルケンドを我が物顔で使っていたジェイドがキムラスカに遠慮することなんて実際何もなかった。 ベルケンドへ行けばジェイドはマルクトの軍人ではあるがバルフォア博士の名前の方が大きく所員の覚えもいいし、レプリカのこと、特にルークやアッシュのことはお任せといった雰囲気を勝手に作り上げられてしまっていたのは、所領の主である父に進言すべきか迷うところだ。
今のところ悪巧みをしているわけでもないし、その前にヴァンを囲っていた経歴からそのあたりはあまり父を信頼していないということもある。
別にアッシュはおおむね健康体で、帰ってきたときにしっかり検査を受けて問題なしといわれているから特別何かを調べれられる必要はなかった。けれど、ジェイドは時々アッシュのデータを取りたがるのはいまだルークをあきらめていないからだ。
以前、「アッシュに取り込まれたルークの音素を全て取り出せば……」とか呟いていたのは本気か冗談か。
アッシュには自分の体にルークの音素が含まれていることは分かるが科学的に見てどの第七音素がそれに当たるのか確認することは不可能だ。アッシュには何故それが分からないのか不思議で仕方ないのだがそうらしい。だからもしジェイドが本気でその呟きを事実にしようとするならアッシュの持つ第七音素を全て抜き取って、とかそんなものアッシュ自身が生きていけないではないか。けれどジェイドなら大丈夫ですよとか笑いながらボタンをさっくりと押しそうで怖い。 多分今日も懲りずにジェイドは何かのデータを取ろうとしているのだろう。面倒くさいとは思うがジェイドも何か考えてのことだろうし、アッシュが今面倒だと思うのもルークの声が聞こえるからなので、もしルークが現れていなければ文句も言わずに付き合っただろう。
今は彼が一番かもしれないが、ついこの間までルークを一番捜し求めていたのはアッシュに違いなかったからだ。
「どうやってベルケンドまで行くんだ?」
「今日は機材を持ってきたので、軍艦借りてきちゃいました。やっぱり戦艦は快適ですよね。そうでなければ貴方とケセドニアで合流したりしませんよ。貴方がいるだけで港の検問が楽で楽で」
平和になったとはいえ、早々簡単に隣国の戦艦を港につけさせはしないと分かっていたが、フリーパス券のように使われるのはどうなのだ。アッシュは自分の存在意義を少しだけ見失っていた。
そうと知ってかしらずか、さっき自分を年寄りだといったジェイドはそうとは思わせぬ足取りでアッシュを置いて行かんばかりにさっさと歩いていく。足取りがやや軽く見えるのは何かいい案件でも浮かんでいるのだろうか。そうであればアッシュは少しだけ心苦しかった。
自称その長くない老後の為にルークのことをここで言ってしまうのも、まあ悪いことにはならない。 けれどそうすればきっとアッシュがルークと共にいれる時間は短くなるのだろう。
アッシュが建前とした奥の気持ちは唯一つそれだけだったのだ。
アッシュが覚えているのは冷たい渓谷の風が頬を撫でたその時からだった。前の記憶はエルドラントで壁に背を預けた時で止まっている。
確かに自分は死んだと思ったのだ。けれど今までだって死んだかも思った瞬間は何度か体験した。けれど目が覚めたときとその前とで記憶が繋がらないことはなかったのだ。
エルドラントで死んだと思ったあの瞬間から、今確かに柔らかい地面に足をつけてたっているその状況がどうしても結びつかなくてアッシュは立ち尽くした。
月明かりにゆれる白い花、潮のにおいがして振り返れば遠くに開けた大きな海と、そこに沈む記憶に新しい建物、あれはエルドラントだとぼんやりと理解する。
アッシュの意識が飛んだのは記憶に間違いがなければ昼間だった。この暗さなら少なくとも半日はたっているはずだが多分それも違うだろう。 見下ろせばアッシュには覚えのない服に致命傷だったはずの怪我もない、あの時ルークに渡したはずのローレライの剣が腰にぶら下がっていて、引き抜けばまるで新品のようにきらりとひかった。
その時。
頭を掠めたのは女性の歌だったのか、それとも何かの言葉だったのか。
確かに歌が聞こえた。アッシュも聞いたことのあるこれば大譜歌と呼ばれるもの。歌っているのは間違いなくティアだろう。もうこの世界に大譜歌を正しく歌えるものは彼女しかいないのだから。
「……どうしてそう思うんだ」
ぽつりと口から出たのは些細な疑問だった。アッシュはルークに剣を託してから後のことは知らない。けれど知っていた。ヴァンを倒してローレライを解放して、世界は預言の呪縛から解き放たれたことを。そして。
(約束)
それに該当するものはアッシュも持っていた。ルークが勝手に最後に押し付けていった約束。なのにもう一つの約束も知っていたのだ。
「……これか」
歌に呼ばれるように、アッシュの手に持っているローレライの剣が淡く点滅していた。 この剣はルークの最後まで彼と共にいた。第七音素は預言に使われるように記憶を内包できるはずだった。だからこれは剣の持っている記憶なのかもしれなかった。乖離して何も残らなかったルークの代わりに。
自分が何故生きてここに立っているのかは分からなかったが、唯一つ、この世界にルークがいないことだけはアッシュには分かってしまっていたから。
フォンスロットを繋ぐ前から多分そうだったのだろう、ルークが生まれたその瞬間もアッシュは知っていた。いつだって、繋がなくてもルークがこの世界にいることだけは分かっていた。けれど、いま。アッシュは分かっていた。この世界のどこにもルークは存在しない。ただ、ルークは確かに存在した。ゆっくりと動かすその手の先、のばせばそこには確かにルークの音素があった。アッシュ自身を形成する音素として。
一つになったのだ。それが正解かどうかは分からないけれども、ルークの音素はアッシュに溶けて消えたのだ。
アッシュは首を振って目を閉じた。これからしなければいけないこと、この先の未来。今まで願っていたもの、思っていたことが止まっていた時間押さえつけていたものが噴出すようにアッシュの中に湧き出した。
自分には未来なんてなかったのに。
ゆっくりと目を開けて、一歩足を踏み出した。 考えもしなかったその未来にも、やるべきことが見えたからだ。
あいつは、どこにいるのか。
それは永遠に解けないパズルのはずだった。
「貴方が還ってきてそろそろ一年ですね。それで、様々なところからの誘いをふりきって一人で世界をふらふらしている感想はいかがですか」
ケセドニアからベルケンドまでは船で半日といったところで、さすがタルタロスは軍艦なだけあって一般人の足である定期船よりは速いし、何より揺れをほとんど感じないのは魅力だ。ただし、隣にこのいけ好かない軍人が乗っていなければ、の話だが。
ベルケンド行きの話を持ってこられた時点でさっさと先にベルケンドへ行っておけばよかったのだが、運悪く、というよりもアッシュは今はすっかり一般人なのだ、軍艦を使えるわけもなく、ましてやアルビオールなど使えない、徒歩と馬車ではジェイドを出し抜くことなんて出来なかった。
さっき見送った船はベルケンド行きだったが、あれに乗れば遅れてしまうので嫌味を言われるのももっと嫌だ。 今まで断らなかったそれを断るのも何か勘ぐられそうで、アッシュは隣にジェイドがいるその空間を許容はしていなかったが我慢はしていた。
「感想といっても、別にただ好きなところに行って好きなことをしているだけだ。てめぇらのほうが良く分かってるだろうが」
「まあ、そこをあえてあなたの言う一般人の視線でいいですよ。私が聞きたい言葉は「ルークが見つかった」ですが。そこまでは期待してません」
その通りの言葉を言えば、このいつだって表情の変わらない男の表情は変わるだろうか。それはぜひ自分でなくルークに見せてやりたい。
「しいていうなら、変わらない、だな。確かに音素はものすごく減ったし、大規模な音機関は動かなくなってるが、もともとそんなこと感じてるのは譜術士だけで音素のあるなしを感じ取れない人間がほとんどだ。キムラスカとマルクとが和平を結んだからよかったくらいしか実感してねぇだろ。気になってたレプリカの件も、一見何もなさそうにはみえるが」「問題というものはいくらでも沸いてでてくるのですよ。貴方もキムラスカにいればそれなりのことをできるでしょうに。私にはもったいないという言葉が浮かんできますよ」 それは自分の責務から逃げたアッシュへのあてつけか、それともアッシュのことを本気で買ってくれているのか。 これに関してはアッシュは何も反論できなかった。
アッシュがオールドラントへ帰ってきて、当たり前に「ルーク」としてバチカルへ戻るものだと思われていた。アッシュは真実「ルーク」でありその権利は持っていた。けれどアッシュ自身がそれを放棄したのだ。
二人のルークが消えて一人だけ戻ってきた。大爆発とはそういうものだと後で聞かされて、それが定められたことなのだと告げられた言葉にアッシュはその事実を認めたくなかったのだ。それでは預言の楔から解き放たれたといっても預言と同じだ。定められたことだからあきらめろといわれてそれをただ「はい」と認められるような人生を送ってはいなかった。アッシュは人生の大半をそれに抗うことに費やしてきたのだから。
けれどアッシュは「ルーク・フォンファブレ」であることを捨てたわけではなかった。言い訳としては、その名前はいまだ彼のものであり、自分が再び得るわけにはいかない。彼の了承がない限りは自分はただの「アッシュ」である、と。 そんなことはただの建前だと誰もがわかっていた。けれど、それを止められなかったのは「ルーク」として生まれついた故の悲惨な日々と、アッシュもルークと同じくレムの塔でそしてエルドラントでその命を懸けたからだ。ようやく預言から解き放たれ、一度は命を落としたアッシュに強制できるものなどいなかった。 そして、アッシュが気がついた二つの事実にジェイドが漏らした言葉がそれを決定づけたのだ。一つ、アッシュがルークの記憶を持っていないこと。一つ、アッシュがルークの気配を僅かに感じること。それは、半ばあきらめていたところにアッシュが現れて、けれどルークはいないという事実に対するほんの小さな光だった。
アッシュはそのどちらも、ルークがまだ存在する理由だとは思っていなかった。けれども、「ルーク」として生きることを肯定したくなかったアッシュはルークを探すことを理由にひと時の自由を得たのである。
アッシュが戻ってきたことを知っているのはごく一部。
いまだ世界に「ルーク」は戻っていないことになっていた。 確かに、アッシュがキムラスカで出来ることもあっただろう。けれどアッシュしかできないということはないだろうし、出来ることもあるだけだ。もともと死んだものとされていたアッシュがいてもいなくてもそうは変わらない。それに、アッシュはルークがもうどこにもいないだろうと思っていた。自分で決めた期限は三年。それを過ぎればバチカルへ帰ろうと思っていた。その頃にはいろいろと整理がつくだろうと思っていたからだ。けれど。
さっきから声のしなくなったローレライの剣に触れる。 この剣の中にいるらしいモノが本当にルークの意識なのか、アッシュは明確な答えを持っていない。 ただ、ローレライの剣からルークの音素を感じることと、その言動全てがルークであると、ただアッシュがこれがルークであると感じているだけだ。肉体を持たないそれは人ではありえなかった。けれどレプリカだってそうだ。作られた肉体に心は宿る。無機物にだって人の心が宿ってもいいんじゃないかとアッシュは勝手に納得して、けれど半分疑ってその自称ルークと付き合ってきた。
いつかはその存在が確かなものか、それともただの幻か、白黒つけなければいけないことを知っていた。それが今かアッシュの決めた三年の期限ぎりぎりか、決めかねているだけだ。ルーク本人が言うにはルークはローレライの剣と同化してるから剣そのものが消滅しない限り以前のように乖離したりしないらしいし、時間の期限はなさそうだ。
例えそれが幻だとしても、ルークがそこにいて自分の言葉に答えてくれる、それだけでアッシュのなかの何かざわざわとした心がすっかり静かになっているのを感じていた。この一年闇雲に世界を移動していたわけでもなかったし、そもそもルークを探すなんてただの言い訳で、自分の気持ちを整理する時間が欲しかっただけだったのだ。それでも、ルークが再び目の前に現れたその時、アッシュは理解したのだ。どんなに言葉を重ねていろんなことに理由をつけて自分を納得させていたとしても、アッシュはやはりルークを探していたのだと。 そして、ルークが見つかった今、アッシュの目的は全て達成したはずだった。何をするために生き延びたのか、そこに何も理由はないのかもしれない。絶対に達成できないはずだった目標がついこの間冗談のようにぽんと目の前に現れて、アッシュ自身も戸惑っていたところはある。
ジェイドの言うとおり、アッシュが出来ることもしなければいけないこともある。目まぐるしく変わる世界の中でアッシュだけが自分の過去に目を逸らせてただの一般人だと嘯いて安穏と暮らしていることは自分の中でもそれは違うという声がする。
多分、目の前で薄く笑っているジェイドもアッシュがただ逃げているだけだということを分かって嫌味を言っているのだ。そろそろ動け? 最初から真面目にルークのことを探していないことすら知っていたようだ。アッシュを知るものは多かれ少なかれそれを分かっていて、アッシュを好きなようにさせてくれた。そんな人々を欺いて、やはりアッシュは自分の為にルークの事を隠して。
今だって、ジェイドとは当たり障りのない言葉しか交わさない。慎重に、ルークのことを気付かれない様に、たとえ感づかれたとしてもルークはローレライとの契約の証である剣に同化した時点で新たな契約に縛られている。それが何かさえ知られなければ、アッシュ以外のだれがなにを調べようともルークの存在する証拠などどこにも出てこないのだ。 アッシュだけが知っていて、アッシュだけが行使できるその契約を。
新たな契約はアッシュだけとの契約だ。ローレライの力を継ぐ者、聖なる焔の光がその剣の名前を呼ぶ、たったそれだけだけれどもアッシュ以外の誰もが行使し得ない契約なのだから。
「ところで、今度はなにを調べるつもりなんだ。俺の体は散々調べ尽くしただろうが」
アッシュが帰ってきてすぐからアッシュ自身のデータは何度も詳細に取られた。死んだはずのアッシュが生きて帰ってきたことだけでもあり得ない事態で、それについて調べるそのついでにルークについて何か分からないかと生身で調べられるところは調べつくしたはずだが、まさか解剖されたりしないだろうなとアッシュは不安に思っていた。以前より人間らしくなったと言われているジェイドだがアッシュは信用していなかった。それにベルケンドは小さいころの苦い記憶もある。ちゃんと元に戻しますよとか笑顔で言われそうで嫌だ。 アッシュの問いに、そうですねと嫌な笑顔を見せたジェイドだが直後に真面目な顔に戻ったのは本当に真面目に話す気があったからだろう。「機材を持ち込んだことは言いましたね。貴方の定期的な音素の変化なども興味あるのですが、今のところ変化なさそうなので一応検査はしますけれど、特に今回はローレライの剣について確認したいことがありまして。持ってますよね?」 思わず腰の剣を隠そうとしてしまってアッシュは自分の失態に気がつかれないようにそのまま鞘ごとはずすと剣を机の上に置いた。
もともとローレライの剣には鞘はない。二年前は布でぐるぐる巻きにしたりサイズの合いそうな鞘を捜してさしていたのだが、いかんせんローレライの剣が規格外すぎて扱いに困っていたのだ。その剣というよりは鈍器に近い形の剣先で本当に切れるのかと思いきや、おもわぬ切れ味を見せるローレライの剣だが、アッシュかルーク以外のその誰が手にしてもそれが剣としての用を成すことはなかったのはやはり、ローレライの剣が第七音素で出来ているからなのか、契約に縛られているからなのか。アッシュが一人、オールドラントに帰ってきたその時持っていたその剣は抜き身だったし、もともと鞘など必要ないと言うことなのだろうか。けれど持ち歩くには抜き身はまずい上に、それをそれと分かる人が極少だとしてもあまりローレライの剣を持ち歩いていると知られるのも面倒でアッシュは専用の鞘に入れて持ち歩いていた。 そもそも、アッシュはキムラスカから出るときにローレライの剣を持っていく気はなかったのだ。 剣としては一流なものの、普通に剣を使うものがそれを見れば首をかしげる構造で、アッシュの特殊性をアピールしているようなものだ。アッシュはなるべく目立ちたくなかったし、何よりもこの世にもういないルークの音素の気配だけ残したその剣を手元に置いておきたくなかったのだ。
バチカルで大事に保管してもらっていた方がうっかり忘れたり盗られたりしなくていいと預けておいたはずのローレライの剣だったのだが、アッシュがバチカルをでて近くの街で一泊して、目が覚めれば枕元に鎮座していたという次第で、アッシュは決して持ち歩きたくて持ち歩いていたわけではない。その時はバチカルが大騒ぎになったとか人づてに聞いたが、アッシュはなにもしていないのだ、聞かれても困る。
その次第をジェイドがどこからか聞きつけて、ジェイドに預けたり、わざとどこかに置き去りにした事もあった。結果、ローレライの剣は三日と経たずににアッシュの下に帰ってきた。以前持っていたときは手放すことなどなかったし、そんな状況にアッシュもルークもなかったので、もしかしたらそれはローレライの剣にもともとそういう仕組みが備わっているのだと思っていた。
そうではないと知ったのはつい最近、剣と同化してしまったルークから「あ、それ俺」と軽く言われてからだ。
もちろんそんなことジェイドに言えるはずもなく、今でもローレライの剣はアッシュの側にべったりと侍っている。 アッシュはそれを便利な機能の一つくらいに考えることにしていた。
もう非常識なことが一つ増えたくらいで驚かない。
そんなローレライの剣だが、以前も何度かアッシュの手を離れて調査をされたこともあるしその結果も聞いた。以前と同じく剣には第七音素を集める機能が宝珠にはそれを拡散する機能があって普段は第七音素だけで出来た剣自体の調整をしているらしい。
まるで生き物ですねと呟かれたその言葉を思い出す。そうだ、いま、まさにこの剣は生きている、かもしれないのだ。 以前の検査の時だって剣とルークの関係性は全く発見されなかった。
それは当たり前だ。この世のどんな機材を使ったとしても世界に当たり前にある第七音素とルークの音素を区別することなど出来ないのだから。アッシュが初めから僅かに感じていたルークの音素すら検査結果には何も反映されていなかったのだ。
何度検査をしたって無駄だとアッシュは思っているし、だから何度でもなんでもない顔をしてその剣を差し出すことが出来る。例え隠されたとしてもその剣はアッシュが必要とすれば必ずアッシュの元へ戻ってくるのだから。
ジェイドは剣を一目見てから今はいいですとアッシュに押し戻した。「使うのは明日の検査ですからそれまで大事に持っていてください。せっかくベルケンドまできて調査対象がありませんでしたなんていったら無駄足ですし。貴方とその剣に限ってはないでしょうけど。その便利な機能応用できないですかね」 そこまで考えていたのかとアッシュはげんなりする。
「人と物質が同じ音素振動数のものを探せば実験できるんじゃないか?」
「そんな、貴方みたいな変態的な音素振動数持っている人なんているわけないじゃないですか」
ひどいことをさらりと言われたような気がするが、いちいち怒っていてはきりがない。その件に関してはサンプルにすらならないことをアッシュも、もちろんジェイドも分かっていての会話だ。
アッシュは付き合ってられないと剣を手元に引き戻した。 そもそもこの広い戦艦の中でどうしてジェイドと顔をつき合わせていないといけないのだ。ケセドニアを出たのは夕刻前で明日の朝にならないとベルケンドにはつかない。それまでずっと顔をつき合わせている必要もないし、多分ジェイドもそうだろう。
「朝にはベルケンドに着きますので、どうぞゆっくりしてってください」
そう言ってジェイドは席を立った。
いまだ夕刻を過ぎたばかりで、船の上ではすることもない。 軍艦の中は扉が開くところは立ち入り自由だったがガイのような音機関狂でもあるまいし、アッシュは早々に用意された客間へと引きこもることにした。
どうせ明日は散々いじられるのだ、今日無理することもないだろう。
アッシュは机の上に置かれたローレライの剣を手にとって、小さく息をついた。
これが、ルークなのだ。この冷たく横たわった無機質な一振りの剣が。
普通なら信じられるはずはなかった。それでも信じる以外の道は残されていなかった。
アッシュに用意された部屋は一般の兵士が利用するよりも一つか二つランクが上だろうと思うくらいの、普通の部屋だ。ただし、船の上では普通の客船でも基本は寝れるスペースがあるだけいいというのが常識だったので、普通の部屋が用意されていることはかなりの好待遇であると思っていい。けれどアッシュとしては邪魔されずに寝ることが出来ればどうでもよかったのでそのことに感動などはしなかった。
一人になって、アッシュは小さく息を吐いた。 やはり独りが楽だと思う。何も考えずに、なににも縛られずにそうやって生きていくことはアッシュには可能だ。それでもいいと思っていた。けれど、責務から逃げるようにして生きることをよしとしない気持ちがあるのは自分のためではない。自分の側にいて自分の行動を見ている奴がいるということがアッシュの心を少し急かす。今更ルークの前で格好をつけるとか、そう思わないでもなかったがルークに対してはどうしても被験者の意地というか優位に立ちたいというか、勝ち負けではないのだが勝ちたいという気持ちが生まれてくるのは確かだった。ルークが見つかる前はもっとだらだらと世界から逃げる気でいたのに、この心境の変化は何だろう。 手にしたままだったローレライの剣を枕元に立てかけて、ベッドサイドに置かれた椅子に腰を下ろした。
じっと物言わぬ剣を見つめる。そうだ、普通は剣は言葉をしゃべらないし、感情を持ったりしない。だからルークがどんなに自分は剣だと言ってもそれを信じることが出来ないのだ。アッシュの前に時折姿を現すルークは以前と変わらぬその姿にしか見えなかった。
ルークに対するわだかまりは全てなくなったわけではなかった。そう短くもない間、ルークはアッシュにとって憎しみの対象だったし、ただアッシュの一方的な感情だけをぶつけていたあの頃を思い出せばそう簡単に新しい関係を始められるとは思わなかった。 もし、ルークが自分と同じく以前と変わらない姿で、人かレプリカかきちんと形を持って現れたとしたら、もしかしたらと思うことはあった。アッシュが認めた一人の人間として向き合えれば対等に付き合うことが出来たのではないか。今となってはそれもただの妄想で、そもそもそんな状況になったとしてアッシュが素直にルークと仲良く出来たかと言われればアッシュは自身をもって否定できる。
アッシュがルークに向ける感情は単純な好き嫌いではないのだ。怒りも憎しみも羨望も喜びも悲しみも好意も、彼が自分から出来た自分のものであるという独占欲も理解できない全くの他人だということも、おおよそ人に向けるだろう感情を力いっぱいルークに向けていた。それを一度死んだからといって全てリセットできるわけもなく、アッシュの気持ちがある程度落ち着いたからといってじゃあこれからよろしく、とか? ありえないだろう。
ましてや、いまルークは自称この目の前の剣なのだ。
彼は突然アッシュの目の前に現れて、その時こう言ったのだ。「俺はアッシュの剣だ」と。ルークを一人の人間として認めようとそう決めた矢先に、相手から自分はお前の所有物だと宣言された気持ちを考えて欲しい。決心が揺らぐところか根幹が揺るがされそうだ。
そうだ、自分はルークと対等で居たかったのだ。そこからまた新しくルークとの関係を築いていけるはずだったのに。 ルークに何を言えばいいのか、これからどうルークと接すればいいのか。そんなものはずっと分からなかった。だから怒りをぶつけてきたし、けれど今は理不尽な怒りをぶつける理由もなくなって、本当にルークの扱いに困っていた。
居てくれて嬉しいのだ、とは思う。ルークが再び現れてルークを失っていたことに改めて気がついたくらいには。
ルークはアッシュから離れられないという。それすらアッシュにとっては鬱陶しいと口では言いながらも当たり前だと思う自分がいる。
アッシュはぐしゃりと髪かき混ぜて、よく分からないいらだった気持ちを紛らわせる。剣はアッシュの置いたままそこにある。目があるわけでも耳があるわけでもないそれはアッシュを見ていないだろう。けれどその柄元に光る赤い宝珠がまるでアッシュを見ているかのように見えてアッシュは小さく息を吐いた。
そうだ、今は一人ではないのだと剣を見て思う。
それはなんとなくだった。
「ルーク」
その言葉は小さく、けれどはっきりと静かな部屋に響いた。 アッシュはじっと目の前に立てかけた剣を見つめた。アッシュの声に応えるように何かの音がなった気がした。けれどそれは音ではないと知っていた。第七音素が共鳴するときに周囲の空気がわずかに振動することで生まれるものだ。 耳には音のように届くそれはごく小さなものだった。その音が一瞬弾けたような感覚がしてそれと同時に目の前に光が生まれた。その赤い光がくるりと回ったかと思うとぱちんと光が拡散する、そうアッシュが感じたのはほんの一瞬だった。そこには音もなく床に降り立つ人の姿が現れて、風もないのにゆらりとその白い服の裾が揺れた。軽く揺らした頭から短い朱い髪がこぼれおちる。それから彼はゆっくりとその碧の瞳を開くとその目の前に立つアッシュを視界に入れてふわりと笑った。
「アッシュ」
その姿も、声もルークのものでしかない目の前の彼は、この瞬間までそこにはいなかった。何もないその空間に突然現れた彼は確かにこの世にあらざるものであった。けれど。
アッシュはおもむろにルークの手を掴んで軽く引く。触れたその手はまるで人のように温かかった。突然引かれてバランスを崩しかけたルークは目の前のアッシュに倒れこむしかなく、何だよと抗議の声を上げてアッシュの肩に手をつくと軽く首を曲げて見上げてくる。
その手は暖かい、息をしている、目が少しだけ潤んで、唇が小さく何かを告げた。これが人でないならばなんだろうか。けれど、同じだった体はルークの方が今は僅かに小さい。これはアッシュが人並みに伸びたせいで、ルークは変わらないからだ。 変わるはずもない、ルークは普段は剣で水も食事も必要としない。その体は人に見せかけたつくりものでしかないのだ。レプリカよりもさらに物に近いモノ。けれどじっと見つめてみてもルークはルークにしか見えなかった。
「アッシュどうしたんだ? ジェイドと一緒にベルケンド行くっていってたじゃん」
小さく首をかしげてルークがアッシュの顔を覗き込む。
「アルビオールじゃないんだ、そんなすぐにつくか」
「え? まだ行ってないの。ってことはこないだからそんなに時間経ってないとか」
「こないだも何も、今日の話だろ」
「だって、アッシュがそんなに早く俺のこと呼んでくれるなんて今までなかったし。それに俺が完全に意識がなくなったら何も聞こえないし感じないって言っただろ。俺にはお前の呼ぶ声しか聞こえないんだって」
そういえば今日も途中からルークの横槍が入らなかったなと思い返す。
ルークがアッシュの目の前に現れて二月とちょっと。いまだアッシュはルークの存在に慣れないし、ルークの生態? についてよく理解してはいなかった。
何よりルークの説明が要領を得ないことにしているのだが、多分一番の原因はアッシュがルークの状態を理解することを拒否しているからだろう。 納得するしかないのは分かっている。けれど、目の前にルークがアッシュの知っているその姿で現れている今の状態を見てしまえば、アッシュの理性が理解を拒むのだ。
目の前にいるのに、今すぐに抱きしめればきっと抱き返してくるのに。結局ルークはそのベッドの横に立てかけた剣でしかないだなんて。
「お前がずっとその姿なら、別にどうということはなかったんだ。呼ぶとか聞こえないとか、そんなこと」
人の体そのままのぬくもりががある掴んだままの手を離せばルークがどうしたんだという目を向けた。意思のある瞳は確かにアッシュを見ていて、けれどどうしようもなくアッシュは一歩後ろに下がればルークの空いた手が少しだけアッシュを追って、けれどアッシュに届く前にその手を引っ込める。そのまま軽くその手を握って、開いてその手を見た。
「悪い」
ルークだって好んでこの姿になってしまったわけではないことを知っていた。彼は何も言わないがルークがレムの塔で消えかかってからずっと危うい状態であることを知っていたし、ローレライを解放すればその反動で乖離してしまうことも分かっていた。
こうやって意識が永らえていることすら奇跡で、まだ肉体のあったアッシュが生き返ることなんて大したことのないように思えたほどで。 ルークは再びアッシュの前に姿を現せてから自分が生きていることを喜んではいなかったのだ。ただアッシュといれることが嬉しいとそれだけしか言っていなかった。ルークが本当は何を考えてどんな気持ちでいるのかアッシュは知らない。そんな気持ちがあるのかさえ分からない。
以前と今のルークとの差異すら分からないのだから。
けれど以前のままでいられたならば、少なくともそう思ったことはないはずはないのだということだけはアッシュは知っていたのに。
「……無理だよ」
ルークは小さく呟く。
「それも、お前が「知ってた」ことなんだろ」 言葉もなく頷くルークをアッシュは見た。
二ヶ月ほど前突然現れたルークは、ついさっきアッシュの前にでてきたようにさも当たり前のように笑って目の前に立った。アッシュでさえ地上に足を下ろしたその時戸惑ったし疑問も感じたし、何よりなにが起きたのか分からずに不安だった。それなのに笑ってアッシュに笑いかけたルークは一番にこういったのだ「呼んでくれてありがとう」と。
ルークはいろいろなことを「知って」いた。それは今まで生きていた中で覚えてきたものではない、人では知りえない剣としての情報を誰にも教わることなくルークは理解していたのだ。 刷り込みのようなものだろうかと思ったが逆だ。剣の情報がルークに伝わったのではない、ルークの情報が剣に追加されたのだ。
「俺は基本的には剣の中で人間で言うと眠った状態でいる。かろうじて意識があるときには俺がアッシュのそばにあれば声は届けることは出来るし、なんとなく外の様子を感じることもできる。けど、完全に眠ってしまえばもうアッシュの契約の言葉しか聞こえないんだ。俺はもうほとんどローレライの剣の一部だから起きている方が普通じゃない状態で、こうやって人の形を取るのもそれほど長くは持たない。多分一日とか二日とかそのくらいは持つと思う。けど人としての形を保てるくらいの第七音素を固めるのはローレライの剣でもそのくらいが限度なはずだ。もし、第七音素があふれている、例えばプラネットストームが止まっていないときのセフィロトなら可能かもしれないけど」
「もしくは俺がずっとその剣を持って第七音素を集め続ければ、だろ」
その可能性をルークは言葉にしたりはしなかった。けれどルークの言葉を総合すれば分かる。第七音素があればルークは実体のままいられるのだ。今のルークはレプリカならば身体情報を内包した音素を核にして人としての音素を構成しているのに対して、ローレライの剣を核にして第七音素を凝縮してその体を構成している。 ローレライの剣が第七音素の結晶であるのと同じく今のルークも純粋な第七音素で出来ている。それが可能だったのはもともとルークが第七音素で構成されたレプリカであったことと、第七音素と同じ音素振動数を持っていたからだろう。コンタミネーションによりローレライの剣に融合したルークは実体を持って現れたところで剣と分離しているわけではない。むしろ剣から第七音素の供給を受け続けている状態で、体を保てるだけの音素がなくなればルークの意識は剣の中に戻る。つまり剣からの供給を続けることが出来れば体を保つことが出来るということで。
「アッシュ! だめだって。ただでさえそんなに第七音素は多くないんだからそんな無駄なことに使っちゃ。俺は別にこれで納得してるんだし、もともと消えてしまうはずだったのがまたアッシュとこうやって一緒にいれるだけでいいんだ」「言ってみただけだ。どうせ実体があったところでお前が俺から離れないって言うんだったら一緒だろ。姿なんて見えても見えなくても一緒だ。むしろ見えないほうがうるさくなくていい」
「なんだよ、アッシュはもっと俺といたいと思ってくれてるんだとぬか喜びしたもてあそばれた俺の心を返せよ。そうだよな、アッシュからしたら俺なんてそんなもんだもんな」 見るからにしゅんとしたルークの頭に何か耳のようなものとうなだれた尻尾が見えた気がした。 放置してもあっという間に目の前にいることに加えて、こいつは剣というよりむしろ犬かと思わないでもない。
犬と剣とどっちがましだったかと一瞬考えてしまって、一応人としての人格を持っているルークに対して少しばかり失礼だったかとほんの少しだけ反省した。
「今はそんなこと言うために呼んだんじゃない」
特に用事はなかったはずだったのだが、それをルークに言うのもなんとなく癪で、ふと思い出したことは多分告げておいたほうがいいだろうとアッシュは口をひらいた。
「お前はさっきのジェイドの話は聞いてないんだったな」
「そうだよ、ケセドニアでジェイドと話し始めてからお前俺のこと無視したまんまだったからさ、俺うっかり寝ちゃって、気がついたらさっきお前の声が聞こえたから」
うっかり寝るとはどういう状況かアッシュには想像できなかったが、ルークの状態を考えれば、いやルークの表現が悪いだけかルークの意志が弱いのか。
これでもアッシュはルークに対していろいろ思うところはあるのだ。
本当はその姿をナタリアやそれ以外のかつてのルークを知る者に伝えたいと思う。けれどルークはアッシュにバチカルに帰れとは言うけれども自分がそうしたいとは言わない。こうやってジェイドと会う機会があっても会いたいとは言わなかったのだ。 ルークのことを伝えたほうがいいと言うのもルークのことでアッシュがいろいろ思い悩んでいるのを見たからで、ルーク自身がどこに行きたいだとかだれかに会いたいだとか言うことはなかった。だから、ルークの存在を知ってから、なるべくルークの意識があるうちに人と会えるように少しだけアッシュは気を使っていた。
アッシュに気を使っているだけでルークが真にルークとしての意識があるのならばじっとしてはいないだろうし、既知の皆とも顔をあわせたいだろう。多分すぐにでも言い出すだろうと思っていた台詞はいまだ聞こえず、そのあたりも本当にこれがルークなのかと疑う面でもある。アッシュがわざとルークの存在を告げないのではない、ルークがそれをしたいといわないから告げないのだと、それはただ自分に言い聞かせているだけかもしれないけれども。
それでも、何も言わないながらも外のことには興味があるようで、意識のあるときには話しかけもするし、だから人のいるところでは話しかけるなと釘を刺したりするし、あまりうるさいとアッシュがルークの意識を押し込めることも出来る。ルークは剣に戻ればいわゆる寝ている状態になるが、しばらくの間は人で言えばうつらうつらしている状態だろうか、全く何も感じないというわけではないようだ。だからジェイドが側にいるときはその話を聞いているものだとばかり思っていたのに。「いらないところではうるさいのに、必要なときに限って聞いてないとか……まあお前だしな」
「お前が呼んでくれないからじゃん。ま、呼んだら問答無用でジェイドの前にだって出てくけど」
「……あいつの前に出たかったのか?」
「お前が呼ばなきゃ出てけないって」
さも当たり前のような顔をして言うルークにアッシュはこれは言っても無駄なのだろうと思う。ルークはわざと自分の意見を口にしない、そしてことあるごとに自分は剣なのだからと一歩アッシュから離れるのだ。ルークらしくない、と思ってしまうほどアッシュはルークの側にいた覚えはなかった。それでもアッシュが思っているルークの言動と違うことは確かだった。その違和感がアッシュを微妙な気持ちにさせた。
「お前は……」
何なんだと問えば、剣だよと答えが返るだろう。人としての形をとっている今でもルークの本体は剣で、人であったときの思考とはまた違うものになってしまったのではないか。
とすればやはりこれはルークではありえないのではないか。
ルークを目にするたびに疑問も戸惑いも増えるばかりだ。 こういう形でしか還って来れなかったルークを哀れんでいるのかと思えばそうでもないし、むしろこういう形であれ帰ってきたことが奇跡であるのならば、アッシュはこれを受け入れていかなければいけない。「アッシュ、どうしたんだ?」
「別に、何でもない」
「なんでもないこと無いだろ?」
ずい、と近寄ってくるルークにアッシュは一瞬たじろいで思わず押し返そうとした手でルークの口をふさいだ。けれどルークはこともなげにそれを両手ではずして、さらにはぎゅっとアッシュの手を握りこんだ。
「アッシュが何かなきゃ俺のこと何て呼ばないし、しかもここジェイドの戦艦の中だろ。俺だってわかるよ。あれだけジェイドの前でもしれっと俺のこと隠してるのに、わざわざここで俺を呼ぶなんて、お前ならばれたらどうしようって思う前にやらないことをやってるってことは何かあったからだろ。でも、ただ俺に会いたかったって言ってくれたらそれ以上聞かないけど?」
目を輝かせて言うルークにアッシュは少しだけむかついた気持ちになったので台詞を言い終わって満足したその時ににぎりこまれた手をそっとどかすとそのままルークの頬に手を添えて、ぐにっとひっぱった。
自称剣だと言い張るくせに頬をつねったぐらいでいたいと身をよじるルークがそうだとは到底思えない。
「アッシュ、痛いから! いやほんとに!」
「あまり大声を出すなよ。だれかに聞かれたら面倒だ」「お前がやったくせに。 ……なんだよ、聞かれたって俺とお前では対して声違わないから一人でなんか寂しいことしてんな、って思われるくらいで……だから痛いって」
こんな体でも涙は出るみたいだなとおおよそ関係のないことを発見したのでアッシュは仕方なくルークから手を離した。ルークは少し赤くなった頬をさすりながら抗議のまなざしをアッシュに向けてくる。
それを黙殺して、アッシュはもう手出しはしないと手を振って近くの椅子に腰掛けた。これで手は届かないと安心したルークも椅子を探したようだが、残念ながらここは個室で、二人いる想定はされていなかった。
仕方なさそうにルークは剣の立てかけてある近くのベッドへ腰を下ろした。
「それでどうするんだよ」
ルークの言葉にアッシュは何のことだと一瞬考えたけれども、そういえばルークを呼び出した理由について話していないことを思い出した。
このままジェイドのところにでも連れて行かれると思っているのか、そもそもルークはそれが嫌なのか? 今のルークの表情をのぞき見てみるが憮然とした表情で、これは今から起こることがいやなのか、それともさっきのアッシュの行動にまだ腹を立てているのか、そもそも深い意味はないのか掴みかねる。 もともとルークは感情がすぐ表に出るよく言えば素直で分かりやすい性格だ。以前はアッシュに対する負い目が大きすぎてアッシュの前では弱気だったことが多かったが、今のルークは何かを吹っ切ったように表情も変わるしよくしゃべる。アッシュだって多少の心境の変化は会ったし、だからルークだってあったのだろうと思う。なにがあったにせよ、アッシュの顔色を窺うような弱気なルークよりは今のルークの方がアッシュには好ましく映る。多分、これが本来のルークの気質なのだろうとアッシュが思うほどには。
もしかして、人間をやめたときに大事なものまで捨ててないだろうなと少しだけ思うのは気のせいなのか。気のせいだろう。
とりあえずアッシュはルークに伝えなければいけないことだけ伝えることにした。
「明日、ローレライの剣を何か調べたいとジェイドが」
「えっ!」
驚いた声を上げたルークが顔や手をぺたぺたと触って、もう一度驚きの表情でアッシュを見た。
「なに調べるんだよ」
「お前じゃねぇよ」
「えっ」
なにに驚いているのか想像がつくだけに、その想像がつくようになってしまった自分が少し悩ましくなる。「だって剣は俺なのに、どうやって調べるとかそもそも俺この姿でジェイドの前に出てくとか?」
「……調べるのは本体の方だからお前は出てくんな」
ああそうかと疑問の晴れた顔をするルークを見ればアッシュの想像も大体合っていた様だ。ルークのいつもの言動もそうだが、剣と同化したのは体だけではなく意識まで同化してしまっているようだ。簡単に自分のことを剣だというのも、常にルークの姿でいられないことも、ルークにとっては当たり前のことで、それは魚が水の中にいるのとか鳥が空を飛ぶのだとかと同じく疑問に思う余地もないことなのだろう。ルーク自身もそういったし、アッシュもそれを聞いた。けれど、やはりルークの姿が人である以上理解しがたいところもあり、どうしても納得できない領域というものはアッシュが人である以上あるのだ。
「で、何調べたいって? 分かることなら先に答えとくけど」 こともなげに言うルークだが、それが彼の本気だということも分かるけれども、アッシュはルークがそれを答えられないことを知っている。
「機材がなんとかとか言ってたが……そもそも、お前に聞いたって分かることなんて一つもねぇだろうが」
「そんなことないって、剣に同化したときにローレライ剣の情報も俺と一緒に混じったんだから、剣のことだったら俺分かるよ」 だから初めてアッシュの言葉に剣から現れたルークが自身のことをしっかりと剣だと認識して、何が起こったのかと慌てるそぶりも見せなかったことも、確かにレプリカであれ人の姿を取っていたルークがその姿を保てなくなったことに悲観もしていないことも、アッシュも知らなかった契約の言葉を知っていたことも、ルークが剣である自身のことは理解していると言えなくもない。
「なら、お前はどうやってその体を作ってんだ」
「これは、俺がもともと持ってた人を構成する音素? レプリカ作るときに取ってる情報が人それぞれにあって、その情報が俺の意識と一緒に剣に保管されてるから、剣の持ってる第七音素でその情報をつかって体っぽいものを構成してる? んだと思うけど、剣の形だってもともと内蔵されてる情報を第七音素で形にしてるだけだからな。こうやって人型とってても見えない糸みたいなんで剣と繋がってるから、今でも俺は剣の一部だよ。つまりはただの第七音素の塊だ」
ところどころ?が見えたのは気のせいではないだろう。「その情報がどこに保管されてるとか、どういう仕組みで体を構成しているのかとか、それを教えろといえば?」
そういえば、ルークはアッシュを見ていた目線をあからさまに少しだけ逸らせて、少し考えた後じっとベッドサイドの剣を見つめて、床に目を落として。その間アッシュは何も言わずにルークを見つめていた。時折チラッとアッシュを見て はまた違うところに目線をやるルークはアッシュがあきらめてくれるのを待っているようだ。アッシュだって、今までそんな細かいことを一度も口にしたことのないルークが答えられるとは思っていなかったし、ルークだってアッシュの意図を分かっているはずだ。素直に分からないといえばいいのに言わないのは先に自分でハードルをあげた所為なので、アッシュはルークが音を上げるのを待っていた。アッシュが止めに入らないので多分ルークは言い訳を探しているのだろう、しばらくの間静かな沈黙が流れた。
「あーもう! アッシュだって自分の手が何と何の音素がどのくらいの割合で存在して動いてるかとかわかんねーだろ。心臓だって勝手に動くし息も止めようと思えば止まるけどそうじゃないときは勝手にすってはいてるじゃん。俺だって同じでどうやったら剣が使えるかとか俺が人型になれるかとか、それだけ知ってればいいだろ」
「いや、別に俺はそんなことに興味はないし、そもそも使わないからローレライの剣をバチカルにおいてきたのについてきたのはお前だろうが」
「何だよ、切れ味も抜群だし第七音素も集めれるし俺と話せるどう見てもお買い得じゃん! 何で置いてくんだよ」
ローレライの剣よりも使いやすくてそこそこ切れる剣はあるし、治癒術は使えないので第七音素集めてすることもない、さらにオプションなんて特には必要としていなかった。 というよりは、そのオプションがついていると知っていたらそもそもバチカルを出なかったかもしれないのでアッシュは全てに口をつぐんだ。ルークの為に何かをしたと本人にはあまり知られたくなかったのだ。
「……鞘が豪華すぎてあんなんじゃ持ち歩けねぇだろうが」
だから、持ち出さなかった理由の一つだけ答える。
鞘のない剣は悪いものを呼び込むなどという信憑性のない風習から、なぜかファブレ家と王家とどっちが鞘を作るかでもめてそれを勝ち取ったファブレ家がそれなりのものを作ってくれたからその鞘にさわることさえためらわれるようなものが出来上がってしまって困っていたのだ。
ローレライの剣だけは自分に託されたものだから持ち歩くつもりだったのに気がそがれたというかつまり面倒になっておいてきたのだ。
「俺見てないんだけど、父上が作ってくれたんだっけ。…… 多分無駄に派手だったんだろうな。うん、予想つく。けどそれは俺の本体じゃないから一緒に飛んできたり出来なかったんだけど」
そうだ、置いてきたはずの剣には鞘はなかった。それから何度か置き去りにしたりしたときも鞘無しで現れて、そのたびに鞘を用意するのが面倒になってローレライの剣を置き去りにする計画はやめたのだ。アッシュ以外が使ってもただのなまくらで剣としては使用できないにしても、見た目は剣だ。 抜き身の剣を下げて街中を歩くわけにも行かないし、ジェイドのようにコンタミネーションで体の一部にしまっておくとかそこまでのするのも面倒だし、何より常にルークがアッシュの中にいると思うと精神衛生上よろしくない。
「まさか、またジェイドに預けて置き去りにするつもりなんじゃ……」
それはない、と言おうと思ったが時々置き去りにしてやろうか位は思うことがあるので口をつぐんでおく。
「どうせ俺のところに戻ってくるんだろ。小さいことは気にすんな」
その言葉に不安げに曇っていた表情が一瞬にして明るくなったあと目を逸らせて照れるというよく分からない表情の変化を見せたルークにアッシュは何かいらないことでも言っただろうかと思ったが心当たりはなかった。おおかたルークが何かまた盛大な勘違いでもしていたのだろうと放っておくことにする。
「また消えただの騒がれたら面倒だから置き去りはする予定はないが、お前、大丈夫なんだろうな」
「うん、置き去りにされないのは嬉しいんだけど理由はそれか……まあいいけど。それで大丈夫って何が?」
あからさまにがっくりと肩を落としたルークだがとりあえず何かしら納得したようだ。どっちにしろ自分で追いかけてくるのだから構わないだろうと思うのだが。 そういえばどうやってアッシュのところに現れるのか聞いたこともなかったし、いつもいつの間にか近くにいるのでそれが現れる瞬間を見たことがないことに気がつく。どうでもいいと思っていたが、必要なときに現れないと困るしいらないときに現れるとまた困るので確認はしておいた方がいいかなと、後で確認するリストに足しておく。
「前に調べたときはまだお前が剣の中にいるなんて知らなかったし、調べて何もでてこなかったんだが、明日ジェイドに調べられたら前と結果が変わってるものなのかどうかだ」 ルークはちょっと首をかしげてアッシュを見た。これは分からないというサインか。口を開く前に立てかけてあったローレライの剣を手にとってその表面にそっと手を滑らせた。ルークの触れたところが淡く光ってその光が弾けてふわりと消える。
「何をしてるんだ?」
「いや、別に何も。しいて言えば確認?」
アッシュの疑問に答えるべく何か仕掛けでも施しているのかと思いきや、本当に何もしていなかったようで、何事もなかったように再びルークは剣を元の場所に立てかけた。では一体何をしていたのか。思いおこせばルークは剣だといいながらローレライの剣には触れたことがなかった。アッシュがただ触れるだけで剣がひかることはなかったから、共鳴でもしていたのだろうか。「俺と剣は同一だからそりゃ触ったら音素は混ざるよ。簡単にいえば触ったところがちょっと溶けた感じ? でもすぐに修復するからその時に光って見えるんだ。刀身はあんまり勝手に自己修復しないからこうやったら傷とか直るし。あ、でも一年前に再構築されたばっかだから傷もあんまりないよな。変ったとこもなし」
以前持っていたときも手入れなどほとんどしたことはなかったし、そもそもまともな刀身の無いローレライの剣を研ぎに出すことも出来ず、しかし別に切れ味が落ちることもなかったのでそういうものなのだと勝手に納得して使っていたが、そうでもなかったらしい。
ルークの言ったように別にどこも痛んでいなかった剣はそれほどきれいになったようにも見えなかった。そんな些細な変化をジェイドが見るだろうか、いや奴のことだから見るかもしれない。
まあそうなれば第七音素には癒しの力があるからとか適当に言っておけばいい。
「お前が出てきたことで音素の変化があったりするんじゃないのか?」
アッシュが疑問に思うのは剣の外見のことではなかった。ルークが出てきたところで剣そのものは変わったようには見えなかったし、けれどルークという固体を出現させることが出来るということは、何かの音素の流れがあるはずなのだ。 専門化がそれをたどればルークの存在に行き当たるのではないかとアッシュは思ってしまう。
「俺がこうやって外に出てたら、もちろん剣の一部の第七音素を使ってるわけだからほんの少しだけ音素は減ってるだろうし、その一部が流れ出してるって分かるだろうけど、剣の中でおとなしくしてる分にはその前調べたときと同じ条件だし変わんないんじゃないかな」
「音素が活性化してるとか、そういうのは?」
「うーん、もともとさローレライの剣は宝珠とセットで常に第七音素を集めて取り込んで拡散してるっていう人で言えば呼吸している感じ? だから、意識だけ持ってなかった有機物に近い剣と、体だけなかったレプリカであり無機物に近い俺が丁度よく合成されたんだと思うんだよな。普通の物はいつか朽ちるけど、この剣が千年もぴかぴかでいれたのってそのせいだし。だからどんな検査してたかわかんないけど結果変わらないと思うんだけど……まあジェイドだからな。俺がいるって想定してなければ無茶はしないと思うけど」
ジェイドだからなともう一度呟いてうーんと考え込むルークは何を悩んでいるのだろうか。
人の形を取っている今ならともかく、ローレライの剣の状態では痛覚すらなく何をされても痛くも痒くもないはずなのだが、ルークはうんと小さく呟くと少し上を向きアッシュをじっと見つめた。「アッシュ、俺はさ別にこうやってアッシュと話せなくてもいいんだ。アッシュの側でアッシュの役に立ちたいって思ったからこうやってローレライの剣になっちゃったことはむしろ嬉しいことだし、剣だったら役に立てるし、お前のそばにいれるし」
ルークはぐっとアッシュに近寄って、アッシュの目の前に人差し指をいっぽん立てた。
「一つだけ、お願いがあるんだ。
できれば、剣と宝珠で俺の体の一セットだから、なるべくはずさないで欲しいんだ。剣だけだとお前の声も聞こえないし、宝珠だけだと音素集めてるのが剣の方だからうまく体が作れなくて出て来れないから」
「それは、いい話を聞いた」
本当だろうかと剣に伸ばした手がそれに届く前にルークに奪われる。
「あっ、だからはずすなって言ったじゃん」
試してみようと思わなかったわけでもない。
ルークが剣ごとアッシュのものだと言うのならば別に隅々まで知っていても問題ないだろうと思うのだが。
はずさないと言っても疑いのまなざしのルークの手から剣を取ればさして抵抗もなくアッシュの手の中に納まった。 刀身に触れてもルークが触れたときのようには輝いたりしない。 どうやってはずすのかも良く分からない柄の近くに埋め込まれている宝珠を軽く撫でるとなぜかルークが小さくあっと声を上げて、なんだと目線をあげれば少し照れているのはどうしてだ。
「いや、だってアッシュ俺のことそんなふうに撫でたりしないじゃん」
ルークに触れているわけでもないのだが、ルークの感覚はいまいち分からない。けれどなぜかルークが更なる期待のまなざしを送ってくるので、アッシュは剣をひざの上におき手を離した。
心なしかルークが落胆しているように見えるのはたぶん気のせいだ。
「あとさ、俺はできるだけお前の側にいたいんだ」
さっき一つだけお願いがあると言った口はどれだ。
「側にいれるだけでいいんだろ? 枕元にいつも置いてるじゃねぇか。それに、オールドラントの裏側まで普通に追いかけてきた奴が何言ってんだ。勝手に近くにいるだろうが」 そうなのだ。アッシュの近くにいたいと抜かすルークはに対してアッシュは結構いろいろな実験をしていた。剣をしまって鍵をかけたり、どのくらいの距離でもやってくるのかとか、最終的にオールドラントの裏側まで行ったのに結局朝起きてみればローレライの剣はアッシュの手の届くところに鎮座していた。「でもだって、剣の姿のときは足ないから自由に動けないし。そもそも剣の状態では俺の意識より剣の本体の方が強いからほとんど剣だし、だからお前が呼んでくれないと動けないはず……なんだけど。うん」
「呼んでねぇ」
「そうなんだよ、だって呼ばれたら俺こうやって元の姿で出てこれるのに、ずっとでて来れなかったからな。契約した時点でなんか繋がってんだろうとは思うけど」
呼んでないよな? と改めて聞かれれば、はっきりと呼んでないと答えることは出来る。
けれど、昔はいつだってルークがどこにいるか世界中のどこにいようと感じたように今ローレライの剣がどこにあるか感じることが出来るのは、それが第七音素で出来たものだからだと思っていた。剣とはなれたとき、たしかにその所在地を確認した。遠く離れていることを確認した後にいつだってこの剣は現れた。呼んだといわれれば、多分そうなるのかもしれない。ルークは声が聞こえたといった。けれど耳も口もない剣が何を感じるかといえば、それも呼んだうちに入るのかもしれない。
けれど声を出せば聞こえると言ったルークの言葉はどういう意味なのだろうか。オールドラントの裏側にまでアッシュの声が届くはずもない。けれどルークは現れた。
「アッシュの音が聞こえるんだ」 ルークは目を閉じて静かに言った。
「俺の体がもっとしっかりしてて、逆に剣を取り込めたなら剣を取り出す条件を一つつければいいだけだったけど、俺の体は消えかけてて剣に取り込まれなければ最後に残った俺自身の意識を保てなかった。だから俺を呼び出すための条件は俺に届かないといけなかった。ローレライは自分を呼び出すのに歌で契約したのはその音が第七音素に触れさえすればローレライに届くから。でもアッシュは歌なんて歌ってくれないだろうし、そもそも俺は剣の中で眠った状態で歌なんて届く気がしなかったから。絶対にどんなことがあっても俺に届く音は、きっとこれしかないと思ったんだ」
「……俺が呼ばなかったらどうするつもりだったんだ」
実際にルークがアッシュの目の前に現れるまで一年以上の年月がかかったということはアッシュはその名前を呼べなかったということだ。
目の前にいないのに、口にするつもりもなかったのはもしかしたら一生だったかもしれない。それまでだってルークの名前を呼ぶことはほとんどなかったのに。
「呼んでくれなくっても、アッシュは剣としての俺はずっと近くにおいてくれるかなと思ってた」
置いてかれたけどと小さく笑うルークに、もしかしたら今目の前にルークがいなかったかもしれない未来を想像してしまって、胸のうちに湧き上がった何かに少しだけいらだった。 生きたいと願っていたルークが手繰り寄せた糸の向こうでそれでも願ったのはほんの小さなことだった。もっと願ってもいいはずだ。彼にはその権利がある。こうやって笑うことも出来る話すことも出来るその足で立って歩くことも出来る。触れれば暖かい体を持つルークは自分が剣だからとそういってまた今度は何をあきらめているのか。
ルークの姿は以前と変わらない。
以前とは十七の姿のまま、アッシュは歳相応に成長した姿で地上に戻ってきたにもかかわらずルークはほんの少しも変わらずにアッシュの目の前にいる。
アッシュだけ大きくなってずるいというルークはその口で言うのだ。「俺のこの姿は剣に刻まれたただの情報だから、情報は成長しないだろ?」と。
ルークは何を持っていて、何を失ったのか。持っていたローレライの剣を少しだけ乱暴にベッドの上に投げ捨てて、ルークの腕を掴む。そっと手を滑らせればルークがくすぐったそうに身をよじった。
「アッシュ、なにやってんの」
「さっき剣を確認した続きだろ」
そうアッシュが言えば納得した様子のルークは異常はないよ? と首をかしげる。なんとなくむかついて、投げ捨てた剣の隣にルークを押し倒した。並べてみてもこれが同一だ何てとても思えない。 腕から肩に、そして首筋から頬にそっと指先で触れていく。確かに人の形をしているそれがただの情報の塊なのか。
以前から気になっていたアッシュよりも幾分か柔らかい印象の髪に触れる。
その色がアッシュより薄い所為なのだと分かっているのになぜか柔らかく感じるのは気のせいに決まっている。レプリカの髪は抜ければ音素結合が弱くなり少しの時間を置いて消えてしまうが、今のルークはどうなのだろうか。毎回消えるときにはどの情報を元に再構成しているのか今の状態なのかそれとも記録にとどめられたままの姿なのか。成長しないというならば同じデータを繰り返し呼び出しているだけなのだろう。けれど記憶は積み重なって、どれはどこに蓄積されてそれがどうルークを構成しているのか。人の体と記憶だって良く分からないのに、なおさら分からない。
例えば外見は人そのものだけれど、中はどうなっているのか、とか。
「アッシュ?」
全てを確認してみたいという欲求がアッシュの中で小さく芽吹いた。どこまで確認すれば自分が納得するのか分からなかったけれども。
例えばその涙はどんな味がするのか、だとか、触れればどんな反応をするのだとか。
「え、あアッシュ寝るんなら俺戻るから! な」 アッシュの下で身じろぎしたルークが慌てた声でふるふるとくびを振って、その直後、確かに触れていたルークのぬくもりは一瞬にして音素になって消えていた。
残るのはルークがそこにいたはずのベッドの跡だけ。
アッシュは何かに舌打をして、そのまままだぬくもりの残るベッドに転がった。
「久々の戦艦の一夜はいかがでしたか」
ベルケンド港に降り立って、馬車へと荷物を詰め込みながらジェイドはにこやかに話しかけてくる。軍人で青い服を着ているにもかかわらずさわやかな港の朝が似合わない奴だなと心の中で思っていたら、楽しそうな視線が合って口に出していたかと一瞬ひやりとする。
「俺は寝る場所があれば十分だ」
「こういうときは、寝るには十分だがもう少し酒なんかを持ち込めればよかったなとか言ってくだされば私共が好きなもの持ち込めるフラグになるんですよ。よろしくお願いしますよ、仮にも公爵子息さまで世界の英雄様が御所望とあらば予算がつくんです」
「自分で欲しいものは自分の財布からだせ」 そうですかと、さして興味もなさそうに言うものだからどこまでが本気かどうか分からなくて返事にも困る。多分半分は本気だろう。アッシュは今は身分も何も持たないただのアッシュとして生きているけれども、こうやってベルケンドへジェイドを連れて行くことも簡単に出来てしまうほど、もともと持って生まれたファブレの名前もローレライの力を継ぐと預言に記されたその力の所為でもらってしまった英雄の名も消えることはない。アッシュ自身もその名を捨てたわけでもなく取り合えず保留しているのもよくないのだろう。アッシュがどれだけ今はその名前を持っていないといっても周りはそうはあつかわない。
ルークはアッシュの手元にいる。アッシュの必要なカードが全て揃っている今、いろいろなことに決着をつけなくてはいけないのだろう。
ルークが存在することも含めて。
ベルケンドの研究所では前触れを出しているのだろうジェイドの為に一部屋研究所側で用意した音機関も含めて準備は整っていた。こいつ、人の国で何やってるんだと思わないでもなかったが、下手にマルクトでこっそりやられるより把握できるからいいかと思うしかない。 ついでのようにアッシュのデータを取るということで、それはアッシュも了承していたしアッシュも死んだところから生き返ってきたことに対しての不安はある。
ルークは大丈夫だと言ったが進んでいた大爆発の影響とか、せっかく生き返ったのだからやっぱり無理でしたとかでも困る。
ジェイドの真の目的はルークを探すことでアッシュのことは本当についでなのは知っているが、アッシュも見返りを要求されることなく自分の体を調べてもらえるのでアッシュ自身もジェイドを利用しているともいえる。
「行く前に剣置いてってもらえますか?」
いつものように所員について行こうとしたアッシュにジェイドの声がかかる。そういわれればジェイドは今日調べたいのはこいつだったなと思い出して、腰に下げていたその剣を鞘ごとはずした。
軽く宝珠に触れても今日は何の声もしない。昨日のあのままルークから声がかかることもなく、今は静かなただの剣だ。
「何を調べるんだ? 別に何も変化はないが」
「ええ、ちょっとした実験を。一応貴方が持ち主みたいですし何かあれば勝手に貴方のところに戻るでしょうから心配しなくていいですよ」
何か含みのある言い方な気がするし、まるで剣に意思があることを知っているような言葉に一瞬ぎくりとする。 だが、勝手に剣がアッシュのところに戻ってくるのはジェイドの周知の事実だし、ジェイドが人にも物にも対して興味のないことを知っているので多分そうなんだろうと自分で納得して表情を押し込めた。
「おや、ここまで来て離れがたいとか」
これ以上ジェイドの言葉に付き合ってられないとアッシュは鞘のままの剣を無言でジェイドに突き出した。けれどジェイドはそれを手に取ろうとしない。
「いえ、調べたいのは剣と宝珠それぞれなので分けて欲しいのですが」
その言葉にアッシュは驚きはしなかった。以前も別々に調べたこともあるし、そもそも普通の状態では剣と宝珠を分けることは不可能なのだ。
これも実験の中で分かったことで、ルークが持っていたその時から剣と宝珠は不可分でどうやってもはずせなかったらしいのだが、アッシュにとってはそれほど難しいことではなかった。それはただ、アッシュにしかはずすことが出来なかった、それだけの話だったからだ。ルークにも多分出来たのだろうと思うけれど今となってはそれを実証することは不可能で、剣と同化してしまった今のルークはもちろん自分の意思で分離することは出来る。今はルークの意識は眠っているし、アッシュがその宝珠に触れて少しだけ力を加えれば外れてしまう。 特にはずす用事もなかったし、また以前のようにどこかに行ってしまうと面倒なのではずさなかったのだが、久しぶりにその宝珠に手をかけたとき、アッシュはふと昨日のルークの言葉を思い出した。
(なるべくはずさないで欲しい)
出て来れなくなるからとか言っていたような気がするが、むしろ今はそれのほうが都合がいいのではと思い直す。何かの拍子に呼んでしまわないとも限らないし、ジェイドの前で出て来れなくなるのはむしろリスクが少なくていいのではないか。そう思って、アッシュは赤い宝珠をひと撫でするといとも簡単にその剣から抜き取った。
以前から不思議に思っていたが、宝珠は剣にはまっているときは柄の一部をなしているのに、剣から外れれば柄に埋まっている赤い宝石のような欠片を核にするように丸い水晶玉のような形になる。ルークはこの宝珠が鍵としての剣の核なのだと言っていた。宝珠がなければローレライの剣はただの剣でたとえ単体で第七音素を集めることが出来るとしてもただ集めるだけで集めた第七音素はそのまま散ってしまう。レムの塔で瘴気を消そうとしたあのとき、必要だったのはただ第七音素を集めるだけの機能だったから剣だけの状態で構わなかった。第七音素の放出の役目を担う宝珠は調整の役目も果たしていて、それがあればもっと簡単に安定して第七音素を使うことが出来た、それだけだ。 多分それは今でも同じなのだろう。ルークの体を作り出すその調整は宝珠が担っている。ともすればこの手の中の丸い宝珠のなかにルークがいる気がして、その彼に似た赤にアッシュは思わず手の中を見つめる。
「どうかしましたか?」
「いや、はずすと球状になるのか何度見ても変だと思ってただけだ」
「構成音素は第七音素だけですし、譜石のようなもので中の赤い奴をガードしてるのだ、とルークは結論づけてましたが、そのあたりは作ったローレライに聞いてみないと分からないですね」
後落としても割れなかったり傷が入ってもすぐに直ったりと、これは実験でなくルークの実体験らしいことを言われて、どれだけ雑に扱ってたんだと自分のレプリカながらなんともいえない気持ちになる。
小言を言いたい相手はいないことになっているのだし、ジェイドも思い出話のつもりだろう、ジェイドの言葉に適当にそうかと頷いて剣と宝珠に分かれたローレライの剣を今度はしっかりと手渡した。
「ああ、言っていませんでしたが今回一週間ほど借りますので。出来れば近くにいていただいてもし貴方の手元に戻るようであれば再貸し出しということでお願いしたいのですが」 聞いてない。 長くて二日くらいで終わるものだと思っていたアッシュは一週間もベルケンドに滞在する予定は立てていなかった。
「それは先に言え」
「でも、どうせ貴方も特に急ぐこともなさそうですし?」
ジェイドの言葉にむっと黙るしかなかったのは、アッシュが自由に世界を放浪する条件の中に居場所をバチカルへ報告するというのも含まれていた。手紙や鳩を使ったり、軍の駐屯地があるときにはそこも使う。
別に隠れてこそこそしているわけでもなく、誰とも連絡を取りたくないというわけでもない。ルーク・フォン・ファブレとしては家にいることができない心苦しさもあってアッシュはその条件を普通に呑んだのだ。
なのに、アッシュの居所はバチカルの両親だけでなくなぜジェイドまで把握しているかというのは疑問に思うところではある。誰が漏らしているのか、まったくのの機密情報ではないにしてもオープンすぎるのはちょっといただけない。 今回もどこから情報を得たのだろうか、それとも先回りしてアッシュの予定をつぶしてきたとか。
そもそもアッシュは時折路銀を稼ぐために魔物退治や護衛などの簡単な仕事を正規に軍や、時折漆黒の翼などにまわしてもらっているだけで、長期に何かしているようなものは無い。ただ合間を見計らって、とか丁度都合のいいところにいたとかそのくらいだろう。 昨日ケセドニアに入る前はオアシスで半月ほど滞在していたのは仕事ではなくザオ遺跡の跡地に向かっていただけだ。中には入れないがパッセージリングのあった場所だ。
もともとオールドラントの中でも音素の多いポイントがパッセージリングの場所に選ばれているのだからパッセージリングが機能しなくなった今でもそこは音素の少なくなった地上では重要な場所だし、千年前の遺産としての遺跡の復旧もそこそこ行われている。
アッシュがパッセージリングの跡地を訪れるのはここだけではなかった。この一年の間に自分の足で向かえるところはむかったし、何度かギンジを尋ねてアブソーブゲートなどにも足を向けた。
それは止まってしまったプラネットストームの影響をこの目で確認するためでもあったし、どこかでルークを探していたのだと思う。自分が歌に引き寄せられるようにタタル渓谷にたどり着いたのはそこがセフィロトのあった場所でもあったからだ。
同じようにルークが現れるのならばどこかのセフィロトに違いないと思っていたし、ローレライが何かコンタクトを取るのならばここだろう。
期待していたわけではなかった。
けれど全く期待していなかった、わけでもなかったから足を向けた。 正直、ザオ遺跡に来たときにはすでにルークは発見していたし中にも入れないし砂漠は暑いしどうしようかと思ったのだが、前から予定していたことだし来たのだが滞在中にジェイドからベルケンド行きの話が来たのだ。特にしたかったことがあったわけではなかったが暇さをアピールするのも癪だったので予定通り砂漠のオアシスに滞在してジェイドと合流したのである。
もちろんこれから後の予定も特にはない。もともとはケセドニアに向かってそこで漆黒の翼にでも連絡して何か仕事をもらおうか位に考えていたのだ、もちろん忙しいわけはない。けれどそれを言うのも癪でアッシュはジェイドのそれには答えず、一週間だけだと一言告げて剣とジェイド置いて部屋を出たのだ。
剣がなければ街の外に出る気もせずアッシュはベルケンドの街を歩いたり、研究所の中で行われている新しい研究を覗いたり、時折ローレライの剣で何をしているのか見に行くくらいしかすることがなかった。アッシュ自身の検査結果は翌日には問題なしと突っ返されて、ジェイドに面白くないといわれる始末だ。面白いことがおこってたまるかとアッシュは思ったが、多分研究所の半分くらいは面白いことが起こってくれたほうが……と思ってそうなので口に出来なかった。 幼い頃のそれとはまた違うけれども、アッシュは今でも研究者の興味の対象で、アッシュも最低限は協力するがそれ以上は協力する気もない。
そういうわけで居心地のあまりよくない研究所に足を踏み入れるよりは街中でぼーっとしていたほうが心の安静の為にはいいと決めて三日後くらいからは対して興味もない音機関の店を覗いたりしていた。
毎朝目が覚めて、枕元に剣の姿がないことを確認して、感じたのは小さな落胆だった。
帰ってこられるとまたジェイドに渡しに行かなくてはいけなくて面倒なのに、手元になければ呼んでも無いのにいつでも押しかけてくるあいつがいないことになぜか怒りすら感じる。いらない時にはいるのに、いや、今がいるといえばいらないのだが。
ふと立ち上がる瞬間とか、道の角を曲がるときですらふと腰の剣を確認してしまうのは無意識の癖で、それはローレライの剣を持っていないときでもやっていたことだ。
武器を持っていないのは少し心もとない。けれどアッシュは体術も人並みには覚えているし譜術も使える。その面での心細さはあまりなかった。なのに感じるこの気持ちは多分。 しかし二日目にもなって剣は一向にアッシュの前に現れないし、ジェイドのところにいってもおとなしくしているようでぴくりともしない。 若い研究者だろうか剣を手にとって何か討論していて触ることも出来なかったのでそのまま宿に帰って、一人になったアッシュはそこで思わず枕元に目をやってから大きくため息をついた。
よく考えればこの世界に帰ってきてから三日以上剣と離れていたことがなかったのだ。自ら剣を置いてバチカルをでたときはなんとも思わなかったそれも結局次の日にはアッシュの手元にあったし、その他の故意にしろそうでないにしろ剣を手放してもアッシュの元にはすぐその剣があった。地上に帰ってきたその時たった一つだけ持っていたその剣のことを手放したくないと思っていたわけではなかった。
けれどそれはずっと昔からアッシュのものであったようにアッシュに馴染んだし、アッシュはただそれが第七音素で出来ているものだからだと思っていた。
だから、ルークが側にいなくて少し心もとないと思っているのではない、常にそばにあった剣がないから寂しいと思うのだ、アッシュはそう自分に言い聞かせて目を閉じた。どのくらい離れればその存在が把握できなくなるのか、それを実験したこともある。ルークとフォンスロットを繋いだときも同じような実験をした気がする。結果はどちらもオールドラントのどこにいても側にいるのと同じようにその存在を捕まえることが出来る、だった。けれど今は別にどこに剣があるかなんて確認する必要もない。 昼間は確かに研究所の中にあって今ものんびりとそこで眠っているはずだ。
それはなんとなくだった。
多分今日研究所に行った時に今回はおとなしいですねとか嫌われたんじゃないですかとか好き勝手なことを言ってた奴の所為だ。
「ルーク」
小さく呟く。それで終わりなはずだった。
けれど、今何もおこらなかった。いつもなら目の前の空気が震えてそこからルークが現れるのにじっと見つめるアッシュの目の先には何もない。思わずもう一度その名を口にして、やはり何もおこらないことにアッシュは動けないまま動揺していた。
今までのことが全て夢で、これが現実で、ルークはいなくて。そこまで考えていや違うんだと悪夢を振り払うように首を振った。
ルークは音が聞こえるといった。それは声ではない、第七音素を伝って世界のどこにいてもルークに伝わるのだ。そしてその音の振動でルークは目覚める。それが契約の言葉の力のはずだった。
伝わらないところは音譜帯の中と地殻の奥深くしかないと笑っていっていなかったか。
何かとてつもなく不安を覚えて、アッシュは目を閉じた。 ルークを探すことは今も昔も簡単だった。世界の中でその音を持っているのはただ一人。いつもは探すまでもなくそれは光のようなものに模してアッシュの脳裏に浮かぶ。けれど、今はぼんやりとした光が別々のところに浮かんで消えた。見える光は二つ。それは多分、剣と宝珠に分かれて存在しているからだろう。こうやって探せば見つかる宝珠があの時見つからなかったのはルークの光の中に内包されていたからだ。
本当ならばこうやってすぐに見つけられたはずなのだ。
けれどアッシュは一つおかしなことに気がつく。
「遠い?」
思わず呟いたアッシュはより深く剣の所在を探る。ルークと繋がっていたあのとき、ルークの居る場所がいつでも分かったのは彼の視界を覗き見ることが出来たからで、耳も目もないローレライの剣の所在を探し当てるのはあまり遠くなると大雑把にしか分からない。けれど、もしベルケンドの街の中にあるのならばそれほど近い距離で見失うことはない。少なくとも街からは外に出ているはずだった。
昨日は確かに研究所にあったはずのその剣にはそういえば宝珠はその近くにはなかった。何かを調べているのだろうくらいの気持ちでいたアッシュは宝珠の所在を聴くことはなかった。
どこにあるのか、アッシュの感覚では北の方角からその光が見える。ダアトかグランコクマかケテルブルグか。 対してもう少し近いところからも同じ気配がしてアッシュにはどちらもがばらばらに移動していることくらいしか分からない。気配をたどればそこにたどりつくことはできるのだろう。だが、アッシュにはそんなことをするよりも確かに早く剣のありかを知る術が残されていた。
「ジェイド、どういうことだ!」
朝一番に向かった研究所は早朝だというのにも関わらず数人の研究員が忙しそうに所内を移動している。アッシュは迷うことなく一つの部屋に足早に向かい事の次第を確認するために扉を開いた。時間的にもいないかもしれないとは思ったが、それならば来るまで待たせてもらう、または呼び出すことすら考えていた。
「おや、今日の実験は昼からの予定ですよ」
泊まり込んでいたのだろう奥から出てきたジェイドはいつもの何を考えているか分からない顔だ。
「剣をどこにやった」
いろいろいいたいことはあったのだが、あれこれ言っても多分かわされるだけだ。一番聞きたいことだけアッシュはジェイドに問いかけた。 少しは反応があるだろうと思っていたジェイドには特には反応はなく、何かを思い出したようにああと小さく呟くとアッシュに向き直って少しだけ神妙な面持ちで口を開いた。「もしかして呼び出したりした、とか。実験の最中はおとなしくしていて欲しかったのですが……いや、そんな報告は入ってないですね。ああ、だから確認しにきたのですね」 勝手に納得したように呟くジェイドが憎らしく思えたのは今回が初めてではない。
「移動するなんて聞いてない」
「そうですね、言ってませんし。実験の延長上ですから別に報告の必要はないと思っていたのですが、いやばれるとは思いませんでした。普通、この世界に無数に存在する第七音素の中からそのひとかけらを特定することは理論上不可能ですし、まあローレライの剣くらいの結晶といってもいいくらいのものはまだ分かりやすいかもしれませんが、まだパッセージリングあたりの第七音素の量や譜石も意外に第七音素として反応しますから。以前から思っていたのですが、ルーク単体ではそれほどの大量の第七音素で構成されているわけではないにもかかわらず特定できるのは不思議だと思っていたのですよ。コツかなんかあるんですかね」
にこやかにけれど内容はいくらか物騒だ。
もしかして実験というのは剣がメインではなくてアッシュのほうがメインなのではと一瞬疑ったが、そんなことはない、アッシュが気がつくことは想定していただろうがあえて言わなかったのは実験のついでだ。
「俺にはわからないことのほうが理解できないんだが」
「そうですね、ルークもそんなことを言ってました。だから多分実用にもならないし調べても得することがなさそうなので調べる予定もないので安心してください。それに、探す相手もいないことですし」
別にルークを探すためのものではないのだが、しかしルークが剣と同化した以上そのためのものだといっても過言ではないことも確かだ。
どういう仕組みなのかはアッシュも分からないが、それでも存在を確認できるのはローレライの力だと思っていればいい。要は使えればいいのだ。
「そんなことはいい。どこにやったんだ」
アッシュは少しだけいらついていた。別に実験をするといって預けたのだから、それをどう使われようともローレライの剣が壊れるようなことはないだろうし、それなりにジェイドを信頼していたから預けたのだ。それでも、どこにあるか位は所有者であるアッシュ自身が把握していたい。
それがただの剣ならばというのは仮定の問題で、あれはルークなのだ。呼んでも現れない、なぜかおぼろげにしか所在が把握できない、どちらかでも分かっていればアッシュはこんなところに乗り込んでこなかっただろう。 何故呼んでも現れないのか、何故所在がはっきりと把握できないのか理由が分からないことが不安に思うなんてアッシュも思わなかった事態だった。
「おや、居場所ならいつでも分かると豪語していたのはどちらでしたか」
「……方向はわかる。剣と宝珠まだばらばらに離れたところにいることくらいは。けれどなんだ、いつもより見えない気がするのは」
アッシュの言葉にジェイドが興味深そうにそうですかと呟いた。絶対何か知っている顔だ。むっと睨めば仕方なさそうに机の上の小さなトランクのようなものを取り出した。中は見た目よりも一回り小さく、中に入るスペースは思ったよりも少ない。柔らかな布で覆われたその奥には何かの機材が詰まっているのだろうか。
「実験の一つですよ。この箱と同じものを用意してその中に別々に剣と宝珠を入れています。この箱はまた別の用途で開発したものなんですが、音素を完全に遮断できるもの、のはずなんですが」
そこで一端言葉を切ってパタンとそのトランクを閉めた。「今まで取り扱った中で一番の音素を発している物体が宝珠でしたのでこの箱の精度を試したのですが、結果は機械で測定できる値では何も箱から音素は漏れ出さないということになっていたのに、それでどうやって貴方が宝珠の移動を感知できたのか不思議でならないのですよ。音素が発せないなら今までのように勝手に動けないだろうと思ったんですが、まあ動いてはいないようですが」
その装置の中に入れているから見えにくくなっているのか、もしくは他の原因があるのか。その時ふと、ルークが言った「出来ればはずさないで欲しい」という言葉を思いだす。剣だけでは声が聞こえない、宝珠だけでは体が作れない、その言葉どおりだとすれば単体では力が弱まるのかもしれなかった。だからはずさないで欲しいといったとか? ただ呼んでも現れないのは宝珠と剣をそれぞれにしているからなのか、アッシュと離れているからなのか。けれど今までどれほど離れていたってルークは勝手にアッシュの所に現れた。遠く離れてもその存在はいつも確かに感じていた。けれど今は。 とにかくどこに剣があるのか確認したかった。ルークさえ呼び出せば原因も分かるだろうし、そこにルークがいることを確認するだけでいい。この中途半端な時間がアッシュにはとても面倒だった。
「それで」
「もう一つ実験として、剣と宝珠単体での動きを見たかったので。それぞれを単体に負荷を与えた場合の音素の変化とか、動きとかを。同じ建物の中より離したほうが正確にデータが取れますし、なにより……」
「御託はいい、早くありかを言え」「……言ったところで行く気ですか?」
「聞いてから考える」
別に移動したことを隠されていたからいらついているわけではない。その所在が分からないからどうしようもなく焦るのだ。ちゃんとした場所に保管されているならば、それでいいと思っていたし、別にいく必要もない。けれどジェイドが信用ならないのも本当で。
「剣はグランコクマに、宝珠はシェリダンに向かっています。そこについてから決まった時間に箱からそれぞれを取り出して片方が存在しないと仮定した場合のデータと同時に存在するときのデータを取って比べる予定です。私はここで各地点からデータをもらいながら世界全体で何か変化がないかを確認しながらサボる予定なのです」
説明を聞いたところで、実際にジェイドが何を調べたかったのかはよく分からない。世界に一つしかないある種特殊な剣を一振り調べてほかに何か生かせるだろうか。多分今の技術では同じものは作れないだろうし、ローレライの剣はローレライの一部であるがゆえに第七音素を集めることが出来るという機能を備えているのだ。音素の少なくなった今、どの技術者もそんな道具が手に入るのならばと一度は願う物だ。 どのくらいの音素を扱うことが出来るか、それを調べて何をするかといえば、同じものが二つとない以上、この剣を使って何かをするつもりなのだ。 だからジェイドは詳しい研究内容をアッシュには伝えないし、わざと分かりにくいようにはぐらかす。
「それで、この剣を使って何をする気だったんだ」
そういえば、ジェイドはおやと感心したような表情でアッシュを見た。
「剣は貴方にしか使えない。そうでしょう?」
それは剣として、鍵として使う場合のことだ。以前の調査結果でもその剣はそこにあるだけで第七音素を集めることが出来ると出ている。
人が使う第七音素の量などほんの少しの量だ。この剣で集められる量でさえ、普通の第七音譜術士があつかえる量を超えているのだ。あるだけでいいという物もいるだろう。確かにアッシュが使うその場合に比べれば比べようがないけれども。
「ならどうしてわざわざ調べたりする必要があるんだ。何かに必要だから調べてるんだろう」
「……そうですね。御伽噺の存在だったローレライの剣がこの世にあることを知った研究者なら一度は考えるでしょう。この剣が手に入ったら何をしたいか、と。実物はアッシュが使わないとそれほどの威力は発揮しません。けれどそれを言って納得する人もまた多くありません。マルクトの議会ですらどうしてあれがキムラスカの所有なのかという人物すらいます。 実物のローレライの剣がアッシュ以外の人物にとってはそれほど価値のないものだと理解させるために、というのは建前ですけどぶっちゃけるとそんなものがこの世に存在するだけで面倒くさいので出来れば一緒に復活しなくてよかったんですけどね」
つまりは、アッシュの知らないところでこの剣についての議論が交わされているということだろうか。所有権にまで言及されればアッシュはむっとするしかない。これは自分のものだ。かつてローレライに託された、というだけでなくて。「今回、うちの技術者の一人がこんなことを言い始めたんです。音素を集める剣とそれを拡散させる宝珠を音機関に繋いで第七音素を集める譜業を作ることが出来るのではないか、と。アッシュ、プラネットストームがなくなってからどれくらいの音素が減少したか分かりますか?」
「音素を集めにくいと思うくらいには。半分……は減ってないと思うが」
「三年で八割近くです。多分十年のうちには半分まで減少する試算です。今はローレライが新たな音譜帯になったことで音譜帯の活動自体が活発化していますが、プラネットストームには届きません。もともとオールドラントを覆っている音譜帯の自然な流れを強化してよりたくさんの音素がめぐるようにしていたのがプラネットストームですから音素が無くなるということはありません。けれど後十年で私たちが使う音素を供給量にあわせられるかというと……」
「需要の方が供給を上回れば世界の音素が足りなくなる、と」「多分音素のバランスが崩れてしまうので、生態系すら変わってしまう可能性があります」
今の世界の急務は音素をなるべく使わずに済む音機関の開発と譜術の使用停止だ。
もともと創世記時代ほどの技術は今はすでになく、大規模な音機関はそれほど存在しない。
今までもプラネットストームで得られる音素のほとんどはセフィロトツリーに使われ、実生活ではそれほど使用していなかった。
けれど今からは減っていくだけのその資源をどうするかは世界の問題だ。なるべく今使わずに先延ばしする方法しかないとほとんどの人が思っていた。けれど。
「地殻にはまだプラネットストームによって蓄積された音素が詰まっていると考えられています。そこに蓄積されている音素は地上のフォンスロットであるセフィロトから継続的に放出されていますが、ここにもし、音素を集めることが出来る装置を配置したら」
「音素消費を減らすのではなく、音素の供給を増やす方法をローレライの剣を使ってやりたい、ということか」
「まあ、剣だけ持ってセフィロトに行っても大したことは起こらないで帰ってくる予定です」 なら、最初から止めろよと思ったが、アッシュはその研究があながち間違っていないことを知っているのでいえなかった。多分ジェイドも分かっている。
「俺が剣を持ってセフィロトに行けば多分そいつの思ったことは出来るだろうがな」
「おや、私も言わなかったのに。そんな閑職のような作業を貴方にさせるくらいならほかのことをしてもらいますよ」
「音素はあったほうがいいだろう?」
「プラネットストームが停止しても大丈夫だと皆が思ったから停止させたんですよ。音素がなくなっても大丈夫なんですよ。それに、結局いつかは音素は減少するんです。先延ばししても仕方ありません」
ジェイドはそういうが、世界の皆が同じように考えられるかといえばそうではないことをアッシュも知っていた。
「明日には剣も宝珠も戻ってきます。それでいったん実験は終了なのでお返ししますよ」
一端ということはまた次があるかもしれないということか。技術者がいろいろなことを考え付いて行動するのはいいことだ。けれど剣を使って何かしようとか、人の物を勝手に道具として扱わないで欲しかった。今は特に、あの剣はただの剣ではないのだから。
「それならいい。ちゃんと戻って来さえすれば」
そう呟けばジェイドは意外そうな目でアッシュを見た。「以前は剣が戻ってくる度にうざいとかいっていたのにどういう気持ちの変化ですか。必要ならくれてやるとかそのくらいの言葉は欲しかったのですが」
ルークが、とはいえないアッシュはむっと押し黙った。もともとあれは自分がローレライからもらったものだし正当な所有者であるし、どこにも何も疚しいことすらない。あんな剣でも役に立つんだとか、剣として以外に何かするつもりもなく、それで世界の音素不足が少し解消されるとか言われてもする気もない。まさに宝の持ち腐れだ。置いていこうとすらしたその剣を今は離せないと知られて少し言い訳に困る。「それに、いつでも貴方の元に返ってくるのでしょう? 自動的に貴方の元に帰ってこない、と知っているように聞こえましたが、理由があるなら聞かせていただきたいのですが?」 そこを突っ込まれるとは思わなかったが、さすがどんな細かいことでも聞き逃す気はないジェイドに気がつかれれば何かを答えるしかない。
「いつもはどこに剣があるかはっきり分かった。その居場所を確認して次の日には大抵手元にあったから確認するときに剣からも俺の位置が分かるようになるんじゃないか。でも今回はぼんやりしかその所在がわからない。前に宝珠がルークの中に取り込まれていたときもその所在は地上に存在していることくらいにしか分からなかったし、もしかしたら分かれていたらだめなのかもしれない」「ああ、それならば貴方に返したくないときは分けてればいいのですね」
「……そもそも俺にしか分けれねぇだろうが。それに俺も剣のことは良く分からん。聞いて答えてくれるんなら聞くが
……まあ無理だな」
「ほんとに、しゃべってくれれば楽なんですけどね」
しみじみと呟くジェイドの言葉に少しだけどきりとする。 だが実際はしゃべるが役に立たないのだがそこは伏せておいた。
その時、机の上の機材がピーと音を立てた。何かと目をやればジェイドがその音機関のピカピカ光っているボタンを押せば音は止み、代わりに砂嵐のような雑音が入る。
『カーティス大佐、ご報告があります』
どうやら、どこからか音声を繋ぐことの出来る物のようだ。スピーカーから漏れてくる音は聞き取りにくく音も雑だがそれでも離れた場所から音が届くというのは画期的なのだ。これと似たような雑音の入った音を聞いたことがある。確かアルビオールの中でギンジが二号機のノエルと連絡を取っていたときにこういう音がした。まだ試作品なんですよといっていたそれはそれなりに使えるようになっていたようだ。 これさえあればアッシュがわざわざルークのフォンスロットを繋いで会話をしようとか思わなかったかもしれないが、音しかそれも大気の状況により聞こえたり聞こえなかったりする代物より、どんな場所でも状況でもはっきりと映像まで伝わる回線のほうが便利には違いなかった。が、それはアッシュとルークの特殊な関係でのみ使用できるものであり汎用性はないのだが。
「報告の時間より早いようですが」
『はい、結論だけ先に言わせてもらえばお預かりしたローレライの剣が消えました』
その声を聞いたジェイドは迷うことなくアッシュを振り向いたのは仕方がないことだった。なんせ前例がある。
「俺じゃねぇぞ」
持っていないと空の手を振る。もしかしたらと思ったけれどもアッシュの周囲にも剣らしきものはない。
「貴方のいた宿にあるとか……はなさそうですね」
「少なくともこの近くにはないことは確かだ。グランコクマに向かっているんだったな……ここからだいぶ北のほうにはいる、と思う。はっきりとした位置は分からないが」
昨日からずっと剣の軌跡はうまくたどれないでいることには変わりなかった。ジェイドの言った様に音素を遮断できるケースに入っているのならば、ずっとその状態で運ばれているということで。「あの剣はすぐに貴方のところに帰って行ってしまうのを知っているので、剣が消えたときには報告をと注意していたのですが、貴方ではないとなると」
ジェイドは少し考えて装置の向こうの相手にいくつかの質問をしてそれから小さく唸った。
「剣がなくなったのを発見したのは半刻前。剣がなければ実験は出来ませんから定期的にちゃんとそのまま剣があるか確認しているのですが、その全てに異常はなかったそうです。けれど実験のための装置に設置する際にその剣が偽物であることが判明しました」
「つまりは、本当に無くなった、ということだな」 ジェイドはその言葉に神妙に頷いた。
「数人研究員が消えているそうなので多分」
スピーカーの向こうがざわざわとしているのが聞こえた。『すでに捜索を開始しておりますので、逐次報告させていただきます』
ジェイドが手早く声の相手に指示をしていくのを横目で見ながらアッシュは無言で背を向けてドアへと歩き始めた。「大変申し訳ありません。こちらの不手際ですからすぐに回収しますが」
「……その想定済みみたいな顔がむかつくんだ。お前を信用してないわけじゃない。ただ俺ならどこにあるか直接行けば分かる、それだけだ」 そう言っている間もアッシュの足は止まらない。正直アッシュはなんでもない顔をしていたが内心は動揺していた。
剣の居場所は多分、分かる。分かるけれど彼がアッシュのあずかり知らぬところにいると思えば今朝、剣がベルケンドにないと分かったとき以上の動揺と焦りを感じる。絶対に剣はアッシュの手元に戻ってくる。それだけは確かな事実だったのに今はそれすら出来ない。宝珠と剣を分けてしまったからだ。
それはただひとえにアッシュの失態だった。だから自分の手で取り戻さねばならない。
「アッシュ、少し待ってください」
「うるさい、お前はお前で出来ることをしろ」
「でも足は、必要ですよね」
その言葉にアッシュは思わず足を止めた。
「何で向かうつもりですか? 偽物―剣のレプリカだったそうですが、そんなものまで作って計画した者が徒歩で向かっていると思いますか? 軍艦はさすがに手配できないでしょうけど高速艇くらいは用意しているでしょう。それに追いつけるのはアルビオールか軍艦くらいしかないと思いますが」 どっちを用意しましょうかとでもいいたそうなその口調は軽い。
どちらも普通には用意できるものではないはずだが目の前の男はそれが出来る奴でもあるのだ。 アッシュは一瞬考えて、その時自分がどうやってそこに向かうか全く考えていなかったことに気がついた。ただ行かなければというだけの気持ちが逸って、ジェイドに止められなければ港についたあたりで気がついただろう。アッシュは小さく舌打ちした。
「まずは宝珠だ。まさかこっちまで分からないとかないだろうな」
「分かりました、シェリダンに連絡を取って宝珠ごとアルビオールで飛ばしてもらえるようにしましょう」
多分それが最短時間で目的地にいけるのだとアッシュも思った。船より何よりアルビオールが世界で一番機動力がある。宝珠がシェリダンにあるということはシェリダンもローレライの剣の研究に一枚噛んでいるということだろうが、普段はなかなか飛ばすこともないアルビオールを出せるということはそれだから動かしやすいというのもあるし今回にしてみれば幸運だ。たかが剣一本。けれど世界にとっても御伽噺の存在だったローレライの剣は重要な品で、アッシュにとってはそれ以上にかけがえのないものなのだ。
もし、何か予定にない実験をされて剣が壊れるようなことがあったら。
ありえないわけではなかった。ローレライが作ったらしい第七音素で出来た剣は多分どんな外からの衝撃でも壊れたりはしないだろう。けれどアッシュの持っている超振動ならば。擬似的に作ることの出来る擬似超振動をぶつけられたりしたら。それ以外にもいま、呼びかけても答えられない状態で人の手の届かない場所にいってしまえば。
何か悪寒のようなものがアッシュの背を駆ける。
『アッシュさん、今から行きますから!』
聞き覚えのある声が聞こえてきたと思ったが、そんなことはどうでもよかった。剣は今どこにある。感覚を澄ませてその場所を探る。
感じる反応は二つ。一つは先ほどよりやや強い光になったこれは宝珠だろうか、少し南東に感じる光は捕まえた。けれど北にある光はまだ弱くて、それをうまく捕まえることが出来ない。
これを捕まえられれば場所がはっきりと分かるのに。場所さえ分かればどんな場所でも返してもらいに行く。
「……アッシュ、」
肩を叩かれて譜と顔を上げればジェイドと目があう。
「後一時間もしないうちにアルビオールは到着します。合流ポイントは街の北の草原です。行きますよ」
促されるまま、アッシュはジェイドの後ろについた。そこでようやくジェイドに連れられていることに気がついた。
「お前も行くんだな、指示はいいのか」
当然のようにアッシュの先に行くジェイドは少しだけアッシュを振り返るとアッシュを見て小さく笑った。「不満ですか? まあ、こうなったことに責任もありますし。
……それ以上に気になることがありますので」
ジェイドが楽しそうに笑っているときほどろくなことがない。それをさすがにアッシュも知っていた。
「貴方がこれほどローレライの剣に対して真剣になっている姿を見れるとは思わなかったもので。どうやっても手元に戻ってくるから仕方なく使っている、だけですか?」
「一年も持っていれば愛着もわくだろ。それに、あれは俺のだ」「そうですか、私はてっきり貴方が時折誰かと二人で歩いている、ということに関係しているのだと思っていました」 足を止めてはいけないと思いながらもアッシュはその足を止めてしまった。それはただジェイドの言葉を肯定しているに等しいと知っていたのに。
「あれは、ただの剣だ」
それが答えだったが、多分ジェイドには分からないだろうと思った。
「ただの剣なんだ」
繰り返しても真実はそれだけだった。
ジェイドはどう思ったのだろうか、ただ真実を語ろうとしないアッシュを咎める様子もなく足を止めたアッシュを見ただけでそのまま目的地へと足を進め始めた。 落ちるかの勢いで降りてきたアルビオールから顔を出した人物にアッシュは少しだけ驚いて思わず二度見した。
「アッシュさん、すごいでしょ最短時間記録しましたよ!」
「ギンジ?」
駆け下りてきそうな勢いのギンジをコックピットにとどめてアッシュとジェイドは足早にアルビオール内へ乗り込んだ。乗り込んだのはアッシュとジェイドを含めて数人。もともとグランコクマに向かっていたジェイドの研究班はジェイドの部下で警備していたし、マルクト国内なのでわざわざ人を連れて行かなくとも現地調達したほうが早い。それに計画的にローレライの剣を盗んだのだ、大人数を捜索に当たらせたところでたいした成果は出ないと踏んで少数精鋭で探索に当たることにしたらしい。剣のありかが分かるアッシュが向かうということもその大きな一因だ。
後はどれだけ早く手を打てるかだが、それに関しては通常なら一時間強かかるシェリダンからの距離を一刻たたないうちに飛んできたギンジ、もといアルビオールがあれば格段に効率が上がる、はずだ。
「お久しぶりです……って言う前に行きますからね!」
アッシュたちが乗ったのを確認するがはやい離陸しようとするギンジに少しだけ不安を感じる。
「何でお前が来てるんだ」「何でって、研究所にいるアッシュさんと話しましたよね?」 そうだったか、あまり記憶がなかった。ギンジもさして気にしていない様子で操縦桿を握ったまま前を見据えている。なんだかんだ言いつつもギンジは空を飛ぶことが使命と思っている節があり、あの時だってアッシュの無茶にいくらでも答えてくれたのはこいつだ。ある種アッシュは安心して乗ることが出来た。
「そこにおいてありますから確認してくださいね」
そういわれてアッシュが何気なく見た席は、あの時はいつもアッシュが座っていた操縦席の左斜め後ろの席だった。そこには小さなトランクのようなものが置いてあり、先ほど研究所でみたものに似ていると思った。多分、これが。
「……ギンジ、隠してないで出せ」
「あ、やっぱりばれましたよジェイドさん」
「何で分かるのかやはり変態的ですね」
そういいながらジェイドは席に置かれたトランクを開ければそこからは見慣れた赤い宝珠が出てきた。
「オイラは見ても違いなんて分かりませんよ」
「一応宝珠に似せたレプリカで第七音素の濃度も同じにしてあったのですが、機械で計測すれば同じ値が出る物を作るのは大変だったのですよ」
そんなものを作るために準備してたのかとアッシュはジェイドのしたい研究に疑問を持たざるを得なかった。 もしかしたら偽物を返されるとか、多分それを考えた奴はいるだろう。だから研究者というのは信用ならないのだと胡乱な目を向ける。
「アッシュさん、そんな怖い目しなくても」
笑いながら渡されたそれはレプリカの厳重さとは逆に布にも包まれずそのまま手渡されたものだからアッシュに疑惑は増すばかりだった。
「きれいですよね。前にアッシュさんが探してたのがそれって聞いて、興味あったんですよ。この色、初めはアッシュさんの色だと思ったんですけどそうやって持ってるとやっぱりルークさんの色だなって思います。ルークさんが持ってたからですか……ね?」
「無駄なことを言ってないでさっさと行くぞ」
奪い取るように本物の宝珠を手に取るとアッシュはそれをしっかりと手に包み込んで、レプリカの入ったトランクをジェイドに放り投げてその席にどかりと座った。
大人気ないとの声は後ろから聞こえるが無視だ。
乗り込んだ全員がきちんと席に着いたのを確認してアルビオールは急いでいるとは思えない滑らかな動きで空へと滑り出した。
とりあえずはもともと剣が向かうはずだったグランコクマへと舵を向けてアッシュが適宜進行方向を変えていくということで行く先も確定しないまま進み始めた。 アッシュは手の中の宝珠を転がしてじっと見つめた。
赤い丸い玉はしっとりとアッシュの手の中に納まった。ほのかに温かい気がするのはギンジが持っていたせいか、もしくはその色が温かみを感じさせるだけなのか。柔らかい赤い色はそういわれれば自分のきつい赤よりルークのそれに近い気がする。そう思えばこの宝珠がルークに見えてくるのだからおかしなものだ。両手でそっと包み込めば少しだけその赤みが増した気がした。
「どこに剣があるか分かりますか?」
「……ちょっと待て」
声をかけられてアッシュは剣の居所を探していなかったことに気がついてそれを気付かれないようにそっと目を閉じた。感覚を澄まして世界を目ではない視線でぐるりと見回せば北のほうに何かがあるということは分かった。その感覚がいつもより頼りなくてアッシュは手の中の宝珠を知らず握り締めた。剣は、ルークはどこにいるのか。
「……?」
その時、手の中が一瞬熱くなった気がしてアッシュは目を開けて手の中の宝珠を見下ろした。さっきと変わらず赤くきらめいているその宝珠には何の変化もないように見えた。けれどもアッシュの心臓がどくりとその音がやけに大きく聞こえた。
もう一度目を閉じて、手の中の宝珠に意識を向ける。 ルークはどこに、もう一度そう問いかけたアッシュに反応するようにまた手の中の宝珠が熱を帯びた。
アッシュの声は届いている。剣と宝珠に分かれた今も呼びかければその声はルークに届いているのだと、それだけのことにアッシュの心は安堵で満たされた。
それと同時に気がつく。今まで呼んでもないのに剣は必ずアッシュの元に戻ってきたのは、呼んでいないわけではなかったのだと。声でなくては届かないなんてルークの都合のいい嘘だ。剣となったルークが音なんかに縛られるわけはないのだ。
手の中の宝珠から剣に向かうか細い糸のようなものが見える。もともと剣と宝珠は一対でその二つは必ず惹かれあう。なのにあの時どうやっても宝珠を見つけることが出来なかったのはそのか細い糸とは別にアッシュとルークを繋ぐ糸も確かにあの時存在していたからだ。それが別のものだとは思わなくてアッシュは宝珠を見つけられないでいた。今は逆だ。ルークに向かうものも剣に向かうものも同じでいいのだ。その糸さえたどれればアッシュは必ずルークにたどり着く。
「ルーク」
小さく呟いたのは無意識だった。宝珠からルークの反応があったそれで気が抜けたのかもしれなかった。しまったと思ったときにはすでに遅く、目の前にルークが現れてしまうと身構えた一瞬後、そこには何も起こらなかった。 そうだ、ルークも言っていた。剣と宝珠が離れているとうまく体を作ることが出来ないと。少しだけほっとして、けれど何か物いいたげな視線を感じてアッシュは顔を上げた。
「何だ」
「いえ、貴方が何か意味深なことを呟いた気がしたので」
「……今ギンジが言ってたのを思い出したんだ。こんな色だったかと」
「それは、この緊急時に優雅なことで」
なにかちくちくと刺さる台詞だが、気にしていてはこれ以上ぼろを出しそうだし、いやすでに疑われていそうだがアッシュが口を閉ざしていさえすればいい。最近あいつを呼び出すには名前を呼ばなければいけないから名前のハードルが下がっている、少し危険だなと思った。アッシュはそれを軽く流してギンジの横に行き空のどこかを指差した。
「ギンジ、あっちだ」
「はい。でも久しぶりですねアッシュさんのあっちは」
そういいながらもアッシュの指差すとおりに何も疑いもなしに舵を切っていく。
「前もこうやっていつもルークさんのところに……あ、いえ、ちゃんとしてますって!」
いつもいらないことを言うギンジがほかで何を言っているか少し気になったが、あることないこと尾ひれ背びれをつけて話していそうだとは思う。
それも本人に悪気なく。
そう、悪気がないからこそ困ることもあったのだけれども。 いつもは二人だけだったアルビオールの機内にアッシュ以外の人間が同乗していることに少しの居心地の悪さを感じていたが、それほど長い時間でもないし、アッシュは剣の位置を探りつつギンジに進路の変更を指示しなければいけなかったのでそれほど気になる暇もなかった。
二時間ほどアルビオールを飛ばしただろうか、アッシュは剣の居所がだんだんと近くなるのを感じていた。
宝珠を手にしていることもあるのだろうはっきりとは見えない光なのに方向だけは間違いなくわかる。
細かい針路変更を繰り返して、この向こうにあるのはケテルブルグの街だ。
けれど多分そこには剣はないとアッシュは思っていた。なんとなくこの先に何があるのかが分かったのはアッシュだけではなかった。
「……そうですね。そのつもりならここ、ですね」
アッシュにはどこにいるか分かるだけだったのだが、後ろの席でそう呟くジェイドはその理由に心当たりがあるようだった。
「剣を持った彼らが向かったのはこの先、アブソーブゲートです」
ジェイドは言葉を選ぶようにゆっくりと説明をし始める。「今回のローレライの剣の調査と実験に関しては実は初期段階のものでした。調査した結果によって次の実験が出来るか出来ないかを決める予定ではじめたものです。私自身はローレライの剣で何かできるとはほとんど考えていませんでしたのでこの初期段階の結果で計画は終了するものと考えていました。実際のデータを目の前に突き出してやらないと理解していただけない方たちもおられますので。その予定していた最終段階が、ローレライの剣を使った音素生産計画でした」 ジェイドの言うことには、ローレライの剣をある音機関に繋いで剣が集めた音素を一定割合で常に放出できるようになれば、プラネットストームまでは行かないがそれに近い生産方法で音素を確保できるようになるのではないかという試案がなされる予定だった。
その場所として上げられていたのが世界の中で一番音素の濃い場所であるアブソーブゲートの奥深く、地殻にもっとも近い場所であったのだ。
同じことを音機関でまかなおうとするならば今の技術も何もかもが足りない。もし出来たとしても町ひとつ分くらいの音機関が必要でそれを動かす音素はやはりもうこの世界には足りなかった。
つまりは、音素を増やして世界の危機を乗り越えようとするにはローレライの剣が必要だったのだ。
「その音機関自体は完成していたのか?」「私は感知していませんが、できるんじゃないですかね。ただ近くにある音素をまとめて放出する位のものならば。剣が音素を引き寄せるのを剣に届く前にその音機関がまとめてはなれたところまで放出すればいい。構造的には単純ですよ」 どのくらいが簡単でそうでないのかは良く分からなかったが、ジェイドが言うのなら似たようなものはいくらでも作れるということか。
そもそも何かの試算がなければ強行突破で剣を奪って行こうなどということは考えないだろう。
売ってお金になど考えるものはそもそもジェイドが連れてこないだろうし、何度手放してもアッシュの元に帰ってくるということは周知済みだ。とすれば残るのは純粋に自分の意見が正しいと思っている研究員の誰かでしかなく、そういう確信犯的なものがアッシュには一番扱いづらくて困るのだということを知っていた。
向かう先は決まった、あとは乗り込んでいくだけだ。
ひとまずケテルブルグに降り立ちジェイドの部下数人が軍の駐屯地へと駆けていった。他の部隊と連絡を取るためと増援を頼むためだ。もともとのグランコクマへ向かっていた一部もケテルブルグへと向かっていたらしいのだがいかんせん船はアルビオールの早さには敵わない。剣を持っている一団も船で昨日ベルケンドを出たならばまだこちらについたばかりのはずだった。計算上はほぼ追いついた形になる。 けれどその姿はまだ見えず、アッシュもローレライの剣が近いところにあることは分かるものの、手が届く場所にあるとはいえなかった。
準備もそこそこにケテルブルグを出たアッシュたちは真っ直ぐにアブソーブゲートへと向かう。後ろでは本当にここにあるのかと不安を隠さないものもついてきてはいたが、やけに自信ありげなアッシュとそれに当然のごとくついていくジェイドの姿に何も言うものはない。
アッシュは宝珠を握り締めて心の中でルークの名を呼べば剣が近いことがはっきりと見て取れた。もうすぐだ、と思ったその時。
(―――)
小さな雑音が聞こえた、気がしてアッシュは思わず足を止めた。
「どうかしましたか?」
「いや、何か聞こえたような」
耳を澄ましても特に不審な音は聞こえない。何かの気のせいかと歩き出したとき、アッシュには確かに聞こえる音が聞こえたのだ。
(……アッシュ?)
その音は小さかったが、確かにアッシュの耳に届く。それはアッシュの知っている音だった。思わず声を出しかけて寸でのところでとどめる。 それは確かにルークの声だった。だが宝珠と剣と分かれたままなのにどうして声が聞こえるのか。これは幻聴なのか。(違うよ、アッシュが宝珠に触れてくれてるから俺と直接繋がってるんだ。だって、俺は宝珠の中にいるんだから)
その言葉に思わず宝珠を取り落としそうになって、後ろを歩くジェイドに不審な顔をされた。とりあえず繕っては見たがアッシュの内心の動揺は隠し切れない。どうして、声にしないと伝わらないはずの自分の言葉がルークに伝わっている? そしてルークは宝珠の中にいる? 分からないことが積み重なってこんな場所でもなければ大声で問い詰めたいところだ。
(わかんないけどさっきまでアッシュの側にいるのは分かったんだけど、うまく伝わらなかったんだけど何だろ?)
それもそうだ。アッシュが宝珠を手にしたのはアルビオールに乗ってから。触れていれば、というルークの言葉を信じるならばどうしてその時に繋がらなかったのか。宝珠は剣から音素を受け取っている、音素が遮断されていたとしたら宝珠の活動は弱まるのではないか。
「アッシュ、何か異常でも?」
足は止めていなかったが、気が逸れているのを見ぬかれたのかジェイドが不審そうな目を向けてきた。ルークのことは言えない、けれどルークとつながったことに何か意味があるのかもしれないとアッシュは考えて、その時気がついた。 視界がはれたように今まで探していた剣が今までよりもはっきりとその存在が分かる。
「どうやら剣が音素を遮断していた箱から出たようだ。まだ何か障害があるみたいだが今までよりはっきり分かる」
「それでは急がなければいけませんね」
多分実験を始めようとしているのだろう。アッシュが剣のありかを示したとおり、その先には見張りに立たされているのだろう数人の男が行く手を阻んでいたが、軍人でもないそんな者達がアッシュとジェイドに敵うわけもなく、襲ってくる気配すらない。
「もともと完全にばれずに剣を手に入れれるなんて思ってないでしょう。調べればそれが偽物であるとすぐに分かります。見ないでも分かるのは多分アッシュ、貴方だけでしょうがそれを理解してなかったのが彼らの誤算ですね」
アッシュもそう思ったので頷いた。ただ彼ら研究者は自分の理論を確立させたいだけだ。ジェイドが乗り気でないのを知っていて、この機会しか剣を手に入れることができないと思ったのか。それとも本気で科学的な見地で剣を我が物にしたいと思ったのか。どちらにしてもアッシュにとっては同じだ。アッシュから剣を、ルークを奪った。
それは許しがたいことだ。
(アッシュ、俺何が起こってるかよくわかんないんだけど
……) 手の中の宝珠から不満の声が上がる。自分の身に何が起こったのかちゃんと起きて聞いていてくれればなんでもなかったのに。
(そう言っても、俺外の音が聞こえるのも宝珠だけだし、剣ってただの体だし! なあ、俺の体どっかいったってこと?) 頭のなかで喚かれればアッシュも説明するのが面倒になって、黙れと念じれば静かになった。
少しだけ息を整えて、手の中の宝珠をそっと撫でた。前、ルークとフォンスロットで繋がっていた頃何度か同じ状況になったことがある。口で説明するのは時間もかかるし面倒くさいアッシュはルークの中を覗き見るその逆の発想で自分の中を直接見せることをしていた。もちろん見せる情報はアッシュ側が用意したものだけ。手間といえば手間だが一から話すよりは早いし面倒がない。今それが出来るか確証はなかったが、多分似たようなものだ問題はないだろうとルークに対して情報の扉を開いた。
(……アッシュって便利だよな)
それはお前もだろうと思ったが言わなかった。いや、思っていたから伝わっているかもしれない。
(それに、俺のことそんなに大事に思ってくれてたなんて、すげぇうれし……いや、本気で俺感動してるのに!)
思わず以前のようにフォンスロット越しに圧力をかけようとして、そういえばこいつはただの宝珠だったなと思い出す。 けれど少しは効いたのか? と思うのはその反応からだ。どういう理屈で繋がっているか分からないが、音素がどこかで繋がっているからだろう、ということはこいつはいつもは剣から集めた音素で活動している。そうなれば今活動している栄養源は。
(アッシュ? なんか嫌なこと考えてない?
そうだよ、お前から音素補給してんだから離さないでくれよな。だって仕方ないじゃん、剣がなきゃ俺動けるだけの音素手に入らないし、お前のちょっとくらいもらったって、あ、音素遮断しないでって!)
喚くルークに鬱陶しいと思いながらも、確かなルークとしての反応に見えないけれどもルークはここにいるんだとアッシュは安堵していた。もし奪われたのが宝珠だったら、ただの物言わぬ剣だけ持ってアッシュは冷静でいられたかと思うとぞっとする。
(ローレライの剣がなんかその音素を遮断する箱? に入ってなければ多分俺が呼び寄せることが出来ると思うんだけど、……やっぱりなんかうまく繋がらない。ん? 確かに繋がってるのは分かるよ。でもほら魚釣りでも大きい魚釣るときに切れちゃうような糸じゃ釣れないじゃん。そんな感じ?) アッシュが剣を呼べなかったのもそれが理由だとルークは言う。別に釣りをしてんじゃねぇぞと思ったが、どちらかといえば糸を手繰って魚のほうから飛び込んでいく感じ? といわれれば少しだけ納得してしまう。
確かにそんな感じはする。
そもそも呼び出すことが出来ればこんなところまで来る必要すらなかったのだ。ここまできたら後は奪い取ればいいが、またこんなことがあるかもしれないと思うと面倒くささでうんざりする。仕方がない、伝説のローレライの剣なのだから。(だから分けないでって言ったのに。分かれてさえなかったらあんな箱なんか俺にとって関係ないのに。あとは、俺が外にひとの体を作って出てるときは剣だけどこかに行っても取り戻せるかな。俺は剣から音素をもらってるからいったん繋がったものはそんなに簡単に切れないから)
どれも今のこの状態では役に立たない情報ばかりで困る。もっと有用な情報はないのかと聞いてもこいつには無駄だろうとアッシュは物理的に剣を奪い返すべく足を進めた。
(無駄って言うなよ、ほらこの向こうだって)
「この奥がパッセージリングのあった場所ですが、アッシュここで間違いないですか?」
「間違いない」
頭の中でルークが満足そうに頷いているが、そのくらいはアッシュだって分かっていた。役に立たないルークを懐にしまって、アッシュは腰の剣に触れようとしてふと手を止めた。それがいつもと違う感触なのに気がついたからで、アッシュは少しだけ眉をしかめた。
「……思ったより値が出ないな」
「もう少し出力を……いや……」
そこには以前あったパッセージリングが起動しないままそのまま存在していて、けれどその周りに見慣れぬ装置がいくつか置かれていた。そのうちのいくつかは、少し前に訪れたときにすでにあったもので、マルクトが独自にセフィロトの管理をするためにおいていあるものだ。
「はいはい、そこまでですよ」
軽い言葉と共にジェイドがまずその場に押し入る。その言葉に何か作業をしていたらしい研究員数人がはっと顔を上げた。人数は五人。そのどれも昨日までベルケンドで熱心に剣のデータを取っていた人物の顔と合致する。
「カーティス大佐、もっとゆっくり来て頂ければ正確なデータをご覧に入れれましたのに」
その中の一人が一歩前に踏み出して、悪びれもせずジェイドを見てそして後ろから続いたアッシュを見た。
「そんなことを許可した覚えはありません。貴方が正当な手順を踏んでくれればこの後もローレライの剣にふれる機会が訪れたかもしれませんでしたのに貴方が自分でその可能性を摘んでしまうとは、残念なことですよ」「機会とは自分で作るものですよ、大佐。私の理論は世界を救うのです。それを理解していただけたから私の参加を認めてくださったのだと思ったのに、私こそ残念です」
ジェイドと話す男の後ろで後の四人はいまだ何かを操作しながらちらりとアッシュたちを窺っている。誰も武装をしている様子はない。けれど信念に固まっている彼らに対して剣の脅しは効かないだろうとアッシュは思っていた。
ジェイドが口だけで手を出していないところを見るとまだ使い道はあるのだろう、それもそうだ、使えない奴をジェイドがわざわざ調査団として連れてこないだろうから。
アッシュ一人で五人をのすことは簡単だった。けれどそれよりも先にアッシュが確認したいローレライの剣がそこには見えなくて、アッシュはどう動こうか少しだけ思案していた。後ろに控えているジェイドの部下達がいつ突入しようか様子を見ている。
ここがパッセージリング跡地でなければ囲んで捕まえることが出来るだろうに、彼らの後ろは落ちれば地殻に真逆様。追い詰めたといえば追い詰めているのだろう、逃げ場はない分後は入り口を固めさえすればいい。だから動かずに入り口で待機しているのが得策だと動いていないのだ。
(アッシュ、多分あの箱の中じゃね?)
箱というには少し大きめの子供くらいなら入ってしまいそうな機材が置いてあって、それを囲むように研究員がいる。 その中なのは分かっている。けれどどういう意図でどうやって剣が置かれているのか、もし無理やり取り出したら壊れてしまうものだとしたら、アッシュが危惧しているのはそちらだ。
「剣を返せ」
おとなしく返すならばあとの処分はジェイドに任せてアッシュはもう何もしないつもりだった。ただ、もう二度と研究の為にローレライの剣を貸すことはないそれだけだ。この剣は自分のもので、他の誰にも利用させはしない。
(……アッシュ、なんか、へんだ)
ルークの声が少しだけ震えている。何が起こったのかわからないままアッシュは懐の宝珠に触れた。
(剣に、何か力が加えられてる。俺に向かうはずの力が違う
……)
その今にもなきそうに聞こえる声に、アッシュは目の前の機材とジェイドとを交互に見つめて、確信した。
「宝珠と剣と音素の流れが変わった」
「あの装置が動いている、みたいですね」
ジェイドも譜術士だ、ある程度の音素の動きは感じることが出来る。
「その装置を止めて、投降なさい。貴方達のやっていることは無意味です」
「意味があるかどうかは今から分かりますよ」 どこまでも自分のペースを崩さない目の前の男にアッシュは剣の柄に手を当てて一歩前に出た。これで少しでも怯めばそこからこいつらを切り崩していくつもりだった。
「貴方の剣、ですか。動けばここから地殻にいつでも落とすことが出来ますので、どうぞ。ああ貴方はいつでも剣を呼び戻すことが出来るそうですが、今それをしていない、ということは……」
アッシュはぐっと唇をかんだ。彼らの言うとおりだ、それが出来ればこんなところまできていない。アッシュはどんなことが起ころうと悠々とその手に剣を取り戻す自信があったからこそ簡単に剣を預けたのだ。
こんなことに。どうすれば剣を取り戻せるのかアッシュは考えていた。
「とりあえずサンダーブレードでは剣は壊れないですよね?」 ジェイドが小さく呟く言葉にアッシュはぎょっとした。
(……壊れないと思うけど、痛そうだな……やだな、俺)
しかし、機材が壊れたからといって奴らが壊れたまま剣をそこから落とさないとは限らないし、衝撃で落ちそうなくらいもともとその機材はぎりぎりに設置してあった。そう、もともと地殻に落とす予定のような。
「……やめとけ、どっちにしても地殻に落とす気だろ」
「ですよね、そうでなければここでなくてもっと上のほうでも十分音素は濃いですから」 ジェイドも分かっていていっていたようだ。そうでなければ多分、言う前に譜術を放っているだろう、そういう奴だ。地殻に落ちてしまえば呼べない剣を取りに行くことはまず不可能だ。
ローレライの剣は、ルークは永遠にアッシュの手元からすり抜けてしまう。それだけは避けたかった。
ならば、どうすればいい。
アッシュは方法を考えあぐねていた。
「貴方の企画書は目を通しました。ローレライの剣と宝珠は双方で繋がっていて、剣の集めた音素が宝珠を通して使用されるという作用を利用して、セフィロトを間に挟んで地殻の中にその音素を通すことによって余剰の音素を地殻から取り出せるか、ということでしたね」
「それに変わる音機関が出来ればと思ったのですが、大佐、貴方がそれを不可能だといった。そうなれば本物を使うしかないでしょう? 私の最終計画は企画書には書いていません。でも貴方ならお分かりになるでしょう」
「このオールドラントの中で一番音素がある場所は地殻の中。そこに音素を集める剣を配置して、音素の放出先であるラジエイトゲートにそれを受ける宝珠を配置する。それによりラジエイトゲートから自然に放出される量よりはるかに多くのの音素が地上に放出される。そうですね」 そうだと目の前の男は頷く。「足りないなら増やせばいい。いま音機関が使えなくなれば文明は確実に退化する。今あるものを有効に利用できるなら利用しない手はないでしょう?」
もし、剣にルークがいると知らなかったら、アッシュはそれでもいいかと思ったかもしれない。どうせほかに使うこともないローレライの剣だ、有効利用できるならすればいい。
けれど。
(……それは、世界の役に立つことなんだよな)
頭に響く言葉にアッシュはぎょっとした。いまこいつは何をいった?
(アッシュ、それで世界が少しでも救われるなら、俺は……) それでいいというのか、何をもっていいと結論付けたのか。前と同じだ、ルークのそんな言動にはいつだって苛々していた。こいつは、たった一人のルークなのに。誰かのためだとあきらめて、自分はただの道具だからと自分に言い聞かせて、そうしたのは誰だ、ルークだけでない、ほかでもない自分だ。そんなことの為にルークに帰ってきて欲しいと願ったわけではないのに。
「どいつも、馬鹿なことばっかり言ってんじゃねぇよ」
思わず口にした言葉は撤回できなかったが、別に構わないと思った。言いたいのはルークにだけではなかったからだ。
(アッシュ……)
「剣の所有者は俺だ。俺に断りもなくそんなことは許さない。 それに、こいつを犠牲にしてどれだけの物が得られる? どうせ大したことないんだろうが」
アッシュは体の中から何かが湧き出すようなそんな感覚に身を任せる。周囲の音素がアッシュに従うのが分かった。
ここはセフィロトだ、足元には有り余るほどの音素がある。ローレライの力を継ぐといわれたアッシュのこの身で、手の届くところにある第七音素を従えることなどたやすいことだった。どこかで機械音がなって、赤い針があり得ない数値をはじき出しているのが見えた。第七音素が記憶粒子と共に光って可視化する。
「そんな剣より、俺の方が調べるに値するんじゃねぇのか?」 五人の研究者の目がアッシュと計測器とを往復して、悔しげな顔をしているのが見える。
自分達がしたかったことを目の前のアッシュがたやすくやってのけるのだ、ただ人ではあり得ないその力はいつでも常識など蹴散らしてきた。そんなものはアッシュにとってはどうでもよかった。自分達は常識の枠の中でなんて生きていない。ただ願うのはルークが今でも側にいるということだけだ。また、世界なんかの為にルークを犠牲にするなんて、そんなこと絶対に許さなかった。
(アッシュ、別にそんなつもりはないんだ。でも俺が何かの役に立つなら、お前がそれでいいって思うならそのくらいなんでもないし) うるさいと心の中で一喝して、アッシュはむっと眉をひそめた。ルークがいつも言っている自分は剣だからとそういう台詞は聞きたくなかった。けれど、アッシュは思い出す。ルークは前からそういう部分があったこと。今までの言葉ももしかしたらただの虚飾で、剣だからと言う言葉で自分の存在意義を確認していただけかもしれない。ルークはいつだって自分の存在する意味を確認しながら生きていた。剣になって何が変わったのか、アッシュは思わなかったか、変わらないルークがいると。
だから、いればいい。ルークの思う所に、それがアッシュの隣だというなら、自分はルークを手放さなければいいだけ。
「だから、剣を返せ」
「……それでも、貴方はいつかいなくなる、けれど剣はいつまでもこの世界にあるでしょう?」
そういうが早いか彼は後ろにある剣の入った箱を軽く押した。それほどの力をいれたようには見えなかったがその小さくもない箱は簡単に傾ぎ、床のないそこに倒れこむ。
「長い目で見ればこの方法が一番いいと思いませんか? 幸い昨日までの計測結果で宝珠は特にラジエイトゲートになくとも地上にあれば地殻のセフィロトから音素は放出されます。そちらは持っていてもらって構わないの……」
そんな台詞などどんな正論を言っていようとアッシュには何も聞く気はなかった。 その距離はたかが五歩、一瞬でそんな間を詰めて手加減など無しに殴り飛ばした。柵があろうがなかろうが構ったことではない、もしこいつが落ちたところでアッシュは何も気にすることなどないのだから。
落ちていくそれをアッシュは目の前の邪魔なものを殴り飛ばしながら見ていた。落ちていくその中に剣がある、のだ。落ちてしまえば二度と目の前にルークは現れない。アッシュの後ろで誰かの声がした。目の横を幾人かが通り過ぎてすくんでいる何かを捕まえて。多分ジェイドの仕事は終わったのだろう、けれど。
現れないのだ。
そう思うと目の前が真っ暗になる。
「ルーク?」
呼んでも来るわけがなかった。だって、自分が剣と宝珠を分けてしまったのだから。
出てくれば、その剣を引き寄せて、そしてこの手の中に。
(アッシュ、だめだ俺を呼んじゃ!)
ルークの声が聞こえる。声はそこに確かにいる、けれどそれでは彼はルーク足り得ない。
「ルーク!」
アッシュは人目も構わず思わず叫んだ。あれは剣でありルークである、生きてはいないけれども確かにそこに存在するルークそのもので。(剣がなければうまく体が作れないから) うまく作れない、それはどうしてだ。
剣の役割は音素を集めること、それを放出するという宝珠の役割はつまり音素を使うということだ。集めればいい? 集めるだけならばアッシュにも出来るではないか。自分が剣の代わりになればいい。
さっき集めた第七音素と今から集めるもの全てを宝珠に向かって注ぎ込んだ。第七音素が足りればアッシュよりも強く結びついている剣と宝珠は引きあう。ルークもさっき言ったではないか、体が作れれば剣を呼び寄せることは出来る、と。 ふわりと目の前が光って音素が急激に収束した。そこに現れるのは。
「お前、アッシュ! そんなことしたらお前……」
アッシュはルークの文句の出る前にそのままルークを引き寄せて力いっぱいに抱きしめた。腕の中にルークがいる。確かなぬくもりを持って存在しているのだ。
「剣は、落ちていったが」
「だめだって言ったのに。今もずっとお前の第七音素が減ってるのに。こんなことしたってそんなに長く持たない、むしろお前が負担になるだけなのに」
「それでも、お前は出来るといっただろう?」
だったら自分もその位は出来るとアッシュは信じて疑わなかった。「あの機材の中にある限り、俺でもそう簡単には剣を取り戻せない、けどお前が手伝ってくれるなら、俺はやるよ」
触れるルークのぬくもりから、ルークの考えていることがそのまま伝わってくる。ずっとルークは剣とのつながりを求めて呼びかけている。けれどはっきりと届かないその音に自分から近づいて、それを手にすればいい。
それには。
「お前がいやなら別にジェイドでも誰でも脅して地殻の中にいけるようなものを作らせるぞ」
「うん、俺は剣だから出来るよ。あんまり深いところまで落ちちゃうと届かないし、お前が持たないだろ?」
剣だからとルークは言う。けれどこの言葉は自虐ではない。人ではないから、沈んだ剣の位置が分かるから、落ちた剣を追うことができるのはルークしかいないからだ。
それに。
「お前がこの宝珠を持っていてくれさえすれば、俺の力が足りなくなっても少なくともここには戻ってくるから、アッシュは俺との第七音素が途切れないようにしてくれれば、大丈夫だろ?」
「ああ、いってこい。そして帰って来い」
アッシュはそっとルークから身を離すとその顔を覗き込んで、変わらないルークの顔の位置が思ったよりも低いことにルークの存在自体を逆に強く感じた。 ルークはルークの体として生きることは出来なかった。けれど、その存在はただ肉体を失っただけ、変わらないルークの姿は確かにあのときのままのルークがこの世界にもう一度生まれ変わった印なのだ。
なにも変わっていない。ルークは、ルークだ。
少しだけ見上げてくるルークと目が合って、アッシュはごく自然にその額に口付けた。ルークが小さく声を上げて、けれど何も言わずにアッシュをゆっくり通して体を離す。
「行って来ます」
そう言って、けれどちらりとアッシュの後ろを見やってやばいという顔をしながら戸惑うことなく剣の落ちたその場所から飛び降りた。
ルークとのつながりが消えないようにしっかりと宝珠を握り締めて、アッシュは大きく息を吐いた。気を抜いてはいけないが、絶望からの少しの光が見えた、それだけでアッシュの心は少しだけ軽くなる。いつルークが剣を捕まえられるかは分からなかった、けれどまだ落ちてからそう時間は経っていなかった。それほどの時間はかかる気はしなかったが一時間かそれとも一週間か、どれだけでも待とうと思った。目を閉じればルークの気配を感じる。それだけでよかった。
少しずつ遠ざかっていくルークの気配にゆっくり目を開けると、アッシュは目の前に見えたものにまた目を閉じたくなった。
なぜならば。
「ご説明、いただけますよね?」
たくさんの人がいたはずのその空間には、もうすでに人の姿はなかったのだ。
にこやかに笑うジェイド以外は。
「結局俺が帰ってくるまでにどのくらいかかったんだっけ、地殻久しぶりに行ったけどあれだ、時間の感覚狂うよな」 アッシュは地殻になどいったことがないのだから同意を求められても困る。
「そうですね、アッシュから貴方のことをじっくりと聞きだせる位の時間はありましたから……丸一日くらいですね」「えっ! 丸一日ジェイドに尋問とか、アッシュよく生きてたな」
「生きてねぇよ……」
あの後、ジェイドはルークの命綱でもある宝珠を握っていいるアッシュをだからといって手加減してくれることはなかった。それはアッシュがどんなことがあろうともルークへ音素を送る作業を手を抜いたりしないということがわかってたことと、ただの嫌がらせである。アッシュも分かっていたから甘んじて受けた。 ルークがさらりとそれを尋問とかいったのもどうなのか、分かっているならもっと労わって欲しかったが、今回一番がんばってくれたのはルークなので言えない。
ジェイドは突然と現れたルークを見てどう思ったのか、驚きましたとしか言わなかったが、やはり相当に嬉しかったのだろう、あれから一週間ほどたつのにまだルークについてきて回っていた。曰く、こんなに興味深い被検体がありますか、とのことだがどうだろうか。
当然のようにアッシュの隣に座るルークに話しかけ、隣にいるのにルークが隣にいる気がしない。だから嫌だったのだと心の中で思って、口にはしなかったのにジェイドにはまだネチネチと嫌がらせを続けられている。さっさと帰って仕事しろといいたい。だってまだローレライの剣の実験中ですからと悪びれない。そのもともとの予定ももう五日も過ぎているのにだっても何もない。現在もベルケンドに滞在中である。「さて、ルークからもいろいろ聞けましたし、面白いことになってるのはおいおい考えるとして、アッシュ、貴方はこれからどうするのですか」
「どうするも何も、今までどおりだ」
今回ルークのことがばれたのはたまたまで、アッシュはそれなりに今後の予定も立てていたし、それはルークが見つかってからも変わらなかった。ジェイドにとっては転機だっただろうが、アッシュにとってはそれは少し前の話だ。「ルークもそれでいいのですか? アッシュに無理をさせれば一週間くらい自由に動けることが実証されたのに」
「一週間はちょっと……」
「ジェイドさすがに言いすぎだって、セフィロトにいて第七音素がたくさんあって三日くらいだろ?」
三日もセフィロトに篭れと軽く言うルークはジェイドより酷かった。だがやはり、ルークの良く分からないが何故か過大評価されているそれを否定できないのは、ただの意地だ。
「お前はどこに行きたいんだ」
「いや、別にアッシュにセフィロトに篭れとか言う気もないし! 俺はアッシュの隣にいれたらそれでいいんだって」 ぶんぶんと首を振って否定しようとするその頭をはたこうと思って伸ばした手を少し考えてルークの頭をぐしゃりと混ぜてそのままジェイドから奪うようにぐっと自分の方へ抱き寄せた。
「お前が行きたいと言うなら、どこにでも連れて行ってやる」 ルークは一瞬目を丸くした後、ぎゅっとそのままアッシュに抱きついた。
避ける気などまるでしなくてアッシュは当然のようにそれを受け止める。
「もうお前を置いていったりしないから」
あんなことがもう起こらないように。けれどルークはその前に散々おいていったことを思い出したらしい。「俺も一個付け加えとく、宝珠だけは少なくとも持っててくれたら、それでいいよ」
「よくねぇだろうが」
それは本当に本当に最低限で、できればルークはその体を持って隣にいて欲しい、そうでないと声だけではその存在が足りないのだ。
多分ジェイドが言うようにこれから考えなければいけないこともあるのだろう。剣のことだってルークの存在だって、それだけでなくアッシュの存在すらもそれを利用しようとするものも排除しようとするものも多分たくさんある。
けれど、この世界に戻って来たルークは彼ただ一人、それは聖なる焔の光などという曖昧なものではなくてルークとアッシュは個別に存在して個別にこの世界に戻ってきた。そのれは間違いのない事実で。そこには仮定なんか存在しない。これからこの世界で生きていかなければいけない未来だけ存在しているのだ。
やっと、アッシュはルークと進んでいける、そんな気持ちが湧き上がってきたのだ。
「アッシュが何かいいこと言ってるような気がするんですが、ルーク。私からの預言です。多分しばらくどこにもいけないと思いますよ」
ジェイドが水を差すような不穏なことを呟いて、見れば薄く笑っている。何かろくでもないことをしでかした顔だ。 けれどルークは何故疑わないのか、聞かなくていいとアッシュが言う間もなく少し首をかしげてどういうことだと聞き返した。
「私は存分に楽しみましたし昨日やっと鳩を飛ばしたので」 鳩、という名前にルークが頭に疑問符を浮かべて、ああと気がついたように身を乗り出した。
「連絡取ったのか、ティアとか?」
「ええと、何羽でしたっけ。ああ二十羽ほど」
アッシュはそれを聞いて、聞かなければよかったと思う心ともう一つ早く逃げないとと頭の中で警鐘がなった。
「ルーク、逃げるぞ」
「え? 何で」
「俺を殺す気か」
三日経っても誰も来ないからジェイドはアッシュと同じくルークの状態を危惧して誰にも知らせていないと思っていた。そしてその前に多分アッシュに伺いを立てるだろうと、そんなしおらしいことをジェイドがするわけがないのだ。
ルークの存在を黙っていたこととか、ルークを外に出しっぱなしにしろとか多分アッシュには災難しかふってこないことが分かっていた。
一人ずつならまだしも二十人とかどこの誰が来るかアッシュも知らない奴がくるんじゃないかと、それならばいったんこれは逃避ではない退避だ。 その時扉がノックされてその向こうから「お客様が来られていますがどうしますか?」と悪魔の声が聞こえた。
「二十羽ほど用意しましたがさすがに手紙を書くのが面倒なので五羽くらいしか出してませんよ……って、聞いてないですね」
アッシュはすでにルークを剣の中にしまって、落ちないようにしっかりと鞘に固定した。ルークが剣であることの利点も確かにある。いつでもこうやって側にいる。きっとこうやってそのルークという存在はアッシュの中で違和感なく落ち着く日が来るのだろう。
アッシュはそのまま二階の窓から外へと飛び降りて、軟らかな土の上に着地するとそのまま駆け出した。
多分、アッシュは地上に再び降りたあの日、剣と一緒に地に足をつけたその瞬間からルークと共にいる未来はきっと決まっていたのだ。