雲と豊前が話すだけ目が覚めたら、俺は知らない場所にいた。ということもなく本丸にいた。
布団から出て襖を開けたら、すぐそこに豊前が縁側に脚を放り出して座っていた。
遠くの何かを見て笑っている。背後の俺の気配に気づいたのか、顔をこちらに向けた。
「よっ!起きたのか。まだ寝てなくて大丈夫か?」
「うん。大丈夫。何見てたの?」
「あれ」
俺も豊前の隣に座った。豊前はまた笑って、見ていた方向を指差した。
そこでは、桑名が雨さんを畑に引っ張っているところだった。雨さんの手には筆と色紙がにぎられている。また畑仕事を忘れて季語を追い求めていたのだろう。
その後ろでは篭手切が松井の手を引いて畑に連れて行ってるようだ。松井一体どうしてそんなことになっているのか。
遠くにいても声が聞こえてくるようで、俺は豊前と同じように笑った。
わいわいと騒ぎながらも、皆畑に向かっていく。畑でもまた騒ぎながら仕事をこなしていくのだろう。その様子を想像して、また笑ってしまった。想像しただけでも賑やかなのがわかるからだ。きっと雨さんがまた季語を見つけてふらっと出歩こうとするのを、今度は篭手切が止めるんだろうな。松井はきっと桑名と言い合いをしてる。土がどうこう野菜がどうこう言いながら、いつの間にか桑名の野菜談義が始まって、結局それを皆聞いてしまうんだよね。
「ふふッ…」
「どした~?いきなり笑って」
あまりにも容易く想像できてしまって笑いが堪えきれなかった。豊前は聞き逃すことはしてくれなかった。
「いや別に。何でもないよ」
こんな想像で笑ったなんて豊前には気づかれたくなかったので、何でもないふりをした。
豊前は相変わらず遠くの皆を見て笑っている。楽しそうだ。
「豊前はなんで笑ってるの?」
思ったら口から出ていた。豊前の笑い声が途切れて、こちらに赤い目が向く。
しまったと思った。同時にお腹がキリキリと音を立てたように痛みだした。
「ごめん!何でもない!何でもないから気にしないで!!」
「何謝ってんだよ、雲~。気にしすぎだって!」
豊前が俺の肩を優しく叩いた。この間お腹が痛いと寝ていたら篭手切が慰めてくれたように。掌がとても暖かい。
本当に何も気にしてないように笑うので、俺は小さくごめんとだけ言って豊前の隣で大人しくしていた。
豊前は何か考えているようで、少し唸っていた。
そうこうしているうちに畑仕事は終わったのか、水やりだけだったのかわからないが、皆が畑から帰ってきていた。楽しそうに笑っている。多分今度は篭手切のれっすんに付き合うのだろうな。だって、篭手切がわくわくした顔をしている。
雨さんと篭手切がこちらに気づいたのか手を振ってくれたので、俺たちも手を振り返した。どこかほっとしている二振りの顔を見て、俺たちも笑顔を返した。
「そうだなぁ~。俺はさぁ、あいつらが楽しそうに笑ってんのを見ると良かったって思えるだよな」
「え?」
豊前は皆を見たまま話し出した。
「あいつらがさ、笑ってっと安心?安心って言い方もなんか変だけどさ、ホッとするっていうか、なんというか」
まぁ、簡単に良かったって思えるんだよ。
そう言って満面の笑みを向けた。その笑顔は眩しすぎるなと思ったけれど、さっきの俺の問いに答えてくれたのかと思う。
「そっか…」
でも何て返せばいいかわからなくて、それしか言葉にできなかった。放り出した脚を自分に引き寄せて、小さく座りなおす。
そうだな。確かに雨さんが皆が笑っていると良かったと思う。それは俺も思うよ。
そう思いながら両膝に顔を埋めた。
「俺はさ、悪とか正義とか簡単に決めらんねぇけどさ、大事なヤツの大事なモンは守りてぇ。それで何も知らずに笑ってくれてたら、良いんだけどな。まぁそんな上手くいかねぇから、怒られるんだけどな!」
豊前の手が、今度は俺の頭に乗っかってきた。ぽすぽすと軽く叩く。
静かに頭を上げると、覗き込んでいる豊前と目が合った。俺は何も言えなかった。そうだと思う、そうだと思わない。どう答えたらいいかわからない。
「そう思ってっから、俺も雲、お前も、こんなボロボロになってんだろ~」
豊前は俺の頭をぐしゃぐしゃに撫で回しながら、声を上げて笑う。
ふと、俺と豊前の恰好を見る。寝巻で、頭や腕や足には包帯がぐるぐる巻き。頬には大きなガーゼに絆創膏。寝巻の裾から見えるのは打ち身に切り傷。
昨日うっかり中傷になった俺たちは、戦後に主によって手入れ部屋へぶち込まれたのだった。
いつもはそんな無茶はしない。なぜ昨日はあんなに白熱してしまったのか、沸騰した頭でやった行動はいまいち記憶に残ってくれない。
ただ、俺も豊前も相当に頭に来てしまって、いつもなら撤退するのに敵陣へ突っ込んでいってしまった。そして案の定この様だ。
敵は一掃できた。何かを守ることもできた。折れずに帰ってこれた。
「そう、だね……。そうかもしれない」
悪も正義も決められないけど、皆が笑ってくれていたらそれはそれで嬉しいと思う。ホッとするし良かったと思う。
今は、今のこの瞬間だけはそれでも良いのかなと思ってしまった。
それは目の前で豪快に笑う豊前がそうさせるのか、向こうで楽しそうにれっすんを始めた皆がそうさせるのかわからないけれど。
「今はそう思っておこうかな」
「それでいいんじゃねーの?」
「そうかな」
わいわいとれっすんに励む姿を眺めながら、俺たちはまた小さく笑った。