雨の日は美味しいものを食べるに限る情景が梅雨の庭になって早数日。
季節を大切にしたい審神者が決めたのだから別に問題はないが、薄暗く湿気の多い情景に少しばかり辟易とした空気が本丸中に漂っていた。
そんな空気を切り裂くかのように南泉の部屋の障子が勢いよく開かれた。
「令和へ行くぞ!南泉!」
「いきなりなんだ!にゃ!」
どんよりした空気を吹き飛ばすような意気揚々とした長義の声が響いた。その声に驚いた南泉は飛び上がった。
「飛び起きる様が本物の猫のようだよ……猫殺し君……。呪いとはいえ……斬ってあげようか?」
「いちいちうるせぇ、にゃ。それじゃぁお前が猫殺し切りになっちまうだろうが。それで?いきなり来てなんだにゃ?」
「流石に猫殺し切りになるのは遠慮しておこうかな。そんなことよりコレだよ!コレ!」
いつも通りの言葉の応酬もそこそこに、長義は端末の画面を南泉の顔面を突き出した。
「レモンケーキ、フラペ……?」
「そうだ!」
長義もやはりこの長雨にはうんざりしていたようで気分をサッパリさせたいようだった。
そんな時に目に入ったこの飲み物。以前平成の世に遠征に出かけた際にも立ち寄った店のものである。
だったら行くしかあるまい、と南泉の部屋へ奇襲をかけたのだった。
「いや普通に来いよ。にゃ」
「つい、驚かせてみたくなってね。ところで豊前江はいないのかな?いると思ったのだが」
「豊前もずっと俺の部屋にいるわけじゃねーにゃ!」
「それもそうか。いつもいるからつい」
「確か遠征任務でもうすぐ帰ってはずにゃ」
「では、待たせてもらうかな」
口元に手を置き、少し考えたあと、長義はその場に腰を落ち着けた。いやいや自分の部屋へ行けと言う南泉の声はそのままに、豊前を待つことに決めた。
と決めたそばから障子が勢いよく開かれた。
「なぁ!令和行かねぇか!」
開くと同時に言葉が飛んできた。思いもよらないタイミングに、南泉は再び驚き少しだけ肩を跳ね上げたのだった。
タイミングの良さと南泉の驚き具合に長義は口角を上げて笑っていた。
「お前も何なんだよ!ていうか当然のようにここに集まってんじゃねぇ!にゃ!」
「悪い悪い。つい、な!んなことより!これだよ、これ!」
ついさっきまったく同じ言葉を聞いたような気がするが、南泉は豊前の差し出した端末の画面を覗き込む。
「いやこれさっきお前も見せたヤツじゃねーか!?」
「待て。南泉。俺が見せたものと少し違う。味が違うぞ」
「あ、味?ストロベリー……あ、ホントだにゃ……」
豊前江の画面には、ピンク色と白色のマーブル模様が、長義の画面にはレモンのイラストとドリンクが映し出されていた。
豊前江と長義はもう行く気満々である。南泉もそんな二振りの様子を見て少しばかりそのドリンクが気になり始めたようだった。
「じゃぁ、行くか。にゃ!」
「おや、乗り気になったのかな?」
「サッパリしたい気分になったんだよ」
「よし!行こうぜ!!」
わいわいと話しながら三振りは令和へ行くため、洋服へ着替え始めた。
季節限定のドリンクを求めて三振りは令和の時代へ。
季節は梅雨。傘を差しつつ、向かう先は以前も訪れたコーヒーショップ。
どんよりした雨模様も今は出掛けることへの楽しさが勝っているのか、大して気にしていない様子である。
(豊前に注文させないようにしなくては、な)
(豊前が注文する前に俺が注文しねーと、にゃ!)
コーヒーショップへ入りながら南泉と長義は前回の事を思い出しながら、そんなことを決意したりもした。
雨だというのにこの店は前回同様とても賑わっていた。行列の最後尾について辺りをぐるりと見回した。
黒板には長義が所望しているレモンケーキのドリンクがチョークでとても上手に描かれていた。視線を上げてレジ奥に掲げられているメニューの一覧の隣には、豊前江が渇望しているストロベリーのイラストを見つけた。どうやら春の限定ドリンクがまだ飲めるらしい。
運が良いヤツだなぁと南泉は思いながら、ぼんやりとメニュー表に目を移す。
他の二振りは何を頼むかはすでに決まっていたが南泉だけはまだ決まっていない。
内心では己の求めた商品を注文できると静かに心躍らせている二振りを横に、南泉はさらに視線をずらす。
「おっ……」
「君も何を頼むか決まったのかい?」
ショーケースの焼き菓子や軽食を眺めていた長義が、いつの間にか南泉の顔を見て笑った。少し驚きはしたが何事もなかったかのように、黒板を指さした。
「おう。アレにするわ」
指さした方向に描かれていたのはアイス抹茶ラテ。ホットしかなかったメニューに新しくアイスのものが追加されたらしい。確かに店内でも鮮やかな緑色のドリンクカップを持っている客も少なくなかった。
列は順当に進み、ようやく三振りの番になる。
すかさず長義が前に出てスラスラと店員に注文を告げた。
豊前江は、先を越されたと少々残念そうに笑う。一緒に残念だったなと笑う南泉だったが、内心は店員への被害を食い止めたことへの安堵でいっぱいだった。
安心して完全に心が緩んだその時だった。
「スコーンは温められますか?追加でホイップもおすすめですがいかがいたしましょうか?」
突然の店員の質問に、油断しきっていた二振りの間をぬってすかさず豊前江が躍り出た。
「ホイップって甘いんだよな?これ温めたらどーなるんだ?」
誰が見ても百点満点と言うだろう、梅雨空も逃げ出すくらいの笑みを携えて質問に質問を返した。
あぁ…南無三、店員さんよ、すまない。
南泉も長義も心の中で合掌し、店員の無事を祈るしかできなかった。
「あまっ甘いです!はい!温かいスコーンとホイップ美味しいです!」
「ほーー!じゃぁ!温めてくれ!ホイップも頼む!!」
「かっ、かしこま、ましこまりましたぁ!!」
豊前の笑江顔が直撃した店員はそれでも店員の責務を果さんと赤面し声が裏返りながらも的確な対応を披露してくれていた。二振りはそんな店員に盛大に拍手を送りたい気持ちでいっぱいだった。
どうやら豊前江はこういう注文やら店員との会話が好きらしい。こういう対話が出来てご満悦なのか、あんがとな!!と店員に向けてさらに満面の笑みを送っていた。
本丸で桑名江が育てた新鮮なりんごよりも顔を赤面させた店員からなんとかレシートとお釣りを受け取り、商品の受け渡しの列へと再度並ぶ。
カウンターの中では緑色のエプロンを付けた店員と黒いエプロンを付けた店員が忙しなく注文を受けたドリンクを手際よく作っている。ざわめく店内の音に混ざって、氷が削られていく音、液体が混ぜられていく音、店員のやり取りの声、色々な音が耳の奥を擽るようで待つ時間も悪くないなと感じられる。
そんな風に楽しんでいると、あっという間に三振りの注文が出来上がったようで、ドリンクにスコーンの皿が所狭しと並べられたトレイを南泉が受け取った。
ここで豊前江が受け取ったりでもしたらこの賑わう店内のドリンク作成が大変なことになってしまう。
「おぉ!これがストロベリーフラペチーノ!作ってくれてサンキューな!」
そう思って行動したのだが、それも虚しく豊前江は自分の頼んだ、待望のドリンクが受け取れたことに喜んだのか、ここ一番の笑みと感謝がカウンター内の店内へと直撃してしまった。
突然視界から消える店員、どうやら腰が抜けたらしい。直撃を免れたが赤面した顔を手で隠し呻く店員。
トレイを持った南泉とその隣で終始状況を見守っていた長義はお互いに笑みを浮かべ大きく頷いた。
(今度から豊前は席で待っていてもらおうか!)
(それがいい!にゃ!)
色々あったが無事に席につき、各々頼んだドリンクを手にした。
白いドリンクに真っ白なクリームその上に薄い黄色のソースがかかっていて見た目にも爽やかなのは長義が頼んだもの。
ピンク色と白色のマーブル模様になっていて上にたっぷりとクリームが乗せられているのが豊前江が頼んだもの。
パステルカラーのように色鮮やかな薄い緑色のドリンクが南泉が頼んだものである。
色とりどりのドリンクが並ぶトレイを見て、三振りは微笑んだ。梅雨のジメッとした鬱陶しい空気や気持ちもすっかり記憶の端に追いやられているようだ。
早速長義はストローを刺して少し強めに吸い込む。豊前はスプーンでホイップを掬って頬張った。南泉も抹茶ラテを一口飲む。
「美味しいっ!甘いけれどサッパリしているね」
「甘くて美味いっちゃ〜!いくらでも食えそうだ!」
「抹茶ラテも美味いにゃ!甘いけど甘すぎないから飲める!それにアイスってのが嬉しいにゃ〜!」
「君、猫舌だものね……」
「今まで抹茶ラテはホットしかなかったもんな……」
「うるせー!にゃ!今は猫舌関係ねぇ!」
頼んだドリンクの美味しさに少し浮かれて笑い合う。
「いつも思うが人の子は美味しいものを作ることが上手だね」
冷たくてさっぱりと甘くそれでいてレモンの酸味も感じられるドリンクは気持ちもさっぱりとさせてくれる。上にかかっている茶色い粒はケーキを見立てているのかクリームや撮りと一緒たべると先ほどとは違って甘みが増してケーキの味わいもする。楽しい飲み物である。
長義はしっかりと一口を味わい、ストローから口を離した。花を咲かせたかのような明るくて朗らかな笑顔である。
豊前江は自分の頼んだドリンクを吸い込みながら、にこにこしている長義を見て更に笑みを深める。より一層にっこりと口元の形を変える。視線に気付いた長義はスッと笑顔を引っ込めて、豊前を見る。柔らかい笑顔は一瞬であっという間にいつもの表情に戻ってしまった。
「なにかな……?」
「いや、美味いんだろうなって!」
「あぁ、美味しいよ。それがどうしたのかな?」
「いつもニコニコしてりゃいいのになって!」
「それは出来かねる」
時々見ることができるから良いのかもなぁ、と豊前江は少し残念に思いつつ、そういう類の笑みを見せてくれるということは、気を許してくれているのだと感じで、こっそり笑った。笑うとまた照れ隠しに睨まれるだろうから、ドリンクを飲んで誤魔化した。
「ん!!俺の頼んだヤツもうめーっちゃ!!」
すごく甘そうだと思ったドリンクは確かに甘いが、イチゴの酸味もしっかり感じられる。甘酸っぱくてずっと飲んでいたくなるようだ。
ホイップを追加してもらったスコーンに目を移す。スコーンが温かいためか少しだけホイップが融けている。フォークでスコーンを大きめにさっくりと切り分け、たっぷりのホイップを付けて口に運んだ。
「なんやこれ!でたん甘うてうまい!」
雲を切り裂いた晴れ空のような、弾けるような笑顔が一瞬にして咲いたようだった。
美味しいと感動した豊前江はドリンクを飲みつつ、たっぷりとホイップをスコーンにつけて食べて、を繰り返す。よほど美味しかったのだろう、言葉を発してないはずなのにとても楽しそうに見える。
甘いものは幸せにしてくれると誰かが言っていたのを聞いたことがあったが、確かに幸せになるとはこういう味なのかもしれない。豊前江はまた一口甘酸っぱいドリンクを飲み込んだ。
そんな二振りのやり取りをほほえましく南泉は眺めている。権限された当初のことを思い返すと随分と柔らかくなったなぁと感じて口元を緩めた。
おそらくこのことを知られると長義辺りからの当たりが非常に強くなるので、豊前同様に口元を隠すために自分の頼んだドリンクを飲み進めた。
「んん!!!やっぱりこれもうめぇにゃ!」
猫が獲物を見つけた時のように瞳孔がきゅぅっと形を変える。大きな目をさらに大きく開いて、手に持ったドリンクを二振りの方へと見せつけた。
南泉が頼んだのはアイス抹茶ラテ。鮮やかな薄緑色の液体がゆらゆらと揺れていた。
好みの味に出会えたのが嬉しかったのか、抹茶ラテを飲めたことが嬉しかったのか、どちらかはわからないが、喜びで興奮しているのは目に見て明らかである。
「楽しそうで何よりだ」
「冷たいヤツも美味しいんだな!良かったじゃねぇか!」
「お、おう…」
テンションの高い南泉に、優しい眼差しを二振りは向ける。店内であることと、二振りの笑顔に我に返ったのか、少し恥ずかしそうにして南泉は握りしめていたドリンクをテーブルへそっと置いたのだった。
「いやでも本当に、めっちゃ美味いんだにゃ!」
「来てよかっただろう」
「あぁ、まぁにゃ」
始めにここへ来ようと言った長義が、得意げな顔をしていた。どうやら長義は南泉が気に入ったドリンクも売っていると知っていたようだ。まんまとしてやられたな、と悔しい気持ちも沸いてきたがこのドリンクの美味しさや色々な感情がその気持ちをかき消してしまったようである。ふんっと顔を笑っている二振り背けたが、照れくささを隠すようにドリンクを一気に吸い込んだのだった。
最近の本丸事情を話したり、笑い合ったり、少し言い合いをしたり。気付いたら頼んだドリンクもフードもすっかり空になってしまっていた。
空になったカップを見つめて南泉は何かをふと考えた後、静かに立ち上がりまた注文カウンターの方へと向かう。長義と豊前江も顔を見合わせた後、南泉に続いた。
「おかわりか?そんなに美味かったんか~?」
豊前江は背後から南泉の肩に腕を回した。南泉は違うと首を振ってテイクアウトだと告げた。
「美味かったし、本丸に帰ってからじっくり味わいたいにゃって思って、にゃ!」
「お!良いねぇ!」
「では俺も審神者への土産を買おうとするかな」
「山姥切国広の分は買わなくていいのか?にゃ!」
「うるさいぞ、猫殺し君」
長義は冷たい視線を南泉に向ける。それを見て豊前江は少しだけ声を上げて笑った。
「俺は、篭手切江や江のみんなと来てぇな!いろんな種類があるから次来たら今日頼んだヤツとは違うものを選んでみてぇな!」
「それは楽しそうだな」
「そうだにゃ!」
南泉は抹茶ラテを二つ注文した。一つではないのか?と尋ねると、お頭の分だと照れくさそうに呟いた。漸くやってきた同派の男士と話したいことが沢山あるのだろう。子猫と可愛がっている南泉から南泉が美味しいと思ったものを一緒に飲食するのは、山長毛にとっても有意義な時間であろう。
そんな南泉の隣で長義は一思案巡らせていた。
審神者への土産は頼まれていたからもちろん購入はするのだが、山姥切国広の分を考えていた。冗談めいた南泉の提案はあながち間違ってはいない。
会話はできるが、やはり未だに何かのきっかけは必要だった。今回も何か話のネタになればと思い、メニューを一巡した。ふととある商品が目に入る。審神者には期間限定と記載されたケーキと長義が飲んだものと同じドリンクを。山姥切国広の土産には、抹茶のスコーンを三つ。彼のことだ、堀川派の三振りで食べたいと言い出すだろう。そして抹茶味なら山伏国広も堀川国広も嫌いではないだろう。そう長義は考えて店員に注文を告げたのだった。
頼んだ商品が入った袋を受け取って、少し浮足立っているような軽やかな足取りで店を出た。本丸で話に花を咲かせるのを楽しみにしながら。
外はいつの間にか雨が上がっていて、雲間から一筋の光が差し込んでいる。日差しは強くなっていて、肌をじりじりと焦がすようだ。
空を見上げると、じっとりとした空気も、気分も幾分かすっきりとしていた。
もうすぐ夏がやってくる。